このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2009年3月版、「成田新高速」の現況

成田高速鉄道アクセス (成田新高速)の工事の様子について過去分は下記の通りご紹介しております。

2005年8月
2006年8月
2006年12月
2007年8月
2007年12月

2008年6月

2008年9月
2008年12月

今回は「四半期報」としては第3回目、年度末ですから年度の「事業報告」でもある2009年3月段階での進捗をご紹介します。
今回も基本は全区間の走破です。日程の都合で3月中旬に実施しており、甚兵衛付近のみ下旬に再訪して補完しています。(写真の*印)
このほか東松戸をはじめとする北総線既存区間の改良や、成田空港付近での工事も進捗が著しいですが、こちらの方は次回あたりにまとめてご案内できればと思いますので、お待ち頂きたく存じます。

前回12月段階では橋桁の整備進捗も進み、印旛沼橋梁も姿を見せつつあるなど、さらに大きな変化が見てとれましたが、今回は高架橋が各所で完成に近づき、既存交通機関との交差部も完成したり、着手されたりといよいよ2010年の開業を実感させる進捗となっています。
最後に残る大どころは印旛沼橋梁ですが、下部工の進捗も最終段階のようで、遠からずその全貌が見えてくると思います。

春の息吹に見守られ*

※写真は2009年3月撮影

※成田新高速の進捗に関しては下記もご参照ください。

2005年8月
2006年8月
2006年12月
2007年8月
2007年12月

2008年6月

2008年9月
2008年12月
2009年6月
2009年9月
2009年12月
2010年1月
2010年3月
2010年6月
2010年7月


●印旛日本医大〜北総自動車学校
駅の東側の引上線は本線が抱き込むように伸びていますが、レールが錆びておらず輝き方を見ると使用されているようです。

印旛日本医大駅から成田空港方面を望む松虫姫公園から印旛日本医大駅方面

松虫姫公園の都市計画道路との交差地点は成田空港方の歩道はバリケードが置かれています。北千葉道路へのアプローチが分岐することになっており、その関係の橋脚も見てきました。なお印旛日本医大方は残る2車線分の整備中です。

北千葉道路の構造物も見えてきた(後方が成田空港)

松虫寺方面から新高速の線路を俯瞰するように降りてくる道路は手前の区間で道路工事が行われいる関係で通行止。いには野のほうから回り込んで谷津田の松虫川の谷筋から高架橋を見ると、高架橋と言うより斜面を生かしたコンクリートの土留めのような構造になっています。

松虫高架橋へ続く線路(左後方が印旛日本医大)

谷津田の側からは例の道路にアプローチできるので上がってみました。
松虫姫公園側の都市計画道路はアンダーパスで、瀬戸のR464はトンネルと微妙に違う構造で潜っています。瀬戸のトンネルも抜けていることがはっきり分ります。

北千葉道路側の工事も進む(後方が印旛日本医大)瀬戸のトンネルもはっきりと(後方が成田空港)

いったん線路と離れるように谷津田の松虫川の谷筋沿いに進みます。どこかで瀬戸に向かう地道がないか探したところ、地元の方がお散歩中といった感じで出てきた道があり、入り込むと瀬戸高架橋にかなり肉薄できましたが、どうも工事現場で行き止まりの気配。瀬戸へのアプローチを狙ったところ、軽トラが走るのが見えたのでそちらではと向かうと、谷津田の奥で農作業を始めたところ。結局元の松虫川沿いに戻り、11月に使った道路を経てR464に出ました。

松虫高架橋
(後方が成田空港)
瀬戸高架橋。左奥に北総自動車学校
(左手が成田空港)

吉高の大桜の分岐付近でR464に戻り、北総自動車学校手前の交差地点へ。
トンネルの上から見る形になるルートですが、印旛日本医大側を見ると基礎工事が進む北千葉道路に挟まれるように早くも防音壁が立ちあがった路盤が一気に続く様が見えます。
成田空港側は緩いカーブを描いて伸びる吉高西高架橋ですが、こちらも同じような進捗です。

明り取り区間もあるトンネル(後方が印旛日本医大)緩やかにカーブを描く高架橋(後方が成田空港)


●北総自動車学校〜印旛捷水路
前回は瀬戸交差点→捷水路の緑色の橋を大回りしましたが、上から見ると工事用道路と見えた道路に普通の軽トラが見えます。
大桜への分岐付近から伸びるこの道路、以前からある地道なんですが、休工中ということで一般通行もできるようで、下ってみました。

トンネルの構造物(左手が成田空港)R464を見上げる(左後方が印旛日本医大)

新高速の高架橋を潜った後は吉高西高架橋に沿うように進みます。
北千葉道路を置き去りにして、新高速は着々と進捗しているのが判ります。

吉高西高架橋(後方が成田空港)R464方向を振り返る(後方が印旛日本医大)

07年暮れに俯瞰した吉高の台地へのアプローチ道路は見当たらず、08年9月に歩いた道は地道なのか果樹園の中なのか定かでなく、道なりに進んでみます。R464からの俯瞰写真、右手中奥の緑の柵に囲まれた土盛りを巻くあたりで地道が消えてしまい、田んぼの中の細道を捷水路に出ます。

このあたりは連続する高架橋
(右後方が成田空港)
捷水路側に出てくるあたりは完成モード
(左後方が印旛日本医大)

捷水路に沿って走る自転車道から見ると新高速の高架橋もつながり、4年近く前の青々とした田園風景がウソのようです。
案能橋の所の交差点形状変更はそのまま。道路をまたぐ桁もかかり、捷水路を渡るトラス橋とつながりました。

案能橋付近(右後方が成田空港)捷水路を渡るトラス橋も全長分に(右後方が成田空港)

トラス橋の両脇を固めるように北千葉道路の円形断面の橋脚も見えますが、トラス橋を挟み込んでどのような橋梁になるのでしょうか。

●印旛沼渡河点付近
捷水路の東側を東橋まで進んでみました。
蕪和田高架橋から印旛沼橋梁が見渡せますが、印旛沼橋梁の北千葉道路と一体構造となった凸字型の橋脚の中央部に、成田新高速の橋桁を支える構造物が見えてきました。

東橋付近(右後方が成田空港)中空の「台」に注目(左後方が成田空港)

後から写真を見ると、どうも捷水路から沼の縁を大回りする地道は通行可能なようで、軽トラや散歩する人影が映り込んでいます。
たださすがにそのためだけに行くのも大儀で、遠望でお茶を濁しています。
「台」が出来たのは印旛沼の上ではなく、印旛日本医大側の陸上にある2基のうち沼側の1基。下旬に再訪した時に甚兵衛公園側から沼を隔てて遠望すると、さらに上に何やら鋼構造物が載り、いよいよ橋桁を乗せる準備が始まったのかもしれません。

さらに上に構造物(左手が印旛日本医大)*北千葉道路と一体構造の橋脚(後方が印旛日本医大)

印旛沼湖上の構造物に変化はなし。ただ前回は足場とそれを覆うような白い囲いが印象的だったのですが、今回は囲いはなくなり、足場の裾から凸型の橋脚が見えています。逆に足場が上方に伸びているのが変化点です。

湖面の構造物に大きな変化は無し(右手が成田空港)*足場の裾に橋脚(右後方が印旛日本医大)


●北須賀工区〜甚兵衛機場付近
冒頭の写真、桃と土筆が季節の移ろいを感じさせる沿線風景ですが、お気付きでしょうか、前回ご紹介した「けたろう」が消えました。
仮設桟橋ということは前回ご紹介していますが、本設の高架橋が落ち着いたことでお役御免となったようです。

「けたろう」が消える直前(左手が成田空港)すっきりと本設の高架橋になった(左手が成田空港)*

走破時は甚兵衛公園付近まで進まずに高架橋の北側を並行する地道を進んでみました。
3月中旬の時点で、高架橋の進捗が一番早く、架線柱まで立ち上がっていたのがこの区間。JVのメンバーの経営破たんが懸念されましたが、目立った影響は出ていないようでなによりです。

湖畔から遠望した北須賀工区の高架橋
(右後方が成田空港)*

甚兵衛機場のあたりでは北千葉道路の橋脚も立ち上がっています。
ほぼフラットな新高速の高架橋に対し、アップダウンがうかがえる北千葉道路。というのも大半が地平で、平面交差がメインだから、水路のように橋梁となる区間を過ぎたら地平に戻ると言うわけです。

甚兵衛機場の水路付近
(後方が印旛日本医大)
北千葉道路の橋脚は高さに変化が
(右後方が成田空港)


●船形から八代工区
このあたりも順調に進捗しています。ただ、もともとの地割りを新高速は斜めに突っ切るため、トレースする際には整地された農地の各辺を大回りするのが面倒です。

田園地帯を突っ切る(左手が印旛日本医大)

下総松崎方面への市道との交差地点はこれまで切り回し道路になっていましたが、橋桁がかかり、元の位置に戻りました。
このあたりで北千葉道路は新高速を挟み込む格好から北側に並行する格好に変わるため、西行き車線がどこかで新高速と交差するはずです。

元に戻った交差地点(右手が成田空港)北千葉道路はどこで交差?(後方が印旛日本医大)

市道との交差地点から印旛日本医大方向を見ると、新高速の高架橋の南側に北千葉道路用?の橋脚らしきものが見えます。
成田空港側を見ると南側の用地がなくなっているようでもあり、このあたりで西側車線がクロスするはずですが、新高速の橋脚にそれを配慮した感じはなく、地平の北千葉道路がまさか高々架?という感じですが、どうなるのでしょうか。
一番いやなのはこの市道との交差点(平面交差)でクランク状に取り回すと言う形態ですが...

市道交差地点から成田空港側は南側に用地なし
(後方が成田空港)
八代工区では北側に北千葉道路が来る
(後方が印旛日本医大)


●松崎トンネル
ここも急ピッチで進んでいます。
台地を潜って湯川の谷にある成田キュータウン北駅に抜けるトンネルですが、成田ニュータウン北駅が高架橋で、しかも築堤上の我孫子線をオーバーパスするだけの高さを維持する必要性からか、予想以上に高い位置にあります。そのため開削工法になっているようですが、掘割に近い浅さのトンネルは独特です。

台地の上にトンネル構造物(後方が成田空港)北千葉道路も並んで取りつく(後方が成田空港)

この区間は歩ける道がなく、我孫子線の築堤脇まで進んでから台地の上に復帰します。

松崎トンネルの上(右手が成田空港)

八代側から見えたトンネル躯体は実はまだ市道との交差地点の手前まで。市道は取り回し道路を経て今は仮設橋梁のようになっており、成田空港側は掘割を作っている真っ最中です。

下から見えた躯体(後方が印旛日本医大)掘割状態にしている最中(後方が成田空港)


●成田ニュータウン北駅
前は松崎トンネルの東側坑口の上から見通しが利いたんですが、工事もたけなわになり柵が張り巡らされて視界が利きません。
少し離れたいつもの俯瞰ポイントからまず見てみると、駅舎の躯体の手前に橋桁が置いてあります。いよいよ我孫子線のオーバーパスの架橋が近いと言うことでしょうか。

駅構造物と橋桁(右後方が成田空港)

前回庇が張り出しているように見えた個所は単なる落下防止の養生だったのでしょうか、駅舎?に庇があるように見えません。
地元の人が行き来しているのを確認して、駅裏手の小踏切まで往復してみましたが、高架を潜ったら松崎トンネルに向かう北千葉道路の橋脚が4車線分並ぶのが見えます。

成田ニュータウン北駅裏手(右後方が印旛日本医大)

駅構造物の高架橋を見上げてよく見ると、相対式ホームの構造物が出来てきているのが見てとれました。

ホーム構造物(右手が成田空港)


●山口押畑高架橋
我孫子線の築堤を潜り、台地を削って出てきた新高速を潜って成田安食バイパスに向かう地道から高架橋を見ます。

大谷津へ伸びる高架橋(右後方が成田空港)ランプ路の橋脚(右手が印旛日本医大)

平面交差を専らとする北千葉道路ですが、このあたりで交差する予定の都市計画道路とは立体交差となるため、ランプ路が設置されることになっています。このランプ路となる区間の橋脚が姿を現してきています。

このあたりまでは複線?(左手が成田空港)単線用の橋脚と北千葉道路(左後方が成田空港)

2面2線通過線付きという新幹線タイプの成田ニュータウン北駅を出るといきなり単線というギャップがこの付近ですが、実際に単線になるのは成田安食バイパス寄りの地点のようです。
低い橋脚が伸びて来る北千葉道路は成田安食バイパスと平面交差して、大谷津をトンネルで抜けてからR408をオーバーパスとなる計画ですが、新高速は成田安食バイパスをオーバーパス後、大谷津も高架橋で抜けてそのまま土屋に至ります。

●大谷津から土屋へ
いよいよ最終コースです。
最初に着工された区間ですが、公園内の高架橋は防音壁もまだ立たず、架線柱もないなど、他工区の進捗を考えると逆に遅れているようにも見えます。

大谷津運動公園内(後方が成田空港)

大谷津を出て土屋へ向かいます。
最も着工が遅かった区間ですが、橋脚の上に橋桁が架かり始めました。
R408と成田線のオーバーパスの橋桁はまだ姿を見せてはいませんが、それを支える橋脚は明らかに橋桁を受けるべくの形状で立ち上がっています。

大谷津から伸びる高架橋(後方が印旛日本医大)土屋の高架橋が出迎える(後方が成田空港)

成田線の築堤を潜ると空港線に取りつく高架橋の下へ。
成田線をオーバーパスする橋桁を受ける橋脚が1本だけ既存高架橋の手前に作られ、これが最後の新規工事箇所となるようです。
新幹線規格の複線を受けるだけの幅が確保されている既存高架橋に対し、新高速の高架橋は単線のスリムなもの。どうつなぐのか、将来の複線化も考えてなのか、寄せた位置になるように見えます。

最終工区(左後方が成田空港)


***
2008年度を締めくくるレポートとなりましたが、いかがでしたでしょうか。
既存鉄道や道路との交差部分ヤ印旛沼橋梁を除き、高架橋もほぼつながってきたと言う印象です。
点が面になり、さらに線となる。成田新高速と言う新線は今まさに「線」となる瞬間を迎えつつあります。

2010年度の開業まで1年あまり。2009年度のレポートは工事の進捗からいよいよ「次のステップ」に踏み出すことになります。

空港の工事もたけなわです(空港第二ビル地上)



習志野原の交通局へ戻る

習志野原今昔物語に戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください