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2009年12月23日(水)
第九交響曲

年末になると、日本全国各地で第九交響曲の演奏会が開かれる。都留市でも先日、市民による演奏会が開催された。人口3万人余りの小さな町だが、大学があるだけに、さすがに文化度は高い。
ところで大変不遜なことながら、第九の“歓喜の歌”を聴くとどうしても“夏の思い出”を連想してしまう。同じように、“皇帝”(ピアノ協奏曲第5番)からは“上を向いて歩こう”が連想される。
このように、思わぬ曲が似ている、という例は結構あるかも知れない、
曲が似ている、ということで裁判にまで発展したのが「記念樹事件」である。小林亜星氏が、服部克久氏作曲の“記念樹”を、“どこまでも行こう”の編曲にすぎない、として提訴したものである。裁判では、第一審で服部氏が勝訴したものの、控訴審では小林氏が逆転勝訴した。控訴審では“編曲”かどうかに争点が絞られたため、専らメロディーの類似性が司法判断の基準になったためである。結果、“記念樹”は公の場で歌うことはできなくなり、小学校の卒業式からも消えることになった。
ひるがえってベートーヴェンの場合、“エリーゼのために”は、“情熱の花”以降何度もポピュラー曲に編曲されて親しまれている。こちらは作曲者「ベートーヴェン」と明記されているが、天上のご本人が知ったらどう思うだろうか。

2009年12月19日(土)
ブランの日記 「紅富士」

ここ2、3日、急に寒くなりました。たぶん今朝は零下10度くらいになったのではないかと思います。それでもボクは朝早く、お父さんと湖畔まで散歩に行きました。お日様が出る少し前に富士山の雪が紅くなるのを「紅富士」というのだそうです。湖畔では大勢のカメラマンが紅富士の写真を撮っていました。それでボクもお父さんに写真を撮ってもらいました。
これからしばらく寒い日が続きますが、朝の散歩は気持ちがよいので、続けていきたいと思います。

   
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サイクリングロードにて
2009年11月9日(月)
伊豆の旅・早朝撮影行

11月7日(土)、かつて同じ会社に勤めていた4人組で熱川温泉へ1泊した。ここまで来たからには伊豆急を撮りたい、と思うのは“撮り鉄”としては当然のことである。とは言っても、団体行動を乱すわけにはゆかない。
結局、出発日の朝、朝食前の時間を利用して片瀬白田で撮影することにした。
当日は5時半に起床して、海岸沿いの遊歩道をひたすら歩く。目的地までは3km以上ある。半分ほど行ったところで、ようやく東の空が紅く染まりだした。
白田川の岸までたどり着いた時には、空はかなり明るくなっている。見れば、対岸の海沿いを伊豆急8000形の電車が通ってゆく。こうした光景を目の前にすれば、足に力が甦る。
片瀬白田の駅を通り越し、高架下を山側に抜けて線路沿いを進んで行くと道は行き止まりだが、なかなか景色がよい。そこで、ここに1時間ほど滞在して撮影を楽しんだ。朝なので側面が逆光になるのはやむをえないが、リゾート21に行き会えなかったのは残念、という撮影結果。
帰りは片瀬白田から電車に乗って、わずか3分で伊豆熱川へ到着。
朝食の8時には十分に間にあう時間だ。カメラの重さを心地よく感じながら、人通りの少ない温泉街を、ゆっくりと下ってホテルへ向かった。

    
写真上=日の出前の防波堤 
    写真中=白田川対岸から
    写真下=片瀬白田駅近くにて

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2009年10月24日(土)
ブランの日記 「小海線遠征」

紅葉の便りに誘われて、お父さんと小海線へ遠征しました。最初の目的地は馬流の天狗岩です。お父さんは「待つのも楽しみのうち」とか言うけど、ボクはお昼のパンの方が楽しみです。
その後、松原湖の駅へ寄りました。
今日は1日中車に乗って疲れたので早く寝ます。


松原湖の駅、といっても小さい待合室があるだけの無人駅です。でも、とても綺麗に整備されています。

松原湖の駅へ到着する小淵沢発のハイブリッド車(キハE200系)です。紅葉は七分、といったところでしょうか。

農作業をしている人に聞いたら「天狗岩」と言うのだそうです。すごく大きい岩山なので、驚いてしまいました。場所は、「馬流」と「高岩」の間で、もちろん国道からもよく見えます。
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2009年10月10日(土)
ブランの日記 「白糸の滝」

お父さんと二人で白糸の滝へ行きました。久し振りのドライブです。
寿駅から三つ峠駅へ向かう国道の途中、地元の人が「暮地の坂」と呼ぶ急坂を下りきったところで左折します。白糸町という集落を過ぎ、道なりに山の中へ分け入っていくと、やがて車止めで、ここからは歩くことになります。小さな橋を渡ると登山道になり、結構きついものがありますが、滝へは歩き始めて10分ほどで到着します。案内板によると、白糸の滝は長さが150m、幅が8mほどとか。岩でできた水路を糸を引いたように水が流れ落ちています。ボクたちがイメージする滝とはちょっと違っています。一見の価値あり、です。
富士五湖地方へ来たら寄ってみてください。


滝までの道は狭くて
きつついけど、それ
ほど遠くありません

白糸の滝の前の
広場で記念写真を
撮りました
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2009年10月5日(月)
兼松講堂「音楽の森コンサート」

年に数回、コンサートへ行くのが私たち夫婦の共通の楽しみである。10月4日(日)、今回は友人二人も加え、四人で一橋大学兼松講堂で開催された「音楽の森コンサート」へ出かけた。本邦初来日のニュルンベルク交響楽団、最終公演である。
国立駅前は、車道と歩道が幅10mほどもあるグリーンベルトで隔てられた通りが真っ直ぐに伸び、他に類を見ない町並みが形成されている。
一橋大学は駅から300mほど南下したところにある。
兼松講堂は古いつくりで、もちろんコンサート用ではない。回廊との境が開放的なため、音の拡散はいたしかたないところだが、一方、こじんまりとしているだけに臨場感は十分である。
実業家ながら50歳から指揮を学んだという異才の指揮者・宮城敬雄が舞台下手から登場し、細身で美形のコンマスと握手をしてコンサートが始まった。
「ニュルンベルクの名歌手 前奏曲」(ワーグナー)の金管の響き、「ピアノ協奏曲第5番 皇帝」(ベートーヴェン)の力強いピアノ、「交響曲第7番」(ベートーヴェン)の軽快なリズムなど、心地よい時間が流れて行く。
公演の終わりを惜しむように拍手が鳴り止まず、それに応えてアンコール曲が繰り返えされる。最後は舞台と観客が一体となった「赤とんぼ」の合唱まであって、コンサートは終了した。
講堂の外に出れば、秋の夕暮れは早い。私たち四人は、余韻に包まれながら人混みの中を駅へ向かった。


一橋大学のシンボル
兼松講堂

高尾駅で行き会った
201系東京行
2009年9月6日(日)
山中諏訪神社の「安産まつり」
毎年9月4日から6日までの3日間、山中諏訪神社(山中明神)の例大祭が執り行われる。主祭神である豊玉姫命(とよたまひめのみこと)は安産・子育ての神として地域の信仰が厚く、この祭りは“安産祭り”として知られている。
祭りの前夜、山中湖対岸の明神山奥宮から、湖上にできた道を通って豊玉姫命(とよたまひめのみこと)がお越しになる。
9月4日、宵祭りの午後6時過ぎ、豊玉姫命の魂をのせて神輿が神社を出発する。担ぎ手は当番の男性氏子50人。衣装は風折烏帽子に白丁(千早)である。神輿は、およそ2kmほど離れた村中の御旅所まで、青年団の担ぐ幣束を露払いに5時間近くかけて練り歩く。狭い参道(産道になぞらえているのか)を抜け出し、村内を行ったり来たり。お産にも似てなかなか前へ進まない。しかも安産祭りのためか、途中で神輿を降ろして休むことができない。この間、担ぎ手の男性は神輿を担ぎ通しで、お産の大変さをいやというほど味わうことになる。こうして神輿が御旅所へ着くのは日付が変わる直前になる。
明けて5日は本祭り。御旅所には朝早くから参拝する若い夫婦の姿も見られ、昼ごろからは太鼓や神楽で賑わう。また通りでは山車が牽かれ、子供の踊りが披露される。午後6時過ぎ、神輿が御旅所を出発する。昨日の道を逆にたどり、神社に還幸するのは、やはり午前0時頃になる。このとき、大勢の妊婦や乳児を背負った母親が神輿に群がる。「諏訪の宮 御影さす 左龍がいにも 右(や)龍がいにも もそろ げにもそろ」という御神歌を唱えながら神輿をあおり、御神木を3回まわる。子供を思う親の気持ちが切ないほど伝わってくる伝統の祭りは、クライマックスを迎える。
6日は後祭り。奉納相撲や稚児行列で3日間を締めくくる。
今年は日程が週末に当たり、また天候に恵まれて多くの人出があった。
晩年を山中湖で過ごした俳人の富安風生は、この祭りに寄せて“女とは 母とハ 安産まつりかな”の一句を残している。
本祭りの日の深夜、
諏訪神社に帰って
 きた神輿のあとには、
大勢の妊婦や乳児を
背負った母親が続く

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2009年8月8日(土)
気になる言葉「・・・になります」

最近気になっている言葉のひとつに「・・・になります」というのがある。
広辞苑(第三版)で「なる」の意味を引いてみると、“〔自四〕現象や物ごとが自然に変化していき、そのものの完成された姿をあらわす”と概説され、以下数十行にわたって個別項目の解説がある。
ところがいまや、この「なる」の丁寧語である「なります」が、しばしば“現在の状態”をあらわす意味で使われている。
右の看板でいえば、「ここは入口です」と書けばよいものを、わざわざ「こちらは入口になります」と、もってまわった書き方をしている。それでも「いつ(何時)から入口になるのでしょう?」と聞く人はいないようなので、本来の意味とは違っていても、製作者の意図するところは伝わっているのだろう。
「です」と断定するよりは「なります」と言った方が、(意味はさておいて)やわらかい感じがすることは確かである。また「なります」には“自然にそうなった”、したがって“私たちが強制するものではない”というニュアンスも感じられる。
「構内は禁煙になります」などという掲示は、愛煙家にしてみれば、その最たる例である。
日本語の豊かな表現力は、ときとして曖昧さに結びつく。
頻繁に使われれば新たな意味として定着する言葉もあるだろうが、この「なります」の使い方にいまひとつ馴染めないのは、寄る年波で頭の柔軟性が失われているからだろうか。


「いつ(何時)から入口
になるのでしょう?」
2009年7月5日(日)
名曲喫茶「ライオン」

7月4日(土)、東京へ出た折り、およそ40年振りに渋谷の名曲喫茶「ライオン」へ立ち寄った。道玄坂を上り、百軒店へ入ってしばらく行くと左手に見覚えのある建物が目に入る。
白熱電球の照明による店内は薄暗く、年月を経た木の香がただよう。正面には大きなスピーカーが鎮座して、弦楽四重奏曲(?)を流している。
そのスピーカーに向いて並んでいる座席のひとつへ腰をおろすと、水と灰皿、それにプログラムをもった店員が注文をとりに来る。街中がすべからく禁煙となったいまの都会で、愛煙家にはオアシスとしかいいようのないホッとする空間だ。
数人の客はすべて男性で、一人ひとり静かな時間を楽しんでいる。
昭和の博物館ともいうべきこうした店があるのも東京のひとつの顔だろう。


昭和の雰囲気を色濃く残す
名曲喫茶「ライオン」

7月のプログラム
定時コンサートを紹介
2009年6月27日(土)
ブランの日記 「シャンプー」

今日は朝からよい天気なので、お父さんにシャンプーをしてもらいました。この時期になると小さな虫が身体についてどことなくかゆいので、シャンプーしてもらうと、とても気持ちがよいのです。
とくにダニは最悪で、とても同じ空気を吸っている生き物とは思えません。もちろん駆除剤はあるのですが、ボクたちのように身体が大きいと隅々まで効かず、耳たぶやまぶたの皮膚の中に潜りこまれます。ダニを捕るのはお母さんが上手で、ピンセットでプチッと捕ってくれます。
あまりきれいな話でなくて、失礼しました。

    シャンプーして気持ちのよいボク
2009年5月24日(日)
「13階段」&「検察者」

5月21日スタートした裁判員制度にちなみ、2冊の文庫本をカバー裏面解説で紹介する。いずれも読みだしたらとまらない傑作。

【13階段】(高野和明)
犯行時刻の記憶を失った死刑囚。その冤罪を晴らすべく、刑務官・南郷は、前科を背負った青年・三上と共に調査を始める。だが手掛かりは、死刑囚の脳裏に甦った「階段」の記憶のみ。処刑までに残された時間はわずかしかない。二人は、無実の男の命を救うことができるのか。
江戸川乱歩賞史上に燦然と輝く傑作長編。

【検察者】(小杉健治)
いったん不起訴となり、一般人から構成される「検察審査会」で再審議することになった「社員研修シゴキ死亡事件」。そして、妻の不倫をネタにゆすられていた男の「自殺偽装殺害事件」。一見全く無関係な2つの事件を結ぶ恐るべき環とは!?
09年導入の裁判員制度を見すえ「検察審査会」を題材にした、社会派長編ミステリー。厳密な構成と息づまる迫力で、人間の真実に迫る!

   写真上=「13階段」(講談社文庫・680円)
   写真下=「検察者」(集英社文庫・740円)

2009年5月6日(水)
ブランの日記 「遼ちゃんが来た」

今朝、遼ちゃんが大阪へ帰って行った。
来たのは5月2日。今年のゴールデンウィークは連休5日間たっぷりだ。
この前、遼ちゃんに会ったのは去年の8月だったので、9か月前だ。それでも遼ちゃんはボクのことをしっかりと覚えていて声をかけてくれた。もちろんボクも覚えているさ。
遼ちゃんは、今年の1月に3歳になって、4月からは“みのり幼稚園”に入園したんだって。入園式のときはとても緊張したけど、記念写真は真ん中に座って撮ってもらった、って言ってた。
とにかく元気なんだよなー。
山梨にいる間は、“オルゴールの森”に行ったり、“トーマスランド”に行ったり、とても楽しかったみたい。ボクも一緒に行きたかったけど、ボクの場合はいろいろ決まりがあって無理だったんだ。
それで今度また夏に来たときは、河原のように一緒に遊べるところへ行こう、って約束した。
それまで楽しみに待っているからネ。

      
【写真はいずれもクリックで拡大】

オルゴールの森
富士急ハイランド
2009年4月18日(土)
淡墨桜

かつて同じ会社に勤めていた4人で、岐阜根尾谷の“淡墨桜”を訪ねた。花の散りぎわには淡い墨色になるところから名付けられたというこの古木は、樹齢およそ1500年。日本三大桜(単木)のひとつに数えられている。
根元から何本もの幹に分かれた巨木であるが、樹勢は盛んでいまだ衰えを感じさせない。
高速道路料金の大幅割引制度がスタートし、庶民の行動範囲が広がったのだろう。もともと桜の好きな日本人が、この時期かなりの距離を移動しているようだ。もちろん中高年が目立つのは、いずれの観光地でも共通の光景である。
帰途は郡上八幡と飯田へ立ち寄った。日本には、まだまだ古きよきものを大切にする風土がある、と再認識。初めて訪れた土地でホッとする瞬間があれば、私たち世代の旅には十分な価値がある。

  
写真上=淡墨桜 写真下=郡上八幡駅 【クリックで拡大】

2009年3月17日(火)
横浜でヘイリーを聴く

3月15日(日)、友人家族と横浜へ出かけた。目的は、横浜みなとみらいホールで開催されるヘイリー・ウェステンラのコンサートである。
予定通りに現地着。昼食をすましてホールへ向かった。
午後1時半、舞台が暗くなり、場内に歌声が流れる。ほどなく、舞台下手からヘイリーが登場する。
ヘイリー・ウェステンラはニュージーランド生まれの22歳。奇蹟とも思える“ピュアボイス”の持ち主だ。テレビドラマ「白い巨塔」の主題歌に彼女の歌う「アメイジング・グレイス」が起用され、広くその名が知られるようになった。
余韻を残しながら、2時間ほどのコンサートが終わった。
会場を後にして“ぷかり桟橋”まで歩き、シーバスで山下埠頭へ向かう。元町を散策し、中華街で夕食をとる。
好天に恵まれ、久し振りの横浜を楽しんだ。

    
 右は当日の旅程表【クリックで拡大】

2009年2月26日(木)
地図と縮尺

カーナビ愛好の友人によると、カーナビ頼みの運転は、その場その場で機械の指示のままハンドルを切るため、経路全体の印象が極めて薄いのだそうだ。やはり地図をたどりながら運転したほうが、どこからどこまで行ってどのように帰ってきたか、という記憶が鮮明に残るらしい。
なるほど、便利なものには便利なるが故の欠点もあるのだろう。
ところで、地図を広げてまず戸惑うのは、地図上の長さと実際の距離との関係である。たいがいの地図には欄外にスケールがあるので見当をつけることができるが、ある本に両者の関係を簡単に把握できるよい方法が紹介されていた。
すなわち、“地図上10cmの長さは、縮尺分母の万位の数をkm単位にしたものと等しい”という法則である。
この法則に従えば、5万分の1の地図の場合、地図上の10cmに相当する実際の距離は5kmである。2万5千分の1の地図なら2.5km、10万分の1の地図なら10kmと簡単に割り出すことができる。
それにしても、「東京区分地図」の類は、見開きページに各区ごと載せているため縮尺がまちまちで、全体的に距離感がつかみにくかった。最近では、行政区域にかかわらず等間隔に区切ったものが主流で利用者にとっては使い勝手がよい。
時代とともに地図も変わっているのだろうが、それにしても道路中心の地図が一般的になり、鉄道の影が薄くなっているのは淋しい限りである。

2009年2月21日(土)
富士の気配

車を運転しているとき、ふと富士の気配を感じることがある。
そんなとき、鏡の中に富士がいる。

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カーブミラーの
中の富士
〈富士河口湖町河口〉
バックミラーの
中の富士
〈富士吉田市上吉田〉

タンクローリーの
中の富士
〈富士吉田市下吉田〉
2009年2月11日(水)
追悼

新年早々、小学校以来の友を失った。ほんの数か月前まで元気に働いていたが、忍び寄る病魔に勝てなかった。
ペンションを経営し、馬を愛し、地域のために力を尽くす。いつも力一杯で、豊かな人生を送った人だ。
その彼の趣味のひとつが短歌である。山日(山梨日日新聞)文芸欄に投稿し、しばしばその作品が入選した。奇をてらうことのない、日常生活を追った彼らしい作品である。
彼の歌が新聞に載るのを楽しみにしていたのが、小学校時代の恩師、黒パン先生だ。50年以上も前、私たちの学校へ新任で来たときからの付き合いである。素朴だったという時代背景もあり、田舎だったという土地柄もあるだろう。しかし、なんといっても先生の分け隔てない人柄にひかれ、子どもたちがついていった。−−−それが今日まで続いている。
その黒パン先生の短歌が今週の山日文芸欄に載った。

  月曜日 三枝歌壇に彼が載る その楽しみの消えて幾月

60歳で逝った教え子への思いが伝わる追悼の一首である。

2009年1月24日(土)
「落語・昭和の名人」

小学館から「落語・昭和の名人」(CDつき)が、隔週火曜日に発売されている。今後1年間にわたり、全26巻が出揃うという。タイトル通り、昭和の名人の懐かしい芸を堪能することができる。
第1巻(1月6日)は志ん朝、第2巻は志ん生で、聞き比べると親子ながら語り口の違いが面白く、それでいてなぜか血筋を感じさせるのが不思議である。
第3巻は小さん、第4巻は圓生。20年ほど前、落語協会の運営をめぐって軋轢のあった二人が続けて登場する。

  
写真=既刊の志ん朝と志ん生

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所長室です。写真は、ボクが所長のお供で岳南鉄道の岳南江尾駅へ出張したときのものです。岳南鉄道は、所長が好きな鉄道のひとつです。
所長は不在のときが多いのですが、部屋のドアはいつでも開いています。自由に出入りして構いません。机の上にある所長の雑記帳は〜たまにしか書いてないのですが〜自由にお読みください。

所長室

2009年

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