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2007年年末、「成田新高速」沿線踏破の記録

成田高速鉄道アクセス (成田新高速)の進捗については、 2005年8月2006年8月2006年12月 、そして 2007年8月 の様子をこれまでご紹介してきております。
前回のご紹介の最後に、次回は「いちど全区間を歩いてみるつもりです」と大見得?を切りましたが、その通り、2007年も大詰めの大晦日に全区間を踏破してみましたので、かなり長くなりますがレポートします。

吉高から印旛沼、成田空港方面を望む

※写真は2007年12月、2008年1月撮影

※成田新高速の進捗に関しては下記もご参照ください。

2005年8月
2006年8月
2006年12月
2007年8月
2008年6月
2008年9月
2008年12月
2009年3月
2009年6月
2009年9月
2009年12月
2010年1月
2010年3月
2010年6月
2010年7月


●大きく動いた新高速建設
2007年夏に全区間で建設が動き出した様子を目の当たりにしましたが、それから2、3ヶ月がたち、晩秋に現地は大きく動き出したという情報が続々入ってきました。用地確保は 公式サイト によると91%(未完了だが起工承諾などを含めると94%)ということで、ほぼ全面的に確保できたといえる半面、まだ残っているともいえるわけで、今後事実上の残りとなる6%がどのように推移するかが鍵です。

私は近場にいないため、半年に一度の帰省時にまとめて確認するしかないのですが、最近は、折にふれてもっぱら成田市内ですが現地の様子や行政・議会サイドからの新高速の話題を提供して頂いている成田市議の 平良清忠氏のブログ に加え、豊富な写真で現地の様子をご紹介頂いている 「成田新高速鉄道を見守るページ」 というブログも開設されており、写真も不鮮明で、年に2回しか更新しない拙サイトに比べてかなりタイムリーな情報に接することができるようになっています。

●まずは空港周辺
踏破に先立ち、前日の30日に根古屋信号所付近を見てきました。

根古屋信号所から成田空港方面
(東関道の先右手に新信号所の建設工事現場)
同じく土屋方面。大谷津のマンションが進路に霞む

土屋付近から成田新幹線用の複線路盤を現在JRが単線で使用しており、根古屋に複線分の路盤を利用して交換用の信号所を設けています。複線路盤の残る単線分を成田新高速が使用することになっていることから、残る単線分を利用して東関東自動車道との交点西側にある根古屋信号所は存続不可能になるため、東関道の東側に成田新高速が使う南側単線から南に張り出す形で交換用新線を設ける(新)根古屋信号所を建設しています。

このあたりは北側からの着陸コースの直下に当たるようで、頭上を一抱えもあるような航空機の巨体がかすめてゆくのは迫力があります。

(新)根古屋信号所建設現場
(後方が印旛日本医大)
(現)根古屋信号所で交換するNEX
(左後方が成田空港)

なお、現地に行く際に東関道と新空港道の分岐で、北千葉道路が将来的に接続するとされる成田JCT(成田IC)付近を見てみましたが、下記の通り事業区間の問題なのか、建設及び測量などの形跡はありませんでした。

成田JCT(後方が成田空港。中央はR295)

なお、土屋以西の沿線にある都市計画道路の公告と、成田新高速の事業公告を見比べると興味深い相違があり、事業地として羅列されている沿線の地名が、前者は成田市押畑字浅間下までなのに対し、後者はそれに加えて成田市土屋字烏川までとなっています。
これが何を意味するかと言うと、北千葉道路の事業区間が大字押畑までというのは、大字土屋に属する成田線(佐松線)のラインに至らないということであり、字浅間下であるR408との交点で打ち止めになるということなのです。

●出発は成田空港
さて31日の大晦日。スタート地点は空港第二ビル駅です。

空港第二ビル駅・京成線ホーム
(後方が印旛日本医大)

空港第二ビル駅へは京成空港線を利用。駒井野信号所で東成田方面との路線から分かれ、急カーブを繰り返してトンネルに入り、成田新幹線の路盤に合流して単線になる区間で、将来的には空港第二ビル駅を1面2線にする計画のようですが、特に何かの工事をしている様子は見受けられませんでした。合流地点は明かり取りになっているのが特徴ですが、空港第二ビル駅ホーム端部からではほのかに明かりが見える程度です。

工事の形跡がない空港第二ビル駅成田方
(後方が印旛日本医大)
左側の路盤に成田新高速が走る予定
(後方が印旛日本医大)

単に折り返すだけですがセキュリティゾーンをクリアしてJR側エリアへ。運良く上り快速の発車が近く、これで土屋までの様子を見ます。
同心円状に並ぶトンネルの先、(新)根古屋信号所とはトンネルをいくつか隔てた堀之内から長田地内に属する空港側から見たら左カーブ途中の右側(北側)に、(現)根古屋信号所の代わりとなる信号所が建設されているのが見えます。

JR線側の信号所新設工事
(後方が印旛日本医大)
土屋で新幹線路盤から分かれる
(後方が印旛日本医大)

根古屋信号所からも遠望できる大谷津のマンションに向かうように進み、土屋で新幹線路盤から分かれて佐松線に寄り添って成田駅へ。
あと数時間で初詣輸送の喧騒が支配する成田駅からは京成駅から千葉交通のバスで土屋のイオンショッピングセンターへ。毎時4、5本、200円と言ういわゆる普通の路線バスなのに、いつ見ても便によっては立客も出る盛況であり、公共交通利用で土屋への需要は相当あるわけで、今回は見送られている「土屋新駅」も、営業上も設置はプラスになるはずです。

イオン成田ショッピングセンターの「バスターミナル」

イオンSCはホテルバスや京成成田駅、安食、冨里方面への直通バスのちょっとしたターミナルになっているのも驚きです。
裏手に回り、新高速の路盤が切れている個所からスタートします。実はここまでのアクセスに予想外に時間を食い、イオン到着の時点で13時40分。冬の日没は早く、3時間余りの勝負ですが、新規建設区間10.7kmなら余裕ですが、道がどれだけ迂回するか。

●土屋から大谷津
高架橋が切れている個所のあたりは変化なし。夏は鬱蒼としていた荒地も冬は、と期待していたのですが、1年前にはなかったゴミの山と化しており、標柱などの確認はできませんでした。
大谷津方面への地道を通り、R408との中間地点で両方向を見ると(下写真参照)、大谷津の橋脚群へ向かうには土屋からまっすぐではなく北向きに振る格好です。おそらく新幹線計画は直進だったのでしょうが、開発が進み市の公園敷地を利用するための線形変更でしょう。

中間地点から土屋の高架橋終端方向
(後方が成田空港)
中間地点からR408、大谷津方向
(後方が印旛日本医大)

廃業した?レストランのあたりも変化なし。R408を渡り安食成田バイパスのほうに向かう地道を進みますが、斜面を大谷津のほうに向かうはずの竹やぶもまだ手が付いていない感じです。

R408側から見ると手つかずの竹やぶ
(手前が成田空港)

バイパスに出て大谷津運動公園に入り、東側の外れから現場を見ると、R408側を隠すように並ぶ竹やぶのすぐ裏手は整地されており、運動公園側から並ぶ橋脚はそのまま高架橋の高さを確保するように並んでました。

ところがその裏側は整地中
(右手が成田空港)
土屋に向かって立ち並ぶ橋脚
(右手前が成田空港)

プールを潰した側の橋脚も湯川のほうに伸びていますが、バイパスに向かって丘陵にかかると工事の気配はなく、農家の庭先を進む地道に沿ってバイパスに出ると北千葉道路建設に関する看板が出迎えます。

湯川に向かう橋脚
(右手が印旛日本医大)
北千葉道路の完成は平成20年代半ば...


●山口押畑高架橋
大谷津運動公園があるのも押畑地内。ここから山口地内を経て松崎地内になる湯川車庫のある成田ニュータウン北駅までの区間が山口押畑高架橋です。
夏に見た時は休耕田に標柱が立っていただけですが、バイパスから建設ルートに沿うように砂利敷きの土盛りが短区間ながら出来ています。

バイパスから土盛り。後方に運動公園の照明灯
(後方が成田空港)
標柱の列の先に丘陵を越える現場
(後方が印旛日本医大)

ところどころ角材に里程を書いた赤く塗られた標柱が立ち、それを辿ると建設ルート上に一直線上に並んでいることに気が付きます。
あぜ道同然の地道を遠くに見える現場を目指し歩きますが、小橋川、松崎川といった小河川が行く手を阻み、南側からアプローチしたのはどうも失敗。バイパスをしばらく進んでからある現場への工事用車両進入路を犬の散歩がてら歩く人を見かけており、そちらのほうがいいでしょうね。

9k-514.000と書かれた標柱
(後方が成田空港)

最後は道なき道をなんとか湯川に向けて丘陵を越える現場に辿り着きましたが、丘に伸びる仮設の階段は工事用専用。我孫子線をくぐり、湯川車庫の裏手に向かいます。

仮設階段の向こうは成田ニュータウン北駅
(後方が印旛日本医大)


●成田ニュータウン北駅
千葉交通湯川車庫の裏手に建設中なのが成田ニュータウン北駅。我孫子線との交点で、バスの営業所まであるというある意味理想的な交通結節点ですが、我孫子線に駅を造る考えはないようです。

成田ニュータウン北駅予定地
(左手が成田空港)

我孫子線の小踏切からは現場が俯瞰できますが、先述の丘陵と、印旛沼湖畔に抜ける丘陵地に挟まれた区間、かなり狭い印象ですがここに2面4線(内側2線が通過線)の新幹線駅タイプの駅が出来、南側(写真では奥側)に北千葉道路も並行するというのはにわかには信じられず、もう一段の建設があるのかもしれません。
特に北千葉道路の幅員を考えると、今でも雄大に見える構造物の建設ですが、さらに目を見張るような規模になるのかもしれません。

正面の丘陵を抜けると印旛沼へ
(後方が印旛日本医大)
我孫子線の築堤の向こうは山口押畑高架橋
(後方が成田空港)

ここから前方の台地の上にはバス通りを通り、成田ニュータウンの外周道路を行くのが常道ですが、手戻り感があるので小踏切の先の地道を進んでみました。結局我孫子線の北側をしばし進み、県道旧道に合流してすぐの道を湖畔の平野に降りると我孫子線のガード。さらに少し南下してようやく予定ルートに復帰しましたが、トンネルで抜けるこの区間の地上部分に何かあったとしたら見落としています。

●八代高架橋
トンネルを抜けた新高速は印旛沼の渡河点に向かいますが、工区は何箇所かに分かれています。甚兵衛渡しから松崎へ向かう通りを境に空港側が八代工区、印旛日本医大側が船形工区になっているようです。

重機が入り作業をしているエリアにまっすぐ向かう道路がありますが、松崎地内の丘陵に何か痕跡がないかを見るために回り道。しかし夏にご紹介した事業公告の看板のあたりまで来ても何も見えませんでした。

後方の丘陵を抜けて出てくるルート
(後方が成田空港)
そのまま道路と斜めに交わる整地現場
(後方が印旛日本医大)

丘陵の下を走る道路が左に大きくカーブするあたりで現場のほうに向かう道に入ると、ちょうど道路をはさんで建設ルートを整地している現場に当たります。まだ下部工の構造物もできていませんが、それでもこの数百メートルの整地だけが唯一目にする建設であり、このあたりが「残り6%」の核心なのでしょうか。

●船形高架橋
松崎と甚兵衛渡しを結ぶ道路に出て、甚兵衛渡しのほうに進みます。
道路が碁盤の目の田んぼを取り囲むように走る中、建設ルートは斜めに突っ切っています。そのルートが左後方から交差する地点から船形工区。道路から斜めに整地された現場が印旛沼のほうへ向かっています。
振り返ると八代工区の重機が松崎の丘陵を背にそびえ、年末輸送なのか着陸コースに入る航空機がさらにその後方を低く飛んでいます。

船形工区でも既存道路と斜めに交差
(後方が印旛日本医大)
振り返ると遠くに八代工区の重機
(後方が成田空港)

ここからクルマのメインルートから一本北印旛沼寄りに入り、甚兵衛機場に出る道路を歩きます。斜めに進む建設ルートに対し、何とも非効率なルート。遮るものがない田園地帯ですが、寒波の影響か怪しい雲が垂れこめ、光線加減もあまりよくありません。前日根古屋信号所を回った時は直前に同じような天候から驟雨となっており、降らないだけマシですが。

●甚兵衛機場から甚兵衛公園
印旛沼干拓に伴う灌漑、排水事業に伴う用水機場である甚兵衛機場まで来ると成田市域とはいえ「印旛」の雰囲気です。
機場の裏手に4基の橋脚が建設中ですが、ここも船形高架橋とあります。

甚兵衛機場の裏手に橋脚建設中
(右手が成田空港)

京成成田駅から宗吾霊堂を経て甚兵衛機場に至る千葉交通バスは2007年9月いっぱいで宗吾霊堂−甚兵衛機場を廃止、宗吾霊堂までも3往復に大減便となりましたが、かわりに成田市役所、公津の杜駅から成田市のコミュニティバスが7往復運行されています。(実証試験扱いで3月31日まで無料運行)

ここから松崎からの車道に戻ります。時折整地された区間が見え、甚兵衛大橋へ向かうR464の築堤が見えてくると、4、5基の橋脚が建設中です。橋脚の下を歩く人も見えますが、R464に戻れるのかどうかが不明なため遠望しながら甚兵衛公園の交差点まで進みますが、時刻は出発から2時間が過ぎ、日没にはまだ時間があるものの、天候のせいか夕景になってきました。

甚兵衛大橋へ向かうR464から見た橋脚
(左後方が成田空港)


●印旛沼渡河点
新高速建設ルートのハイライトでありながら、今回ある意味もっとも手を抜いた区間です。
甚兵衛公園から印旛沼の入り江に出て、築堤を渡河点に向かったのが前回ですが、今回は時間と天候を考え、公園手前の十字路からR464に短絡しました。

成田市側R464の築堤から成田市側の渡河点を遠望
(左手が成田空港)
入り江の渡河点から列を作る重機
(右後方が印旛日本医大)

前回は渡河点の土手に立って、湖水の漁の仕掛けが浮かぶ水面の両岸を見渡しましたが、今回はどう見ても近寄れそうになく、R464側からスナップしつつ進みましたが、天候のせいで肝心な写真が最悪の出来になってしまいました。

印旛村側の渡河点を遠望
(右後方が印旛日本医大)
自転車道から見渡河点に築かれた足場
(右手が印旛日本医大)

自然歩道と言う触れ込みの区間ですが、甚兵衛大橋手前まではR464北側、築堤の下に並行する歩道がありますが、甚兵衛大橋は歩道がありません。行きかうクルマにひっかけられないかハラハラしながら進みますが、あとから考えるとこの橋の上からが渡河点のベストショットだったようで、渡り切ってから自転車道からの眺めが思ったより悪かったのは残念です。

●渡河点から捷水路
甚兵衛大橋を渡り切るとすぐに自転車道が交差します。
並行する車道よりも位置が高く、建設現場を見通せますが、捷水路に茂る葦が意外と視界を遮ります。捷水路沿いに進みますが、対岸に渡る東橋までの距離がかなりあり、渡り切ってから今度は東岸を渡河点に戻るのに一苦労。このまま渡河点に接近するのもいいですが、時間を相当食うのも確実で、現場に向かう路地があるところで引き返しました。

印旛村側の渡河点を遠望
(後方が成田空港)
東橋付近から渡河点方向の建設ルート
(後方が成田空港)

東橋に戻り、案能橋までの捷水路渡河点を見ます。
印旛沼渡河点からのコースがまっすぐ伸びた先、捷水路に足場を組んで重機が入っているのが渡河点。かなり大掛かりですがどういう構造物になるのでしょうか。

案能橋から見た捷水路の足場と重機
(右後方が成田空港)
案能橋付近から見た吉高に向かう建設ルート
(後方が印旛日本医大)


案能橋を渡ったところで建設ルートは斜めに交差します。吉高の台地に向かって左手奥の方向路盤が向かっており、印旛沼を渡ると建設ルートが完全に「線」となって現われています。

●吉高から瀬戸工区
ここから吉高の台地に向かうのですが、台地に沿って建設ルートのほうに向かう地道があります。そちらのほうに向かうクルマがおり、道は舗装、電灯線もあることから、抜け道があるのかもと期待して向ってみました。
結論から言うと、その先の民家で道はおしまい。さっき見かけたクルマはその家にいました。犬に吠えかけられほうほうの体で退散です。
捷水路沿いに進んで南からアプローチしたら吉高高架橋の現場にアプローチできたようです。

元の場所に戻り、吉高の台地に上ると、過去二回、ここでクルマは通れまいと転回した場所にものの1分も経たないうちに出ました。台地の上から見ると非常に狭く見えた区間はすぐに終わり、狭いながらも下に抜けられたのです。
そこから台地の縁の高台に行くと、そこは捷水路から印旛沼渡河点、松崎方面の現場を見通す展望台のような場所。緩い左カーブを描いて伸びる建設ルートの先には重機が一列に並び、遠く成田を目指しています。(トップの写真は左下の写真を望遠で撮ったものです)

吉高の高台から見た捷水路方向
(後方が成田空港)
谷津田越しに北総自動車学校方向を見る
(後方が印旛日本医大)

反対側も谷津田の底から台地の上にある瀬戸の北総自動車学校に向かう建設ルートが見えます。ここから地道は谷底に降りるようで、現場を見たあとは六合小学校を経て瀬戸交差点の南側に出るようです。逆に案能橋から捷水路沿いに進み、下の現場からこの坂道を上がってくると無駄なく歩けそうです。

吉高の大桜入り口まで回り、R464に出ます。谷底の現場へのアプローチ道路がここにつながっており、R464からの区間が整備されていましたが、R464との交差点は整形されており、駐車スペースが消えていました。

●北総自動車学校から印旛日本医大駅
北総自動車学校北側の交差地点から印旛日本医大駅までは1.9km。あとわずかですが、ここからが長かったのです。
印旛日本医大方を見ると、遠くに印旛日本医大駅の尖塔が見えます。

北総自動車学校から捷水路方向
(後方が成田空港)
遠方の森林の陰に印旛日本医大駅の尖塔
(後方が印旛日本医大)

ここから一回谷津田に降りて、丘陵を交わして松虫手前の谷津田を越えるといには野の一角に達するのですが、この時点で時刻は16時半を過ぎ、まもなく日没です。
この複雑怪奇な谷津田を見る道筋がわからず、取り敢えず印旛村役場手前の谷からいには野手前の谷津田に向かうことにしましたが、これは大失敗。瀬戸交差点経由でR464を歩きますが、四角形の三辺を迂回する感じとなり、R464から分かれた谷筋の未舗装路を歩く頃には夕闇が濃くなり足元も覚束ない状態です。

正解は吉高の大桜入り口地点に戻り、そのすぐ先でR464から左折する地道を下るルート。北側からアプローチすれば谷津田の二箇所とも行けて、そのまま松虫寺入口に向かえました。
もしくは瀬戸交差点の先、R464の旧道のようになった道路のあたりにある養鶏場から谷津田に降りる道があり、下れば建設ルートが谷津田を渡る個所でした。(交差点に養鶏所入り口の看板がある)

瀬戸の台地から最後の谷津田へ
(後方が成田空港)
最後の谷津田をクリアする付近
(後方が印旛日本医大)

建設ルートにたどり着くともはや闇の中。写真も撮れず、松虫寺入口から台地に上がり、松虫姫公園の仮設道路のところから松虫姫公園を抜けて印旛日本医大駅へ。到着は17時半過ぎ。約4時間の歩き詰めとなり足も棒になりましたが、瀬戸のR464で見かけた「イオン成田15.9km」「ランドローム2.5km」の看板から察するに、まっすぐ突っ切る建設ルートこそ10.7kmですが、歩いた距離は20km前後に達したようです。

松虫姫公園の仮設道路から見た印旛日本医大駅
(手前が成田空港)


●松虫高架橋など
さて日没で尻切れトンボになった実査ですが、どうも気になって年明けの2日に再訪しました。

正面が下り本線。内分岐で引き上げ線へ
(後方が成田空港)
引き上げ線など全景
(後方が成田空港)

印旛日本医大駅から前方を見ると、本線から抱き込むように建設された引き上げ線が完成していますが、本線と引き上げ線の分岐は高速分岐ではなく、微妙なカーブと合わせて130〜160km運転を前提にすると速度制限が入りそうです。

引き上げ線の終端
(左手が印旛日本医大)
掘割は仮設道路まで達しました
(右後方が成田空港)

松虫姫公園からは引き上げ線のエンドの真横などの視界が利き、これまで盛り土があってよく見えなかった突き当たり部分も両方向に視界が利きます。本来の道路のあたりに構造物の建設中で、R464と成田新高速のトンネルを埋めてから本来の道路が復活するのでしょう。

いには野内の道路をくぐる構造物の建設中
(後方が成田空港)


松虫高架橋になる工区に向かう途中の高台からは遠くに北総自動車学校の建物が見えます。

高台から北総自動車学校を望む
(後方が成田空港)
松虫高架橋の現場。ここから先は瀬戸工区
(後方が印旛日本医大)

この日は時間の都合でその先の地道との交差地点で引き返しましたが、あとは小室駅、新鎌ヶ谷駅、東松戸駅の進捗も見ました。
新鎌ヶ谷駅は11月10日に長らく未使用だった南側の島式ホームが上りホームとして供用開始。両ホームとも北側の1線のみ使用という変則的な状態になっています。

新ホームの使用を開始した新鎌ヶ谷駅
(手前が成田空港)

小室駅は上りホームの躯体や跨線橋がほぼ見えてきた状態ですが、成田空港側から見ると北総線から県営鉄道ルートに捻っている様子や、その捻りを修正するように新上りホームが建設されている様子がわかります。

捻りを解消するように新上り線が見える
(手前が成田空港)
ホームや跨線橋も見えてきた
(左後方が成田空港)

東松戸駅も新ホームが見えてきており、既存区間改良、新線区間とも工事はたけなわでした。

ホームの床板が見えてきた
(左手が成田空港)


***
以上、ちょっと欲張ったルポでしたが、半年ぶりの実査はあまりの変貌ぶりに驚きの連続でした。
歩くことでこれまで見逃していたものも見えましたが、さすがに二度三度は結構ですと言う感じで、今後は徒歩とクルマの併用に落ち着くでしょう。
印旛村側の進捗が先行していますが、成田市側も着実に進んでおり、この半年間の変貌を考えると、今夏はいよいよ高架線が姿を現す区間も出てきそうです。


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