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下郷蝶羅



『合歓のいひき』(蝶羅編)

 明和6年(1769年)4月5日、下郷蝶羅は或時庵嵐亭と共に江戸を発し、22日仙台に至る。 『松のわらひ』

 5月7日、仙台を発し 象潟 に向う。29日、江戸に帰る。6月22日、江戸を辞し、29日、鳴海に帰郷。

冒頭に自家伝来の芭蕉真蹟と 知足 の日記を翻刻している。

 二人旅寝

   よしだに泊る夜

寒けれどふたり旅寝ぞたのもしき
   はせを

こからしに菅がさ立るたびね哉
    越人

   あま津なはて

さむき田や馬上にすくむ影法師
   蕉

   伊羅古に行道
   越人酔て馬に
   乗る

ゆめや砂むまより落よ酒の酔
   同

鷹ひとつみ付てうれしいらご崎
   同

冬海や砂吹あげる華の波
   越人

麦はえて能隠家や畑村
   はせを

 冬をさかりに椿咲也
   越人

昼の空のみかむ犬のねがへりて
    野仁

此紀行を爰に出せしは、予も又ふたり旅寝の縁にひかれ、且は此一軸を我家に残し置れるを、笈のうちにひめをかんも本意なき事などゝ、社中のさゝやき侍れバ、集中の花にもと、こゝに真蹟をうつし侍る。また家にのこれる日記をひらけば、

貞亨四丁卯歳

 松尾桃青老
十一月 四日
 小雨降
 江戸より御越御泊

 五日
 天晴
 ボク言にて俳諧興行有


 如意寺にてはいかい有
 六日
 晴天
 桃青老夕食振舞

 安信にて俳諧有

 七日
 晴天
 桃青老参会今夕迄

 三歌仙出来夜

 八日
 晴天
 芭蕉翁宮御越

 桃青老 越人 昨夜宮より
 十日
 晴天
 又御越今朝三州被参候

 芭蕉翁越人三河より
 十六日
 晴天
 此晩御帰御泊

  笠寺 奉納はいかい今日

 十七日
 私邸にて桃青翁と共に

 連衆七人ニテスル

  荷兮 岡田野水

 十八日
 桃青翁見廻ニ御こし

 そば切打はいかい 有

 朝五つ迄雨 桃青同道にて
 十九日
 四つより天晴 長寿寺参詣

 出羽守自笑にて
 廿日 天晴
  はいかい

 廿一日 桃青翁宮桐葉宮御越

かく祖父知足記し置けるにぞ、猶こゝろときめきて、むかしなつかしかりき。其頃のはいかいはちどり掛集に委しけれバ、今爰に略し侍りぬ。又いつの比に歟ありけん、知足旅行の吟とて、

   みしか夜も母をわすれぬ旅寝哉

亡父蝶羽壮年のころ、東行の志あつて、

   夏鍔にけさうちかへて花かつミ

かく吟行せしも、ことし此行に思ひ出られ、猶又亜父鉄叟いまだ亀世なるとき、

松嶋町与次右衛門方ニ一宿、二階より嶋々見わたし、九月十日月いとさやけく晴わたり、その興筆紙に尽しがたし

   嶋の月見我にいかなる果報ありや

かれこれの吟は、むかふ髪の頃より耳にふれしが、ことしはじめて其境にいたり、そのことの空しからざるを感じ、そゞろに袂をうるほし侍りぬ。

春麗園蝶羅

   五月七日仙台出立二口峠といへる山路にて

水音に二口明てゆりの花
  蝶羅

   最上 立石寺

山寺や雲を見下す岩蓮花
  仝

   最上川を下るに、 大石田 五里程も下りて、日暮
   雨催しければ、乗合なる鶴が岡の家士岡嶋桐橘
   子といへるに誘ハれ、堀の内むらといふ農家に
   一夜のあハれミを乞。老農諾して、殊更に志厚
   く、彼仏五左衛門もひとしく、薪など折くべ、
   婆子ハ餅花やうのまいだまといふものを饗応し
   けれバ、

まいだまを薬玉にして旅寝哉
  蝶羅

まいだまの宿芳しゝ五月雨
  桐橘

   十日晴天又最上河を乗下る

最上河晴切空や青あらし
  仝

明やすき夜よりも早し最上河
  蝶羅

   その夜ハ酒田の湊斗南亭にやどる

萍やたづねたづねて亀が崎
  蝶羅



   酒田より六里の砂みちをたどり、吹浦にいたる

昼がほや砂吹うらのちから草
  蝶羅

   関むらにて

うやむやと昼がほからむ浜びさし
  嵐亭

うやむやと雲もかさなる五月哉
  蝶羅

    象潟 眺望

きさがたや波もひとへのうすごろも
  蝶羅

象潟や底さへ見ゆる皐月晴
  嵐亭

   蚶満寺に旅寝して

さミだれや蚶這かゝる坐禅石
  蝶羅

長老の払子さバきや青あらし
  嵐亭

   汐ごし湖南子を訪らひて

さればこそ由利の郡の百合の花
  蝶羅

   汐ごし湖南子を訪らひて

さればこそ由利の郡の百合の花
  蝶羅

   明ぼのゝけしきを詠んと又立出て、西上人の
   ずせられける桜のもとにて

上漕し械のしづくか桜の実
  蝶羅

   五月十四日酒田にて

富草や酒田も千代の田うへ唄
  嵐亭

 山めづらしく仰ぐ入梅晴
  斗南

飛々に円座程なる石置て
  蝶羅

 火は消れどもさめぬせんじ茶
  百和



   斗南子の令息文平といへるに、誹名をさづけ
   よと有けれバ、地名によせて亀汀と号し侍る
   波をおしミて、

若竹や亀の汀の友うつり
  蝶羅

   袖の浦の風色を見せんと、 日和山 へいざなハ
   れて、

誰とめた風のかほりぞ袖の浦
  仝

   嵐亭・蝶羅の両叟、象潟のかへるさ爰にしバ
   らくとゞめまいらせんと待うけしが、帰郷を急
   ぎ給ふ事ありとて、旅用意したまへるに余波
   をおしミて、

杖笠をかくす折よし皐月雨
  百和

 砂に又見む夏の夜の霜
  蝶羅

盃に客も亭主も端居して
  嵐亭

   志逸・亀汀の両士半途まで見送り給ふを

入梅晴山も出て見る此わかれ
  蝶羅



   皐月望、羽黒の麓山城坊とかいへるにやどり、
   殊更こよひ晴光、檐外に湯殿山を遥拝す

むら雲はかや(※「巾」+「厨」)ばかりなり月の山
  蝶羅

宝冠ハ雪のなだれぞ湯殿山
  仝

   翌十六日 羽黒 登山

雲掃て梢すゞしき羽黒山
  嵐亭

聞馴ぬ蝉の行こと葉
  蝶羅



   五月十八日、大沼山鸞窓老人を尋て、
   浮嶋を見めぐりて

夕立を除るか嶋の住もどり
  蝶羅

浮島や誘ひ出したる皐月空
  嵐亭



   帰路、信夫里子洽亭逗留

やくそくの古郷嬉し五月晴
  蝶羅

 さまざま風のかほる夕暮
  子洽

掃ちぎる庭ほど水ハ音立て
  東呉

 上戸で殿の御意に入る也
  楮白



   しのぶの里留別

蝶に成て蚕もたつや君が宿
  蝶羅

   嵐蝶の二師古郷に帰給ふを送るとて

わかれてもおなじ波路や藻苅舟
  南楚

   皐月廿三日、浅香の里古路古路庵にやどりて

かつミとも見ばや浅香の田うへ時
  蝶羅

さみだれの御伽申さむ旅すゞめ
  嵐亭

   大隈川

流れたり五十四郡の早苗水
  蝶羅

   霖雨に 白河の関 越るとて

さミだれや行儀に関のぬかり道
  仝

    あし野 にて

五月雨をしバし晴たる清水哉
  仝

   喜連川といふ駅にて

何となく蘆橘の家居かな
  仝

   雀の宮に詣て

若竹はすゞめの宮の御旅哉
  嵐亭

   五月廿九日、江戸帰歩吟

鰺かつほ流石に江戸の人通り
  蝶羅



   蝶羅・嵐亭の両叟、松嶋戻りの賀筵を、
   草庵に催し侍りて

家土産に嶋々見たり散る紅葉
  吐月



   松嶋もどりの蝶羅・嵐亭の二風子を賀して

鶴に身やかりけむ痩ず夏しらず
   蓼太

 幾松風にかゝる日黒ミ
  蝶羅



   水無月廿二日東都を辞する時

蚊ばしらも秋は來ぬ間に別れけり
  蝶羅

   明がた近き比品川沖へ乗出して

すゞしさを帆にまかせたる首途哉

   神奈川の台にて

(スカサル)る人のこゝろや沖鱠

   遊行坂を過る

松たれて聞ちからあり蝉の声



   峠にやどりて

此一夜下界の蚊屋をおもふかな

   廿四日三嶋を出るとて

又も来む千貫樋の下すゞみ

   よしハら泊の夜、 六花庵主 訪ハれて、廿とせ
   余りのむかしものがたりに、互の白髪を笑ふ

六月や又新しき不尽の雪
  蝶羅

 けふ凉風を田子に呼つぎ
  乙児

   春麗主人のみちのく戻りを、ひと夜草庵に
六花庵
塩がまの噺しになびく蚊やり哉
  乙児

 松の落葉を捜す陀ぶくろ
  蝶羅

   廿五日、朝ぼのゝ不二見んと、白酒が軒端
   に回首して

朝ぼのゝ富士や凉しき丸はだか

   望嶽寺に盃を挙て

雪を巻うしほや田子の浦すゞみ

    清見寺 の腰をめぐる

膏薬も延しかけたり雲のみね



   うつの谷にて

細ミちやしがミ付たる鞍の蝉

   藤枝の駅ちかき水守といふところに、しる人あ
   りて、訪ひ侍るとて

水守の里に青田のきほひかな

    大井 水凋て、河越の追從もいとおかしく

こゝろよく撫子咲ぬ大井川

    さよの中山 にいたりて

空蝉のむかし語や夜なき石

   今切のわたりにて

凉しさをこぼして行か鵜の雫

   こよひハしら菅の宿にやどりを求て

むら君に付てまハりし凉ミかな

   廿八日 二川 杜鳥子を尋て

噺す間もいらごの風のかほりかな

   鳴海の蝶羅主人、松島蚶潟の行脚いつ日(ママ)
   余りとかや。六月末の比草庵をたゝかれて、
   いと珍しき風雅を家づとせられける。予も又
   帰路を祝して

壺の碑や文月ちかきもどり道
  杜鳥

 破を見せバや十府の菅笠
  蝶羅

   尾の蝶羅子ハ、松島の凉風をしたひ、象潟の
   雨に、東都の嵐宗と笠二がひならべし行脚に、
   壺の碑よりミやぎの、其先々の名所、そこの
   社中版行せられしを土産に、無恙帰行、水無
   月尽前日、草扉をたゝき給ふに
 國府
宮城野ゝ萩も隣よ旅もどり
   才二



   矢作を過るとて

金瓜露ふかく矢作の長が屋敷跡

    八橋 を余所に見て

此あたり八はしわたす凉ミ床

   童僕歓迎稚子候門

こずゑまでねがひの雨のそよぎかな



   尾の蝶羅奥に遊びて、松象の二景を瞳中にた
   もち帰らる。これが悦を述るに、彼勝地ハ一
   語一瞬の物ならねバ、后の樂に除をき羽黒六
   十里の幽谷におくれ鶯を聞んとて、残雪ニ辷
   りし噂など、知た同士こそ凉しけれ、と妹が
   りの歌にはあらで暫くの暑を忘る。時是五月
   廿九日なり
 浪華
氷室にも一日早きはなしかな
  旧国



   蝶羅のぬしの奥羽帰郷を賀するに、先年予も
   經廻せし地なれバ、噺に馬の合たるを興じて
 蓮阿坊
知た同士はあかるし奥の木下闇
  白尼



   春麗園の主、奥羽の行脚恙なく帰郷せし明る
   日ハ、文月の朔日なれば

先聞くや荻にみやげの風の音
   也有

 名所の露をふるふみのむし
  蝶羅



   瓢中吟

鵙啼て鎌研里の日和かな
   乙児
 三ノ二川
捨た子のどこやらほしくけさの秋
  杜鳥

馬かたのけぶり捨行枯野哉
   也有

椎の実の板屋をはしる夜寒哉
   暁臺

水仙や玉のひかりを花に咲
  白尼
 かゞ
とぼし火は麓にくれて桜かな
   既白

ころぶ人を笑ふて転ぶ雪見哉
  千代尼
 武鴻巣
ゆく水を夜々もどす螢かな
   柳几
総州サカイ
葛水に砂糖の塵や捨小舟
  阿誰
 
白露や草をこぼれて草のうへ
   蝶夢

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