このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
2009年6月版、「成田新高速」の現況
成田高速鉄道アクセス
(成田新高速)の工事の様子について過去分は下記の通りご紹介しております。
2005年8月
2006年8月
2006年12月
2007年8月
2007年12月
2008年6月
2008年9月
2008年12月
2009年3月
2009年度最初のレポートは6月時点での現況になります。
レポートのタイトルは四半期報になってから変わり映えがしないもので恐縮ですが、定期レポート、定点観測的なものなのでどうしてもこうなってしまいます。
もっとも4月28日に仮称「成田ニュータウン北」だった新駅名が「成田湯川」に決定し、「成田新高速」に替わる新線の名称も公募していることから、「『成田新高速』の現況」というタイトルが変わる日も遠からずくるようです。
今回はピンポイント的な探索に留まっており、レポートのほうも変化点を中心にお伝えすることになりますが、今回はおさらいと言う意味も込めて沿線の概論的なものも合わせてお届けしようと思います。
なお、これまでご紹介した記事へのリンクを冒頭に記しておりましたが、過去の記事も含めて、この写真の下にあるようなリンク集を付記しましたので、過去の成田新高速進捗関連の記事を閲覧される際にご活用下さい。
真新しい銘版も |
※特記なき写真は2009年6月撮影
※成田新高速の進捗に関しては下記もご参照ください。
2005年8月
2006年8月
2006年12月
2007年8月
2007年12月
2008年6月
2008年9月
2008年12月
2009年3月
2009年9月
2009年12月
2010年1月
2010年3月
2010年6月
2010年7月
●まずは日暮里
成田新高速、新スカイライナーの事実上の起点となるのが日暮里です。
最近でこそ再開発が進み、日暮里舎人ライナーも乗り入れて知名度が上がってますが、山手線の駅とはいえマイナー感が漂うことから、ターミナルとして相応しくないのでは、という声も多いですが、羽田空港の玄関口が長年浜松町だったわけで、こちらも竹芝桟橋最寄りとはいえマイナーで、商業・業務集積もいま一つの山手線と京浜東北線しか停まらない「小駅」でしたが、羽田といえばモノレール、モノレールに乗るなら浜松町という絶大な知名度があるわけで、日暮里がダメだとは一概に言えないと思います。
ただ浜松町の「地位」も長い年月を経て醸成されたものであり、日暮里がそうなるには長い時間がかかるのは覚悟しないといけません。
そして当の京成も日暮里のマイナーさを当然自覚しているわけで、2001年ごろには、社長とお抱えの運転手という設定でこんな「自虐的」なラジオCMを流していました。
内容は、成田発の時間が迫り、「確実に速い」ルートを社長が運転手に依頼したという設定で、しばらくかかるだろうと寝入った社長が早くも起こされ運転手を問い質します。
社長 一体ここは何処なんだね! 運転手 はい、日暮里です。 社長 日暮里ぃ!? 運転手 ですから御要望通り「確実に速い」ルートを。 |
日暮里がマイナーで、日暮里に乗り付けるなど夢にも思わないという意外感が前提でないと成り立たないコントであり、「成田といえば日暮里から京成」が定着していたら面白くもなんとも無いコントです。
3階へ上る下り新線 | スカイライナー待合室は奥まった所に |
そうした中で2002年に着工した日暮里駅の改良工事は、これまで島式ホーム1面2線と窮屈だった京成線ホームを大改造し、現在の1階を上り専用ホームとし、3階に下り専用ホームを新設という重層構造にするものです。
1階は下り線がなくなることでホームを拡幅し、3階は下り線を挟み込むようにホームを2面設けて、スカイライナー専用ホームとして一般列車乗り場と分離することになります。
新しい日暮里駅の断面図 | 工事が進む3階新ホーム |
それと共に狭い連絡通路2本で結ばれていたJR線との乗り換えについても改善し、狭い連絡通路ごとにあった連絡改札を集約し、JR側は2本ある連絡通路を統合した広いコンコースを整備することとなり、現在北側の通路の拡幅が完成し、エキナカ「エキュート」が開店しています。
また拡幅された通路とホームはエスカレータで結ばれており、これまでバリアフリーと縁遠かったターミナル駅だったのが、一変しています。
新しい連絡改札 | JR側コンコースにはエキナカも |
立体化された新ホームへの線と既存線との接続は、JR常磐線と挟まれた狭い空間や、大昔の引上線の跡地などを巧妙に使って空間を捻出しています。
工事の完成は2010年。成田新高速の開業に間に合うのか、それとも同時のグランドオープンなのか。今日も工事が進んでいます。
新三河島側の新旧接続部(後方が京成上野) | 既存ホームは工事による仮囲いもあって薄暗い |
●発展著しい東松戸
日暮里を出ると成田新高速関連の工事はしばらくありません。
厳密には起点の高砂の金町線分離工事も成田新高速開業に伴うダイヤ輻輳対策の側面があり、広義の成田新高速関連工事といえますが、こちらは少し前の別レポートをご参照頂くとして割愛させて頂きます。
新高速関連工事の最初はまずは東松戸から。
現在の下りホームを使った島式1面2線の駅でしたが、もともと2面4線化の準備工事がなされており、駅前後で線路を北側に振った形で運用されていました。
本線の位置から北に振っている様子がわかる (後方が成田空港)(2009年1月撮影) |
2009年2月に供用開始となった新ホームと合わせて2面4線化されており、現在は旧下り線だった下り副本線の4番線、未供用の上り副本線である1番線の整備が行われています。6月現在はレールの敷設及び調整がメインとなっているようです。
レール敷設調整中(後方が成田空港) |
ここは武蔵野線との連絡駅であり、北総線の高額運賃を忌避した「逸走」が指摘されていましたが、改札口で見ていると新松戸方面への乗り換えも少なくなく、純粋に目的地に応じた使い分けというほうが正確かもしれません。
駅前の紙敷土地区画整理事業は事業費の増大に伴う減歩その他の問題で長年紛糾していましたが、都心直通の2路線の乗り換え駅という地の利による人気に押された格好で開発が進み、ようやく進捗してきました。これによりさらに人気が出る格好となっており、2009年3月のダイヤ改正で北総線の特急、急行が停車するようになりました。
副本線の整備中(後方が京成上野) |
成田新高速のいわゆる「Bルート特急」(新線経由の一般特急)も2001年当時の免許では東松戸を通過予定(北総線を含めて京成電鉄が第2種鉄道事業者となる=同一線路を走るが北総線とは「別会社」の電車扱いとなる関係で、京成電鉄の事業範囲が定められており、そこに記載された停車駅=事業箇所から外れている)ですが、松戸市などから停車するように要請が出ています。
現在の京成線経由の特急の利用形態が、都内からの「エコノミー派」の利用だけでなく、各停車駅、特に千葉県内に入ってから地道に増えて、成田発車時点では一大集団になっていることを考えると、さいたま市や越谷市方面からの利用が見込まれる乗り換え駅であり、その武蔵野線沿線は「スカイライナー」連絡となる日暮里へのアクセスが必ずしも便利でなく、棲み分けというか掘り起こしの関係が期待されます。
かつ主要県道に面しておりクルマでのアクセスも比較的容易であることから、荷物の多い渡航客の送迎拠点として機能することが期待できます。
そういう意味では「Bルート特急」の停車を考えるべきかと思います。
2面4線化されたホーム(後方が成田空港) |
●総合ターミナルとなった新鎌ヶ谷
こちらは1979年の開業当初から「2面4線」だったのですが、1991年の2期線区間開業までは「信号所」として駅ではありませんでした。
1992年に新京成、1999年に東武野田線に駅が設置されて鎌ヶ谷市の新しいターミナルとなったのですが、それまでは3社の鉄道が1箇所で交差する要衝ながら、駅がどの路線にも無いという一種異様なポイントでした。
現在の上りホームは駅開業後も長年にわたり上屋も無い状態でしたが、開業当初から留置線として使われており、一時期はTVCMのロケに使われるなどいつになったら使うのか、という状態でした。
それが成田新高速の工事が始まって新鎌ヶ谷もようやく手が入り、2007年11月に現在の上りホームが供用開始となりました。その際には旧上り線を新上り本線に振り替えるだけでしたが、2008年1月には下り線を旧上り線に移設して下り本線としています。
ここも2面4線化(後方が京成上野) |
こちらも現在は上下の副本線の整備中であり、6月現在はレールや信号関係の調整がメインのようです。
これにより後述する小室と合わせて、下り線は高砂を出ると矢切、東松戸、新鎌ヶ谷、小室、印西牧の原、成田湯川での退避が可能になり、上り線も上記小室以外の各駅での退避が可能になります。
駅周辺は新鎌ケ谷特定土地区画整理事業による開発が進んでいます。
交差すれど駅は無い、という時代は、梨園の真ん中に鎌ヶ谷市役所がある程度であり、大カーブを描く新京成からよく見えるように建てたのでは、と揶揄された時代もありました。
それが3線の要衝となり、鎌ヶ谷市の新しいターミナルとなりました。さらに千葉県では数少ない南北の幹線道路である船取線やR464との接点でもあることから開発が進み、今では見違えるようになりましたが、区画整理というよりもロードサイド店の集積が目立つ格好となっています。
交通の要衝に大規模商業施設の集積となると交通渋滞が激しくなるわけで、千葉ニュータウンエリアを縦貫するR464の整備が船取線と交差する地点以東の整備に留まっていることからただでさえ船取線の負荷が高まっているなか、新京成線の連立化が進捗しているのに加え、R464の一部区間延伸が進行中ですが、抜本的対策に至っていません。
こうした状況下においては鉄道によるアクセス拠点としては優れていますが、クルマとの連携という意味では信頼性がいまひとつであり、その点においては東松戸のほうが優れています。
ホームの様子。後方が件の「壁」(後方が成田空港) |
なお新京成が高架化されて北総線と並ぶことで、1992年以来の新京成−北総直通への期待も一部にはあり、新京成の幹部もそれを否定していませんが、北総線の新上り線ホームが出来た際に「壁」を作っており、連絡船の設置は壁の無い駅前後とはいえ、両者の存在を峻別する動きに見えるこの「壁」が何を意味するのか、気になるところです。
●千葉ニュータウンの盛衰と小室、印西牧の原の改良
1979年開業の一期線区間に入ると特に改良は無いと思いきや、小室に手が入りました。
そもそも北総線(北総開発鉄道=当時)は小室までで、そこから東は本八幡から新鎌ヶ谷に至り、北総線の南側を平行する北千葉線(千葉県営鉄道)がそのまま印旛松虫(現印旛日本医大)まで走る予定でした。
北千葉線の整備が進まず、一方で千葉ニュータウンの開発が東に進むにつれて、当初計画を変更して北総線の延長となる格好で延伸が進められ、北総線の守備範囲外ということもあり、当時の住宅都市整備公団による直営鉄道として1989年に千葉ニュータウン中央、1995年に印西牧の原、2000年に印旛日本医大まで1駅刻みに延伸されています。
国鉄分割民営化に伴う鉄道関係の法規の整理変更により、住都公団が第3種、北総が第2種となり、そのため「北総・公団線」という名称でしたが、2004年、都市公団(旧住都公団)の独法化に伴う事業の見直しで、公団線の設備は京成の子会社である千葉ニュータウン鉄道に引き継がれ、北総の第2種は変わりませんが、「公団線」の名称は外れ、全線が「北総線」になっています。
「千葉ニュータウン中央」という名称からも分かるとおり、公団線として整備された区間が千葉ニュータウンの中心エリアとして位置づけられており、業務施設や商業施設の整備もこのエリアを中心に行われています。
そのため住宅中心の一期線区間(西白井〜小室)は街の成熟とともに活気が失われた格好となり、商業施設も中央地区などに客を奪われてしまい、同じニュータウン内での格差が問題になっています。
もっとも中央地区も1990年後半は入居者数の伸び悩みとそれに伴う商業施設の撤退により厳しい時代が続きましたが、2000年代に入り千葉ニュータウン中央や印西牧の原周辺の業務施設用地を大規模商業施設に転用し、それにより商業集積が加速したことから、我孫子線沿線から茨城県南も商圏に収めた一大商業エリアになっています。
この発展の原動力はもっぱら印西牧の原ですが、中央地区も2006年のイオンモールのオープンにより巻き返す勢いを見せています。これらの商業施設へはもっぱらクルマ利用ですが、その理由としてはよく挙げられる運賃が高額ということよりも、そもそも道路事情が比較的よく、同一生活圏内において家からバス停や駅、駅から商業施設と公共交通+徒歩という移動は公共交通の本数から考えても非効率的ですし、沿線外との行き来(我孫子線沿線や成田市、佐倉市方面)は公共交通の利便性が低すぎるため、クルマ利用が合理的という判断というのが実情でしょう。
とはいえニュータウン地区の基幹道路であるR464の渋滞が深刻化したことから、高規格道路の北千葉道路として用地が確保されている用地を使い、商業エリアをパスする立体交差部分の整備を進めている他、駐車場のはしごによる移動渋滞を回避するため牧の原地区では巡回無料バス「牧の原クルバス」を土休日のみですが運行しています。
2面3線化された小室(後方が京成上野) |
話が横道にそれましたが、小室で本来の北総線から公団線に移るため、線路は南側に大きく振った形で「北千葉線」の用地に移動しています。
このSカーブの解消目的なのか、当初島式ホームだった小室は相対式の上りホームを新設して2面3線になりました。
旧下り線を下り副本線として残しているのが謎ですが、退避設備の存在はダイヤ編成を楽にしますから、成田新高速の当初想定されたダイヤ編成上必要だったものと思われます。ただ、それならば上り線も退避設備を設ければいいのにと思いますし、「北千葉線」用地の活用と考えれば1面2線の設置は可能なはずですが、なぜか見送られています。
小室を出ると白井市谷田地区を経て千葉ニュータウン中央に至ります。
いったんニュータウンが途切れる格好となる谷田地区で成田新幹線が合流する計画だったようで、再び掘割区間に入ると鉄道用地が複々線分用意されていることに気づきます。
谷田地区では鉄道用地は複線分のみ (線路の両脇は北千葉道路用地) (2009年3月撮影)(後方が京成上野) |
千葉ニュータウン中央は成田新幹線の駅が予定されていたこともあり、北千葉道路用地を勘案しても鉄道用地としてかなりの幅が用意されていますが、現在は島式1面2線のみ。ここを2面4線にすれば段落ち対策にもなりダイヤ編成もかなりスマートになるのですがこのままです。
退避駅は次の印西牧の原となり、これまで入出庫列車用だった内側の副本線を待避線として使えるように、印旛日本医大側の車庫への分岐部を両渡りにしています。
車庫線への分岐を両渡りに(後方が京成上野) |
●印旛日本医大周辺
「北総線」としての営業はここまでであり、成田空港側に2線の引き上げ線が設けられています。
高砂側にあった渡り線が片渡りだけになったため、2番線からの折り返しが出来なくなり、「到着ホーム」となっていますが、実は引き上げ線の使用は既に始まっており、2番線到着列車は引き上げ線に取り込むようで、入替信号機が機能し、レールも光っています。
「到着専用ホーム」になりました | 整備済みの引上線とレール敷設中の本線 (後方が成田空港) |
引き上げ線を抱き込むように成田空港への「本線」がありますが、コンクリートの路盤基礎にPC枕木が置かれ、レールの敷設も建設現場を見下ろす「絶好ポイント」のあたりまで一部始まっています。
レール敷設の準備が進む (2009年5月撮影)(後方が成田空港) | 引上線と本線の様子 (2009年5月撮影)(後方が京成上野) |
ここから成田新高速に並行して北千葉道路の整備も始まっていますが、2010年開業の成田新高速に対し、10年代半ばの開通を謳う北千葉道路の進捗は未だしの感じです。
ちなみに北千葉道路は本来高速道路的な存在をイメージする存在でしたが、整備計画を見るとその多くの区間で既存道路と平面交差する計画となっており、ニュータウンエリアのR464と同レベルのようです。
掘割から平面交差への斜路が建設中 (後方の重機がいる斜路)(後方が京成上野) |
ちなみに瀬戸の北総自動車学校でのR464現道との交差点まで、成田新高速は掘割レベルの高さを保って台地の上の道路はアンダーパス、谷津田は高架橋で抜けていますが、北千葉道路は本線部は成田新高速と同レベルですが、台地の上の道路との交差は平面交差になるため、勾配を持った上り坂となっており、交通量次第ではサグになる懸念があります。
北総自動車学校の所のトンネルはほぼ完成。地上のR464の脇も埋め戻されています。
R464との交点(後方が成田空港) |
●印旛捷水路〜印旛沼橋梁
高架橋はほぼ完成している印象です。架線柱も立ち始めており、今後はレールの敷設と並行して電気関係の設営も始まるのではないでしょうか。
瀬戸から捷水路に向かう吉高西高架橋を見下ろす高台に出ようとしましたが、やはりというか閉鎖中。後で下から見ると、その台地自体が削られてました。
R464から吉高西高架橋を遠望 (後方が成田空港) | 吉高東高架橋。トップの写真の銘版はこのあたり (左後方が京成上野) |
吉高東高架橋には下部工及び上部工の銘板が輝いており、検収が無事に上がったようです。
一方印旛捷水路橋梁は鉄道部分は出来上がってますが、北千葉道路部分が橋脚の基礎部分だけしか出来ておらず、案能橋付近での自転車道と道路がクランク状に迂回する部分の解消はまだです。
橋梁手前に北千葉道路の橋脚(右後方が成田空港) |
印旛沼橋梁のほうは各橋脚からの展開が徐々に進捗しており、各橋脚にクレーン?のような機械が乗っかっています。凸型の橋脚の出っ張った部分に鉄道橋が座り、左右は北千葉道路ですが、ここでも北千葉道路部分の進捗はまだのようです。
道路共用の橋脚に桁が架かる(左手が成田空港) |
これまで湖畔の現場には橋桁めいたものは存在しておらず、各橋脚がどのようにつながるかが見えなかったのですが、6月下旬にはクレーン?のようなものが左右に展開し、何やら繰り出していることが確認されており、これがつながって橋桁になるのでしょうか。
湖面に伸びる橋梁工事(右手が成田空港) | だんだん近づいている(右手が成田空港) |
橋梁区間を除けば高架橋の工事はほぼ完成しており、R464交点付近の現場事務所やヤードも一時の賑わいは失せていますが、R464が成田新高速交点の前後で7月6日より迂回路に移ることになっており、この切り回し道路を使って何の工事をするのか気になります。
切り回し道路建設中(左手が成田空港) |
●甚兵衛機場〜八代高架橋
北須賀工区の高架橋は進捗が早かったので電気関連の敷設が始まっていない現在では進捗が少し止まった印象です。甚兵衛機場裏手の排水路を跨ぐ橋梁が5月段階では工事中でしたが、6月下旬にはほぼ完成してました。北千葉道路の橋脚はそのままで、橋桁の敷設などはありませんが、排水路東側で北千葉道路用地にかかる格好だった民家は既に立ち退いて更地になっていました。
排水路を跨ぐあたり(左手が成田空港) |
このあたりまで成田新高速を挟み込むように走っていた北千葉道路は、西行き車線が成田新高速の北側に回りこみ、北側で併走することになります。
甚兵衛公園から松崎方面に向かう市道との交点のすぐ西側、前回のレポートで高架橋の横に謎の橋脚か?とご案内した箇所がまさにその地点なんですが、謎の橋脚と見えた物件は西行き車線が回りこむスペースを確保するため、車線を挟んで跨ぐ格好で門型に広がった成田新高速の橋脚でした。
この橋脚をくぐって北側に(後方が京成上野) |
市道側から甚兵衛方向を見通すと、緩く左カーブを描く高架橋の下を潜ることで、極端なクランク状になることもなく回り込んでいます。
ここから松崎トンネルまでの八代高架橋区間はあまり変化がありません。
松崎トンネル取り付け部も北千葉道路の橋脚が2列に1組並んでいるだけの状態が続いています。
●松崎トンネル〜成田湯川駅
線路はそのまま台地に取り付くのですが、台地の上に上がる道路が近くになく、大回りになるのが恨めしいです。集落を縫う格好の狭隘区間が続くr18旧道が成田NTの一角をかすめるあたりが松崎トンネルですが、結局地上からごく浅いところを通るようで、開削工法でコンクリート製のボックスを「掘割」に据えて埋め戻すようです。
松崎トンネル(後方が成田空港) | ボックスを埋めている(後方が京成上野) |
北側に並行するはずの北千葉道路の部分はどうなるのかが不明ですが、整備計画ではトンネル(松崎本線函渠)となっており、手前の取り付き部分、その先の成田湯川駅部分とも成田新高速と高度差は無いように見えるので、北側に同様のトンネルが並行するはずですが、これからどうなるのか。
まさかとは思いますが、取り敢えず仮設構造?で地上レベルにもっていき、成田新高速の直上に平面交差の道路としてこの区間を通過するのかもしれません。
そして成田ニュータウン北駅改め成田湯川駅ですが、何とも渋い駅名です。
もともと千葉交通湯川車庫があった場所で、地名を取ったわけですが、市名+字名というのも実はひらがな駅名などと並んで最近のトレンドであり、そういう意味では在り来たりです。
北千葉道路(左)と並行する成田湯川駅 (後方が成田空港) |
逆に「成田」を冠することで、成田空港と誤認されるリスクを少ないとはいえ持つわけですし(外国人利用者は案外と誤認する。京成成田を空港と勘違いすることも多々あるようで、実際に見たこともありますし、特急車内の英語放送でも空港利用者はそのまま乗車するように注意喚起されます)、成田旧市街とも遠いことで、成田駅を経由しない成田新高速ですから成田市街最寄りと勘違いされるリスクもあります。
成田市とはいえ市街地とは別のエリアですから、ベタで長すぎるという批判は承知の上で「成田ニュータウン湯川」のように「成田ニュータウン」という「成田とは別の地名」を強調したほうが良かったと思います。
さて成田湯川ですが、前回現場に我孫子線を跨ぐ橋桁が置かれているところまで確認しましたが、今回成田新高速側だけですがそれが架かっていることを確認しました。
我孫子線を跨ぐ橋桁も無事に(右手が成田空港) |
松崎の集落から見下ろすとホーム構造物などが出来上がり、道床基礎部分には線路の走る位置となる筋が見えます。
気になったのは上下通過線の間に足場が組みあがっていること。屋根などの構造物の建設用なのか、あるいは「壁」が出来るのか。
ホーム部分工事。中央の足場は?(後方が成田空港) |
●大谷津〜土屋
成田湯川を出ると単線になります。どのあたりで単線になるかが焦点ですが、小河川を渡る橋梁の成田湯川側の高架橋に、高架橋が細くなるエンド部分の構造物が見え、ここがポイントでしょう。
成田湯川から続く高架橋(左後方が京成上野) | 単線になるポイント(後方が京成上野) |
線路は単線となって高架橋もスリムになりますが、北千葉道路はr18成田安食バイパスとその手前の都市計画道路(現湯川車庫の東側に見える道路工事の延長線)との交差を立体交差としていることから、ランプ路の建設もあり、構造物のボリュームは鉄道をしのぐようですが、現状は橋脚どまりです。
北千葉道路の橋脚が並行(後方が成田空港) | r18バイパスとの交点にも橋桁が(右手が成田空港) |
大谷津の手前、r18成田安食バイパスとの交点の橋桁も架かりました。ここから大谷津運動公園の用地内を抜ける区間も橋桁がつながっています。
一方の北千葉道路はr18を乗り越えたあと、大谷津運動公園の敷地内はトンネルになるのですが、工事に着工している様子はありません。
大谷津を抜けてR408との交点が今回都市計画決定された北千葉道路の終点ですが、こちら側も北千葉道路の工事らしきものは確認できませんでした。
R408を跨ぐ橋桁は繰り出し準備中(左手が成田空港) |
成田新高速のほうは土屋へ向けて最後のスパートです。
成田線への橋桁が架かっており、あと残るはR408を跨ぐ区間のみ。断片的には橋桁の無い区間がありますが、R408交点を除けばほぼ印旛日本医大と土屋がつながったといって良いでしょう。
なお大谷津から土屋の区間は黄色い鋼構造物がやじろべえのように伸びており、これを使って橋桁を繰り出して渡すと想像できます。
成田線をまたぐ部分も橋桁が(左後方が京成上野) |
成田新幹線の「遺構」との接続部はまだ橋桁が架かっていませんが、複線対応で立派な高架橋に、単線高架が接続というミスマッチがどう処理されるのか、間もなくその姿が見えてきます。
既存高架橋との接続(右後方が成田空港) |
●そして空港へ
ここからは成田線(空港支線)との並行区間です。
既に用意された複線路盤の片割れに線路を敷くだけなんですが、途中JRの信号所用地に転用されていた根古屋信号所を明け渡してもらい、JRは堀ノ内信号所を新設し、成田新高速も新しく根古屋信号所を建設することになっています。
既存高架側から接続部を見る(後方が京成上野) |
路盤基礎の整備段階の区間があれば、レールの敷設が始まっている区間もあるなどまだら模様ですが、一気に手が入った感じです。
根古屋信号所は2009年3月改正で堀ノ内信号所の開業とともに廃止されましたが、既に信号所時代の遺構はなく、成田新高速側の路盤整備の真っ最中です。
レール敷設工事が進む区間も(後方が京成上野) |
そこから東関道を挟んで東側に成田新高速の根古屋信号書が建設中ですが、高架レベルの待避線を腹付けするところまでは完成しており、ここも路盤整備中です。
単線化された(旧)根古屋信号所(後方が京成上野) | 腹付け新線の(新)根古屋信号所(後方が京成上野) |
大きく変わったのは堀ノ内信号所。北側に腹付け新線の建設が進んでいましたが、成田空港に向かって緩く右カーブを切る区間ゆえ、カーブ外側になる北側の新設線を本線とし、従来線を待避線にしています。
従来と本線の位置が逆になったため、待避線側の流れが分岐側に振って、すぐに本線だった時代のカーブに無理やり取り付けると、若干窮屈になりました。
堀ノ内信号所(後方が京成上野) |
ちなみにこのエリア、2007年12月の探索では地上から見ており、アプローチルートも確認していますが、場所が場所だけにここだけはなかなか踏破する気にならず、今回も快速電車からの観察でした。
●空港駅付近
短いトンネルをいくつか抜けると空港第2ビルです。
成田新高速側の路盤には駒井野信号所で東成田線と分岐した京成線が合流してきますが、複線を単線にする窮屈なレイアウト。複線分のスペースが少しありますが、いったん収束したあとに空港第2ビル駅の構造物につながります。
ここはこれまでの片面1面1線が島式ホームの1面2線になるのですが、現ホームからは工事の気配すら見えません。もちろん到着寸前に京成線車内からは見えますが、両線の編成長の違いから、JR線の東京寄りホーム端部からも島式ホーム化された新線側に入る線路の構造が見えます。
こうなるとこのわずかな区間に残る単線がダイヤ編成上や、特に遅延時の運用上のネックになることは火を見るより明らかであり、なぜこの区間のトンネル拡幅を惜しんだのか、地上設備の支障があるのは承知していますが、ホーム部分はその移設までしたわけで、中途半端に手間を惜しんだことは悔やまれます。
地上からこのエリアを見ると、送迎車発着所を一部閉鎖して開削工法で建設していることが分かります。工事はほぼ終わったようで、地上から見る限りは仮囲いはありますが、落ち着いています。
第2ターミナルの工事現場 |
空港第2ビルを出ると新線側からの合流が見えます。右に大きくカーブを切ると終点の成田空港。
こちらは1面2線の京成線ホームの南側に1面1線の新ホームを建設中です。京成線が到着寸前に分岐が見えますし、新ホームへの入口はJR線ホームの端部からも見えます。
なおJR線ホームの終点側端部に立つと、京成線ホームの工事が見えますが、新設ホームの一部も見通せるようにも見えましたが、どうでしょうか。
京成駅のホーム終端部。新ホームの設備も見える? |
こちらは地上に出ると、北ウイングのバス乗り場の先端部分に位置するようで、歩道や車道が仮囲いされています。空港第2ビルよりは大掛かりなのか、重機の姿もまだ見えます。
第1ターミナルの工事箇所 |
●いよいよ最終コーナーへ
以上駆け足で北総線から成田空港までの区間を見てきました。
予想外の出来事だったのが、成田湯川や大谷津、土屋の橋桁が架かったこと。これで成田新高速に限って言えば高架橋などの構造物がほとんどつながったわけで、今後は実際に試運転が始まることが出来るようにレールの敷設や電気、信号関係の整備という次の段階というか、最終コーナーに進むことになるわけです。
逆にそのことはこれまで足掛け5年に亘って観察してきた新線区間の工事現場も、今後は進捗をどう伝えるか苦労することに他ならないわけで、順調に行けばあと3回か4回となる今後のレポートの方法を考える時期に来たのかもしれません。
一方で土木関係の収束とともに、いよいよ新線を舞台に活躍する予定の新型車両が姿を現しました。
まずは山本寛斎プロデュースと上戸彩によるお披露目で度肝を抜いた「スカイライナー」用の(新)AE系が2009年5月、宗吾車両基地に入線し、公開されました。
現在は試運転もまだ本格化していないようで、日によっては庫外に出てくるようですが、先日行ってみた際には55番車庫の中におり、160km/h運転の駿馬の姿は遠目に後尾を見るだけでした。
あと、京成関係では「Bルート特急」用の一般車両の登場もあるようですが、こちらはまだ音無しの構えです。(新)3000系の登場から時間を空けないで登場する新車ですが、新線にふさわしい「新車」なのか。おそらく北総をはじめ京成グループの標準車という位置づけにもなる系列でしょうから、こちらはあまり派手さは望めませんが。
そしてライバルのJR「成田エクスプレス」も、2009年4月に新型車両となるE259系が出場しています。
こちらは幕張区で休む姿を惜しげもなく晒していたり、試運転もしばしば行われているなど、(新)AE系の戦略とは好一対の感があります。
E259系のデビューは一足早い今秋であり、来春以降、「次世代」となる成田アクセスの競演がどのように展開するのか。
今年は京成電鉄100周年、そして新世紀となる2010年春に新たな歴史を刻む成田新高速と(新)AE系のデビューと、大きな節目の大きなイベントの幕開けはもうすぐです。
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