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2006年年末、「成田新高速」の現状
2006年2月4日に着工した
成田高速鉄道アクセス
(成田新高速)の工事については、夏前に成田市大谷津運動公園での着工を確認しています。
それに続き、今回2006年年末に現地を実査したところ、全線に亘って工事もしくはその準備に着手されていることを確認しました。
予定ルートを示す標柱(甚兵衛大橋東詰。左手が印旛日本医大) |
※写真は2006年12月撮影
※成田新高速の進捗に関しては下記もご参照ください。
2005年8月
2006年8月
2007年8月
2007年12月
2008年6月
2008年9月
2008年12月
2009年3月
2009年6月
2009年9月
2009年12月
2010年1月
2010年3月
2010年6月
2010年7月
●印西牧の原、印旛日本医大
まずは成田新高速の起点である印旛日本医大に向かいます。
ジョイフル本田の開店以来、様変わりした感がありますが、牧の原モアや、R464西行き側の商業施設が立つに至っては、駅前のビッグルーフが霞んで見えます。さらに駅南のかつてはコスモス畑だったエリアにビッグホップなる巨大な商業施設ができるとあっては、恐れ入るばかりです。実は帰りに駅前などを見たんですが、どちらかと言うと綺麗だけどどこか殺風景な高層の公団住宅だったのが、小洒落たメゾネットタイプの住宅も広がり、かなり変わっています。
そんな印西牧の原ですが、住宅街と商業施設間の行き来が増えたせいか、南北自由通路を新設する工事が進んでいます。実は駅舎の構造を見れば分かるように、新設予定の通路こそが本来の通路で、そちらに出る出口が用意されています。
そして今回目にしたのが、印旛日本医大方に新設された事務所のような建物です。これは車庫絡みの施設なのか、新高速対応なのか。成田新高速との境界は印旛日本医大ですが、車庫があり2面4線の印西牧の原が要衝であることには疑いがなく、何らかの施設が出来てもおかしくありません。
印西牧の原駅の新設建屋(後方が成田空港) |
続いて印旛日本医大へ。
車庫のあたりでなにやら工事をしていますが、水道関係の工事です。そして印旛日本医大に行くと、いには野の街はだいぶ建て込んできましたが、印西牧の原などの変貌を見たあとだと「立ち遅れ」感すら感じます。商業施設も開業当時からあまり変わってませんが、印西牧の原、千葉NT中央と大規模施設が相次いで開業している状態では無用な競争を避ける意思が働いているかもしれません。
駅前から成田空港方面を見ると、まず目に付いたのが成田空港方に少し伸びる線路脇に用意された両渡りの分岐器です。
そのまま単純に挿入されるのか、それとも若干ひねった形で設置されるのか、興味が尽きません。
線路左手に分岐器が置かれている(後方が成田空港) |
●松虫から吉高
印旛日本医大駅の変化に、期待感を膨らませてまずは延伸部の先の土留め付近へ移動しました。
そしてついに発見しました、予想以上の「証拠物件」を。南北に伸びる道路の東側(成田空港方)に、紅白だんだらの柱の頭に六角形の看板を付けた標柱が立っています。
「成田新高速鉄道線ルート 印旛日本医大起点0km630m」とあり、工事予定地(交差地点)であることを示しています。
いには野に立つ標柱(左後方が印旛日本医大) |
道路の反対側(印旛日本医大方)には、「印西都市計画都市高速鉄道事業の施行について」と題した看板があり、事業名や事業社名にならび、事業地として沿線の小字名が列挙されています。
事業施行を告示する看板(後方が印旛日本医大) |
ここの北側にある事業所の裏から、松虫寺への道から分岐する細道伝いに谷津田地形の谷底に下りてみると、この細道と交差すると思しき辺りに標柱はありません。
そのまま印旛村役場付近に戻り、R464で自動車学校の先に向かうと、
前回
交差地点はこのあたりと擬定した箇所にさっきと同じ標柱と看板が同じように道路を挟んで立っています。
自動車学校を背景にR464沿いに立つ標柱 (左手が成田空港) | 標柱の反対側に看板と遺跡発掘調査現場 (左後方が印旛日本医大) |
ここの特徴は遺跡発掘調査を兼ねていることで、事業施行に関する看板の下に、「成田新高速鉄道・北千葉道路建設に伴う埋蔵文化財調査」とあり、(財)千葉県教育振興財団 文化財センターが「堀尻第2遺跡」なる遺跡の調査をしているようです。見ると調査のために方形に掘っている様子や、調査用なのかテントが立っていました。
調査期間は2007年3月15日までとあり、その後建設工事が本格化するのでしょう。
遺跡調査の看板拡大 |
この後吉高の大桜方面への細道に入り、ちょっと冒険してさらに細い道に入り込んでみました。地図ではそのまま印旛捷水路方面に降りられるので、工事ルートを見られるかと思ったんですが、あまりに細くなってしまい断念。何とか見つけたスペースまで戻りUターンして前回通った道まで戻りましたが、途中さっきと同じ遺跡発掘の看板があり、このあたりをルートは通るようです。
●印旛捷水路から甚兵衛渡し
メタルアートミュージアムのほうを迂回して、印旛捷水路に出ます。
このあたりが渡河点と擬定していた橋のたもとに例の標柱と看板があり、ここでもビンゴと言う感じです。
看板の後方に標柱(後方が吉高の台地) (後方が印旛日本医大) | 看板の先の橋を渡ると「鉄道工事中」の看板 (左後方が成田空港) |
その橋で捷水路を越えるといきなり東詰に「鉄道工事中」の看板。「成田・印旛捷水路B下部他工事」とあり、施主名は大谷津運動公園と同じく(独)鉄道建設・運輸施設整備支援機構で、工期は2008年3月21日となっています。
鉄道工事中の看板(左手すぐが橋) (右後方が成田空港) |
地図を頼りに捷水路の東側の農道を進むと、道路が土手道になるところで、土手に並行して田んぼが整地されている箇所を発見。
圃場整備かもしれませんが、細長い形状から見て鉄道用地でしょう。現状では大谷津運動公園以外では唯一工事に着手されている箇所として確認できました。(北印旛沼渡河点も工事が始まっている可能性が高いが、立入禁止の通路の先にあるため確認できず)
左手の土手道に沿って伸びる整地区間 (後方が成田空港) |
光の谷からR464に戻り、甚兵衛大橋を渡ると、左手に例の標柱。標柱はここが最終で、看板はありませんでした。
この地点で印旛日本医大起点4km800mとあり、成田市土屋への道が実はあまり遠くないと言うことを実感する瞬間です。
北印旛沼を背後にR464との交差 (左後方が印旛日本医大) |
当日の実査は、実はこのあと成田市内に進み、土屋から逆ルートでこの標柱に戻ったのですが、この後も流れを重視して土屋に向かう形で紹介します。
下総松崎方面へ左折し、さらに甚兵衛機場方面への細道に入ります。新高速ルートはこのあたり、松崎への道から見てやや北印旛沼寄りに並行する格好です。
後方が甚兵衛機場。右手路地にリボン (後方が印旛日本医大) |
成田市域に入ると標柱や看板は姿を消しますが、その代わりに出てきたのが木の棒や立ち木に結わいつけられたピンクのリボンです。細道沿いにこのリボンが何箇所か見られ、やがて松崎への道と交差して台地のほうに消えていきます。
ピンクのリボン(土屋にて撮影) |
このリボン、ルートを示すようですが、若干幅を持っているようでもありますし、北千葉道路との同時施工と言うことを考えると、幅があるように見えて、事業箇所はそれだけの幅を持つのかもしれません。
後方左右に伸びるのが松崎とR464を結ぶ道 リボンは手前中程(左手が印旛日本医大) | 台地に並行して伸びる道との交差地点 後方の築堤は我孫子線(右手が成田空港) |
●成田ニュータウン北駅から大谷津
松崎から成田ニュータウンにかけて伸びる馬の背のような部分を新高速ルートは潜りますが、その交差地点と思しき箇所の地上部(「馬の背」を行く道路沿い)にピンクのリボンが見えます。
交差地点付近(左手が成田空港) |
坂を下りて千葉交通の湯川車庫に出ると、湯川車庫付近と言うよりも、手前の住宅地の中にピンクのリボンが見えます。これは予想外で、新高速と北千葉道路は住宅地を避けないのか、ギリギリで交わすのか、気になった箇所です。
NTから湯川車庫への路地。リボンは電柱の下 (左後方が成田空港) |
ここで成田線(我孫子線)と交差して行きますが、谷津田地形の丘を取り巻き、田んぼの中を行く細道を大谷津運動公園のほうに進むと、丘を取り巻くルートにピンクのリボンが見えます。ルートはこの丘を貫くのでしょうか。丘の反対側に出ると、田んぼをはさんで成田安食バイパスが見え、その先に大谷津運動公園が見えます。
大谷津からNTへ向かう細道 リボンは少し先に(右後方が成田空港) |
成田安食バイパスのピンクのリボンは、大谷津運動公園から安食方面に向かい、車線が減少して坂を下りたあたりになります。
●大谷津運動公園から土屋
既に工事が始まっていた大谷津運動公園ですが、大型のクローラークレーンなど重機が入ってはいますが、構造物は見えません。
重機が見える建設現場(右後方が成田空港) |
成田安食バイパス側には、「成田新高速鉄道・北千葉道路 一体整備中」と題した横断幕が貼られており、「大谷津運動公園高架橋他工事」とあり、完成イラストが添えてありますが、メッシュになっており、かつ走行中のクルマから見えるようにか、正面からだとよく見えず、やや斜めからだと見える特殊なプリントです。
事業主が成田高速鉄道アクセス、施主が(独)鉄道建設・運輸施設整備支援機構となっており、ちょっと複雑です。
メッシュの横断幕。中央左右に高架橋が描かれている |
いよいよ残るは土屋です。
R408との交差付近も見ておきたいので、大谷津運動公園から裏手の成田病院経由でR408に出て、土屋交差点に向かいます。
交差点の手前、左に分断された高架橋が見える土屋分岐点、右手に大谷津運動公園が見える箇所があり、交差地点はここしかないのですが、往時のドライブインのような規模からは縮小して営業中の飲食店があります。その北側で建物が取り壊されており、ひょっとしたらここを通すのでしょうか。ただ、鉄道と高速道路となると、それだけの幅では効きません。
R408から見た土屋分岐点 | 背後はR408(右手が成田空港) |
JRのガードを潜って土屋分岐点へ。
さらに路地に入ってガードを潜ると、大谷津方面が見通せます。工事着工の気配はありませんが、ここで発見したのが例のピンクのリボン。大谷津のほうへ続くように木の棒に結び付けられたリボンの列が見えます。
地上にはよく見ると境界柱らしきものがありますが、今回は確認してませんが、ひょっとしたら成田新幹線計画当時に既に手当てされた名残が見て取れるかもしれません。
土屋から大谷津方面。手前の荒地にリボンが見える |
以上、2006年の年の瀬も年の瀬の30日に見た現地の様子でしたが、具体的な進捗こそまだと言う状態ですが、スタートラインにつく準備はすっかり出来た状態ともいえます。これから急ピッチで2010年度の開業へ向けて建設が進むことが予想されるわけで、次回のレポートが出来るタイミングの夏あたりにはかなり変わっていると予想されます。
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