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2008年12月版、「成田新高速」の現況

成田高速鉄道アクセス (成田新高速)の工事の様子について過去分は下記の通りご紹介しております。

2005年8月
2006年8月
2006年12月
2007年8月

2007年12月
2008年6月

2008年9月


今回は「四半期報」としては第2回目となる2008年12月段階での進捗をご紹介します。
もう全区間を歩くことはあるまい、と思ってましたが、日ごろの運動不足解消の目論見もあり、またぞろ全区間走破を志してしまいました。
なお、メインの取材は11月末に行っていること、その後12月下旬と大晦日の追加取材による補完であること、また言うまでもないですが通行規制などを受けない公道を通行しての取材であることをあらかじめ申し添えます。

前回9月段階では橋脚群の整備が目覚ましかったですが、今回は橋脚に加え、橋桁の整備進捗も進み、印旛沼橋梁も姿を見せつつあるなど、さらに大きな変化が見てとれました。

「けたろう」が支える

※写真は2008年11月、12月撮影

※成田新高速の進捗に関しては下記もご参照ください。

2005年8月
2006年8月
2006年12月
2007年8月
2007年12月

2008年6月

2008年9月
2009年3月
2009年6月
2009年9月
2009年12月
2010年1月
2010年3月
2010年6月
2010年7月


●印旛日本医大〜北総自動車学校
印旛日本医大駅付近はあまり変化が無いようにも見えますが、松虫姫公園付近の都市計画道路との交差地点から先は元の地形を想像するのも困難なほどの変化を遂げました。また、交差地点も含めて掘割部分が完成しており、交差地点の道路側の橋梁も橋梁らしくなっています。

印旛日本医大駅方向から交差地点
(後方が成田空港)
交差地点から北総自動車学校方面
(後方が成田空港)

その先、松虫寺から谷津田の谷に下りる道は取り付け位置を変えて新しく整備されており、工事現場に並行して見下ろすちょっとしたスポットです。松虫高架橋から台地を削って瀬戸高架橋に続く区間は11月末時点ではまだ台地が残っている感じでしたが、12月末にはあと少し削れば完成という感じです。

松虫高架橋と台地の関係
(後方が成田空港)
谷津田を渡る松虫高架橋
(左手が成田空港)

工事現場の看板が「見える化」タイプの工事目的を明記したものになっていますが、その文言が「成田空港へつづく鉄道橋を作っています」となっており、いよいよ、という感じを強くします。

瀬戸高架橋区間
(左手が成田空港)
R464の下は貫通しているのか?
(後方が成田空港)


●北総自動車学校〜印旛捷水路
掘割構造の底には路盤が見えており、どうやら小隧道の構造になるようですが、松虫方面から見通した感じでは貫通しているようでもあり、してないようでもあり、と言う感じで定かではありません。

谷津田を越えて、台地を削り...
(後方が印旛日本医大)
印旛捷水路方向。掘割の底に路盤
(後方が成田空港)

吉高東高架橋で台地の縁から印旛捷水路に向かう区間も橋桁がつながりだしましたが、水田地帯に出たあたりからは橋脚のみ。
とはいえ緩やかにカーブを描く高架橋を遠望すると、ここを疾駆する新スカイライナーにとっては一つの見せ場になるでしょう。

吉高東高架橋
(右手が成田空港)
カーブを描き捷水路へ
(後方が印旛日本医大)


●印旛捷水路
案能橋付近は大きく変わりました。

捷水路渡河点を遠望
(右手が成田空港)

渡河点の工事現場には仮囲いが巡らされ、成田新高速に加え北千葉道路の橋脚工事も始まったことが看板で判ります。
鉄道側の看板によると、ここは鋼トラス橋構造になるということがわかります。

鉄道は鋼トラス橋道路は橋脚設置工事

そして年末になり、ついに渡河点にトラス橋が姿を見せました。まだ仮設状態ですが、捷水路に渡された緑色のトラス構造物は、進捗を大きく印象付けるシンボルとも言えます。

遂にトラスが姿を見せた
(右後方が成田空港)


●印旛沼渡河点
延長450mのPC箱桁構造になる橋梁はまだ姿を見せていませんが、渡河点には橋脚となる構造物の工事が見てとれます。
北千葉道路との一体構造とはいえ、他工区と比べると橋脚部分の構造が大きく見えます。白い仮囲いで覆われた「台座」が印旛沼の入り江などに並んでいますが、橋脚本体や橋桁は確認できませんでした。

印旛沼渡河点を遠望
(左後方が成田空港)
印旛沼渡河点の構造物
(左手が成田空港)


●北須賀工区
11月にJVのメンバーが経営破綻したことで心配される区間ですが、進捗はしているようです。
R464との交差地点では12月に入り橋桁がついに架かりました。そのグレーの鋼構造物に記された「けたろう」の文字がユニークですが、これは 北日本建材リース(株)の商品名 です。

11月末の交差地点
(右手が成田空港)
12月下旬には「けたろう」がお目見え
(右手が成田空港)

「けたろう」を新スカイライナーが疾駆するのであればユニークな「名所」になるのですが、商品説明を見ると仮設桟橋とあり、どうやら本設の橋桁が完成した時点でお役御免になるのでしょう。

●甚兵衛機場付近
北須賀工区は橋桁の立ち上がりが一番早かったこともあり、防音壁部分の上部工事も進捗しています。

かなり出来上がった高架橋
(後方が成田空港)
甚兵衛機場方向に伸びる高架橋
(右後方が成田空港)

甚兵衛機場から八代にかけての区間では、早々と立ち上がった高架橋の東側にもう一列の高架橋の工事が始まっており、これが北千葉道路でしょう。

もう一列の高架橋が...
(後方が印旛日本医大)

北千葉道路の構造物だとしたら、これが最初に確認されたものとなりますが、その延長線上に沿道の民有地がかかるように見える区間もあり、鉄道と違いまだ時間がかかるようです。

●八代高架橋
北千葉道路の用地が脇を固める感じで高架橋が続いています。

松崎トンネルに向かう高架橋
(右後方が成田空港)
高架橋の脇は北千葉道路用地
(後方が印旛日本医大)

松崎の台地に近い区間の「コ」の字を立てたような橋脚の区間ですが、高架下に何かの施設をつくるようで、建屋が出来上がっていました。
この構造物を支障しないようにするための変則的な橋脚のようです。

橋脚の間に何かの建屋
(右後方が成田空港)


●松崎トンネル
八代側から見ると台地の斜面を削り取るような勢いで工事をしています。

台地を削って工事中
(後方が成田空港)

台地の上から見ても、開削工法で建設するとしか思えないような感じで、地上部分を更地にして工事が進んでいます。
トンネルを抜けた成田ニュータウン北駅の「高さ」を勘案すると、相当浅いところをトンネルで抜けないといけないはずで、この手の既存市街地や地形回避のトンネルとしてはかなりユニークなトンネルになるようです。

地上も更地に
(後方が印旛日本医大)

八代側の平野を望む箇所には工事を紹介する看板が立っており、「成田高速線で飛び立とう海外へ」とあり、「ア!トンネルから成田高速線がー」と少女とパンダとウサギに語らせていますが、パンダが京成パンダでないのは幸いとしても、「成田高速線」とはまた新たな新線名が公募の結果発表を前に出てきたもんです。

「成田高速線」


●成田ニュータウン北駅
構造物はかなり出来上がっていますが、成田線(我孫子線)との交差部分は手つかず。構造物の方はエントランス部分の庇が形になっています。

庇も見える構造物
(右後方が成田空港)

台地から見ると、駅部分の構造物からずれた位置に橋脚らしき構造物が見えますが、これは北側に並行する北千葉道路の構造物でしょうか。

右後方の駅構造物と若干ずれた橋脚
(後方が成田空港)


●山口押畑高架橋
成田ニュータウン北駅からは単線構造になります。
橋脚も一見頼りなげな細いものになっていますが、一部区間は橋脚+橋桁ではなく高架橋構造になっているような箇所もあるわけで、細かい変化があるようです。

大谷津方面に伸びる橋脚と高架橋
(右後方が成田空港)
単線分の橋脚なので線が細い
(左手が成田空港)

成田安食バイパスとの交点付近は歩道の取り回しが変更されていますが、県道をまたぐ構造物はまだできていません。
そこから大谷津方面に高架橋が伸びていますが、北千葉道路はこの先R408まではトンネル構造になるようでもあり、成田安食バイパスとの交差方法も含め、どうなるのか楽しみです。

運動公園内の様子
(右手が成田空港)


●R408〜土屋
用地買収の遅れもあり最後まで手つかずだった区間ですが、工事が一気に進みました。
橋脚が土屋の既存高架橋を目指して立ち上がりました。

土屋へ向かって伸びる橋脚
(後方が成田空港)


そして土屋の既存高架橋にもついに変化が現れました。
最上階、東京方面をにらんで途絶えたシンボル的な箇所に仮囲いができ、仮設ハウスも見えます。地上にも作業スペースが見え、いよいよ「接続」へのカウントダウンが始まったようです。

仮囲いが見える既存高架橋
(左後方が成田空港)



***
2008年最後のレポートですが、工事はまさに佳境を迎え、高架橋もまさに「つながって」きました。
松崎トンネルの工事もいよいよ本格化しましたし、印旛捷水路のトラス橋もついに姿を現しました。
後は印旛沼渡河点の工事が残る大どころと言えるわけで、2009年中には始まるとされる試運転に向けての工事も順調に進んでいるようです。

いよいよ来年の今頃は試運転のレポートをお届けしているかもしれません。
そんな夢ももうすぐ現実となる予感がする沿線風景でした。

印旛沼を遠望して...





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