このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「成田新高速」の予定ルートを見る

2010年の開通を目指し、印旛村の北総線印旛日本医大駅から成田市土屋の成田線空港支線分岐までの10.7kmの建設を行う 成田高速鉄道アクセス (成田新高速)の予定線とされるエリアをこの夏見てみました。
この区間、北印旛沼を越えて成田ニュータウンをかすめるルートですが、田園地帯が広がるように見えて、台地や北印旛沼の自然地形、さらにはニュータウンなどの既存構造物が案外とルートを固定しており、現地を見れば成田新高速が概略を明らかにしたルートも、ある程度事前に予想がつくことが分かるかと思います。
なお、予定線の通過予定地については、 千葉県の環境アセス資料の付図 をもとにしています。

印旛日本医大駅成田市土屋で接続を待つ高架橋

写真は2005年7月および8月撮影

※成田新高速の進捗に関しては下記もご参照ください。

2005年8月
2006年8月
2006年12月
2007年8月
2007年12月

2008年6月

2008年9月
2008年12月
2009年3月
2009年6月
2009年9月
2009年12月
2010年1月
2010年3月
2010年6月
2010年7月


●千葉ニュータウン東端を出て
千葉ニュータウンの東端、「いには野」の分譲が進む千葉県印旛村の印旛日本医大駅が建設区間の起点になります。
北総線の小室−印旛日本医大間は都市基盤整備公団(←住宅・都市整備公団)所有と言う珍しい形態だったのですが、2004年7月に公団が都市再生機構になり鉄道事業から撤退し、京成電鉄に設備が引き継がれていますが、運営は従来通り北総鉄道(この時「北総開発鉄道」から改称)の手に依っています。

千葉ニュータウンもここまで来ると都心から相当離れており、自治体名も「印旛村」「本埜村」とかなりローカルめいています。
広い住居が非常に安価に買えますが、交通費が無茶苦茶かかるのも事実ですが、運用の都合とはいえほとんどの電車が都心を経て羽田空港に直通し、今また成田空港への延伸が決まったと言うことで、都心および、首都圏の二大空港直結を謳い文句にしています。

「都心に成田に一直線」(いには野)

この印旛日本医大駅の東側には成田空港に向かって線路が伸びていますが、ほどなく土留めのような擁壁にぶつかって途絶えています。
ここは「いには野」側からアプローチすると、住宅街の最奥に位置する形になりますが、印旛日本医大駅を見通すその場所では成田新高速が掘割になるのかトンネルになるのかまだ分かりません。

印旛日本医大駅から東方を見る土留めのあるあたりの道路(左の写真の右手から左手を写す)
土留めの反対側はこんな感じ遠く正面には印旛日本医大駅

●吉高・R464と交差
さてR464は日本医大病院入口から印旛村役場の前を通り、瀬戸交差点を左折しますが、成田新高速はこの間の台地を抜けてR464と交差します。交差地点は自動車教習所(北総自動車学校)を越えて吉高の大桜(樹齢200年の巨木)への細道が分岐するあたりと見られます。

北総自動車学校から吉高方向。この奥が交差地点か吉高の大桜への分岐地点から教習所方向。後方に教習所

吉高台団地から平野に降りて行くR464と分かれて、台地上の細道を行きます。台地の南側を成田新高速は進み、細道と接するようにも見えますがはっきりしません。そのまま印旛捷水路(北印旛沼から西印旛沼を結ぶ水路。干拓されたときに旧沼とは別に開削)方面に降りる道は無いのでR464側へ迂回しますが、台地の上や下には意外と集落があります。

●印旛捷水路を越える
R464から印旛捷水路に沿って南下して、成田新高速が水路を渡ると思しきあたりを見ます。
台地から飛び出した成田新高速はゆるいカーブを描きながら水路を越えます。2つ並んだ小さな橋の南側のあたりが渡河点と見られます。

このあたりで台地から出てくるそのまま左端に見える捷水路へ
後方の橋の手前が渡河点かこの背後を遠景の台地を経て成田空港へ向かう

●北印旛沼を越える
北印旛沼はこのあたりは干拓済みなので捷水路を渡ってしまえば問題は無いように見えるのですが、小さな入り江が東方に食い込むように残されています。この部分を越えるのがR464は甚兵衛大橋で、成田新高速も長大橋で一気に越えるようです。

ちなみにこの「甚兵衛」ですが、佐倉惣五郎の直訴の場面、佐倉藩の禁を破って惣五郎を渡した渡し守に由来しており、R464は大橋の東側の成田市域では「直訴道」と言う愛称が付いています。
また、甚兵衛大橋の西詰めにほど近い捷水路のほとりには「メタルアートミュージアム」があり、地元の彫金作家の常設展と、専ら金属質の前衛芸術の展示を行っていますが、葦が茂る湖沼の風景には野鳥問題のほかにもこうした歴史や芸術を背景にした景観保護の問題が絡んできます。

メタルアートミュージアム。右手は捷水路甚兵衛大橋から見た北印旛沼

R464は甚兵衛大橋を渡ると台地の南縁を宗吾霊堂のほうに向かいますが、成田新高速は甚兵衛機場の西側でR464と交差し、台地の西縁を東北に進みます。

甚兵衛大橋東詰のR464甚兵衛機場側から大橋方向(交差地点方向)を見る

●成田ニュータウンへ
土屋へ向かう成田新高速を迎えるのは成田ニュータウンのある台地です。
大きく北側に迂回するのは線形を傷めますし、松崎の古い集落を通過することになります。結局、成田ニュータウンの西北端を突き抜けることになりますが、台地の縁の下にはそれなりに集落があり、通過に際しては配慮が必要なエリアでしょう。
通過ポイントは実はもうここしかないと言う感じで、ほぼ東西方向に抜ける箇所は南北方向に鞍部になっており、そのあたりでは東西に台地の下が見渡せます。
そして千葉交通の湯川車庫付近に抜けて成田ミュータウン北駅を設けて、成田線(我孫子線)と交差する感じになります。

松崎方面への道路。この先で斜めに交差して後方の台地へ成田NTから北印旛沼方向。
後方の2本の木のあたりで交差し、左奥から右手前に向かう
台地の上から北印旛沼方向成田NTから松崎方向。このあたりで交差する模様
千葉交通湯川車庫。成田NT北駅はこの付近かこのあたりで成田線(我孫子線)と交差

●そして土屋で既設線に接続
成田線(我孫子線)と交差した成田新高速は、成田市営大谷津球場のあたりで県道成田安食バイパスと交差します。
県道の南側にマンションがあり、早めに県道と交差して球場(公園)敷地を使う形で土屋に向かうと思われます。

そしてR408と交差して、成田線と空港支線が分岐する土屋に至ります。ここには成田新高速ならぬ成田新幹線用に建設された高架橋が千葉ニュータウン方向を向いて途絶えている姿が有名なポイントですが、ここに接続して成田新高速の新設区間は終了し、既設線を活用する形で(JR線に対して単線並列で増設)成田空港に至りますが、今回のルポはここまでです。

成田ニュータウン北を出ると、空港第2ビルまで駅はありませんが、ここ土屋は成田市の新しい商業集積地、イオン成田SCを軸に大型施設が立ち並んでおり、成田新高速沿線にもこのエリアの施設の看板が目立ちます。
実は土屋にはJRの分岐点から少し入った(イオンSCの東端)の南側に駅前広場としか見えない小ぶりなロータリーが用意されており、「土屋新駅」の開設は全く無いとはいえないかもしれません。
駅の形態次第(交換設備の設置など)では成田ニュータウン北から単線と言う成田新高速の泣き所を減殺する方向に働くだけに、ここは今後のポイントになりそうです。

大谷津球場付近から西方を向く。後方で斜めに交差か
「土屋新駅」のロータリー土屋での合流ポイント。後方はJR成田線の連絡線

●補遺・北千葉道路
印旛日本医大からのこの区間は、高規格道路「北千葉道路」(外環道北千葉JCT起点)が併設されることになっています。
西白井から印旛日本医大まで、北総線に並行してR464がありますが、これと北総線の間にある微妙な空間が北千葉道路の用地です。
成田高速鉄道アクセスのサイトにある 標準断面図 によると、一般部と専用部に分かれておらず、自動車専用道路だけが整備されるのか、現状のようにR464として整備されるのかは不明ですが、国道とは名ばかりで、県道をつないだ格好の印旛日本医大以東のR464が大幅に改良されることは確かです。
ちなみに最終、土屋付近で北千葉道路は成田新高速と別れて、寺台インターを経てR295になるようですが、現在R295はそのままR408としてイオンSC南側の4車線道路となり道なりに成田安食バイパスになっていますが、どういう接続になるのでしょうか。

北総線との間に微妙な空間が(白井)線路を挟む4車線区間の東端、竜腹寺交差点
後方のオーバーパスは北総線車庫への渡り線




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