2016年 3月

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3月31日(木) 【年度末】

 平成27年度最後の一日。本当は国立の研究室に行って、昨日の続きで荷物の整理をしようと思っていたのだけど、家でいろいろしていたら夕方になってしまったので行くのを諦める。結果、昨日が最後の国立になってしまった。7年間もお世話になっておいて、最後の最後で締まりがないが、まあこれですっかり終わって関係性は一切なくなるというわけではないので、こういういつものような感じがいいのかもしれない。

 夕方、近所の神田川沿いに行ってみる。ここは桜並木が密かに有名なのだけど、今年はまだまだといった感じだった。桜の時期の井の頭公園は吐き気がするほど混んでいるので、ゆっくり桜をみたいなら神田川沿いがお勧めです。

 明日からやや環境が変わるので、今日は早めに寝ようと思ったのに、夜中に鼻炎で目が覚めてしまう。新年度が思いやられるなあ。


3月30日(水) 【ラスト国立】

 今日は午後から研究室へ。大学通りの桜は三分咲きくらいでまだまだだし、天気もあまり良くないにもかかわらず、相変わらずこの季節は人が多い。普段なら1時を過ぎていれば余裕で座れるいたりあ小僧も満席で、大きなテーブルでの相席になった。その後に来た人は順番待ちだったみたいなので、桜の季節の国立は何とも過ごしにくい。ともあれ国立とはしばらくサヨナラになりそうなので、最後の昼食をロージナといたりあ小僧で迷った挙句、スパゲッティ一本勝負のいたりあ小僧にした。しいたけのスパゲティにんにく味にしめじとシソを追加トッピングして2倍盛に。満足です。


<まだ3割程度の国立大学通りの桜>

<いたりあ小僧でしいたけしめじシソのスパゲティ>

 食後研究室へ行き、荷物の整理。今日を含めて2,3回で持って帰ろうと思っていたけど、片付け始めたら全然手に負えない量で、とりあえず段ボールに詰めてしばらく置かせてもらうことにする。最低限必要そうな本や資料は国内旅行用のスーツケースに入れて持って帰ることにしたけど、詰め込み過ぎて重さでどうにかなりそうだった。重すぎてコロコロ転がせないんじゃスーツケースの意味がない。

 帰りに吉祥寺のドコモショップに寄って、昨日の続き。僕が求めていたXperia Z5の白色はちゃんと入荷されていた。で、いろいろと手続きをするけどこれが結構面倒くさい。結局2時間くらいかかってしまう。昔携帯電話の機種変更をしたときは30分くらいで終わった気がしたんだけど、電話とメール以外の機能を持つとこんなに面倒になってしまうんだろうか(そのかわり付属の説明書は昔に比べると何とも薄い)。なんか一杯サインした気がする。

 でもとにかく、スマートフォンが約5年振りに新しくなった。前回の機種変更は2011年7月。当時の携帯電話からこれまで使っていたスマートフォンに変えて、その進化にびっくりしたけど、スマホの世界は5年で格段に進化したらしく、今回もその進化にまたびっくりした。夢の技術と言われた指紋認証機能も付いているし、何と言っても通信速度が速くてサクサクつながるので、これまでのようなイライラ感がない。そして内部ROM容量が32倍になったので、アプリもダウンロードし放題。もうここまでくると、小さなパソコンに電話機能が付いている、と表現した方がいいのかもしれないな。問題があるとすれば、大きくなったのでやや重いということくらい。

 ちなみに右下の写真はこれまでの歴代携帯電話たち。僕が初めて携帯電話を持ったのは浪人中で、その初代携帯は2代目の携帯に機種変更するときに交換になったので手元にないけど、2代目以降は手元に残ってある。一番思い出深いのはやっぱり写真一番左の2代目で、この携帯は大学に合格した日の午後、新生活に向けて地元のベスト電器で新調したもの。それから大学3年の秋に壊れるまで使った。恥ずかしい話だが、若かりし頃の酸いも甘いも詰まった携帯なので、データはとっくに吹っ飛んでいるのだろうけど、未だに捨てられないでいる。あと、5代目の携帯は確かドコモ伝道師の湾岸太郎君に進められて買った携帯で、こっちもなかなか捨てられないでいる。


<カバーケースも含めて買いましたXperiaZ5>

<歴代の携帯電話+スマートフォンたち>

 帰宅後、新しいスマホをヌルヌルさせながら夕食。研究室に置いていた、お土産でもらった純米日本酒を持って帰ったので、この日本酒に合うであろう刺身や煮つけを買ってきて夕食にした。最近は焼酎やウイスキーといった蒸留酒しか飲まなくなっていたけど、たまに飲む日本酒はおいしいな。


<お土産でもらっていた純米日本酒各種>

<日本酒なので魚料理にした>

 全部飲めるかな?と思っていた日本酒も無事全部空き、いい気分で新しいスマートフォンをいじっていたら、不意に携帯とスマホのことが大好きだった湾岸太郎君のことを思い出した。太郎が生きていたら、僕が買った新しいスマートフォンを見て何て言うだろう。「いいのを買いましたねぇ。えぇえぇ。」とか言ってくれるかな?


3月29日(火) 【スマホ買い替え時】

 今日は午後一杯M大学で研究会というかセミナーというかに出席するため、昼から御茶ノ水へ。まず昼食ということで駅前をぶらぶらしていると、博多天神の黄色い看板が目にとまったので、久しぶりに博多天神の安っぽいラーメンでも食べるかと思い、店に入ることにする。ところが12時台という働く人たちの昼食タイムに当たっていたので、博多天神にも行列ができていた。博多天神に並ぶのは何か腑に落ちなかったけど、どこもかしこも満席なので仕方がない。ラーメンなので回転が早く、2,3分並んだだけで店に入れた。

 今日はねぎラーメン。替え玉1杯無料で650円だから、都内のラーメン屋にしては破格といっていいくらい安い。「都内一クリーミーなスープ」と書かれてあったので、どんなラーメンだったかなあと一口食べてみると、本場福岡で食べる豚骨ラーメンのような豚骨臭さは全くない。そして恐らく10年振りくらいに食べるであろう博多天神の味の記憶がよみがえってきた。これこれ、このチープな味、と。福岡出身や在住の友人たちに言わせると、この博多天神のラーメンは博多豚骨ラーメンとは決して認められないという話なのだけど、個人的には博多の豚骨ラーメンとは別物だと考えれば食べられないことはないと思う。店の名前が「博多天神」だから、「博多」という観念からはなかなか離れられないけれども。


<久々に博多天神>

<ねぎラーメン>

 その後、1時から6時まで研究会に参加。研究会が終わって鞄の中からスマホを取りだしてメールの確認を使用とすると、バッテリーの残量が20%しかなくなっていた。出かける前にフル充電し、研究会中はほとんど触らなかったのにこの減り様。最近スマホの電池の減りが早いなあと思っていたけれど、まさかここまでとは。さらに今のスマホはどういうわけかアプリのアップデートも新規インストールもできないし、本体のメモリーが少なすぎていっつも容量不足のお知らせが出てくるようになっていた。そういうことが一気に頭の中をぐるぐる駆け巡り出し、帰りの電車の中でスマホに対して腹が立ってくる始末。こうなったら今日にでも買い換えようと思い、帰宅する前に吉祥寺のドコモショップへ行った。

 ドコモショップに行き、とりあえず機種変更前提でいろいろと聞いてみると、今使っている5年前に買ったXperia acroは本体のRAMが512MB、ROMが1GBだが、最新機種のXperia Z5はRAM3GB、ROM32GBにまでなっているとのこと。RAMで6倍、ROMに至っては32倍にもなっていて、説明してくれた店員さんから「今までよく使われてましたね」と逆に感心される始末。僕の知らない間に、スマートフォンは大きく進化していたらしい。ROMが1GBしかないのだから、すぐに容量不足になるのもそりゃ当然だ。

 結局いろいろと説明してもらって、最新機種のZ5に買い替えることになったのだけど、あいにく希望していた黒もしくは白のものが在庫にないということで、明日改めて購入手続きをすることになった。あとそういえば、今なら月々の支払いに2500円プラスするだけで、普通なら7万円するipadが無料でついてきて、さらにスマホの支払いが900円割り引かれるというキャンペーンをやっていて、説明された時はかなり心惹かれて前のめりにipadも買うつもりでいた。でも家に帰って冷静に考えたら「ノートパソコン、スマホに加えてipadまでいるか・・・?」となったので、購入手続きを翌日にして心底良かったと思う。今のところ、ipadは必要ないかな。危うく衝動買いしてしまうところだった。やっぱり落ち着いて考える時間が必要だ。

 ドコモショップを出たのは夜8時半。1時間以上もいろいろと説明を受けていたらしい。最近のスマホは機能とか仕組みとかがややこしすぎて、昔のガラケーのときみたいにいろいろなことをすっと呑み込めない。それはただ単に僕が歳を取っただけなのか、それともスマホ自体が面倒な機械になってきているのか・・・。


3月28日(月) 【休日】

 休日。落雷のひどい夜だった。


3月27日() 【ぐうたらと】

 昨日は1次会(卍ゼミのOB・OG会)終了後、2次会として立川の居酒屋でFさん、Y君改めY先生、N君、I君と飲んでから12時頃に帰宅。1次会の中華料理屋で出たオードブルの炒飯がおいしくて、最後にバクバク食べてしまったために、2次会では腹パンパンで酒を飲むのも苦しくなってしまった。おいしい酒を飲むためにはある程度お腹を空かせておかないといけないのに、目の前の食欲に任せてしまうとこういうことになってしまう。反省の日々です。ちなみに家に着くころに本隊で飲んでいたD2のセカイヘイワさんから「3次会に行くからどうか」という電話があったけど、さすがに12時前かつ家なので断らざるを得なかった。後で聞いたところによると、卍先生を始め明け方近くまで飲んだとか飲まなかったとからしいので、お元気なことで何よりです。

 そして今日は朝8時半に目が覚めたが、もうちょっとだけ寝るかな・・・と思って目を閉じたら、気が付くと時計の針は午後2時を回っていた。で、しばらくだらだらしてご飯を食べたらまた眠くなり、一眠りしたら既に夜10時過ぎ。一体何をやっていた一日なのか分からないほどぐうたらしてしまったが、まあ3月はこれまで動き回っていたからたまにはいいかと思って自己肯定。


3月26日() 【最終講義】

 今日は国立でお世話になった卍先生の最終講義。基本的に学部ゼミや大学院ゼミのOB・OG会を兼ねているので、部外者である僕が出るのはもしかしたらおこがましいのかもしれないが、本当にお世話になったのでせめてもの恩返しにと写真係として参加した。人が写っているというか、当たりまえだけど個人が特定できる写真ばかりなので、ここにはほとんど載せられないけど、気合を入れたおかげで今までにない良い写真が撮れたと自負している。いずれフォトブックにしてお渡ししよう。

 いろいろと言いたいことはあるのだけど、まだ整理もできていないし、そもそも僕があまり語っても仕方がないことなので、今は静かにしておこうと思う。先生、長い間お疲れ様でした。あとI君、準備から何から莫大な仕事、お疲れさま。


3月25日(金) 【やや「気持ちわるっ!」と思うメールが来る】

 立て続けの出張で体と肝臓が疲れたので、今日は小休止。

 夜、近所のスーパーへ買い物に行くと、珍しく「駿河湾生シラス」が売られていた。生シラスなんて年に1回食べられるか食べられないかというくらいのものなので、これはと思い即購入。ご飯の上に生シラスを乗せて、わさび醤油をぶっかけて食べると本当においしいんだよなあ・・・と思いながら、でも米を炊くのも面倒だったので、ご飯とおかずが別になっている弁当を買い、そのご飯に生シラスを乗せて醤油とわさびをかけて食べる。生シラスのちょっとした苦みが何とも言えない春の訪れを知らせてくれます。今年も食べることができて感謝感謝。


<簡易生シラス丼>

3月23日(水)〜24日(木) 【徳島出張で一泊】

 3月は出張や旅行や帰省や4月からの生活のこととかでなかなか落ち着く暇がなかった。そのてんやわんやの3月の締めくくりといえる1泊2日での徳島出張。とりあえずこれが国立のプロジェクトでの最後の出張になる。計算したらこの7年間で今回の出張も含めて合計51回(国内38回、海外13回)も行っていて、それ以外にも小さな日帰りが結構あるので、日数にしたら1年間くらいは出張に出ていたのではないかと思うくらいの日数ではある。そんな出張もメインでは最後となると何となく寂しい。

 前夜は送別会1次会の後、卍先生の「1時間で1杯だけ」という魔法の言葉にまんまとひっかかり、結局2次会でたらふく焼酎を飲んで終電になり、1時過ぎに就寝。果たして飛行機に間に合うように起きられるのかがかなり心配だったが、何とか朝6時半に目が覚めて支度をして出かけた。10時前の飛行機に乗り、11時に徳島に着き、昼食を食べるくらいまでは二日酔いでかなりきつかった。午前中の飛行機に乗るような出張の前の日に、終電まで飲むもんじゃないなと深く反省しております。

 徳島では全て車移動、宿も広い和室を一人使用と、先方の方の手厚い対応に本当にお世話になりっぱなしだった。訪問内容はあまり詳しくは書けないけれど、非常によい見聞になったと思う。徳島には僕自身2回ほど行ったことがあったのだけど、これまで四国の中では何となく影が薄い存在だった。でも今回いい人たちに案内してもらうだけで、その印象は全然変わってくる。一気に徳島のファンですよ。やっぱり人との出会いとつながりだな。

 宿泊は吉野川市の山中にある温泉宿だったのだけど、この吉野川市というところはいろいろな「偉人」の生まれ故郷らしい。一人は「カミソリ後藤田」の異名で知られる後藤田正晴元副総理。彼の生家跡は保存され、道中には彼の功績を立てる顕彰碑が大々的に建てられている。顕彰碑の辺りは何とも立派で、ベンチまである始末。一方現在でも存命である某ハッピーサイエンスの総裁も吉野川市生まれであることから、「聖地」として大規模な施設が山の中に建設中だった。さすが宗教、恐れ入る。

 そんな徳島の1泊2日の行程写真は以下の通りです。


<二日酔いだけど羽田空港のうちのたまごで卵かけご飯の朝食>

<11時過ぎに徳島阿波踊り空港に到着>

<昼食は地産地消のバイキングをご馳走になる>

<徳島市郊外ののどかな景色>

<元々段々畑だったところに太陽光パネル>

<谷に作られた佐那河内村の集落>

<羊もいます>

<吉野川と徳島平野>

<宿は元々青少年の家だった場所を改装した温泉旅館>

<暖炉の火は何時間でも見ていられる>

<広い和室に一人>

<宿泊部屋からの風景>

<夕食の一部、生パスタ>

<翌日の朝食>

<徳島駅前の阿波踊り>

<帰りの飛行機まで時間があったので南部の牟岐へ行く>

<牟岐駅に到着した特急むろと3号>

<牟岐町役場の屋上からの眺め>

<ちょうどアート展をやっていた>

<・・・これもアート??>

<帰りの特急で牟岐の海産物をつまみに一杯>

<空港で徳島ラーメンを食べてから帰宅>

 徳島の1日目は20度まで上がったようで、コートがいらないくらい暖かかった。しかし2日目は風が強く、気温も13度前後。寒いなあ・・・と思って東京に戻ると、東京は5度くらいでさらに寒いという。。3月下旬の気温というのは良く分からない。


3月22日(火) 【送別会】

 昨日は帰宅が12時近くになり、一日中歩き回ったこともあって相当疲れていた。2時過ぎに寝てぐっすり9時間。11時過ぎに起きたけどまだ眠い。いい歳して平日にこんな生活をしているなんて、大人失格なところもあるが、有給休暇だから仕方がない。

 夕方から国立へ行き、夜は大学院ゼミとプロジェクトの合同送別会。修士課程修了者と就職者を祝うということで、山あり谷ありながらも修士を修了したM君と、長野に戻ってビシバシ教鞭を取ることになるY君改めY先生の門出を盛大に祝う。本当におめでとう。ちなみに僕も、どういうわけかお祝いしてもらいました。プレゼントがずっと欲しかった名刺入れで、どれだけうれしかったことか。あと、色紙への寄せ書きもいただき、大変恐縮しています。思えば色紙への寄せ書きをもらうのは人生で初めてかもしれない。本当にありがとうございました。そして、7年間どうもありがとうございました。

 オフィシャルな送別会は9時に終わったので、明日から出張で午前中の飛行機に乗らないといけないから2次会は遠慮しておこうと思ったものの、卍先生が「1時間で1杯だけ」というのでその言葉を信じてついていったところ、結局終電になってしまう。。この前のオーストリアでもこんなことがあったような・・・デジャヴ??まあでも、3時間実質5人で焼酎の一升瓶を空け、さらに追加で飲むくらいだから、何だかんだで僕自身も酒の誘惑に負けて相当飲んでしまったことには間違いない。

 本当の終電で1時過ぎに帰宅し、そのまま即就寝。


3月18日(金)〜21日() 【東日本大震災から5年の南東北】

 3月3週目の土日は出張で、福島の震災復興関係の会合に出席することになっていた。今回は日程的にも三連休だし、前日の金曜も個人的には休みだし、さらには東日本大震災からこの3月で丸5年ということもあり、出張に前泊・後泊を付けて3泊4日の日程で南東北の被害を受けた地域を回ってみることにした。自分一人で復興に関して何かできるというわけでもないけれど、一応僕も震災復興関連研究の末席部分に関係あるようなないような位置にいると見られてもおかしくないかもしれないので、この目で5年目の姿を見ておくことも重要だろうと(あとはまだ乗っていない南東北の鉄道に乗っておくことも重要な任務の一つ。)

 まずは17日夜に東京駅を出る夜行バスに乗って、山形の赤湯温泉へ。赤湯温泉に着いたのは朝5時半で、真っ暗で人っ子一人いないなか、とりあえずうろうろする。この時間では温泉に入ることもできず、少し高台になった烏帽子山公園で寒いなか日の出を待つくらいしかできなかった。その後赤湯から山形鉄道長井線に乗ったり、山形駅からJR左沢線に乗って終点の左沢までを往復したりして汽車旅を堪能し、山形駅で板そばを食べてからバスに乗って仙台へ。ちなみに板そばは量が多くて、聞いてみると普通のもりそばの2.5倍はあるとのこと。横浜の味奈登庵の大盛りよりも多かったかもしれない。名物だからと食べたけど、ちょっと後悔だ。。

 仙台に着いてからがいよいよ震災復興スペシャルの本題。まず仙台空港アクセス線に乗って終点の仙台空港まで。ご存知のとおり、仙台空港は海岸線に近く、周辺の名取市閖上、下増田、そして岩沼市は甚大な津波被害を受けている。今回は初めてその辺りを歩いてみて、正直あれから5年経っているとは思えないほどの状況だった。実際に映像や写真では見たことがあったけれど、実際にこの目で見てみると迫ってくる感覚が違う。以前はここにたくさんの人の生活があって、それがなくなってしまったのだと思うと何というか言葉に詰まる。

 2時間くらいあてもなく海岸沿いの被災地を歩いた後、やや内陸部に開設した閖上地区の「閖上さいかい市場」という復興市場へ行き、その中にある浜やへ。ここで震災以前からずっと食べてみたいと思っていた閖上赤貝丼と食べる。従来から閖上で獲れる赤貝は身が厚くて大きく、日本一のブランドものと言われていた。ところが震災で閖上の海が被災してしまったこともあり、赤貝も絶滅したかと思われたとのこと。しかしそこから復興し、今では浜やの赤貝丼も復活したらしい。ただ獲れる量が少なく、その大半は東京に行ってしまうので、1日限定5食、値段も2600円とかなりハードルが高い。今回もダメモトで電話してみたら、最後の1食が余っているということで、この機会を逃したら一生食べられないのではないかと思って行くことにしたのだった。

 まずは閖上の日本酒と一緒に赤貝だけを食べ、その後で丼として食べる。僕はこれまで赤貝に関して特にこれといった印象はなかったのだけど、閖上の赤貝は本当に肉厚でふっくらとしていて味が濃厚だった。最初に赤貝丼の存在を知ったのは10年くらい前だったと思うので、そこから震災を乗り越えて、食べることができてよかった。日本酒も含めてちょっと高くなったけど、地元にお金を落とすと、いうことで。その後夕方に福島市内に移動して、この日は福島駅近くのホテルに宿泊。本当は仙台に泊まりたかったのだけど、この日から日本最大の学会と言われる日本循環器学会の全国大会が仙台で開かれるとかで、仙台のホテルは軒並み満室だった。学会で政令指定都市のホテルを満室にしてしまうなんてすごいな。嵐のコンサートじゃないんだから。


<朝5時半の赤湯温泉に到着>

<烏帽子山公園からの朝焼け>

<赤湯から山形鉄道長井線に乗って荒砥まで>

<長井線の車窓>

<山形駅で食べた板そばの量が多くて参った>

<飛行機に乗らないけど仙台空港まで行く>

<仙台空港近く、津波被害を受けた名取市の下増田地区>

<震災遺構として一軒の家が残されている>

<閖上・下増田地区の海岸線>

<下増田から少し南下すると岩沼市の千年希望の丘>

<1号丘>

<希望の丘から仙台空港を眺める>

<閖上さいかい市場>

<市場の浜やで1日5食限定の閖上赤貝丼>

<明日の備えて福島の東横インで宿泊>

<夜食に軽く丸信ラーメン>

 19日は昼から出張用務なので、朝は比較的ゆっくりと起きたあと、阿武隈川を眺めたり、珈琲グルメでゆったりとコーヒーを飲みながら食事をしたりと、昼まで福島市内をぶらぶらする。午後は福島大学での会合に参加した後、夜は福島市郊外にある伊達屋で塩チャーシュー麺大盛り。この伊達屋は食べログの点数が4.2点あって、以前から少し気になっていた(ただ今見たら3.9点に落ちているけど)。昼だと1時間半並ぶこともざららしいが、今回は並ばずに入れたので運が良かった。そして10分くらいして出てきた塩ラーメン。スープは塩と出汁の苦みが効いていて、個人的には好みだった。何というか尖っているけど優しい味というか。確かにおいしい一杯で、福島の郊外にあるにもかかわらず行列ができるのは分かる。でも食べログの3点台と4点台の違いってどこにあるんだろう?その辺が良く分からないな。


<今日はゆっくりと10時過ぎに行動開始>

<福島市内を流れる阿武隈川>

<珈琲グルメでまずはスパゲティ>

<食後のデザートは珈琲ババロア>

<夜は郊外にある伊達屋で>

<食べログ4.2点の塩ラーメン>

 19日は午前中福島大学で会合の続きに参加した後、午後は福島から阿武隈急行線に乗って再び仙台へ。阿武隈急行鉄道は途中阿武隈川に沿うように走るので気持ちがいい。仙台到着後は昨年12月に開業した仙台地下鉄東西線を含め、仙台地下鉄全線に乗っておく。車窓の見えない地下鉄に乗ると、我ながら何をしているんだという気がしないでもないが、日本の鉄道に全部乗ると決めたので仕方がない。修行です。夜は牛タン焼き定食発祥の店と言われる味太助本店で30分ほど並んで食べた後、明日の行動に備えて東北本線に乗って北上し、小牛田駅前のビジネスホテルに宿泊。


<福島大学で新たなステージへ踏み出そう>

<昼は弁当をタダでもらった!>

<福島のマスコット、ももりん>

<駅前のコラッセからの眺め>

<阿武隈急行線の電車乗り場は建物に挟まれている>

<飯坂線と共用のホーム>

<コラッセで買った名産品を飲み食い>

<阿武隈川に沿って進む>

<仙台地下鉄乗り放題>

<東西線八木山動物公園駅の屋上は展望台になっていた>

<夜の仙台一番町>

<味太助本店で30分並んで牛タンを食べた>

 21日は小牛田発の始発に乗り、志津川、女川、石巻と、宮城県北部の震災被害が大きかった地域を巡ってきた。志津川は2年半振り、女川は初めて、石巻は5年振り(中心市街地に関しては9年振り)の訪問。志津川は折り返しのBRTバスが出るまでのたった7分間しか外にいなかったけど、車窓を見る限りでは3年前に比べると盛り土が多くなって以前よりは工事が進んでいる印象がある。といっても本当にまだまだといった感じではあったが。初めての女川は、駅前の一部を除いて本当にまだまだで、被害が尋常ではなかったんだろうと思う。駅周辺や港周辺で人が住める形跡が全く見当たらない。女川を襲った津波は20mに達するという話もあり、本当に壊滅的だったのだろう。3月21日は女川駅が再開してちょうど1年ということで、駅前の復興商店街は結構多くの人で賑わっていた。僕も復興支援という名目で、さんま関連の食べ物をいくつか買いこむ。サンマスキーな私にとって女川は聖地でもあるので、女川産のおいしいさんまがまたたくさん獲れるように応援しています。

 その後石巻へ行き、被害の大きかった旧北上川周辺をぶらぶらする。東日本大震災で津波被害を受けた三陸海岸沿いの街のうち、僕が唯一震災前に訪れたことがあったのが石巻だった。名取も岩沼も志津川も女川も震災後に初めて訪れたため、震災前の姿が分からず、正直なところ被害の現実感がない。でも石巻については被災前の姿をある程度知っていたので、被害がある程度リアルに感じられた。2007年ににマルコフ教祖と一緒に入った居酒屋が津波で跡形もなくなっていたのがその一例。知っている場所が被害を受けて変わっていると率直に寂しくなる。

 昼過ぎに石巻を出た後は、夜の新幹線まで時間があったので、久しぶりに塩釜に行って塩竃神社に参拝したり(そしてなぜか知らないお兄さんから深○東○の本をタダで2冊もらったり)、仙台駅3階の立ち食い寿司屋で軽く食べたと思ったら会計が4000円近くになっていたりとか、そういうことをしながら時間を潰し、夜8時過ぎの新幹線で帰京した。


<早朝の小牛田駅から>

<箟岳山と列車の影>

<柳津駅の先は大震災によりBRT化>

<志津川―陸前戸倉間はBRT専用道路になっていた>

<まだまだの南三陸町志津川>

<新しくなった女川駅>

<女川駅からの眺め。駅前は一部綺麗に整備されたが>

<駅の裏手は本当にまだまだ>

<9年振りの石巻>

<石巻焼きそばを食べる>

<津波被害の大きかった旧北上川沿い>

<津波被害の大きかった旧北上川沿い>

<旧北上川と石ノ森萬画館>

<萬画館内部>

<階段の長い塩釜神社>

<塩釜神社拝殿>

<今回はこの辺りの鉄道に全部乗った>

<ずんだ茶寮でずんだシェイクと餅のデザート>

<仙台駅3階の立ち食い寿司で夕食。しめ鯖とめかぶ>

<あじとなめろう>

 震災から5年が経ち、東京にいると震災はもうかなり過去のことという感じが強くなっているのが正直なところだが、改めて現地を見るとそんなことはまだ決して言えないなと思う。政府は「東京オリンピックを復興の象徴に」とか言っていて、それも確かに分かるのだけど、被災者や被災地域に対してもっと実直で直接的な支援をしてあげてください。


3月17日(木) 【マクアードル】

 今年は年明けから芸能界が騒がしく、今度はショーンK学歴詐称疑惑で朝からワイドショーが賑わっている。でも僕みたいなひねくれた人間からしたら、ショーンKみたいな容姿・経歴とも完璧な人間が本当にいなくてよかったとホッとしているのが正直なところ。日本人は海外の大学に弱いから、「テンプル大学卒業」とか「ハーバードビジネススクールMBA取得」とかでコロッと騙されてしまうんだろうな。

 僕も整形で鼻を高くして目を大きくして瞼を二重にして、自然なカツラをかぶって、ハーバード大で博士号取得したことにして、それっぽい英語の別名つけて、自分はクォーターですと名乗れば、いつかはテレビに出られるんじゃないかと思ってしまう・・・ということをY君に言ったら、「痩せることが先決ですよ」と言われたので、灯台下暗しでした。。確かにデブはだめだ。

 ということでこれから夜行バスに乗って山形の赤湯温泉まで。3泊4日の出張兼個人視察に出かけます。


3月16日(水) 【在宅】

 始発で5時頃帰宅し、そのまま就寝。11時起床。思った通り、全然酒が残っていない。やっぱり昨日のハイボールはほとんどウィスキーが入ってなかったんじゃないのと疑いたくなる。

 水曜日は本来国立での勤務日だけど、3月は余った有給休暇消化月間なので今日は休み。しかし家で今年度の報告書を作るためのテープ起こしをしなければならない一日。


3月15日(火) 【高校生からわかる「資本論」】

 旅行疲れというか移動疲れが取れないが、今日は午後プロジェクトの研究会。今日は外部から多くの専門家をお招きしてセミナー形式でということで、正直セミナーのテーマが専門外の僕にはチンプンカンプンなところもあったが、そういう業界もあるのかと勉強にはなった。何事も耳学問は重要である。

 研究会後、少し仕事を片付けてから、I君とAさんと駅前の鳥貴族で飲むことにする。ちょいと一杯のつもりだったけど、I君のペースがあがり、気が付いたら閉店時間の2時になっていた。レシートを確認したらビール19杯、ハイボール12杯頼んでいて、僕は最初の1杯しかビールを頼んでなかったので、I君が18杯も飲んでいたことになり吃驚仰天。。酔ったI君が約10歳上のAさんに激しい口調で的確なダメ出しをしていたのは忘れられない。。

 終電もなくなった夜2時。「もう眠い」というAさんと別れて、I君と大和家という家系ラーメン屋でラーメンを食べ(あんまりうまくないですね!)、始発までカラオケに行ってI君のチェリーを聞く(あんまりうまくないですね!)。途中でI君は限界を迎えたようで寝てしまったが、僕のほうは鳥貴族でひたすら飲んでいたらハイボールがあまり濃くなかったのか、あまり酔ってなかったので、I君が寝た後は一人で適当に歌い、始発が動き出す頃に帰宅した。何だか生活が大幅に乱れているみたいだけど、今後国立でこうやって飲むこともあまりできなくなるので思い出作りと思ってよしとしたい。

 ちなみに僕が参加しなかったプロジェクト本隊の飲み会の方も、僕らと同時進行で先生方を含め結構大変なことになっていたらしい。その辺のことは、またいずれ。


3月9日(水)〜14日(月) 【南九州を周って帰省】

 オーストリア出張の代休と、これまで使わずに溜まっていた有給休暇を使い、1週間ほど春休みを取ることにした。当初は実家に帰省してゆっくりしようと思っていたけど、あれも行きたいこれも行きたいと計画を練っていたら、結局実家には1泊しかしないという日程になってしまう。でも今の実家には自分の部屋がなくて居場所もないから、結果として1泊でもいいかなあという気もした。それに、昨年5月に回れなかった南九州各地は早いうちに回っておきたかったので、全体としてはよかったかと。

 初日(9日)は早起きして羽田空港へ。この日は全国的に大雨で、事前に予約しておいた熊本行は天候の都合上福岡に着陸する可能性がありということだったので、これは困るということで急遽宮崎行に変更してもらう。本当は熊本空港からバスで宮崎の高千穂に抜けて、一日高千穂を観光しようと思っていたのに早くも予定が崩れてしまった。でもこればっかりは天気のことなので仕方がない。この日は宮崎へ行き、あてもなくぶらぶらした。そしてせっかく宮崎に行くことになったのだからと、現在宮崎に住んでいる大学同期のあおかつ君に連絡して、夜は彼の奥さんともども一緒に飲む。2次会では観光客が行かないような小料理屋に案内してくれて、おいしい宮崎料理を食べさせてもらった。平日の急な誘いだったににも関わらず、どうもありがとう。


<急遽宮崎行に変更>

<宮崎空港到着後、早速マンゴーソフト>

<大雨の宮崎神宮駅>

<あおかつ君が結婚式を挙げた宮崎神宮に参拝>

<雨が降っていたので常設展無料の総合博物館でお勉強>

<昼食は栄養軒で「肉デラ」ラーメン>

<地鶏の炭火焼きは宮崎が一番>

<二次会でチキン南蛮も食べる>

 2日目(10日)は宮崎からローカルな経路で鹿児島の指宿を目指す。早起きして5時33分宮崎発の志布志行に乗り、夜明けの日南海岸に沿って志布志まで。志布志からは路線バスに乗って大隅半島の内陸を縦断し、垂水に向かう。垂水からはフェリーに乗って鹿児島湾を横断し、鹿児島市内へ。鹿児島からは指宿・枕崎線に乗り終点の枕崎まで行った後、指宿まで戻って宿泊、という行程だった。基本的には移動の一日だった。写真には撮れなかったけど、指宿では名物の砂風呂に入ったし、JR最南端の西大山駅から開聞岳もきれいに見えたし、何より今日訪れたところは初めてのところばかりだったので、なかなか良い1日になった。


<5時33分発の志布志行きに乗る>

<夜が明けた日南海岸>

<終点志布志に到着>

<志布志からバスで2時間半かけて垂水へ>

<フェリーから見た開聞岳>

<フェリーから見た桜島>

<JR最南端の西大山駅から見た開聞岳>

<終点の枕崎に到着>

<カツオがあがる枕崎の港>

<今日の宿泊地、指宿>

<指宿で売り出している温たまらん丼>

<枕崎に行ったので、鰹のたたきも>

 3日目(11日)は比較的ゆったりとした日程で、朝は再びJR最南端の西大山駅へ行き、今回は実際に降りて駅周辺を散策しながら1時間ほど開聞岳を眺める。その後指宿からバスに乗って知覧へ行き、独特な武家屋敷群を散策したあとで、再びバスに乗って鹿児島市内へ。午後は鹿児島市内で市電に乗ったり城山に登って桜島を眺めたり、黒豚ロースとんかつを食べたりする。西大山駅と開聞岳という組み合わせは一度見てみたいと思っていたので、念願が叶ったという感じだった。午前中は天気も良かったので言うことなし。鹿児島市内をじっくりと歩くのは2008年以来6年半振りで、前回は頂上が雲に隠れて見えなかった桜島も今回は綺麗に見えたのでこちらも満足。今日は噴煙も上がっていなかった。あと、昼食に食べた黒豚ロースとんかつ(250g)はおいしかったなあ。2500円したけど、肉厚で甘みがあり、柔らかくてちょっとびっくり。今まで食べていたトンカツは何だったんだ、という感じ。さすがに食後相当胃もたれはしましたが。


<指宿の温泉街から見た日の出>

<JR西大山駅と開聞岳>

<西大山駅周辺は畑が多い>

<知覧の武家屋敷群>

<鹿児島市電が新旧勢ぞろい>

<2500円した黒豚ロースのとんかつ>

<城山から眺める桜島>

<西郷隆盛最期の地>

<鹿児島の中心地、天文館付近>

<夕食は簡単に鹿児島ラーメン>

 4日目(12日)は早朝に鹿児島を出発し、熊本を経て福岡へ。九州新幹線が全線開通して5周年という記念すべき日だったけれど、ずっと在来線でトコトコと行く。福岡では友人のDKさんにお世話になって、おいしい店やスナックに連れていってもらった挙句、家に泊まらせてもらう。ありがたやありがたや。7時に飲み始めて4時半に〆のトマトラーメンを食べたから、9時間くらいぶっ続けで飲んでいたことになるな。でもやっぱり、福岡はおいしいなあ。福岡には何度も行っているけど、行くたびにそう思う。今回のヒットはとり皮かな。おいしさにびっくりだ。


<朝焼けの鹿児島中央発川内行電車の車窓>

<途中で肥薩おれんじ鉄道に乗り換え>

<今は静かで綺麗な不知火海>

<熊本電鉄の終点、御代志駅>

<熊本の繁華街、下通。土曜の昼だけあって人が多い>

<久しぶりにこむらさきでラーメン>

<くまもん誕生祭&九州新幹線開通5周年記念イベントも>

<熊本市電にも全部乗っておいた>

<夜の中洲>

<1次会。お通しの3分の2が明太子>

<明太子の天ぷら>

<今日は寒かったのでもつ鍋>

<2次会。最近流行っているというとり皮焼き>

<最後の最後にトマトラーメン>

 5日目(13日)はDKさんの家で昼前に起き、ラーメンを食べてから高速バスで下関の実家に帰宅。今回は思いの外ラーメンを食べることになってしまい、やや健康面が心配だけど仕方がない。実家では正月に買ったアワビがまだ余っていたようで、冷凍していたアワビを解凍して鉄板焼きということになる。でもやっぱり冷凍するとあまりおいしくないな。ちなみに一緒に写っている肉は、父がゴルフコンペで2位になってもらってきたものだそうです。。


<太宰府八っちゃんラーメン天神店で昼食>

<大都会天神>

<高速バスで帰省する>

<夕食は肉とアワビだった>

 6日目(14日)の日中は実家でだらだらと過ごした後、夜の飛行機で帰京する。今回は久しぶりに宇部空港を利用した。本当は北九州空港が一番近いのだけど、家の近くから出る直行バスがなくなってしまって行くのがかなり面倒になってしまったので、直行で行ける宇部空港からになってしまう。宇部空港はレストランがあまり充実していないから、ちょっといまいちなんですよねえ。


<久々に宇部空港から>

<宇部空港も南国っぽい雰囲気がある>

<宇部ラーメン食べたかったけど>

<空港内に宇部ラーメンなかったから竹輪と蒲鉾で一杯>

 夜9時過ぎに羽田に着くと、東京は雨が降っているうえにめちゃくちゃ寒い。春物コートだと寒さが芯に届いてしまう。3月中旬なのになあ。僕が東京を離れている間、東京はずっと天気が悪かったらしいので、早く春が来てほしいものだ。


3月8日(火) 【確定申告】

 今日は午前中に出張の残務処理をして、昼に吉祥寺の洞くつ家でラーメンを食べ、税務署で確定申告書類を提出し、国立の研究室へ行っていろいろと片づけをしてから帰宅。暖かい一日で、冬物のコートはおろか春秋物の薄手のコートもいらなかった。このままだと春秋物コートの出番がなくなってしまうかもしれない。

 オーストリアから帰国して2日しか経っていないけど、明日から帰省も含めて1週間ほど東京を離れる。来週末は福島、再来週は徳島だし、3月も何だかんで慌ただしい。


3月7日(月) 【後片付けとか】

 昨日は朝8時に成田に到着し、その後空港でカレーを食べたり、渋谷のいつもの立ち食いそば屋でそばを食べたりと、日本食を満喫するために寄り道をしていたので、帰宅したら昼の1時前だった。やっぱり成田空港は遠い。オーストリア航空の成田ウィーン便は2月3月というシーズンオフにもかかわらず行きも帰りも満席になるくらい盛況だったので、できれば日系航空会社が羽田からの直行便を飛ばしてほしいところだ。

 時差ぼけでさすがに眠かったので、荷物の整理の前に一眠りしたら既に夜8時。でも夜12時前にはまた眠くなって寝て、今日目が覚めたのは朝6時だったので、何だかんだで上手いこと時差ぼけは解消できた(気がする)。

 今日は一日かけて出張の後片付けと、年度末や来年度にかけた書類書きとか雑用とか確定申告の準備とかもろもろ。マイナンバー制度が始まって、非常勤先とかに関連書類をいちいち提出しないといけないので面倒臭い。

 写真はオーストリアの思い出。左のマスコットは訪問した小さな町にある博物館のマスコットだけど、そのときはテンションが上がって買ってしまった。日本の自宅で冷静に見てみると、何で買ってしまったか分からないのだけど、まあこれも旅の思い出というやつか。でもこいつを見ると、日本のゆるキャラって本当によくできているんだなと思う。こいつには喰われそうなだよなあ。


<なぜか買ってしまったオーストリアの田舎のマスコット>

<ウィーン土産のマンナーウエハース>

 オーストリアに行っていて知らなかったけど、なでしこジャパンはオリンピック出場権を逃したようですね。あれだけ強かったのに、スポーツの世界は分からないもんだ。


2月28日()〜3月6日() 【オーストリア】

 出張で一週間ほどオーストリアへ。2年半振りのウィーンと、初訪問のオーストリア第2の都市グラーツを拠点として、いろいろと動き回ってきた。今回は毎日朝から晩までびっしりと用務が入っていたので、ウィーンもグラーツも日中に観光する時間はなく、日の出前後の早朝か夜の夕食ついでに歩くくらいしかできなかった。ウィーンに関しては2年前の出張のときに1日半の自由時間があり、そのときにじっくりと観光したりオペラを見たりしたので、今回時間がなくてもまあよかったけど、もしこれが最初のウィーンだったらめちゃくちゃ残念だっただろう。でもウィーンは何度歩いても華やかで荘厳だ。これまで訪れた街の素敵度で行くと、個人的にはウィーンが1位かな。そんなにいろいろ外国の都市を見てきたわけじゃないから、うっすいランキングですが。


<オペラ座>

<シュテファン寺院>

<グラーベンとペスト塔>

<ドナウ川>

<王宮入口

<国会議事堂>

 途中でオーストリア第2の都市グラーツに移動して2泊し、グラーツを拠点として用務をこなした。グラーツは第2の都市とは言っても、人口25万人程度の都市。首都ウィーンが180万なので、約7分の1のスケールということになる。グラーツの旧市街は赤屋根が綺麗で世界遺産に登録されていて、その街並みを長針と短針が反対になった珍しい時計塔があるシュロスベルクという小高い山から眺めるのがよいということだったので、かなり頑張って早起きし、日の出前からせっせこ登って見てきた。結果は早起きして登ってよかった。朝日に照らされる赤屋根の街並みがかなり素敵。日の出も拝めたし、言うことなしだ。

 赤屋根の街並みが続き、伝統のある大学があり、街中を川が流れ、小高い山に城址があってそこから景色を眺められるという点では、ドイツのハイデルベルクとかなりよく似ている。今回シュロスベルクに登って街並みを眺めるまでは、正直ハイデルベルクのあの景色には勝てないだろと思っていたけど、いやいやグラーツもなかなか。こういった伝統的な街並みが広範囲に続く風景は日本ではまず見られないので、街並みの景観を保全するという意味で欧州はすごいなあと思う。


<街中を流れるムーア川>

<早朝のこのシュロスベルクに登る>

<朝焼けのグラーツ市庁舎>

<朝焼けのグラーツの街並み>

<短針と長針が入れ替わっている時計塔>

<こっちも世界遺産のエッゲンベルク城>

 ということでウィーンとグラーツの話になってしまったけど、今回の出張のメインは田舎の自治体を訪問することだったので、その辺りの写真もいくつか(あと変な写真も)。3月上旬のオーストリアは例年なら気温が氷点下になり至るところで雪が積もっているということだったけど、今年は暖冬らしく東京とそんなに変わらなかった。オーストリアの田舎は落ち着いていて、どんなに小さな街でもしっかりとしたレストランがあり、住民同士による文化活動が活発で、住みやすさで言えば日本の田舎の比じゃないかもしれない。オーストリアはウィーンもいいけどガイドブックに載ってないような田舎もなかなかだった。


<田舎の朝>

<雪原>

<テンションあがって買ってしまった田舎の謎ゆるキャラ>

<田舎>

<北海道の富良野とか美瑛辺りのような風景>

<田舎の街並み>

<「裏切」「を常」などとプリントされた変なひじ掛け>

<最終日のホテルはウィーン中央駅目の前の高層階だった>

 そして食事。今回利用したオーストリア航空の機内食は、やや量が少ないけど結構おいしかった。パンは温かいものが別に出てきて、これがおいしい。あと、今回は訪問する先々でパンや軽食が出てきたので、御礼の意味を込めてそれを食べていると腹が一杯になり、夕食が食べられないという事態が結構あった。そういうこともあってオーストリア名物のシュニッツェル(日本で言うところの薄い豚カツ)は初日の1回しか食べられなかったり、そもそも夕食を食べれなかったりして、食事全体としては質素になった感がある。今回一番おいしかったのは、横4縦6の写真の「豚の塩ステーキフライドポテト添え」かな。かなりアメリカチックな食べ物だけど。あと、ヨーロッパに行くと生野菜不足になってしまうので、健康のことを考えてトマトがある場所では積極的に食べました。

 続いて飲み物。オーストリアは白ワインが有名とのことだったのでワインを飲むことが多かった。でも僕はやっぱりワインよりビールの方が好きかな。ヨーロッパに行くとワインを飲み過ぎて一時的にワイン嫌いになることが結構あるので、次からは積極的にビールを飲むことにしよう。

 思えばここ半年間でドイツ、スペイン、そしてオーストリアと、3回もヨーロッパ出張に行っていて、自分でも普通ではなかなかできないような経験をしているようには思うけど、そのおかげで最近はヨーロッパに行ってもあまり驚きがなくなってきている。最初の頃はヨーロッパに行くというだけどウキウキしていたのになあ。慣れというのは怖いものです。オーストリアに関してはまた半年後くらいに行くかもしれないという話になっているので、そのときに僕が行けるかどうかは分からないけど、機会があるなら楽しみにしておこう。


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