しるしらぬ人皆恋し親しらず
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これより先は、所謂こたの浜なり。爰を
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過て
国分寺
有。境内に鏡池有。是即、他力
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念仏一行と勧め玉ふ聖人の御面影を
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自木像に刻ませ給ふ池なりと聞侍りて
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着飾らぬ影こそすゞし鏡池
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高田の城下に遊吟し、それより
信濃の国
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に移りぬ。
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まづ名乗れ越の関山時鳥
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善光寺
に詣。「松のみ残る」の御詠歌を思ひ
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出せしまゝ
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松のみか幾世にかゝる雲の峯
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姨捨山
にて、花には花笠の面影を尽し、
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月には竹笠の侘姿も亦おかし。善光寺
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を拝せしより、此更科の月にひかれてわけ
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登るも唯ひとり。比は水無月中のひと日、
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入相聞る時なれば、いでそや月を眺めんと、
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其まゝ山に仮寝して
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姨石をちからに更て月すゞし
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山に登りて小夜更るまで月をながめしが、
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十分の詠めもたらぬに、俄に空はためき、
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いたく大雨降り、神鳴いなびかり甚しく、
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高深陵谷の大変事にて、あたりの山さへ
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崩れ出、己が命も寸前に失はんとおもふ
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程からければ、とある岩のはざまに這寄
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て身をちゞめ、一心即滅と念じ居るうち、
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漸々夜明になりぬ。爰に伝五郎といへる人
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有。夫婦の心ばへいとやさしく、情しるもの
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なり。前言、我ひとり山に登りしを麓に
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田業せし折から見かけ置しが、いかなる
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よるべの夙縁にや、終夜烈しき風雨ゆへ、
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案ずるばかりいも寝ざりしとて尋ね
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来り、且悦びかついたはり、連ておのれが
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家に帰り介抱す。此時の命のゝばゝり
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しは全く彼夫婦の情深きゆへなり。
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姨捨た里にやさしやほとゝぎす
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爰に白雪廬風五とて、俳諧にひたぶる好者
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有。夫婦ともに此道に耽りしまゝ、其家にも
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四五日滞杖、贈答付合句数有。
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其より
立石寺
といへる山刹を尋ぬ。此
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寺は蕉翁の、「岩にしみ入蝉の声」の高吟
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世に聞えし所也。甚清閑寂寞の地にて、巌かさ
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なり、苔ふり、所謂、空翠庭陰に落る情有。
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踏しめて登るも清し霜の花
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其後、二口にかゝり、行暮て道を失ひ、終
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夜山をさまよひ歩きぬ。
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山中や笠に落葉の音ばかり
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千賀の浦より舟に遊びて
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松嶌
や小春ひと日の漕たらず
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金華山を詠るとて
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指出る朝日目ばゆし金華山
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塩竈明神
へ奉納し、次に
壺の石ぶみ
・
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沖の石
・
末の松山
・宮城野に至るまで、其
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名高く聞へ侍りしところ、何れも発句有。
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ふりはへて再び仙台の城下に帰り、白石の
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かたへ立出る。「陸奥のあぶくま川のあ
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なたにぞ人わすれずの山は有ける」古歌
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抔くり言して、
達出(伊達)の大木戸
・あね葉の松・
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埋木・
忍摺
・葛の松原、あるは
白河の関路
には
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通はぬ人だに、「秋風の吹」名高し。みづから
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其地をふみわけて、処々に発句せしも、
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おふかたはわすれぬ。いかに雲水の行衛定
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めぬ身とはしりながら、かく空蝉のもぬけ
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なるこゝろぞかなしけれ。
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下野奈須野原
にて
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迷ふたは怪し奈須野の枯尾花
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日光山
にて
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雪に今朝まじる塵なし日の光
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爰に朝暮園の同志数輩有て、日
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久しく杖をとゞめ雅情に預りぬ。
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或夜、日光山の鐘を聞て、古郷の事し
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きりに思ひしまゝ
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鐘氷る夜や父母のおもはるゝ
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はるばる陸奥の方よりめぐり来て、
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墨田川をわたれば、何となく郷に帰りし
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心地こそすれ。
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そふかそれよ何とはひでも都鳥
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漸々と江戸に出、
道元居
宗匠の家を
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尋ね落つきぬ。此主人老夫婦初ての相見
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ながら、親子の中に相逢ごとく、その慈愛
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深かりしまゝ、旅のものうさ打わすれ、
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あなたこなたの雅筵に会し、道の
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修行の励みを得しも、道元居師の誘掖
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をもて、三とせ経るまで杖を留めし
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因縁とはなれり。
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爰に初古郷を出し時、朝暮園師に
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添文玉はりし萩城竹奥舎ぬしにめぐり
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逢ひしまゝ
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長き旅も爰にこふした力草
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此後、さしてもなきわが俳癖の名さへ聞へて、雅
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会茶席はいふもさらに、諸侯貴権の御燕
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享にも召れ、あふ(おほ)けなき事共多し。
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殊更花実庵風尼は、慈愛の御志他に
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増りて有難き事いふばかりなし。
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又麻布六本木に、木工屋作左衛門といへる
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人有。寛仁温雅の志深く、われを愛する
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事親子のごとし。己が家に別室を分ち、
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長々の宿りをゆるし、人を恤(うれう)る情こそ
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有難けれ。後の東遊に再び此室
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にやどりし時、七絃琴を自製して
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予に其道を学ばしむ。今に身をはな
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さず携へたのしむ流水琴是也。
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予が麻布に仮居せし翌年夏の
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頃、
朝暮園
師来り玉ふを悦びて
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頭陀の限り見せむ涼しい師の前に
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吹入る風もかほりそふ時
| 朝暮園
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庚申の年、端午前より江戸を立て、
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古郷の方へとおもむきぬ。
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五十三次見て登る幟かな
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吉原駅にて
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涼しさのくらべ物なし富士おろし
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大井川
にて
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さればこそ浮草もなし大井川
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それより処々遊吟し関ヶ原なる
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古戦場にて
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聞ことのおくれはとらじ郭公
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長良川の鵜飼
を見て
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闇は照す物のあはれや鵜のかゞり
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水無月の比、
朝暮園
師、吾妻より帰り玉ふ
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を待うけ侍りて
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これからぞ汲ん岩出の山清水
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或日、細竹主人と朝暮師と共に、
養老
の
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瀧見に到りて
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山つゝむ霧打切て瀧白し
| 百茶坊
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朝暮師及予句並遺却。
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中秋、不破の月見を餞別会とて連衆
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数多に付合巻有。
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○長き前文
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有。略ス。
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進み帰れ二千里の月も見せたれば
| 朝暮園
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雅友各餞別の句有。
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さればこそ、更級・武蔵野・不破の月まで、
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師の余光を笠に着て名所くまなく
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見巡りしが、今日帰郷の時に至り、平生
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教示の一言もわが行過をのみつゝしめ
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よと、老の心切に諭し玉ふ師の心をも休め
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ばやと、この一句を留侍る。
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帰る晴も月に教への薦一枚
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同短歌行
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藤下・山中・柏原・醒井
・樋口・
高宮
等を歴遊し、
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川並村へも杖を寄、程なく東海道に出、草
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津駅では養専寺にやどり、初泊りし
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ところどころ、今帰るさの道すがら数々問訊
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して、謝情言葉に尽し難し。
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美濃宗匠の添文を携て、初て洛の書林
橘屋治兵衛を訪ね宿りぬ。それより秋
冬京摂の間に風遊せし事、夢幻
ともおぼゝへず、実に繋ざる舟のごとし。
漸々古郷に帰りし比は、其年の暮にこそ
あれ。爰に亡弟が発句を記す。
〇けふや明日やとまちわびおもひし、はらからなる
一字庵主人帰宅有しをよろこび興じて
| 一陽居
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待得たり其香習はむ年の梅
| 今始
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歳 祝
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年久しく諸国へ回歴せしかども、つゝがなく
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今年豊浦の古郷に帰り、父母の傍に
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春をむかへて寿きて
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生れかへた心に明つ花の春
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人 日
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「
両の手に桃と桜や
」となん、蕉翁の高吟を
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思ひ、予はたらちねのにつかえむ事を
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両の手に乗せて給仕や薺粥
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手折菊 二(鳥)
寛政6年(1794年)、江戸を立ち東海道五十三次を絵にして句を付けた。
月に花にわたる世広し日本橋
品川や袖に打越す花のなみ
陽炎や大師の不思義川崎に
夕霞引くや戸塚の高どまり
小田原やうゐらう匂ふ宵朧
玉ふくや由井の蚫(あわび)の春日影
沖つなみおさまる春や清見潟
青海苔やまりこの汁の名に薫り
花に渡る嶋田は安し大井川
菊川や金谷に匂ふ根分時
懸川や長閑に葛の秋葉道
袋井や春日に光る鶴の札
白雲や富士を見付のさくら時
浜松や和らぐ波も遠江
あらためて新居に花の波清し
二川や花に契りの玉かしは
世の味やよし田の花に一夜客
振袖の御油に引かれつ藤の暮
赤坂に灯しそへたり桃の花
浮魚のちりふに躍る温みかな
貝寄の風や桑名に舟上り
手折菊 三
不破の関
にて
今は誰もる人もなき板びさし月のみ関の名にかよひ来て
手折菊 四
同五日朝、花の浦より舩出し侍りぬ。安芸の国
厳島
にて
霞酌ん七浦々のわらひつれ
田上菊舎
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