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2008年12月30日(火)
AKASAKA

富士急ハイランドの近くに「AKASAKA」というパチンコ店がある。ちょっと気をつけてみると、「AKASAKA」は、前から読んでも逆から読んでも同じ音になる「回文」だ。
英語の回文では、"Madam I’m Adam"などというのが知られている。
正月にちなんだ回文歌で有名なのが、「長き夜の遠の睡りの皆目覚め波乗り船の音の良きかな」。
正月2日、この歌が書かれた宝船の絵を枕の下に置き、歌を3回詠んで寝ると良い夢が見られるとか。
これには、もし良い夢を見ることができなかったら川へ流せばよい(水に流す)、というおまけもついている。
新しい年ももうすぐだ。


   前から読んでも逆から読んでも
           「AKASAKA」
2008年12月21日(日)
タイヤ交換

先週の日曜日、朝からの雪にあわててタイヤを交換することにした。冬用タイヤへの交換は当地では必須の作業で、「早めにしなければ」と思いながらもついつい切羽つまらないと手がつかない。
私がカッパを着て準備をしていると、珍しいことに妻が、「手伝おうか?」という。せっかくなので、タイヤを留めているネジをはずしてもらうことにした。
工具を使ってネジを緩めてやり、手でネジを回してはずすように指示したところ、彼女は作業にとりかかった。それと同時に、私はジャッキで車体を持ち上げる。
彼女は真剣にネジを回していたが、しばらくして驚いたように一言。
「お父さん、このネジを緩めるとタイヤが揚がるんだネ」
「ン・・・・・・」。
“おばさん”の発想は何と豊かなことだろう。

2008年12月12日(金)
富士登山鉄道構想

新聞報道(読売新聞山梨版)によると、富士山麓から富士山5合目までの有料道路「富士スバルライン」を登山鉄道に衣替えする構想が持ち上がっており、富士五湖観光連盟が実現を目指すための協議会を設立する、とのこと。
構想によると、河口湖駅−スバルライン入口間の富士山麓駅から5合目駐車場までの約30kmに線路を敷き、途中6か所ほど駅を設ける。総事業費は600億〜800億円と試算されている。
スバルラインでは夏山シーズンの渋滞が激しい。94年からお盆休みを中心にマイカー規制を行っているが、それでも環境への影響を懸念する声が根強い。
構想が実現すれば、標高2300mまで達する本格的な登山鉄道になる。


      「富士登山鉄道」のイメージ      
2008年11月8日(土)
三分一湧水

三分一湧水は八ヶ岳の伏流水が湧き出た泉で、小海線の甲斐小泉駅から徒歩10分ほどのところにある。1985年(昭60)には、「日本名水百選」に指定された。
かつてこの水をめぐり、下流の村々で争いが絶えなかったため、時の為政者(信玄説もあり)が石で枡形をつくり、3村に均等に流れるように工夫した。構造のポイントは流入部の先に設置された三角形の小さな石で、ここで水が左右に分かれ、残りが正面へ向かう仕組みである。もちろん今でも現役で活躍している。
三分一湧水は、水の大切さと、それを治めた人の知恵を今に伝える貴重な建造物である。


       三角形の小さな石が水を三等分する
2008年10月11日(土)
「一外交官の見た明治維新」(岩波文庫)

「一外交官の見た明治維新」(上・下)著者のアーネスト・サトウ(1843−1929)はイギリスの外交官で、明治維新前後を通じ、25年間も日本に滞在した。
本書は1862年(文久2)、著者がイギリス公使館の通訳として初来日してから1929年(明治2)に一時帰国するまでの6年半の回想録である。
来日早々生麦事件にあい、その後は幕府との外交交渉の場に立会い、また薩英戦争や馬関戦争の現場へも赴くなど行動範囲は広い。この間、当時の日本を代表する多くの人々と交流している。
一方で彼は、日本と日本人に対して深い理解を示し、歴史・風物・習慣などを満ち溢れる好奇心とともに紹介している。イギリス人としてのプライドを保ちながらも、見方は客観的で公正である。
NHK大河ドラマ「篤姫」が高視聴率をマークし、幕末・維新への関心が高まっている。本書はこの時代を、類のない視点で見せてくれる貴重な一冊である。


     
      岩波文庫版の上下巻
         それぞれ735円
       
2008年9月23日(火)
ブランの日記 「キバナコスモス」

朝からよいお天気だったので、お父さんと「花の都公園」までお散歩をしました。いま公園は、キバナコスモスが満開です。昨日テレビで紹介されたとかで、公園では大勢のアマチュアカメラマンが写真を撮っていました。
ボクとお父さんは、邪魔にならないように後ろから写真を撮りました。それでカメラマンだらけの写真になってしまいました。

  
写真=アマチュア写真家で
      賑わう「花の都公園」

2008年9月6日(土)
柔軟な発想

パソコン初心者のAさんの周りが、なにやら騒々しい。のぞいてみると、右の表の合計を計算するにはどうするか、が議論のテーマである。
Aさんは、小計をSUM関数で計算している。やっかいなのは、この小計が100件近くもあることだ。
几帳面なB君の意見は、小計を地道に足していく、というもので、
  =C6+C9+・・・+C375
という計算方法である。当たり前の方法だが、かなり手間がかかる。Aさんが乗り気でないのはいうまでもない。
エクセル上手を自認するC君は、SUBTOTAL関数の使用を提案した。これも原則的な方法だが、すでにSUM関数を使ってしまっているものをSUBTOTAL関数に置き換えるのは、B君の案よりさらに手数がかかる。正論とはいえ、この問題の解決方法としてはうまくない。
さて、何かよい方法はないものか・・・。
しばらく沈黙が続いたあと、それまで発言のなかったD君が、B君やC君とはまったく違う方法を提案した。すなわち、
  =SUM(C3:C375)/2
というシンプルなものである。
しかもこの方法には、小計の挿入や削除があっても計算式が生きる、という利点がある。
“小計を足す”ということにばかりこだわっていては、なかなかこの方法には行き着かないであろう。
既存の知識や経験にこだわらない柔軟な発想の一事例。

31,000
42,000
5500
6小計3,500
7400
82,700
9小計3,100
・・・・・・・・・
3724,300
373100
3742,900
375小計7,300
376合計???

C6=SUM(C3:C5)で計算している
2008年8月22日(金)
「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」(文春文庫)

オリンピックは、そのときどき多くのスターを生み出すが、団塊世代の記憶に残っている選手といえば、東京オリンピック女子体操のチャスラフスカが、その筆頭であろう。
1964年(昭39)、テレビが各家庭に普及し、私たちは始めてオリンピックなるものに触れることができた。それまで見たこともないような様々な競技がもの珍しく、驚きの連続だったが、とくに印象深かったのが女子体操である。
チェコ代表、チャスラフスカの演技はしなやかで素人目にも群を抜き、女性美の極みといってもよい素晴らしさだ。この大会で彼女は、個人総合優勝の座をソ連から奪いとった。
「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく」(後藤正治著・文春文庫)は、東京オリンピック以後のチャスラフスカの半生を、関係者のインタビューなどをもとにまとめた力作である。
1968年(昭43)、「プラハの春」を象徴する「二千語宣言」への署名、プラハへの侵攻軍からの避難、黒いレオタードによるメキシコオリンピックへの参加、連覇、そして結婚。
しかし帰国後、彼女を待っていたのは過酷な現実であった。チャスラフスカは、“正常化”を進める政府から再三にわたり、「二千語宣言」への署名の撤回を迫られるが応じない。このため、何年も満足な職に就くことができない状態が続いた。また、この間、夫とも別れている。
1989年(平1)、チェコは「ビロード革命」によって共産党体制が崩壊した。チャスラフスカは復権し、大統領顧問やチェコオリンピック委員会委員長を務めることになる。
署名を撤回しなかったことについて彼女は、「節義のため。それが正しいとする気持ちが変わらなかったから」と答えている。
権力に屈しなかった彼女もその後、息子がおこした思わぬ事件で精神を病むことになる。そして今・・・。
日本人の多くを魅了し、また日本をこよなく愛したチャスラフスカ。
決して忘れることのできない「東京の恋人」。
今年は、「プラハの春」からちょうど40年になる。

2008年7月29日(火)
ブランの日記 「暑い」

梅雨が明けてから暑い日が続いている。ボクは暑さに弱いので、本当にまいってしまう。
お父さんは、よく甲府へ行くんだけど、甲府は山中湖より6、7度も気温が高いんだって・・・。“36度”なんて気温は、想像しただけでも気絶しちゃいそうだ。
ボクが「暑い」というと、お父さんは「甲府のワンちゃんと比べれは幸せだ」なんていうけど、暑いのは暑いんで、そういわれても何のなぐさめにもならないんだけど・・・。
とにかく、水分をよくとって脱水症にならないように気をつけよう。
それにしても、この暑さにはグッタリだ。


   この暑さには本当にマイッタ
2008年7月18日(金)
5パーセントの壁

40年ほど前、大学で経済学を学び始めたころ、教授が「5パーセントの壁」という論を展開した。
経済社会をみると、5パーセント以内の数値なら、さほど問題にならないことが、5パーセントを越えると顕在化することが多い、というのである。いいかえれば、5パーセントを境に、“量”が“質”へと変化する、ということである。
たとえば、物価が5パーセントを越えて上昇するとインフレが懸念され、失業率が5パーセントを越えれば雇用が社会問題化する、といったたぐいである。してみれば、5パーセントという数値は、人が抵抗なく受け入れることができる“許容値”の限界なのかもしれない。
そう思っていまの社会をみると、一方にマイナス数値があり、他方に極端なプラス数値がある。
はたして、あの時の教授の論は、過去のものとなったのであろうか。はたまた現代でも生き続けていて、これらの極端な数値群が、私たちをおびやかしているのであろうか。

2008年6月17日(火)
還暦記念パーティー

6月15日(日)、中学校時代の同級生による還暦記念パーティーがあった。会場はホテルマウント富士。富士山を眼前に、山中湖を眼下に見る眺望抜群のホテルである。
集まったのは40名。それに恩師3名が加わって盛大なパーティーになった。終戦後しばらくして貧しい村に生をうけた仲間たち。それぞれ歩んできた人生は様々ながら、幼いころのイメージの延長線上に今の姿があるのがおもしろい。
齢のせいで夜に弱いといいながら、この日ばかりは時間を忘れて大いに盛り上がった。
  【歌人S君吟詠】
飲み語り歌えば同胞懐かしく四十余年はタイムスリップ
DVDに流るる校歌口遊みアルバムめくれば思い出の湧く
同じ時代を生きし同胞心ひとつ語れば懐かし中学同窓会
黙祷の一分間にまざまざと蘇る笑顔思い出とともに

ホテルマウント富士から見る
富士山(6月16日)

【クリックで拡大】
2008年5月25日(日)
「なぜ起こる鉄道事故」(朝日文庫)

長年にわたり国鉄で安全対策に取り組んだ著者が、国内外で起きた鉄道事故の原因と、その時々の安全対策を検証した力作。
事故が起きてはじめて分かることもあれば、実施した対策が次第に効果を失うこともある。事故は、“モグラたたき”のモグラのように、システムの隙間をねらって顔を出す。
ATS導入後しばらくたった1968年、中央線御茶ノ水駅で下り電車が先行電車に追突する事故が発生した。中央線では、先行列車への接近を警告する警報ブザーが頻繁に鳴り、運転手が確認ボタンを押す(ATS解除)のが常態で、確認の意味をなしていなかったのだ。
著者は、この事故の責任がすべて運転士にあるとは考えない。
マンとマシーンの関係について「最後の決め手は人間」としながらも、安易な精神論に陥るこを戒める。戦略的な安全対策の核心を「人間を含めたシステム」としている。
こうした姿勢こそ、次の安全対策への大事なステップなのであろう。

2008年5月8日(木)
ブランの日記  「りょうちゃん」

5月3日、大阪の“りょうちゃん”がパパとママと一緒にやってきた。おととしの1月生まれだから2歳4か月になるわけだ。
りょうちゃんとは去年の夏以来の再会だ。そのときに比べるとずいぶん背丈も伸びたし、動作も活発になった。とても元気な男の子がもっと元気になった。
りょうちゃんは、ボクのことをちゃんと覚えていてくれた。もちろんボクだって、りょうちゃんのことは覚えているさ。だから大歓迎だ。
ボクは、りょうちゃんがきたら一緒に遊びに行くのを楽しみにしていたんだけど、なぜかいつも“置いてけ堀”なんだ。これにはあてが外れたというか、がっかりしちゃったね。
5日の夜、りょうちゃんがぐずりだした。いつかお母さんに聞いたことがある“疳(かん)の虫”が騒ぎだしたらしい。人間の2歳児は、まだ心や身体のバランスがとれていないので本当に難しい時期なんだって。りょうちゃんのパパやママも結構悩んでいるみたい。
それでボクは、りょうちゃんの話し相手になってやることにしたんだ。こんなときには「とにかく話をよく聞いてあげることがたいせつだ」と思ったからね。りょうちゃんは、いろいろなことを話してくれたよ。
富士吉田にある恩賜林庭園に行ったこと。ここは「ペット入園不可」なので、ボクは行けなかったんだって。なら、置いてけ堀も仕方がないね。
恩賜林庭園はとても広くて、チューリップも咲いているし、芝生広場もあるし、アスレチックもあるんだって。りょうちゃんは一番長いローラー滑り台に乗ってとても楽しかったみたい。だけど、みんなでお弁当を食べたって話を聞いたときには、さすがのボクも目の前が真っ暗になりそうな気がしたね。お外で食べる“おにぎり”は、また特別おいしいんだよな。
でもご飯を食べた後で急にお熱がでたりして、りょうちゃん、ちょっとはりきりすぎたみたい。
りょうちゃんはボクと話をしている間にだんだん落ち着いてきて、またいつもの明るく元気なりょうちゃんになった。それで明日は「一緒にお散歩しようね」って約束して寝ることにしたんだ。
次の日の朝、約束どおり湖畔までお散歩をした。りょうちゃんは途中、綿毛になったタンポポを摘んで持っていたけど、綿毛はみんな風で飛んじゃった。それでもタンポポの茎をしっかり持っているんだぜ。りょうちゃんはドングリも大好きでドングリの帽子もたくさん集めている。ボクと同じで何にでも興味津々だ。好奇心が強いんだな。
この日はとてもよい天気で、富士山がくっきり見えたし、白鳥さんも気持ちがよさそうだ。りょうちゃんはもちろん上機嫌さ。
あっという間に4日間が過ぎて、りょうちゃんたちの帰るときがやってきた。ボクが大きな声で「さよなら」を言うと、りょうちゃんは力いっぱい手を振ってこたえてくれた。
今度は夏にくるんだって。ボクんちのとこは涼しいから、そのときはまたお散歩しようね。いまから楽しみにしているからね。


       家族連れでにぎわう連休の
        恩賜林庭園芝生広場
2008年4月20日(日)
宝川温泉への旅

気のあった4人組で春と秋に旅行をするのが恒例になった。
今回の宿泊場所は群馬県の宝川温泉。水上(みなかみ)から車で30分ほど、さらに山奥へ分け入ったところにある秘湯である。
山梨から北関東へのルートは、中央道と関越道が圏央道でつながって格段と便利になった。
初日は旅館へ向かう途中で富岡製糸場へ寄る。倉庫は木骨・レンガ壁・瓦葺、繰糸場は木造トラス構造という珍しい建物群だ。1872年(明5)に完成した近代産業施設の嚆矢で、世界遺産への登録を目指している。ボランティアガイドが約1時間、施設の説明をしてくれるのもありがたい。
宝川温泉で泊まるのは汪泉閣という一軒宿である。一軒宿とはいえ、本館、別館、その他多くの建物が川を挟んで林立し、壮観である。宿の自慢は露天風呂で、200畳相当の広さのものをはじめ、3つの露店風呂が川の両岸に並んでいる。もちろん100%源泉で贅沢なことこのうえない。この時期、目の前に雪が残っているのも風情をそえる。
翌日は少し足を伸ばして富弘美術館と足尾銅山跡を訪ねた。
富弘美術館には、若くして手足の自由を失った元中学教師の星野富弘氏が、口に筆を加えて描いた絵画と詩の作品が数多く展示されている。「生きることのすばらしさ」「生きる勇気」(同館のパンフレット)を与えられる美術館である。
足尾銅山跡はトロッコ列車や可動人形などを使い、坑道の中を移動しながら鉱山の仕組みが分かるよう工夫された施設になっている。こちらも世界遺産への登録を目指しているとのこと。
ところで帰りがけに、わたらせ渓谷鉄道の沢入駅でトロッコ列車に行き会った。まったくの偶然に感謝、である。
                 
【写真はクリックで拡大】

富岡製糸場
正面入口
宝川温泉
汪泉閣

足尾銅山跡
トロッコ列車

わたらせ渓谷鉄道
沢入駅のトロッコ列車
2008年4月13日(日)
マウント劇場

御殿場駅富士山口から徒歩1分のところに「マウント劇場」という映画館がある。パチンコ店の2階にある小さな映画館だが、いまでは市内唯一となった貴重な存在だ。通常料金は1800円(大人)だが、各種割引があり、私たちは「50歳以上の夫婦は二人で2000円」というチケットを購入して入館した。駐車場料金の半額補助もあり、これも利用させていただいた。きめ細かいサービスが充実しているのはうれしい限りである。
上映番組は奇をてらうことなく、ヒット作品を丁寧に追いかける。
上映中の「母べえ」は、山田洋次監督、吉永小百合主演の話題作。あまりにも多くの代償を払いながら、守るべきものを守った家族の生き方が、小さな茶の間を舞台に展開する。観る人それぞれに、それぞれの感動を与えることのできる、焦点深度の深い作品である。


  パチンコ店2階の「マウント劇場」
2008年3月25日(火)
Solitude

仕事が終わり、電車とバスを乗り継いで帰宅する。富士吉田駅では待ち時間に、Q−STA(駅ビル)1階のバーガー店に寄る。注文するのはココア。メタボが気になるところだが、一日の疲れを癒すのに、ココアの一杯くらいは許されるだろう。
壁際の席に座り、読みかけの文庫本を開けば、すぐにドラマの続きが始まる。
BGMは「カレンダーガール」や「悲しき天使」といった、60年代、70年代のポップスが中心。若い客の多い店だが、なぜかこればかりは団塊世代向けのサービスである。
英語で和訳しにくい言葉のひとつに“solitude”という単語がある。独りでいること、という意味だが“loneliness”とは違い、淋しいという感情を含んでいない。むしろ独りを楽しむ、というニュアンスだろうか。
富士吉田駅での30分ほどは、私が“solitude”になれる貴重な時間である。

2008年3月1日(土)
ブランの日記 「もうすぐ春」

お父さんがお休みなので、湖畔までゆっくりお散歩をしました。今年は寒い日が続いたけれど、今日はいくらかあったかです。歩いていると、土手に福寿草が咲いているのを見つけました。湖も氷が溶けて、岸辺では白鳥さんが朝ごはんを食べています。
ボクは気分がよかったので、お父さんに写真を撮ってもらうことにしました。白鳥さんと一緒に、と思ったけれど、食事中なのでおこられるといけないと思い、少し離れたところで撮りました。
林の中や空き地にはまだ雪が残っているけれど、どことなく春を感じることのできたお散歩です。

    写真上=食事中の白鳥さんを背景に
    写真下=春の近いことを告げる福寿草

2008年2月14日(木)
東洋館

かつて数多くの芸人を育てたフランス座は、いま東洋館と名前を変えて色物専門の定席になっている。奥まったところにあるチケット売場や灰皿の置いてある狭いロビーなど、この劇場の前身を思わせるつくりはそのままだ。
三連休最後の11日(月)、久し振りにこの東洋館を訪れた。寄席では脇役的存在の色物だが、ここでは立派に主役を務めている。
12時から4時過ぎまで、入れかわり立ちかわり芸人が出てくるのだが、高齢化が目立つのは時代のせいか。それにしても各人各様、領分が確立しているのには感心する。奇術・コント・ハモニカ漫談・変り種尺八など、その人ならではの芸が続く。昨日や今日の若手芸人と違い、客を自然に笑いの中に引き込んでしまうのは、やはり年の功というべきだろう。
 
場所:TX浅草駅すぐ「浅草演芸ホール」4階
 料金:大人2500円 シニア・学生2000円
     小人1000円


        浅草演芸ホールの脇に
     東洋館の入口がある
     道行く人に呼び込みの
     声がかかる
2008年2月4日(月)
節分と二十四節気

厄年と還暦の人は、浅間神社の節分祭に参加するのが当地の習わしである。今年還暦となる小生も、前夜から降り続く雪の中を祭礼へと出かけた。本殿には100人余りの善男善女が集まり、神職から無病息災、家内安全のお祓いを受けた。
もともと節分は季節の変わり目を意味し、二十四節気の立春、立夏、立秋、立冬の各前日のことであるが、いつの頃からか立春の前日だけをさすようになった。農業国の人々には、やはり春を待つ気持ちが格別だったのであろう。
江戸時代以前の太陰暦の時代、月日と季節がずれてしまうため、実際の季節に合わせるように使用されたのが二十四節気である。当時の暦は、暦日と二十四節気の組み合わせでできていたため単なる太陰暦ではなく、太陰太陽暦であったということができる。
二十四節気は中国伝来のものではあるが、なんとわが国の季節感にあった表現が多いことだろう。


節分祭の日
雪の山中浅間神社
 〈二十四節気〉
    立春 雨水 啓蟄 春分 清明 穀雨 立夏 小満 芒種 夏至 小暑 大暑
    立秋 処暑 白露 秋分 寒露 霜降 立冬 小雪 大雪 冬至 小寒 大寒
2008年1月23日(水)
還暦旅行

還暦の齢の正月、小学校時代の同級生で“お伊勢参り”をするのが当地の習わしである。今年はいよいよ、私たちにその順番がまわってきた。呼びかけに応じて集まった参加者は25名。1月20日(日)から3日間、神宮参拝のあと奈良方面を巡ってきた。
団体旅行の企画には、いくつかのポイントがある。その第一は、見物場所を欲張らないこと。大勢の人が移動するのは予想以上に時間がかかる。1日に2、3か所が適当だろう。そして第二は、女性が参加している場合、お土産を買う時間を十分にとることである。オバサンたちの買物好きは男性の想像を越えている。
私たちは、室生寺、今井町、奈良公園を見物場所に、長浜スクエアを買物場所に選んだ。いずれも印象深く参加者に好評だったが、とりわけ室生寺は前夜の雪で化粧した堂塔が美しく、感激もひとしお、といったところである。
50年前にタイムスリップして楽しむことができた還暦旅行・・・。それでも非日常的な時間は瞬く間に過ぎてしまう。
またいつの日か元気に再会することを唯一の約束に、各自それぞれの生活へ戻っていった。

  
  写真上=前夜の雪で化粧した室生寺の五重の塔
    写真下=1日目の宿泊地・鳥羽の早朝駅風景

         
 【いずれもクリックで拡大】

2008年1月5日(土)
御殿場市温泉会館

御殿場から乙女峠へ向かってしばらく行くと、左側に御殿場市温泉会館がある。私たち夫婦がよく利用する公営の日帰り温泉施設である。
源泉100%の湯はアルカリ性で柔らかく、浴室からは雄大な富士山と御殿場市街の眺望が素晴らしい。
施設はいたってシンプル。食堂はなく持ち込み自由だが、昼時には弁当の販売がある。
気兼ねなく長居ができるのも、この温泉の魅力である。

料金=2時間まで500円、1日1000円、個室無料
      
写真は御殿場市温泉会館全景

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所長室です。写真は、ボクが所長のお供で岳南鉄道の岳南江尾駅へ出張したときのものです。岳南鉄道は、所長が好きな鉄道のひとつです。
所長は不在のときが多いのですが、部屋のドアはいつでも開いています。自由に出入りして構いません。机の上にある所長の雑記帳は〜たまにしか書いてないのですが〜自由にお読みください。

所長室

2008年

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