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旅のあれこれ
〜
北原白秋
短 歌
十一月北国の旅にて三首
韮崎の白きペンキの駅標に薄日のしみて光るさみしさ
柿の赤き実、旅の男が気まぐれに泣きて去にきと人に語るな
たはれめが青き眼鏡のうしろより朝の霙を透かすまなざし
『桐の花』
油壺
晩景
油壺から諸磯見ればまんまろな赤い夕日がいま落つるとこ
夕焼小焼大風車の上をゆく雁が一列鵜が三羽
後の雁が先になりたりあなあはれ赤い円日岬にかかり
赤々と夕日廻れば一またぎ向うの小山を人跨ぐ見ゆ
油壷しんととろりとして深ししんととろりと底から光り
『雲母集』
真間
に移る
葛飾の真間の継橋夏近し二人わたれりその継橋を
葛飾の真間の手児奈が跡どころその水の辺のうきぐさの花
蕗の葉に亀井の水のあふるれば蛙啼くなりかつしかの真間
紫蘭咲く
紫蘭咲いていささか紅き石の隈
(くま)
目に見えて涼し夏去りにけり
うしろ向き雀紫蘭の蔭に居りややに射し入る朝日の光
前 庭
いつしかに夏のあはれとなりにけり乾草小屋の桃色の月
米櫃に米のかすかに音するは白玉のごとはかなかりけり
夕 照
華やかにさびしき秋や千町田の穂波が末をむら雀立つ
春の耕田
春浅み背戸の水田のみどり葉の根芹は馬に食べられにけり
春 雨
霧雨のこまかにかかる猫柳つくづく見れば春たけにけり
浅草の雪
金竜山浅草寺の朱き山門の雪まつしろに霽れにけるかも
首出して神馬雪喰ふつつましさ見て通りけり朝の帰りに
『雀の卵』
信濃高原の歌
大正十二年四月、妻子を伴ひ、信濃小県郡の大屋に義弟山本鼎の経
営に成る農民美術研究所に臨む。旁々七久里の別所、或は追分沓掛
等に淹留、碓氷を越えて下る。
春 駒
春駒や背に結ふ手綱ゆたゆたに垂りてたるめり奉納の絵馬
おほどかに額いつぱいにゑがかれて群青剥げし独立ちの馬
観音のこの大前に奉る絵馬は信濃の春風の駒
七久里の蕗
四月中旬、妻子を率て、信州別所温泉、古名七久里の湯
に遊ぶ。滞在数日。宿所たる柏屋本店は北向観音堂に隣
接す。楼上より築地見え、境内見ゆ。遠くまた一望の平
野みゆ。幽寂にしてよし。
観音の暁色
湯どころの春のねざめのおもしろさ鐘と太鼓の互み鳴りつつ
観音の太鼓とどろく夜のほどろ下田はるかに啼く蛙あり
春朝浴泉
起きぬけに新湯にひたり恙なし 両手張りのべ息深うをり
ほのかをる硫黄のこもりよろしよと今朝安らなり湯にこもりつつ
ふくらかに空気こもらふ白タオル固うむすびて湯をよろこべり
浴泉のこの安けさに射しこもる朝かげ紅し顔を洗ひつ
安楽寺
春昼散策の二
日のあたる築地のもとに絮
(わた)
ふかき御形が咲きてうれしき御寺
萱ふかき御堂は框
(かまち)
光らずて障子いつぱいの閑けき光
おとなひて待つ間は久し檐
(のき)
板の影は砌の外に移りぬ
寺庭の春の日向に閑けさよ山杉の風まれに音して
寺の子は日蔭の砌つたひ飛び素足さみしか眩し目をせり
常楽寺
春昼散策の四
薄束たかだかと積む御堂横日はあたりつついささか寒し
木蘭
(もくれん)
は寺の日向にあかるくて木ぶりかそけき紫のはな
浴泉俯瞰
塩原の塩の湯、対岸の岩壁の下、渓流のへりに湯の湧く
ところがある。湯は水に交り、水は湯に温まつてゐる。
ここに常にひたるのである。この渓の湯は高い楼上より
俯瞰する時にいよいよ仙家のものとなる。
渓の湯に裸の男女がつかつてゐて一面に射す青い葉漏れ日
香取より鹿島へまゐる舟の路物思はずあらむゆたに榜ぎつつ
靄ごもり鹿島遊行ぞおもしろき蛙
(かへる)
啼く田の間あひを榜ぎつつ
碓氷の春
碓氷嶺の南おもてとなりにけりくだりつつ思ふ春のふかきを
星野温泉
ほうほうと落葉松寒し夕あかき鉱泉道のうねりをのぼる
製材の響けざむき谿沿
(たにぞひ)
は夕附き早し材小屋
(きごや)
が二つ
不二大観
三保遊行抄
小序
大正十三年正月五日、智学田中先生の懇招に応じて、伊
豆修善寺を発して三保の最勝閣に赴く。この行父母を奉
じ、妻子と伴なり。淹留五日、或は晴れ、或は雨。而も
不二の観望第一なる有徳の間の朝夕は我をして感懐禁ぜ
ざらしむ。羽衣の松竜華寺の探勝ともにまた清閑極りな
し。乃ち成るところの長歌一首ならびに短歌百七十二首
を献げて些か先生の慈情に酬いむとす。記して小序とな
す。
不二を仰ぐ
沼津より江尻にいたる途上、汽車の窓より 五日
天つ辺にただに凌
(しぬ)
げば不二が嶺のいただき白う冴えにけるかも
最勝閣に着く
清水港より渡船にて渡る 五日午後
大船の心たのめて三保が崎君が御殿
(みとの)
に参ゐ出来にけり
最勝閣にまうでて詠める長歌竝びに反歌
風早
(かざはや)
の三保の浦廻
(うらみ)
、貝島のこの高殿は、天なるや不二をふりさけ、清見潟満干の潮に、朝日さし夕日てりそふ。この殿にまうでて見れば、あなかしこ小松叢生ひ、辺にい寄る玉藻いろくづ、たまたまは棹さす小舟、海苔粗朶
(そだ)
の間
(あひ)
にかくろふ。この殿や国の鎮めと、御仏の法
(のり)
の護りと、言よさし築かしし殿、星月夜夜ぞらのくまも、御庇のいや高だかに、鐸
(すず)
の音のいやさやさやに、いなのめの光ちかしと、横雲のさわたる雲を、ほのぼのと聳えしづもる。しづけくも畏
(かしこ)
き相
(すがた)
、畏くも安けき此の土、この殿の青き甍
(いらか)
のあやに清
(すが)
しも。
反 歌
この殿はうべもかしこししろたへの不二の高嶺をまともにぞ見る
トラピスト修道院
の夏
正 面
烏賊乾してただ日
(ひな)
くさき当別
(たうべつ)
の荒磯ありその照りよ今は急がむ
修道院へ行く道暑し絮しろき河原ははこも目につきにけり
女人禁制の札あり
影面
(かげとも)
は朝から暑し来て通る修道院正門のみそ萩の花
修道院の玄関の前に立ちにけり麦稈帽をとりつつ我は
松 島
みちのくの千賀の塩釜雨ながら網かけ竝めぬほばしらのとも
みちのくの千賀の塩釜雨に来て木の橋わたる大き木の橋
千賀の浦夕立つ雨に船立てて雄島のはなに着けば暮れたり
『海阪』
石のべの櫨の落葉はよく掃きてまた眺め居り散りてたまるを
桜を思ふ
桜小学校に桜の校歌成りにけり子ら歌ふ頃は花の咲かむぞ
襤褸市に冬は貧しき道の下桜小学校に通ふ子らはも
『白南風』
二十四日、我空を飛びて大阪へ向ふあひだ、妻は子らを伴
ひて、太刀洗より大分なる生家へ下る。我、行を了るや、そ
の翌の日、紅丸に乗じて、そを迎ふと航海す。かくして、別
府、大分、由布院に淹留旬日、再び妻子と瀬戸の内海を渡
りて帰る。その折の長歌竝に短歌二三。
大分にて
白雉城お濠の蓮のほの紅に朝眼よろしも妻がふるさと
奈良の春
法隆寺
にて
四十日にわたる荒涼たる我が満蒙の旅は、寧ろこの法隆
寺を美しく見むためなりしが如し。
日の照りて桜しづけき法隆寺おもほえば遠き旅にありにき
朱砂
(すさ)
の門春はのどけし案内者
(あないしや)
の煙管くはへてつい居る見れば
春日向人影映る東院の築地ついぢがすゑに四脚門見ゆ
観世音寺
道
麦の秋夕かぐはしき山の手に観世音寺の講堂は見ゆ
麦の秋観世音寺を罷
(まか)
で来て都府楼の跡は遠からなくに
夕あかる櫨
(はじ)
の木むらの前刈るは誰が麦秋の笠の紐ぞも
呼 子
名護屋城址
麦黄ばむ名護屋なごやの城の跡どころ松蝉が啼きて油蝉はまだ
韓
(から)
の空の見はらしどころここにして太閤はありき海山の上に
とほつあふみ浜名の郡日はぬくし坊瀬越え来てここは白須賀
おなじ冬おなじ蔀の日のあたり白須賀はよし古りし白須賀
ここ過ぎてなにか現
(うつつ)
のけどほさよ物はたく音も立ちて止みたる
『夢殿』
渓流唱
昭和十年一月、伊豆湯ケ島温泉
落合楼
に遊ぶ。淹留二十
余、概ね渓流に臨む湯滝の階上に起居す。
黄鶺鴒
行く水の目にとどまらぬ青水泡
(あをみなわ)
鶺鴒の尾は触れにたりけり
事も無し冬の朝日に岩づたふ黄の鶺鴒の一羽をりつつ
冬の山葵田
石走る水に冴えたつ色ながら冬は山葵の根にひびくめり
うすうすに身のほそりつつ落つる影浄蓮の瀧もみ冬さびたる
白浜の砂丘
海に向ふ心ひろらや白砂土
(はくさど)
の光うちしきて午餐
(ひるげ)
我が食ふ
世の中は亦明らけしひたおもて砂丘の墓の海にま向ふ
砂丘壁
(さきうへき)
に来ゐる鶺鴒昼久し影移る見れば歩みつつあり
好文亭
梅の間
枯芝に遊ぶ子らゐる日のあたり好文亭よ我が眺めゐる
梅の間よ今は眺めてしづかなり一際にしろき梅の花見ゆ
磯部行
十二年一月四日、展墓の為に、大手拓次君の郷里上州磯
部温泉に赴き、八日まで、
磯部館
新館に宿る。主人桜井
氏は故詩人の令弟なり。
冬朝 観望
雪しろき浅間とぞ思ふ上の嶺けぶり吐きをり今朝はしづかに
み雪つみ今朝はきはだつ浅間嶺の噴くけぶり見れば風無かりけり
春早くここに眺むる誰々ぞ一樹のしろき寒梅をあはれ
達磨寺霙おりつつ灯はあかし目無し達磨よ泣きたかるべし
達磨寺目無し達磨の本市は暁かけて夜もすがらあはれ
嶋 原
眉山は裾山櫨
(はじ)
の若萌に潮の南の風吹きあてぬ
嶋原城を空現
(うつ)
しけしここに天草四郎母を思慕しき
『渓流唱』
昭和十二年八月十六日より三日間に亘り、我が多磨の第
二回全日本大会を武州高尾薬王院にて催す、余はその前
日より先行その参集を待つ。
精進のともがら六十九人なり
我が精進
(さうじ)
こもる高尾は夏雲の下谷うづみ波となづさふ
『橡』
深大寺
の九月
深大寺水多
(さは)
ならし我が聴くに早や涼しかる滝の音ひびく
むくろじの実のまだあをき庫裏の前もの申すこゑの我はありつつ
深大寺の池、水澄みたらし下照りて紫金の鯉の影行く見れば
御厨子には倚像の仏坐しまして秋さなかなり響くせせらぎ
四度、鑑真和上を憶ふ
若葉しておん目の雫ぬぐはばや 芭蕉
水楢の柔き嫩葉
(わかば)
はみ眼にして花よりもなほや白う匂はむ
上越線を湯沢へ、水上より
水上は屋群
(やむら)
片寄る高岸に瀬の音
(と)
ぞひびく冬陽さしつつ
こごしかる湯桧曾の村や片谿と日ざしたのめて冬はありつつ
湯沢の宿
山国はすでに雪待つ外がまへ簾垂りたり戸ごと鎖しつつ
冬の宿屋内
(しゆくぬち)
暗きに人居りて木蓼
(またたび)
食
(は)
むかひそと木蓼
父
(とと)
が曳く柴積み車子が乗りてその頬かぶり寒がり行きぬ
『黒檜』
牡丹の木
みちのくよりこのほど贈り来る
炉にくべて上無きものは木
(ぼく)
にして牡丹ぞといふにすべなほほゑむ
須賀川の牡丹の木
(ぼく)
のめでたきを炉にくべよちふ雪ふる夜半に
牡丹の黒木さしくべゐろりべやほかほかとあらむ冬日思ほゆ
この束のそこばくの木
(ぼく)
色にして牡丹けだしや昨
(きそ)
匂ひける
茶の料
(しろ)
と冬は牡丹の木
(き)
を焚きてなに乏しまむ我やわびつつ
『牡丹の木』
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