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俳 書

『初便』


元禄12年(1699年)、『初便』序。

享保3年(1718年)1月、『初便』樗 野坡 跋。

「俳諧七部拾遺」に収録。 『けふの昔』 (朱拙編)の抄録である。

散る花を追ひかけて行くあらし哉
   定家卿

○法眼季吟、黄門の句なりと、ある人にきけりとて山の井にいたされたり

散る花をなむあみだぶとゆふべ哉
    守武

○晋 其角 曰く、 荷兮 、集に辭世と書きたれど、神職の正統として此境はにらまれまじ、嗚呼と一時の歎美ならんと、さこそあらんかし。

是は是はとばかり花のよし野山
   貞室

花見せむいざやあみだのひかり堂
   貞徳

花の香をぬすみてはしる鼠かな
    宗鑑

   つくしにて

世の中の宇佐八幡にはなの時
    宗因

花の雲鐘は上野か淺くさか
   芭蕉

○句を見る事字眼を要すべし。

あつみ山や吹浦かけてゆふ涼み

といふは、吹の字にあたりて、ゆふ涼みとはせられたりとみえたるを、世に福の字を書きなどして發句と思へる口惜しと或人のいへり。さあるべし。陶淵明が詩の、神にして千古の名あるは、秋菊有佳色といふ佳の字也ときゝし、撰集のぬしになる事かたし。ある人集をするとて、余に句を乞へる折から、芭蕉翁の義仲寺にましゝとき

明月や海にむかへば七小町

としたまふを、いかにきゝ給へるやと問ひしに、小町は湖邊のたゞちにして、別に意義なしとこたへられき、此句は欲西湖西子淡濃也相宜と東坡が作例によられたるべきを、草々に看過せむは本意なし。此器にて撰者といはれむこと覺束なし。されど、あか佛尊くばいかゞせん。我れを罪するものは春秋とは聖者の歎なるをや。

○名人の古事をとりたるは、古人の力をからずして句中無盡のひゞきあり。此の境中人分上のにらみたらば、くはしく先人の唾餘にして、剋鵠類鶩といへるにもあらざるべし。

三井寺の門たゝかばやけふの月
   ばせを

ほとゝぎす鳴くや五尺のあやめ草

卯の花やくらき柳の及びごし

ほとゝぎす聲よこたふ水のうへ

初しぐれ猿も小蓑をほしげなり

是皆古詩、古歌本、説、物語をとりたる句なり。あやまるときは沈詮期が辟におちいり、しすますときは家隆卿の名譽を得べし。水にしられぬ氷なりけりととりたるは、絹を盗んで小袖にしたるとぞ。俳諧の作者はおもふべし。

○名所の句をする事安からず。石曼卿が意中流水送、愁外舊山青シと籌筆驛にて作りたるを、しらざるものは稱揚すれども山水の地ならばいづれの所にも相應して、籌筆驛のせんたゝずと、先輩のそしりたるは、句中の動きあればなり。

秋風や薮もはたけも不破の關
   ばせを

せめよせて雪の積るや小野の炭
    去來

うら枯や馬も餅くふ宇津の山
    其角

此類烏獲がちからにも動かざらまし

菊に出てならと難波は宵月夜
   ばせを

といふ句を、影略互見の法なりと世につたふるはあやまれり。錯綜轉倒の法なるべし。

紅稲啄餘鸚鵡粒、碧梧棲老鳳凰枝といへる句法にも似たり。

梅が香にのつと日の出る山路哉

此句餘寒の題なるよし、句中寒の字はなけれど、長夏にも寒かるへし。これらをや影略の法とはいふべき、杜甫兼葭の題にて、暫時雪載花、幾處葉沈波。林和靖が詩に、横斜疎影水淺深、暗香浮動月黄昏、兼葭といはず梅といはず。されど吟勢それとたしかなり。是影略の法なり。

○發句に詩歌なるあり。俳諧なるあり。味なきを味として俳諧なるをあらまほし。

蚤虱馬の尿こくまくらもと
   芭蕉

年頭はかはのとぢめのうつは物
    洒堂

松茸や人にとらるゝ鼻の先
    去來

足あぶる亭主に聞けば新酒哉
    其角

笋や道のふさがる客湯どの
   浪化

庭へ出て馬の米喰ふ夜寒哉
    露川
  筑紫
草あつし蚓のおよぐ馬の尿
   水颯
  ゼゞ
兼平も切籠ひとつの身と成りぬ
   探志

親仁さへ起きざるさきに三十三才
   乙州

蚊遣火や女の斧に石をわる
   風國

家船のじつとして居る月見哉
    嵐雪

血を分けし身とは思はず蚊の憎さ
    丈草

猿引は猿の小袖をきぬたかな
   芭蕉
  ナルミ
出替や照る日に下駄をはいて行く
    知足
  イガ
誰れが來て遊ぶや雛のたばこぼん
   車來

初雪や幸ひ庵にまかりある
   芭蕉
  サガ
井の底に蛙をもどす釣瓶かな
   爲有
  イガ
朝夕を見合す旅の袷かな
   風睡
 筑前直方
夕顔に次郎の這入る小家かな
   丹山
  アハ
佛たち衣更にもおどろかず
   一木
  ミノ
蕗の葉に髪包みたる田植かな
   可吟
 (※「口」+「金)
芋種や花のさかりを賣りありく
   芭蕉

我が願ひ花四五反の中に家
   朱拙

あさがほのうねりぬけたり笹の上
   萬乎
 豊後日田
芋の葉の軒につられて秋の風
   紫道

仰向にこけてもがくや虻の足
    土芳
 筑前黒崎
朝鷹の提灯で出る田畝哉
   帆柱
ブンゴ日田
稲妻やいたり來たりに夜を明す
   りん

   深川の八貧

米買うて雪の袋や投頭巾

(米買ひに雪、として聞ゆ。校訂者誌す)

ほろ醉の是やまことの雪見哉

草庵とおもへど年の炭大根

ながるれどせかずに游ぐ蛙かな

○感情にわたる句は、本性多くして俳諧少なし。思慮にわたらざるは俳諧多くして本情少し。案ずるに本情は難きに似て易く、誹かいはやすきに似てかたし。今の世眼前をいひて、按排を輕ざるを好むもさる事ながら、周詩は多く感情より興れる、取捨は其の人にあらむ。

   深川閉關の比

蕣や是も又我友ならす
   芭蕉

しら菊に咲かれて我れはもとの顔
   朱拙

ばせを葉の何になれとや秋の風
    路通

(ばせを葉は、として聞ゆ。校訂者誌す)

蓑虫の我れは綿にてふゆ籠
   風麥

   崎陽に旅寢の頃

故さとも今はかり寢や渡り鳥
    去來

松風もきけば浮世ののぼりかな
    支考

月日をもうくる斗りの枯野哉
   知月

皆我れにつかはるゝなりとしの暮
   諷竹

山やおもふ馬屋の猿も松かざり
   若芝

おとろひや齒に喰當し海苔の砂
   ばせを

    深川舊菴 に入りて

爰らにはまだまだ梅の殘れども
    惟然

   草菴を訪ひて

松風は寒し世間は師走也
   朱拙

○李白が法外の風流を得て、道にちかしと宋儒の評せられしは、天機を動かさゞれはなり。 惟然 が諸州を跨りて句をわるくせよわるくせよ、もとめてよきはよからず、内すゞしくば外もあつからじといふは、生得の無爲をたのしびて、この爲めに塵埃をひかじとならん。

   南部の雪に逢うて

木もからん宿かせ雪の靜さよ
   惟然

(木もわらん、として聞ゆ。校訂者誌す)

   二本松にて

先づ米の多い所で花の春

   松しまにて

松しまや月あれ星も鳥も飛ぶ

   深川の千句に

おもふさま遊ぶに梅は散らばちれ

など一句として斧鑿にわたりたりとは見えず。地獄天道は學ふ人の心なるべし。

○南部の鴉も黒く日向の鷺も白し。師錬は入宋せず、さは有りながら、子長があやしきは天下歴覧の功なりといへり。風遊は心の趣處なるべし。

下京をめぐりて火燵行脚哉
    丈草

   名古屋にて

世を旅に代かく小田の行戻り
   芭蕉

○詩のうたうて美悪のわかるゝごとく、俳諧も調子なるべし。句中言外のひゞき、格外の格をしれるものゆかし。

寒ければ寢られず寢ねば猶寒し
    支考

紅葉には誰が教へける酒の煖
    其角

門人の吟中此類多し。俳諧の袴着つめたるものゝ全く及ぶところにあらず。

○上手のしたる漢も、和ほどにはいひとられざるにや、

洛 花 今 織 錦   山石

わさりと鴈の歸るふるさと   季吟

今織錦に洛花勿論にて、武陵花、崎陽花としても又しかるべし。歸る鴈は故郷ならばわさりといふ字も衍(あまら))ず。

都をば霞とともに出でしかど

      秋風ぞふく白川の關

錦 江 春 色 逐 人 來

巫 峡 清 秋 萬 壑 哀

老杜か手なれども、 能因 に及ばずと聞きし。

○いつのころにかありけん、ミノ斜嶺亭にして

もらぬほどけふは時雨よ草の屋根
   斜嶺

火をうつ音に冬のほたる火
    如行

(冬の鶯、として聞ゆ。校訂者誌す)

一年の仕事は麥にをさまりて
   芭蕉

まことや此第三を、十餘句ほどせられて後、座がしめりたりとて、此句に決せられたりと其連衆のかたるを聞きぬ。賈嶋は推敲の二字になやみ、 圓位上人 は風になびくの五文字につかれ給ふとぞ、難波の西鶴といふもの一日二萬句の主になりたりとて、人もゆるさゞる二萬翁とほこりたる、これもとより風雅の瞽者なれだ力なし。

笙ふく人留守とは薫る蓮かな
   西鶴

白粉をぬらずしておのづから風流なるこそ、由來風雅の根基なるに、此句風流を得たがりて風流なし。留守とはかをる、めづらしき薫りにこそとはの二字、おのが得し俗たぶらかしにて、生得の風趣なり。これらを發句なりと、一生を夢裏にたどれるはあさまし。渠れは此の筋の野人にして論ずるにたらずといへども、久しく初心の爲に虚名を曳きて、風俗を害し、あまつさへ晩年には好色の書を作りて、活計の謀としたる罪人、志あるものたれかかれをにくまざらむ。

   各文通の句

青簾いづれの御所の賀茂詣
    其角

浮れ出て山かへするかほとゝぎす
    去來

あやめ見よ物やむ人の眉の上
    嵐雪

とへば爰野中の里やほとゝぎす
   風國
  ゼゞ
夕だちにこまりて來ぬか火とり虫
    正秀

傍過ぎてあまりにおもふ水鶏哉
    土芳

   東武吟行

かるがると荷も撫子の大井川
    惟然

鶯はいなせて竹に蝉ばかり
   風士

山中や鶯老いて小六ぶし
    支考

編笠の願見やるまつりかな
   朱拙

   偶 作

世の中はたゞ山雀の輪ぬけなり
   同
  筑前
雉の鳴く拍子に散るかけしのはな
   素蘭

   諸方の句十八樓の記あり略之

芭蕉老人の遺稿ども、よのつね好士の許より贈られたるは、洛の風國 泊船集 に出したれば、再び茲に贅せず、伊陽は翁の熟地なれば、若くば 土芳 、猿雖のがり鴻書して丐うたるに、こゝにあうちかしこにとられて、大むね烏有となりたりとぞ。此歌仙を贈らるゝによつて、爰に加へて追加とす。

 戌七月廿八日猿雖亭

   夜 席

あれあれてすゑは海行野分哉
   猿雖

鶴のかしらをあぐる栗の穂
   芭蕉

朝月夜駕に漸く追ひついて
   配力

茶の煙りたつ暖簾の皺
   望翠

かつたりと拐をくだす雜水取
    土芳

窮屈さうにはかま着るなり
    卓袋



   ばせを庵にて

寒菊や小糠のかゝる臼の傍
   翁

提げて賣行はした大根
    野坡

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