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2007年夏、「成田新高速」の進捗

成田高速鉄道アクセス (成田新高速)の工事の様子については、2006年年末の様子を 前回 ご紹介しました。
それから7ヶ月あまり、8月初めの様子をレポートします。

北千葉道路の工事も始まりました
(松虫寺先の谷あい。手前が成田空港)

※写真は2007年8月撮影

※成田新高速の進捗に関しては下記もご参照ください。

2005年8月
2006年8月
2006年12月
2007年12月

2008年6月

2008年9月
2008年12月
2009年3月
2009年6月
2009年9月
2009年12月
2010年1月
2010年3月
2010年6月
2010年7月


●印旛日本医大

最初は印旛日本医大から。
戸建て中心のいには野でしたが、駅前に大きなマンションが建ち、雰囲気がかなり変わりました。
しかし商業関係は相変わらずですが、NT中央に続き、印西牧の原の充実が著しい中、やはり張り合ってまで開業する意味が無いと見たのでしょう。

松虫姫公園から印旛日本医大駅を望む

前回線路脇においてあった両渡りの分岐器ですが、これは引上線対応。本線を挟むように内分岐し、両渡りを入れて成田空港側に2線の引上線を用意しています。

右手に本線からの内分岐。左手に両渡り(左手が成田空港)掘割の突き当たりも掘削開始(後方が成田空港)

さらにその先の行く手を阻んでいた土盛りというか、掘割の終点ですが、今回はどんどん掘っています。その前方、南北に伸びる道路の東側(成田空港方)に紅白だんだらの柱の頭に六角形の看板を付けた標柱(「成田新高速鉄道線ルート 印旛日本医大起点0km630m」)が見えるあたりの道路は交差地点を迂回する仮区間に移設済み。このあたりは一段小高い松虫姫公園からよく見えますが、工事現場に囲いが出来るのでしょうか。

松虫姫公園から見た現場(左手が印旛日本医大)

例の「印西都市計画都市高速鉄道事業の施行について」と題した看板の脇に、北千葉道路関係の看板も立っており、都市計画決定が済み、北千葉道路も着工したようです。

●松虫寺から吉高
松虫寺への道から分岐する細道には測量のピンクリボン、さらに谷津田地形の谷底に下りる区間は木々の伐採が入り、谷底の細道には「北千葉道路建設事務所による「迂回道路の工事をしています」と題した看板が立っていました。(冒頭写真参照)

R464で自動車学校の先に向かい、遺跡調査関係の発掘をしていたあたりには現場の事務所が建ち、国道両サイドの木々の伐採と整地がなされています。松虫寺方面を見ると、谷底からは分からなかったのですが、丘の上に重機が入り、ここも整地しています。

自動車学校付近から松虫方面
(手前が成田空港)
細道の奥でも北千葉道路の工事
(左手が成田空港)

吉高の大桜方面への細道の先を見ると、北千葉道路事務所による「切回し道路工事を行っています」の看板が。もう少し奥まで行ってみたかったのですが、駐車スペースや転回スペースが不明でもあり、ここで断念しました。

●印旛捷水路
印旛捷水路に出ると、このあたりが渡河点と擬定していた橋のたもとにも事務所が出来、さらに天幕のような設備がちょうど据付の真っ最中。何か着工式か何かをするのでしょうか。

渡河点付近の設備。天幕はクレーンのアーム直下
(右手が捷水路、成田空港)

捷水路を越え、道路が土手道になるところで、前回土手に並行して田んぼが整地されている箇所があったと報告した場所ですが、その先の渡河点付近の工事用通路として整備されていました。

前回の整地区間はこうなりました(前回とは反対方向)
(左手前が成田空港。右手が捷水路)
渡河点付近(印旛村側)
(左手が成田空港、印旛沼)

渡河点付近には重機が入り、なにやらやっていましたが、そこへ向かう道路は農耕車以外の通行が出来なくなっており、遠見で我慢しました。

なお光の谷を経てR464に向かう捷水路の西岸道路は、工事用の大型車両が入るためか拡幅工事が始まっています。

拡幅された西岸の道路
(右後方が捷水路、成田空港)


●甚兵衛渡し
R464に戻り、甚兵衛大橋を渡って例の標柱があるあたりにも事務所が。渡河点方向を見るとやぐらが立ってます。
甚兵衛渡しバス停のあるスリーエフがある交差点に信号が出来てましたが、これは印旛沼側に甚兵衛公園が出来たためでしょう。公園にクルマを停め、印旛沼まで出て、渡河点まで行って見ましたが、湖面には何も無く、両岸の工事だけが見えます。

渡河点の工事(成田市側)
(右後方が成田空港)

甚兵衛機場方面はまだ未着工のようです。
機場から下総松崎方面に向かうと、新高速ルートが交差するあたりも何もなし。ただ、緑あふれる水田の中、ルートにかかる水田の耕作はされておらず、そのあたりからルートが推測できます。

水田の真ん中に事務所
(左後方が成田空港)

松崎方面への地道に戻るあたりに事務所が。さらに台地脇の道路に入り、北上すると、前回予想よりもやや先(前回の写真に見える家の先)に工事の看板が立っていました。

台地脇の交差地点。後方は我孫子線
(右後方が成田空港)

●湯川から大谷津
千葉交通湯川車庫に向かうとびっくり。前回までルートだと思っていた場所と違い、車庫の裏手の丘を切り崩しており、そこがルートのようです。

湯川車庫から見た工事箇所
(右後方が成田空港)

湯川からあぜ道レベルに近い道を成田安食バイパスに向かう道すがら、前回は測量のリボンだけだったあたりに赤白の標柱が2箇所立っています。ここも田んぼの中の予定地らしき部分の耕作はしていません。

耕作されていない田んぼと標柱
(後方に湯川の工事箇所。手前が成田空港)

成田安食バイパスのバス折り返し場のあたりが交差地点で、道路脇には成田新高速と北千葉道路の看板、さらに森林法に基く林地開発許可に関する看板も立っていました。

森林法に基く開発許可(松虫)

ここで少し大谷津のほうに向かって歩いて見ると、民家の庭先のような場所を通り、その先には大谷津公園の工事現場で働くクレーンが見えました。

リボン。その向こうに大谷津で工事中のクレーン
(後方が成田空港)

クルマに戻り、大谷津に着くと、プールがあったエリアで工事の真っ盛り。
さらに去年着工を確認したほうの現場には真新しい下部工の橋脚が9本ほど立ち並んでおり、やはりこの工区の進捗が一番早かったようです。
現場には担当する工区の図があり、800m強の高架が通る箇所が分かります。

大谷津の橋梁群(後方が成田空港)


●大谷津から土屋へ
成田病院を回りR408に出ると、交差地点の廃屋は取り壊され、整地されており、ここに最後となる赤白の標柱が立っています。
さらに土屋に回り込んで裏手の分岐地点に行くと、このあたりは工事の気配もなし。空き地は夏草に覆われ、見ることが出来ません。

交差地点付近の標柱(右手が成田空港)交差地点のR408(左手が成田空港)

最後は土屋のロータリーを見て戻りましたが、全区間で事務所が出来ていて、工事の着工も半分以上の箇所で始まった感じです。
強いて言えば甚兵衛渡しから湯川までの区間が遅れ気味で、実質手がついていないようですが、今後はどうなるのでしょう。大谷津の橋脚が1年程度で完成しているだけに、案ずるまでも無いのかもしれませんが。

成田市の通過区間を示す公示


●その他
既存の北総線も新高速対応の改良工事が進んでいます。
その中でも2面4線にしようとしている東松戸、基盤はあるが整備されていないホームを復活させる新鎌ヶ谷、2面3線になる小室と、着工されて工事が進んでいます。

小室の新ホーム建設現場(後方が成田空港)
東松戸の2面4線化工事(後方が成田空港)新鎌ヶ谷の新ホーム(左手が成田空港)


***
以上、約半年ぶりの現地実査でした。
今回は平日と言うこともあり、現場は作業中でした。

前回はスタートラインにつく準備がしっかり出来たと評しましたが、今回はいよいよ走り出したという感じです。
同時施工の北千葉道路の工事も始まっており、今後は日ごとに現場の姿は変わっていくのかもしれません。
ただ、クルマで簡単に回るだけでは見落としも多く、次回(今冬)はいちど全区間を歩いて見るつもりです。

渡河点の夕景(後方が印旛日本医大)








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