このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2001年7月

2001年7月28日(土)

「リンク集」 にB_windさんのサイト「baseball wind」を載せる。
かなり読み応えのあるメニューがそろっています。全て読みあげるのにかなり時間がかかりそう。
「豊中球場」を早いとこ載せたいが、どうもまだ書けません。
少なくとも選手権大会がはじまるまでには載せます。
岐阜大会の代表が決まった。岐阜三田高校。3年ぶり2度目の出場だ。
私の実家の近くにある美濃加茂高校は残念ながら決勝で敗れてしまいました。
みっちゃん残念。
岐阜三田には岐阜県代表として頑張ってもらいたい。
岐阜県勢は甲子園での勝利がここ2年間ありません。
3年前に岐阜三田が1-0で徳島商に勝って以来です。
この試合も1イニングで2長打を連発しただけの、わずか2安打で勝つというギリギリの勝利でした。
次の試合で智弁和歌山とあたり、大敗を喫してしまいました。
なんといっても、三遊間を抜けるタイムリー大暴投がききました。
今回は少なくともそんなことはないようにしてもらいたい。

2001年7月26日(木)

まずは昨日のことから。
昨日は大阪府立中央図書館に行く。途中で日本生命球場の跡地を見ていく。
大阪府立中央図書館に行くには森ノ宮駅で乗り換えなので、そのついでというわけだ。
日本生命球場は私が以前行った時とほとんど変わっていませんでした。
「日本生命球場」に探訪記を書いたのでそちらをどうぞ。
今回中央図書館に行ったのは、資料収集が目的です。
「月刊体育施設」やその他いろいろコピーしたいものがあった。
最初にビデオルームに行ったら「南海ホークス百万ドルの内野陣」とか興味深いビデオがあったので、
それを見ようとしたが、105分待ちだったのでやめておきました。さすがにそんなに待てません。
4Fに行って「月刊体育施設」を見せてくれという。
30巻ぐらいあったので10巻程度ずつみせてもらうことに。
今回は野球場関連で探しましたが、これが多いのなんのって。
少なくとも1年に1回くらい野球場に関する特集が組まれるので、それをコピー。
そして「NEW FACE」というコーナーで野球場がとりあげられてていたらそれもチェック。
あれもこれもとしおりをはさんでいたら、結局めちゃくちゃ膨大な数にのぼってしまいました。
18時をすぎて、館内放送でコピーの受付終了まであと15分と言われたので、
慌てて野球場関連の記事を見つけてしおりをはさみ、申込用紙を記入。
ギリギリくらいで3Fに行ってコピーを頼む。
だいたい20分くらいかかるといわれたので、図書館を出て休憩することに。
図書館は19時に閉まるらしく、中からぞろぞろと人が出ていた。
コピーをもらいに行くと、全部で約300枚で、6,000円ほど請求された。
やばい、お金のことは考えていなかった。ほんと全く。
ギリギリ6,000円はあって支払えたのだが、今度は帰る電車賃がない。
見れば、294円しかなかった。ヤバイ。帰れないかもしれない。
あびこ駅から梅田駅までは地下鉄で310円なので、たぶん長田駅からあびこ駅も310円。
これだと20円足りない。どうしようか。
しかし考えていてもどうしようもないので、とりあえず長田駅まで歩くことに。
最悪、森ノ宮まで歩けばJRがあり、そこから杉本町までは210円なので帰ることはできる。
とりあえず下を見ながら長田駅まで歩くことに。下を見たのはションボリ、ではなくお金が落ちていないか見るためだ。
長田駅まで行くと、あびこ駅まではやはり310円。
270円だと昭和町まで行けるが、昭和町から歩くよりは、森ノ宮まで歩く方がよかったので、後者を選ぶ。
しかし行けども行けども、隣の高井田駅までなかなかつかない。
ようやく着いても、どうせあびこ駅までは270円ではないので、次を目指す。
次は深江橋駅。長田駅からは距離があったので、ここからだとどうだろうと思って改札に行くと、
なんとあびこ駅まで270円だった。よかった。これで帰れる。
ここがダメなら隣の緑橋駅から地下鉄ではなく、森ノ宮まで歩いてJRを使おうと思いました。
でもこれでそこまで行く必要なし。
今回はたった20円でえらい目にあいました。
しかしお金って落ちてないものですね。この前大学内で千円札を拾ったのはかなりのラッキーだったのか。
自販機ではおつりがないかと手を伸ばすが、さすがにない。
もう恥も外聞もない、というよりは恥も外聞もあるわけがない。
しかし20円は思えばコピー1枚分の料金です。
要するにコピーを1枚少なくしておけば、長田駅から帰ることができたんです。
計算なんか全くしていなかったので、結局エライ目にあってしまいました。
今日、そのコピーを整理したところ、余分なコピーが10枚も出てきました。
これで200円のロス。この200円があれば、地下鉄はおろか森ノ宮でJRに乗り換えることもできる。
昨日はたった20円のせいでとんでもない目にあってしまいました。
しかし294円残っていたのと、歩いたのが夜だったのが救いかな。
炎天下で無一文だと途中でぶっ倒れていたと思います。プラス思考でいこう。

2001年7月24日(火)

「野球場誌」に 「ナゴヤドーム」「川崎球場」 を載せる。
なぜにナゴヤドームを載せたかというと、忘れないうちに書こうと思ったため。
川崎球場は今はなき本拠地球場シリーズの最後を飾る野球場として載せる。
夏の高校野球にあわせて豊中球場を準備中。あと同じ阪急系列で宝塚球場も。
今度は鉄道会社が設けた野球場シリーズに突入しようかな。

2001年7月23日(月)

「野球場誌」に 「和歌山県営紀三井寺球場」「和歌山県立桐蔭高等学校」 を載せる。
前日に訪れた野球場ですね。

2001年7月22日(日)

和歌山大会を観に和歌山県営紀三井寺球場まで行く。朝6時半起き。
桐蔭高校×南部高校の試合で、とある桐蔭OBに誘われて観にいった。
桐蔭高校は元・和歌山中学で、夏は全国大会2連覇、春は優勝1回の古豪チーム。
和歌山県でトップの進学校でもある。
対する南部高校は、今年のセンバツに出場したチーム。
去年の秋の大会で桐蔭が接戦の末、南部に負けたので、いい試合が期待された。
ところが結果は7回コールドで桐蔭が負けた。一緒に行ったOBもアゼンとしてた。
ヒットの数もさることながら、最大の敗因はミスの多さですね。
ミスさえなければ少なくとも接戦にはもちこめたはずだったのに。
高校野球はミスが多い方が負けます。
その後、近くの浜の宮海水浴場で2時間ほど海水浴を楽しむ。
水がきれいかと思ったら、そんなにきれいではなかった。ウキワを持っていけばよかった。
そして桐蔭高校に入いる。勝手に入っていいのかな?
グラウンドを見るとなぜかスタンドがある。さすがに名門校だ。
OBの人に写真をいくつか撮ってもらう。いいカメラを持っている。
その後彼と和歌山ラーメンを食べ、居酒屋でおごってもらう。
野球に関してかなり熱い方で、なによりも母校・桐蔭高校が大好きみたいだ。
母校の試合は18年間欠かさず見ているとおっしゃっていた。
それだけに今日の一方的な敗戦は悔しかったことだろう。
秋の大会を見にくる約束をして帰る。
朝早く、しかもいろいろあったので、帰りの電車ではグッスリだった。

2001年7月20日(金)

ソフトボール大会に参加する。
大学の五院協という組織が主催で、私は学部生2名をつれて計3名で参入した。
全体で22名だったので、ちょうど2チームといった感じか。
DRAGONSユニフォームとBUFFALOESユニフォームと2つ持っているが、
勢いのあるBUFFALOESユニフォームを着て参戦。
第1打席はこれに驚いたのか、守備位置が少し下がっていた。おそろしい効果だ。
計3試合行い、1試合目と2試合目は捕手および主審をつとめ、3試合目はセカンドで守備。
打撃はショボく、ゴロを打ってフォースアウトという場面が多かった。
2塁からホームに走っている時にコケて、手をすりむいた。
どうも足がついていかないようだ。う〜む、歳かなあ。
セカンド守備ではゴロが来たので、教科書通りに真正面で待ち構えて
そこまでは良かったのだが、これがまた教科書通りのトンネルをしてしまいました。
腰を落していれば、という話だが、3試合目ともなると足がガクガクで。歳かなあ。

2001年7月19日(木)

「野球場誌」に 「日本生命球場」「大阪球場」 を載せる。
あと 「中モズ球場」 に解説を加える。
中モズ球場と大阪球場は同じ南海系列なので、ついでに一緒にやってしまいました。
あとは「川崎球場」かな。もうすぐできそうです。
あと阪神電気鉄道系列の 「香櫨園グラウンド」「鳴尾球場」 も載せました。
全国高等学校選手権大会の地方予選がすでに始まってますからね。
「豊中球場」も近日中にアップします。

2001年7月18日(水)

「野球場情報」 に新たな情報を2つ載せる。
1つは大津市の皇子山球場の改修工事と、もう1つはサッカーW杯期間中の公式戦の中断。
来年のオールスターも東京ドームと坊っちゃんスタジアムで開催されることが決まる。
去年は長崎、今年は札幌、来年は松山と地方球場でオールスターが行われています。

2001年7月15日(日)

久宝寺緑地野球場まで全国高等学校野球選手権大会大阪大会を観てきました。
別にこれといったチームを観たかったわけではなく、野球場で観戦したかった。
スタンドに入らなくても内外野からタダ見できるのだが、せっかくだからスタンドに入った。
入場券は700円。高い。300円くらいだと思っていたのに。
一塁側と三塁側とどちらでもよかったが、とりあえず三塁側に。
行った時は第二試合で、岬×藤井寺工の後半戦だった。藤井寺工が8-6で勝つ。
第三試合は清水谷×阪南。三塁側は清水谷だ。
さすがにまわりは清水谷応援団ばかり。私は一応中立。
でもパンフレットをもらったので少し義理ができた。
しかし清水谷ってどこかわからない。谷ってくらいなので田舎の方かな?
対する阪南は阪南市の高校か。いやに遠くから来たもんだな。
試合内容は省略して、結果は13-5で清水谷の勝利。よかった。
清水谷の投手は投げ下ろすタイプ。でもたまに放るカーブを打たれていた。
あのタイプならストレートでどんどん攻めればいいのに。球速以上にボールが速く感じられるのに。
捕手はよかった。ワンバウンドのボールも体で受け止めていた。
でも一番良かったのは阪南の一塁手。
内野安打かという微妙なゴロも、めいっぱい足を広げて捕球していた。アウト。
あれだけでも見に来た甲斐というものがあったものだ。確か大ファールを打ったのも彼。
家に帰って高校を調べたところ、どうも阪南高校は阪南市ではないらしい。
ではどこかと調べてみたら、なんと住吉区の学校だった。
が〜ん、そういえばなんか聞いたことがあるなあ、と思っていたが、まったく忘れていた。
しまった、家からめちゃくちゃ近いのに。たぶん浪速についで2番目に近い。
地元チームを応援できなかった。かなりショック。
ちなみに清水谷は玉造の近く。もちろん何の関係のない。
応援すべき方を間違えていた。

2001年7月14日(土)

各地で全国高等学校野球選手権大会の地方大会がはじまりました。
明日あたりにでもどこか観に行くとするかな。
一番近いのは久宝寺、次は住之江公園、さらにん南港中央、豊中ローズ。
すべて行ったことがないなあ。近いのにね。
さしずめ久宝寺あたりに行こうかな。金銭的にも一番安い。
そういえば岐阜大会いつ始まるんだろう。
母校・関高校はどれくらいまで行くんだろう。
去年教育実習で担当した2年生は3年生になっているので主戦なはず。
いままでにも増して母校を応援しよう。
関高校が甲子園に出られる日はいつか来るのかな?
できれば夏に、岐阜代表として出て欲しい。
春の21世紀枠では出てもらいたくないな。

2001年7月13日(金)

「後楽園球場」 を手直し。
戦前と戦後のバランスが悪すぎです。頭でっかちになりました。
でもあまり知られていないようなことを書くとこうなってしまいます。
次は川崎球場かな。あるいは日本生命球場。大阪球場かも。

2001年7月12日(木)

「東京スタジアム」 を少し手直しする。
それと期せずして 「後楽園球場」 をアップする。
というのはまだいろいろ書こうと思っていて、アップしないまま保存していたのです。
後楽園球場については書くことが多すぎてまとまりきれない。
でも逆にあれくらいがコンパクトでいいかもしれませんね。

2001年7月11日(水)

「野球場誌」に 「東京スタジアム」 を載せました。永田雅一オーナーを中心に書いてみました。
今度は川崎球場か日本生命球場を書きます。
今日はある件で大阪南港まで行った。
南港まで行くのにニュートラムに乗ったのだが、進行方向右側に南港中央野球場が見えた。
同球場では高校野球選手権大会の地方予選が行われる。
グラウンドは使われていなかったが、朝日新聞の貼り紙がされていた。
北海道と南の方ではすでに地方予選が始まっているし、高校野球の季節だなあと感じる。
今年はどこに観に行こうか。南港中央は距離的にはものすごく近いが道のりが長い。
一番近いのは久宝寺かな。豊中ローズ球場も一度行ってみたいなあ。寝屋川は遠すぎ。

2001年7月8日(日)

大阪ドームへ大阪近鉄バファローズ×福岡ダイエーホークス戦を観にいく。
3塁側内野指定席を2枚もらったからだ。1枚は後輩の山下君に渡した。
13:00プレーボールなので、12:00くらいに行って練習を観戦する。
早く行ったので前は買うことができなかった弁当を買うことができた。
今回は福岡ドームから弁当も出張していたらしく、「城島弁当」と「いざゆけ弁当」があった。
どちらか迷ったが、「城島弁当」を買うことに。
山下君に見せるため、まだ食べずに打撃練習を見る。
山下君が来たのは試合開始直前。遅すぎ。指定席だけどもっと早く来てもいいのでは。
それから食べ始めるが、試合が開始するまで間がなかったので、途中でおいておく。
今回はグローブを持ってきた。いつもいく外野席よりもボールが来る確率が高いからだ。
指定席だがラッキーにも通路側だった。これで守備範囲が広がった。
今回の3連戦はバファローズアドバイザーのトミー・ラソーダ氏の提案によりメジャーリーグスタイルで行われていた。
鳴り物応援なしが大きな特徴。でもそれだけではないんだよね。
試合開始前にはガキんちょを守備位置に連れていってボールを手渡す。
おかげで試合前のサインボールの投げ入れはなかった。
なにもせっかくのこんな日にメジャースタイルにすることはないのに…
ただしボールの投げ入れはいつもより多くなされていた感じはした。
3塁側だったので、ホークスが攻撃に移る際には毎回投げ入れられていた。
位置的に一塁手や捕手が投げ入れるボールが近くに来そうだ。
ゴロあるいは三振の機会は多いので、それだけチャンスも多いということ。
「のぶひこ〜」とか声をかけてはみたものの、こちらに飛ばしてくれることはなかった。
1つおしかったボールはあったんだけどな。山下君がめちゃくちゃ積極的なら取れていたかも。
ファウルボールが直接来ることもなかったが、内野席上段にいったボールが落ちてくることがあるので、
それも狙っていた。1つだけいいところにいって落ちてくるのを待っていたが、落ちてこない。
どうやら上で取られたらしい。う〜ん、残念。
試合は松中選手の右中間上段席に入る特大本塁打もあり、0-7でホークスの圧勝。
松中選手、どうみても私と同い年とは思えないほどふけている。まるで虚無僧。
ホークスの先発・ルーキーの山田秋親選手がプロ初完封。
さすがにウイニングボールが投げ入れられることはなかった。
メジャースタイルで行われた試合であったが、なにかおかしな感じがした。
鳴り物応援なしでも、メガホンでたたくリズムはまったく一緒。
たまにかかるエレクトーンの音もなにか調子はずれ。
私が日本のスタイルに慣れてしまっているせいかな。
でも無理にメジャースタイルにあわせる必要もないような気もするけどね。
ベースボールが日本にやってきて約120年。
その間に「野球」という文化は完全に日本色に染まった。
応援だってそう。応援団というのは学生野球の頃からあるのだ。
応援についてはとやかくいわれているが、これまでの過程も考慮する必要があるのではないか。
ベースボールの文化もいいが、野球の文化もそれほど捨てたものではないと思う。

2001年7月7日(土)

今日は七夕。サッカーのJ2でベガルタ仙台と湘南ベルマーレという、七夕で有名な都市の対決がある。
なかなかJリーグもやってくれるな。シャレっ気があったいいですね。
「野球場誌」の 「伊東スタジアム」 に野球漉さんからの情報を載せる。
また 「平和台球場」 を新設する。その関係で 「福岡ドーム ホークスゾーン」 も少し書き加える。
これからもかつての本拠地球場で現在は廃止になった野球場を載せていくつもりです。
次は「東京スタジアム」を予定。お楽しみに。

2001年7月6日(金)

「野球場情報」 に来年の台湾におけるダイエー公式戦について載せた。
どうやら台北市と高雄市の2球場で1試合ずつ行うみたいだ。
ぜひ地上波で野球中継をやってもらいたい。
台湾の野球場、そして台湾の野球ファンを見てみたい。応援風景とかね。
でも野球場の収容人数が、高雄市で2万人、台北市でわずか8千人とは少なすぎはしないか。
台湾でもプロ野球があるので、この両球場を使うこともあるだろう。
あるいは本拠地球場かもしれないませんけどね。ここは不明。
たぶん人がほとんど入らないんだろうなあ。
台湾の国民的英雄・王貞治氏をホークスが監督にした時点で、台湾開催を考えていたかもしれませんね。
少なくともダイエーとしての台湾戦略、さらにアジア戦略の一環であることは間違いない。
福岡という都市自体が完全にアジアに目を向けていますからね。
球団のアジア戦略でいえば中日ドラゴンズも負けていないと思う。
外国人選手を台湾、韓国、そして中国からもとってきていますしね。
たぶん中日ドラゴンズが大豊選手を連れて台湾で試合を開いたら面白いんじゃないかな。
私は最近ドラゴンズファンでなくなりつつあるが(これは同い年をどんどん放出しているため)、
もし海外で公式戦を開いてくれるのなら好きになるのになあ。
140試合制なので主催試合数は70。そのうち2試合を台湾なり韓国なりで開いてもらいたい。
でも中日新聞の売上に結びつかないので難しいかな。
それこそスーパーやレンタル会社、食料品会社ならいいかもしれませんけどね。

2001年7月3日(火)

大阪ドームに大阪近鉄バファローズ×千葉ロッテマリーンズを観にいく。
後輩から内野自由席引換券をいただいたからだ。彼と行った。
近畿日本グレートリングさんも外野自由席に行ったみたいだ。
本日は「奈良県デー」ということで、奈良県在住者は外野自由席が無料に。
配られた野球カードも奈良県デーを意識してか、52奈良将史投手だった。なかなかやりよる。
少し遅れて2回表に到着。着いたら二死満塁という状況だった。
ここでマリーンズの9番酒井選手が2点タイムリーを放つ。さすが元中日。
酒井選手は守備でもセンターに抜ける当たりをとめて、ゲッツーを完成させるなどファインプレーをみせていた。
3−0になったところで、近鉄ベンチは前川投手をあきらめ門倉投手に換えた。元中日だ。
門倉選手はロッテ打線を抑え反撃のチャンスを待つ。
すると4回に2点をかえし、さらに6回には5点を奪って勝ち越しに成功。
最後の3イニングを石毛投手でしめて勝つ。勝利投手・門倉、セーブ・石毛。
2位のブルーウェーブとホークスが負けたのでこれで3ゲーム差。
ただ首位にいる好調チームとしては観客動員がイマイチ。
外野自由席下段と一塁側内野自由席は満員状態だったが、それ以外のところは少ししか入っていない。
観客動員数は16,000人だった。ちょっとこれでは寂しいかな。
でもチームがこのままの調子ならば、夏休み、そして9月以降は大いに入ることでしょう。
これからの大阪近鉄バファローズの活躍に期待する。

2001年7月2日(月)

今日は 「平成期の使用球場」 を書き、 「野球場史」 からリンクさせる。
とりあえず平成期だけに絞ってみました。というのは資料がないから。
金沢在住のI氏からレコードブックを借りてエクセルにまとめておいたので、
それを載せただけです。
見やすいように心掛けたつもりですが、いろんなところでやっているチームはまとめるのが難しい。
あと 「参考文献」 にいくつか加えました。
球団史はどこも出ていると思うが、どうも手に入れるのが難しい。
いろんな図書館をまわるしかないかな。
ちなみに市大図書館には阪神タイガースと阪急ブレーブスのだけありました。
南海ホークスと近鉄バファローズのはありません。
大阪の球団なのにね。
興味深いのが『田村駒の百年』と『東急コンツェルン』。
前者は大陽ロビンスの応援歌「輝けロビンス」や喫茶店「パシフィック」と「ロビンス」が載っている。
後者には株式会社東急ベースボール倶楽部の概要が載っているが、
1957年には球団経営を東映に委託していたので、会社名の後ろに(休業)と書かれている。

観戦日記に戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください