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広瀬惟然
『惟然坊句文集』
(中島秋擧編)
曙菴秋擧、朱樹叟
士朗
序。
惟然
百回忌記念追善集。
文化9年(1812年)、秋香亭巴圭、三河宍戸方鼎跋。
鳥落人惟然坊は蕉門の一奇人なること、世に知る人まれなり。秋擧之をかなしび、草枕の時々目に見耳にふるる毎に年頃書き置きぬ。このたび惟然坊がふるさと關に假寝して巴圭にかたらひ、鳥落人の遺稿をあはせて、かの風韻を世に輝かすことしかり。
朱樹叟 士朗
惟然坊句集
曙庵先生選定 巴圭 校
春
梅の花赤いは赤いはあかいはな
久泄に弱り果て、いづ方にてもゆるりと伏し申分別のみ、大雲様近日御下り可被成候よし御聞可被成候かしく
三月二七日
惟然
東暇丈
かう居るも大切な日ぞ花盛
馬の尾に陽炎ちるや晝多葉粉
出羽にて
しとやかな事ならはうか田うち鶴
鶯や笹葉をつたふ湯だて曲突
新壁や裏もかへさぬ軒の梅
宗鑑
の陳蹟を尋ねて
梅散て觀音艸の道の奥
詣聖廟
如月や松の苗賣る松の下
乙鳥や赤士道のはねあがり
菜の花の匂や庵の磯畠
夏
於
知足
亭
名所 夏
涼まうか星崎とやらさて何處ぢや
かるの子や首さし出して浮藻艸
夕顔や淋しう凄き葉のならひ
竹の子によばれて坊のほととぎす
蓴菜やひと鎌入るる浪のひま
嵯峨鳳仭子の亭を訪ひし頃、川風涼しき橋板に踞して
すずしさや海老のはね出す日の陰り
史邦吟士に別る
起臥にたほふ紙帳も破れぬべし
芭蕉翁岐阜に行脚の頃したひ行き侍りて
見せばやな茄子をちぎる軒の畑
玉 江
貰はうよ玉江の麥の刈り仕舞
秋
七夕やまづ寄合うて踊初
張り残す窓に鳴入る哉竈馬
(イトド)
かな
尚々御無事の段承りたく奉存候、爰もと折々の會にて風流のみに候、以上先月ははじめて罷越、ゆるゆる得貴意、大慶に奉存候、色々預御馳走、御懇意の御事ども忝奉存候、翁彌御無異にて奈良一宿仕、重陽の日に大坂着仕候、
翁
菊に出て奈良と難波は宵月夜
此御句にて會など御坐候、其元彌御無事に被成御坐候哉、御句など少々承たく候、先日奈良越にて、
近付きになりて別るる案山子かな
錢百のちがひが出来た奈良の菊
右兩句いたし申候、御聞可被下候、土芳丈望翠丈どれどれ様へも可然様に御心得被成可被下候、如何様ふと罷越、萬々可得貴意候、京都にて高倉通松原上ルつづらや町笠屋仁兵衛店にて素牛と御尋被下候へば相知れ申候、何時にても風流の御宿可申上候、恐惶謹言
九月二十二日
惟然
意専老人
此冬の寒さもしらで秋の暮
なほ月に知るや美濃路の芋の味
鹽壺の庇のぞかむ今日の月
奥の細道
萩枯れて奥の細道どこへやら
田の肥る藻や刈寄せる磯の秋
物干にのびたつ梨子の片枝哉
朝露に躄
(いざり)
車や草のうえ
伊賀の山中に阿叟の閑居を訪ひて
松茸や都にちかき山の味
世の中をはひりかねてや蛇の穴
翁に坂の下にて別るるとて
別るるや柿食ひながら坂のうへ
冬
鵜の糞の白き梢や冬の山
しかみつく岸の根笹の枯葉哉
鵯や霜の梢に鳴きわたり
枯蘆や朝日に氷る鮠
(はえ)
の顔
欲填溝壑只疎放
水草の菰
(こも)
にまかれむ薄氷
茶を啜る桶屋の弟子の寒さ哉
稲荷堂に詣る
撫房
(ナデバウ)
のさむき影なり堂の月
萬句興行
はつ霜や小笹が下のえび蔓
蕉翁病中祈祷之句
足ばやに竹の林やみそさざい
看 病
引張りて蒲團ぞ寒き笑ひ聲
於
義仲寺
六七日
花鳥にせがまれ盡す冬木立
越路にて
薪も割らむ宿かせ雪の靜さは
水鳥やむかうの岸にへつういつうい
臘八や今朝雑炊の蕪の味
年の夜や引結びたる襁
(サシ)
守
尋元政法師塚
竹の葉やひらつく冬の夕日影
貧 讃
いにしへより富めるものは世のわざも多しとやらん、老夫ここ安櫻山に隱れて、食はず貧樂の諺にあそぶに、地は本より山畑にして茄子に宜しく夕顔に宜し。今は十とせも先ならむ、芭蕉の翁の美濃行脚に、
見せばやな茄子をちぎる軒の畑
、と招隱のこころを申遣したるに、その葉を笠に折らむ夕顔、とその文の囘答ながら、それを繪にかきてたびけるが、今更草庵の記念となして、猶はた茄子夕顔に培ひて、その貧樂にあそぶなりけり。さて我山の東西は木曾伊吹をいただきて、郡上川其間に横ふ。ある日は晴好雨奇の吟に遊び、ある夜は經風淡月の情を蓋して、狐たぬきとも枕を並べてむ、いはずや道を學ぶ人はまづ唯貧を學ぶべしと、世にまた貧を學ぶ人あらば、はやく我が會下に來りて手鍋の功を積むべし。日用を消さむに、輕行靜座もきらひなくば、薪を拾ひ水を汲めとなむ。
蕉像の事 風羅念佛の事
翁の亡骸いとねもごろに粟津
義仲寺
に葬りたてまつりて、
幻住菴
の椎の木を伐りて、初七日のうちに蕉像百體をみづから彫刻し、これを望めるものに與へぬ。又「まづたのむ椎の木もあり夏木立降はあられか桧笠古池や古池や蛙とびこむ水の音、南無アミダ南無アミダ」かかる唱歌九つを作りて風羅念佛となづけ、翁菩提の為にとて古き瓢をうちならし、心の趣く所へはしりありく、そも風狂のはじめとぞ。
翁に隨從惟然行脚の事
翁と共に旅寢したるに、木の引切たる枕の頭いたくやありけん、自らの帶を解て、これを巻て寢たれば、翁見て惟然は頭の奢に家を亡へりやと笑れしとなり。
娘市上に父惟然坊に逢ふ事
坊風狂しありくのちは娘のかたへ音信もせず。ある時名古屋の町にてゆきあひたり。娘は侍女・下部など引つれてありしが、父を見つけて、いかに何處にかおはしましけむ、なつかしさよとて、人目もはぢず乞丐ともいふべき姿なる袖に取付きて歎きしかば、おのれもうちなみだぐみて、
両袖にただ何となく時雨かな
と言捨てて走り過ぎぬとなん。
追 加
春
南部に年を越して
まづ米の多い處で花の春
下萌もいまだ那須野の寒さ哉
山中
に入湯して
ここもはや馴れて幾日の蚤虱
惟然坊は枕のかたきを嫌はれしが、故郷へ歸るとて草庵を訪れける、なほいまだ遠き山村野亭の枕に如何なる木のふしをか侘びむと
木枕の垢や伊吹に殘る雪
丈草
かへし
うぐひすにまた來て寝ばや寝たい程
○
ほととぎす二つの橋を淀の景
磯際の浪に啼きゐるいとど哉
贈
杜國
笠の緒に柳綰ぬる旅出かな
再追加
春
ふみわける雪が動けばはや若菜
深川庵
思ふさま遊ぶに梅は散らば散れ
夏
奈良の萬僧供養に詣でて、片ほとりに
一夜をあかしけるに、明けて主に遣す
べき料足もなければ、枕元の唐紙に名
處とともに書捨ててのがれ出侍る。
短夜や木賃もなさでこそばしり
越中に入る
ゆりいだす緑の波や麻の風
かろがろと荷を撫子の大井川
秋
湯殿山
にて
日の匂ひいただく秋のさむさ哉
松島や月あれ星も鳥も飛ぶ
象潟
にて
名月や青み過ぎたるうすみ色
酒田
夜泊
出て見れば雲まで月のけはしさよ
元禄八年の秋西海の羈旅思立ち月に吟
じ雲に眠りて九月一日崎江十里に落付
たる
朝霧の海山うづむ家居かな
七夕やまだ越後路の這入りぞめ
行く雁の友の翼や魚の棚
夕暮れて思ふままにも鳴く鶉
羽黒山
に僧正行尊の名ありけるに里人に案内せられて
豆もはやこなすと見れば驚かれ
芭蕉翁の伊賀へ越し給ふを洛外に送りて
まづ入るや山家の秋を稲の花
時を今渡るや鳥の羽黒山
伊丹の
鬼貫
を尋ねし時
秋晴れてあら鬼貫の夕やな
冬
雪をまつ宿なればこそ有りのまま
錢湯の朝かげ清き師走かな
春かけて旅の寓や年忘れ
奥の細道
萩枯れて奥の細道どこへやら
曙庵道人我關里に來給ひて、一日惟然坊が舊蹟に遊び、道人坊が人となり、坊の吟詠をよく覺え、詳に語りてのたまふやう、惟然以前惟然なし、惟然以後惟然なし、前後その風調を似せさせず、誠に俳家に二なき風骨なりと歎美し給ふ。けふ庵につどへるものそれを喜び、それを慕ひて、とりあへず道人の筆勞をかりて此集なりぬ。
秋香亭 巴圭
広瀬惟然
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