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わだらんの欧州旅行記

 

2005年6月9日から20日にかけて、オランダ・ドイツとその周辺を旅してきました。旅した、というと聞こえはいいのですが、結局列車に乗っていただけ、というおかしな旅行です。みなさまに、その一端でもお伝えでき、欧州の列車の楽しさを感じていただければ...

   

 

 

わだらんです。

  勤務先で特別休暇がもらえた(そういう年齢ですが)ので、2005年6月9日から6月20日にわたって、オランダ・ドイツとその周辺を一人旅してきました。列車に乗るのが目的でしたから、最初からきちんとした計画は組まず、適当に流れだけ設定してあとは直前に決めていくパターンです。

  旅は天気に恵まれ、大きな支障もなく、順調に進みました。何度も通っているところ、初めてのところ、いろいろありましたが、楽しく印象深い旅になりました。その楽しさのわずかでもみなさんに伝えられたら幸いです。では、リュックを背負ってテイクオフ!

 

1  9日朝                  欧州へ出発

  久しぶり、約4年半の間隔の開いた欧州である。

  とりあえずKLM利用で、6/9のKIX-AMS-CPHと6/19のMUC-AMS-KIXの座席を確保した。

  欧州内の具体的な予定はまだ完全に決めたわけではないが、オランダ・ドイツは今まで行ったことのある場所の、変わり方が楽しみである。加えて今回初めてハンガリーに行ってみたいと思う。ハンガリーに行きたいのは単純な理由で、以前ベルリン−ドレスデンやインスブルック−ミュンヘンのEC列車食堂車で食べたハンガリアンシチューがとってもおいしく、本場の食堂車で食べてみたい、というなんとも間抜けな理由である。もちろん、ハンガリーがビザなし入国でき、ユーレイルパスが使えるようになったというのが前提であって、ECの東欧拡大はわだらんにとってはありがたい。

  大きなリュックに子供リュックを持参、トランクも手提げ鞄もなし。もともと大きな携帯品は何もなく、トーマスクックの時刻表(日本語編集版しか入手できなかったのだが)、オランダの地図、デジカメとその電池1個、メモリーカード1枚、そしてKLMのe-ticket控え、パスポートにユーレイルパス。ブタペストとウルムのホテル予約の写しとなぜが水着とサンダルもある。リュックはこれだけ入れてもほとんどからなので、往路は預け荷物なし、身軽に出発。

  利用するKL868の機体は777であった。事前にKLM予約課に窓側座席確保の電話を入れた際、777であることは聞いていた。個人的には747大好き人間なのでちょっとがっかりのところもあるが、機体が新しいのでよし、としよう。チェックインで再度座席を前位の窓側に変更してもらうことができ、眺めのよい席で、楽しいフライトになった。

  ちなみに、今回の航空券は団体枠のばら売りの格安航空券ではなく、KLMのHPから直接予約したPEXの35日前発券のものである。予約変更不可の条件は格安航空券と同じだが、クレジットカードが使えて、かつ事前に座席予約もできるので、格安券より使い勝手はいいと思う。しかも、価格的にネットで調べてみた格安券と大差がない。E-ticketで、チェックインも楽であった。しかし、こんな扱いが増えていくと、格安券で生きている旅行代理店はたいへんだろう、と思う。

 

2 9日朝続き            日本上空いらっしゃいませ

  KL868は定刻に出発。神戸沖から尼崎上空に入り、豊中から茨木、八幡市と高度を上げて飛んでいく。尼崎市久々知の某マンションとその横の線路が真下にはっきり見えてしまい、ちょっと鬱になる。大山崎の京磁バイパスジャンクションは空から見てもとても大きくて、すぐ南の京阪電鉄の2つの鉄橋が貧弱に見えてしまう。その後雲に下界を遮られ、ちょっと開けたら一宮だった。名鉄とJRの高架が南北に延び、逆Kの字になる名鉄の支線が見えてわかりやすい。川島の水族館や犬山橋を眺めたところで再度雲に遮られる。途中ぽっかり穴の開いたところで大きな屈曲した川とその付け根の町並み、鉄道とおもわれる橋が見えたので、たぶん飛騨小坂だと思う。雲が切れアルプスの屋根を飛び越えると仁科三湖が見渡せた。そのまま姫川の谷を見ながら北上し、北陸道名立谷浜SAを最後に海に出た。              ☆写真を撮りました☆

  777には個人席にモニターがあって、映画や音楽その他を自分の好みで選べるようになっている。何かいいものがあるか、といろいろ捜してみたが、映画もこれといっておもしろそうなものがなく(もともと人が死んだりする映画はきらいだ)、やっぱりロケーションマップに勝るものがない。ただ地図と高度距離だけが繰り返し出るだけだが、これでも退屈しないのだから、安っぽい人間だ、と自分で思う。食事をして酒を飲み、そしてひと寝入り。満席で、アテンダントのお姉さんたちが忙しく、飲食に関しては欲求不満の残る部分もあったが、揺れもなく、快適なフライトであった。

 

3         9日昼           オランダに向かって

  目が覚めて、しばらくぼーっとしていたが、ウラル山脈を越えていよいよヨーロッパ。窓の日よけを上げて外を眺めることとする。サンクトペテルブルグの近くから、エストニアを抜けていく。バルト海の海岸線が真下に見えている。青緑の周囲の海と明らかに水の色の違うため池のようなものが見える。塩田だろうか。

  道路に比べて、直線が続く細い線は鉄道であろう。さすがに11000m上空からでは線路の具体的な様子や車両の判断ができないし、そもそも位置の特定ができない。これが日本の上空なりオランダの上空ならなんとでもなるのだが。

  しばらくバルト海の上を飛んで、やがて陸地が見えてきた。スカンジナビア半島最南端である。どこかに今回通ることになるトレレボリ(Trelleborg)があると思われるのだが、正確な位置関係は全くわかっておらず、よってどの街なのかわからない。やがて島と島の間にかかる細い橋が見えてきた。シェラン島ともう一つ、島の名前はよくわからないのだが、その島同士を結ぶ鉄道橋。ハンブルグ−コペンハーゲン間の列車に乗ると渡る橋でなじみが深い。よく見ると奥にはドイツ・プットガーテン(Puttgarden)が見えている。今回はこの区間は乗車する予定はないが、ここの車両航送はしばらく残りそうなので、また機会を作って行ってみたいと思う。

  このあたりになると、座席モニターのロケーションマップを見なくても現在置が特定できるようになる(現在地が正しいと思うのだが、ロケーションマップの日本語表示は現在置と出ている)。なんとなく自分の地元に帰ってきたようだ。

  一旦北海に出て、再度陸地に戻るとオランダである。下にはフローニンヘン(Groningen)の街や駅が見えている。徐々に高度を下げながら南下。ヒートホールン(Giethoorn)あたりが見えているのだろうが、行ったことがないのでよくわからない。いつか時間をかけてのんびりしてみたいところだ。風車の隊列が見える。風車といってもオランダの伝統的な風車でなく、最近の発電用風車がアイセル湖の堤防に沿って並んでいる。そして線路に沿ってアルメレ(Almere)の街が見えている。

  そして、そのままアムステルダム市街地の南側からスキポールへ到着。 ☆写真を撮りました☆

 

 

4         9日午後        わだらんのふるさと?

  さぁ、わだらんの心のふるさと(大げさだな)オランダである。

  オランダには最初の海外旅行以来、もうかれこれ15回くらい足を運んでいる。他国に対する広い寛容性、優れた社会基盤、みんなが幸せになるのが目標の社会、いい国だと思う。もちろん、外国人移民や増える犯罪など理想ばかりではないのだが、とにかくわだらんはオランダという国が好きだ。

  おそらく、わだらんのオランダ好きというのは、今になって思うと、日本の鉄道における故島秀男さんの存在が関係しているのではないかと思う。最初にオランダの鉄道に乗ったとき、パターンダイヤによる短間隔運転、ICと普通列車というわかりやすい列車種別、そしてなにより電車による短編成運転がすっかり気に入った。今でこそ電車、電車もどきが欧州を席巻しているが、それはまだ最近のことで、欧州の列車というのは機関車が長編成の列車を牽いているのが当たり前だった。ところがオランダでは、2両、4両の電車が走り回っていて、必要に応じ2+4とか、2+2の編成を組んでいる。まるで名鉄か近鉄のようなイメージで、これがわだらんのオランダ鉄道の第一印象であり、そのままとりこになった理由である。

  最近、自分でHPを作るようになって、いろいろな本を読むようになった。その中で、故島秀雄さん(一般には新幹線の生みの親として知られるが、わだらん的には列車を電車で走らせることに尽力されたことがすばらしいと思っている)が1937(昭和12)年にオランダ、ロッテルダム近郊で電車が走り回っているのを見て「日本も電車だ」という発想をした、ということがあったようだ。それがすべてではないのかもしれないが、今はオランダ・日本とも電車が主体で、わだらんにはとても親しみやすい。軌間1435mm、直流1500V電化は日本にもごくありふれたパターンである。近鉄21000や西鉄8000あたりをオランダで走らせても結構絵になると思っている。今のオランダの列車は乗客増でわだらんが最初に見たときよりずいぶん編成が長くなった。快速系列車が長くで、それも一部客車で運転されるものを除いて4+6などといった電車の組み合わせで運転されている。

列車種別も増えたが、ICとSとStoptreinの組み合わせは新快速・快速・普通の関係に同じである。派手さはないが、オランダの電車は見ていて飽きない。そんなわけで、わだらんのオランダ好きは、この電車運転に依るところも大きい。もし、日本の鉄道が他の欧州諸国のように機関車牽引列車であったら、ひょっとすると見方が変わっていたのかもしれない。

 

5         9日夕方        ユトランド半島を越えて

  わだらんにとってスキポールは自分の庭だ、手慣れたものだ、とタカをくくっていたところ、痛い目にあった。1時間ほど時間があるので、入国審査から外へ出る。預け荷物もなく、あっさり晴れてオランダの地。別に迎えがいるわけでもないが、管理区域の扉から外へ出てくるとほっとする。まず、駅へ行く。駅へ行く、といっても大げさなものでなく、到着ロビーからまっすぐ進めば自然に駅に出る。空港ターミナルの中に駅があるので、迷う距離すらない。で、さっそく窓口で時刻表を購入する。オランダ鉄道の時刻表で、5.50ユーロ。Spoorboekjeという。オランダの鉄道の全駅全列車がくまなく乗っていて、これがないとわだらんはオランダで列車に乗れない(大げさだが、まじでそれに近い)。オランダの系統は結構複雑で、トーマスクックの書き方ではなかなか全貌がつかめない。 ☆時刻表はこんなものです☆

  と、ここまではよかった。ところが、搭乗の手荷物検査がやたら長い列。で、さらにシュンゲンチェックで思った以上に時間がかかる。搭乗の手荷物検査の手続きをターミナル1でしてしまえば2回もゲートを通らずにすんだのに、とぼけている自分を責める。おまけにDピアの二階に上がる階段を見落として右往左往。どう見ても2階に上がる案内看板が不親切だとと思うのだが.....

  で、目指すKL1133コペンハーゲン行きはD69と一番はずれだった。もう乗れないか、あせって一生懸命走って大騒ぎ。ところがゲートのお姉さんはのんびり構えていて拍子抜け。わだらんのあとにもまだまだ乗客が乗ってきて、さらに拍子抜け。結局走らなくても、焦らなくても十分だったようだが、とにかく無事KL1133には間に合った。機内は50名ほどと空いていて、ドアが閉まる雰囲気を見計らって、とっとと後方窓側へ動いていい席確保。外がよく見えて快適快適。

737なので、ベルト着用や避難誘導のデモンストレーションをアテンダントが実演する。で、毎度のことだが見てしまう。747や777のVTRの説明なんぞはまともに見たことがない。空港内を走ってのども渇いていたので、ジュースを繰り返しもらったり、軽食(紙パックに入ったサンドイッチ)を2つもらったり、わがまま言わせていただいている間に、飛行機はホールン上空から北海に出て、コペンハーゲンの北側からくるりと旋回してほぼ定刻(17:40ころ)にコペンハーゲン・カストラップ空港へ到着。着陸直前、空港駅の留置線が一部分だけ見えたのだが、全体の規模や配置はよくわからなかった。

(その後googleサテライトで、この付近の詳細がわかった。空港の敷地端には留置線と研修設備があるようだ。 写真はこちら

 

  (注)これ以降現地の地名はカタカナ書きします。一般的(コペンハーゲンやアムステルダム、ブタペストなど)以外は、カタカナ表記を観光局HPやガイドブック、ユーレイルパスガイドなどの表記に従い、その後ろにアルファベット表記をします。オランダの地名については、オランダ政府観光局に問い合わせており、そのガイドに従っています。(即座の回答ありがとうございます)ガイドブック等に記載のない小さな地名はわだらんの思いこみで表記しますので、間違いをご指摘いただければ幸いです。

 

6         9日午後        ユーレイルパス出動

  さて、無事にコペンハーゲン・カストラップ空港へ到着。国はデンマークだが、入国審査など面倒なことはなく、預け荷物もないのでそのまますぐに外へ出られる。といっても飛行機を降りてから外へ出るまで結構歩かされるのが少々痛い。

  で、ターミナルに出るとすぐ目の前にはDSB(デンマーク国鉄)の空港駅。さっそく窓口でユーレイルパスの使用期限を記入してもらう。窓口のおねえさんは、「今日からですね」とカレンダーを15日分、ボールペンで数えて6月23日までの有効期限の記入をし、コペンハーゲン空港駅のはんこを押して返してくれた。で、マルメ(malmo)からの指定券は取れるのか?と聞くと、ここではだめだ、と言われた。

  今日の夜はストックホルム行き夜行に乗る予定である。時刻表では座席指定が必要とあり、ならばまずマルメに行って指定席を取るかあとから行って乗る間際に指定席を買うかどうか迷った。もし取れなければあとが続かないのだが、まぁなんとかなるだろう、安易な考え。そしてグレートベルトリンクを渡りに行く。オーデンセ(Odense)までの往復をしたかったのだが、時刻表を見たところ、少し時間が足らず手前のニューボア(Nyborg)まで。もっともこの駅は昔車両航送の基地だったので、今どうなったのかちょっと楽しみでもある。

  マルメからやってきたコペンハーゲン行きは混んでいた。ロ室(注)も既に満席になっていて、ドアを入ったすぐのハ車でリュックを降ろし通路に立つ。団体で乗っていた小学校入り立てくらいの子供たちが不思議そうな顔をして見ている。東洋人が珍しいのかな、と見ているとお母さんがどこからきたと聞いてきた。日本から、と答えると子供たちに解説していた。ジャパンではなく、ヤーパンと発音するようだ。で、その子供たちと会話にならない会話で遊んでいるうち、電車はコペンハーゲン中央駅に着いた。相も変わらず人が多い。

  ここから西へと向かう。乗った18:30発のICは混んでいた。ロ室もほとんどが埋まっていたものの、かろうじて客席はずれに1席確保することができた。左側前向きのわだらんにお誂えの席で、よくここを残してくれていたものだ、と感謝する。

  コペンハーゲン近郊を列車は順調に飛ばす。デンマーク自慢のゴム電車で、車内は快適である。ロ車のすぐ横が編成間貫通の位置だったので観察に行く。貫通路は広い。車体幅のほとんどが貫通路なので当然である。折り畳まれたゴム電車の顔と運転台が通路に横向いた形で鎮座している。しかしすごい発想だと改めて感心する。なにせ先頭に立つときは非貫通の広々とした運転台だし、連結すると今度はまるまる貫通路になるのだから。

  DSBのロ車はコーヒー紅茶とリンゴオレンジが無料でもらえる。というか、ロ室のはずれにスタンドがあって、各自取っていきなさい、というサービスである。で、ありがたくコーヒーをもらい、リンゴをいただく。今日明日は貧乏北欧旅行なので、こういったサービスは個人的にはありがたい。何せいまは現金なし(DKK=デンマーククローネを持っていない)のである。

  コーヒーをすすりながら外を見ていると、煙が見える。あれ、と思ったらDCとECの連結であった。JR北海道の731系電車と201系気動車の連結の親分の形だが、DC(MF型)とEC(ER型)の判別が難しい。車体はほとんど同じで、電車と気動車の連結に全く違和感がなく、鉄ヲタでも見落としてしまうかもしれない。乗車しているIC869はMF×3+ER×4の7両編成(正確には連接車なので7車体)で、わだらんのいる後位のER編成はオーデンセ落としであった。 ☆写真を撮りました☆

(注)このあと、一等車をロ、二等車をハと表記します。一両まるまる一等車の場合はロ車、一両の一部が一等の場合はロ室とします。よろしくお願いします。

 

7         9日夕方        グレートベルトを渡る

  列車は快調に走ってコースター(Korsor、正確な発音はわからない)に到着。グレートベルトリンクの東側である。ここは線路がそっくり移設されているようで、駅がまわりの何もないところにぽつんと建っていた。駅は2面4線で、コキにコンテナを満載したEA型電気機関車に牽引されたフレートライナーが退避していた。橋のおかげでここから(というかスウェーデンから)イタリアやチェコ・ハンガリーまで乗せ換えなしで走れるのだからすごいものだ。そういえば心なしか貨物列車の行き来が多くなった気がする(あくまでわだらんの思いではあるが)。

  いよいよ海峡大橋。まずはトンネルで半分をくぐって、そこから島の中で一度地上に出て、今度は橋である。6.6kmの長さがあって、途中に大きな吊り橋を挟んで海の上を走っていく。夕暮れの海の上は静かで、柔らかい雰囲気だ、などと考えていると、あっという間にニューボアに着いてしまった。

  ニューボアの駅は新たに高架上に作られている。2面4線のごくありきたりの駅で、階段を下りると小さな駅舎があった。売店の横に切符売り場の窓口があるが、どう見ても売店の付属品にしか見えない。とはいっても売店自体がDSB経営なので何が本業で何が副業かわからない。駅前はだだっ広い空き地になっていた。昔多数の線路のひかれていたところである。現駅の南500mくらいだろうか、煉瓦作りの旧駅舎が残っていた。港に面する線路配置なので、現駅とは向きが違う。行ってみたかったのだが、折り返しに時間がないので写真を撮って駅舎へ戻る。 ☆写真を撮りました☆

  以前列車航送の時代は、普通列車を3両程度に分割して船に入れて運んでいた。ゴム気動車のIC列車は直接自分で船に入っていったので停車時間分早かった。今は橋になって列車がそのまま往来するので、車両航走などという面倒くさいことはなく、人員もずいぶん合理化されたのだろうと思う。ひょっとしたらオーデンセの鉄道博物館には何か連絡船の展示があるのかもしれないが、今回は時間がなく訪れることができない。わずかの時間ではあったが、航送の遺構を見ることができたのはうれしかった。

  で、再び列車に乗り込み、橋を渡り、トンネルをくぐり、コーヒーを飲み、リンゴを食べ、コペンハーゲン中央駅に戻る。外はこの時間でも十分明るく、いい季節にきたものだ、と実感する。なにせもう9時なのだが、暗闇にはほど遠い。

  コペンハーゲン中央駅でマルメ行きに乗り換え、今度はエーレスン海峡を渡る。ここは2000年、開通後すぐに一度通っていて、様子はよくわかっている。空港駅からトンネルをくぐり、人工島から橋になるのはグレートベルトと同様。橋は8kmあり、さっきのグレートベルトより長い。トンネルは4kmあり、大きな船の通過の考慮をしているのだろうか。まとめて橋で渡ってくれればなお気分はいいのだろうが、沈埋工法ならトンネルの方が工費が安いのかもしれない。もっともエーレスンの場合は、カストラップ空港がすぐ間近なので高い構造物は規制がかかっているのかもしれないし、建設に際してはバルト海の環境保全に配慮したそうなので、橋だのトンネルだのと素人が口を出す話ではない。などと思っているうちに対岸へ渡っていた。列車はスウェーデンに入っている。

 

8         9日夜           まず夜行一泊目

  21:58に、列車は定刻にマルメに着いた。が、駅は既に窓口が閉まっていて、夜行列車の指定券が買えない。指定券の自動販売機みたいなものはあるのだが、使い方がよくわからないし、現金もない。もちろんユーレイルパスは持っているので、切符がないわけではないのだが、手持ちの時刻表には「夜行列車は指定が必要」とある。さて困ったものだ、と駅外をうろうろしながら考えるが、名案が浮かぶわけもない。駅の裏側に海が間近ということだけはわかった。駅前にいかにも高そうなホテルがあるので最悪腹をくくるか、と考えては見るものの、ここで一泊は金銭的にも時間的にもつらい。町中を捜せばもう少し安くて使える宿も見つかるのかもしれないが、かといって宿をこの時間から探したところで、いいものが見つからなかったら悲惨である。結局駅前を少しうろうろしただけで、町中深く入ることはやめた。

  駅に戻ると、ストックホルム(Stockholm C)行き夜行は既に在線していた。EL+ロネ2+ハネ5+ハ1の編成(注)であった。ホーム中程にちょっとした小屋があって、そこで事前改札をしている。足を運んで、「指定がとれるか?」と聞く。ところが、2等座席は特に指定なしでもよいという。心配ながらもとにかく乗り込むことにする。

  ハ車はオープンの座席とコンパートメントの混合レイアウトになっていて、オープン席は向きが固定の大きな座席。日本ならロ車でも十分なもの。コンパートメントはいわゆる欧州で標準的なもの。オープン席に出発前から適当に座っていると、「ここは私の席よ」など(ときっと言っているのだろう)と追い出され、席を転々とする羽目になった。で発車後程なく車掌が検札にやってきたが、ユーレイルパスを見せると別に指定や追加料金のことを言われることもなく、難なく終わってしまった。ということは座席指定をとらなければ、乗車券のみでよい、ということか。列車は22:58定刻にマルメを出発。しかし、やはりいい具合には行かず、途中で増えてきた乗客のために結局座る席がなくなってしまった。みんな乗車券と一緒に指定券を持っている。で、ハネのデッキに移動してごろ寝を決め込む。どうにでもなれ、の心境なのだが、結構よく寝むれてしまった。

朝3時過ぎに目が覚めた。まわりが明るい。で、通路の椅子を出して(このあたり、日本の寝台と同じような構造である)外を見ていたら、通りがかった車掌が手招きをする。進むと、ハ車の車内はすっかり空いていて、車掌は「ここにすわっていろ」みたいな話をする。途中の小さな駅にいくつか停まったので、ハ車の乗客はどんどん降りていったようだ。で言葉に甘えて座ったら結局また寝てしまって、目が覚めたらストックホルムの市街地に入っていた。

(注)これ以降、個室寝台車をロネ、クシェット=簡易寝台車をハネ、と略称させていただきます。個室寝台には一等切符が必要なもの、二等切符でいいものがあるので、実質ロネではないし、クシェットにも一等切符が必要な車両もありますが、あえて個室寝台とクシェットを分ける意味でロネ、ハネとさせていただきます。従って、ロネ、ハネはわだらんが勝手につけた呼び名と言うことで解釈をお願いします。

 

9 10日朝                 近郊電車でも時速200km

  定刻にストックホルム中央駅に着いた。駅はまだ半分寝ている状態で、窓口や商店はみな閉まっている。それでも人の流れは多く、着いた人、出ていく人、さまざまである。

  ストックホルムの中央駅には何度か来たことがある。以前に比べて一回コンコースの店の並びが変わったようだが、重厚な作りはそのままである。以前マクドナルドはなかったような。それと北側に少し駅が延びたようで、新しい建物などが建っている。 ☆写真を撮りました☆

  空港ゆきアーランダエクスプレスを今回のストックホルム訪問で初めて見る。明るい黄色の車体でいかにもSJやSC(ストックホルム近郊電車)とは違うぞ、と自己主張しているように見える。専用ホームの入り口には専用切符売り場や両替所などがある。切符売り場の窓口は開いていたが、両替所は閉まっていた。アーランダエクスプレスのホームは駅北側のはずれに位置するが、隣接するホームは北から着いた夜行列車などもいていろいろと被写体が多い。ホームに新型のX50型が停まっていた。ボンバルディア製の電車は精悍ないいスタイルでかっこいい。こんな普通の電車で時速200kmを出してしまう。さっきのアーランダエクスプレス用X3型も最高時速200kmである。こうなると何が特急で何が高速列車だかわからなくなってくる。日本では「高速列車=新幹線」のイメージが強いからどうしてもX2000なんかが高速列車として取り上げられるのだろうが、どっちかというと地元の電車の方がよりパフォーマンスはいいのかもしれない。前面に大きな曲面で傾斜角をつけるはやりの欧州スタイルで、これが世界標準になっていくのかな?と思う。日本の電車は世界で競争できるのだろうか? ☆写真を撮りました☆

  これらを数枚写真に撮って駅コンコースに戻る。駅コンコースでは案内所の設営準備をしていた。といってもカウンターは常設で、カウンターの上にパンフレットを並べたりネオンサインをつけたり、である。若いお兄さんがやっていた。7時業務開始のようだ。イエテボリ(Goteburg C)までX2000に乗りたいのだが、どうしたらいいのだ?と聞いてみると、パス所有者の差額は65クローナで、車掌に払え、という。車内で精算となるとやはり現金をもっておかねば、と7時に両替所が開くのを待って現金を作り、急いで7時10分のイエテボリ行きのホームへ向かう。

 

10        10日朝続きX2000に乗る

  列車は7時5分ごろ入線してきた。車掌がホームに待っていたので、料金はどうするのか?と聞いてみたが、「あとでいい」、みたいな返事で要領を得ない。ドアが開いて乗客が列車内に入っていくので、こちらも乗り込み、そのままロ室に陣取る。出発後しばらくして車掌が検札に回ってきた。パスを見せるとそのままいってしまった。結局追加料金はどうなるのだろう?ただ、他の座席でもいわゆる朝食サービスはなさそうだし、朝の早い時間は付帯サービスがない代わりに追加料金がいらないのかな?などと思うが、実際のところ真相は分からない。とにかくイエテボリまで追加の料金は払わなかった。

  初めてのX2000である。いままで何度も見ていながら、乗る機会がなかった。ロ室は1+2の3列で座席が並び、イメージとしてはICEやETRのロ室と同じような感じである。白が基調のレイアウトで、清潔な感じがする。食堂車はないが、売店でサンドイッチやコーヒーを売っていた。ひょっとして何かサービスがあるかと思って何も利用しなかった。実際コーヒー類は無料で飲める。

  列車は森の中を右へ左へと振り子を使って、がんがん走っていく。右側席に座っているので、右カーブになると左側の窓からは空しか見えないし、一方左カーブになると、左側の窓から空を見ることができない。といってもさして不快な揺れでなく、振り子の角度は四国の2000や智頭急行の7000の方が大きいような気がする。

  ハルスブルグ(Hallsburg)には大きなヤードがあって、ハンプで列車の解体をしていた。日本ではハンプによる操車場での列車仕立てはなくなってしまったが、欧州にはまだ大きなヤードが所々にあり、ハンプの作業を見ることができる。貨車も車体が大きく見栄えがある。スウェーデンでは貨物を国鉄から分離してGreen Cargoという会社になっているので、車体にGreen Cargoと大きいロゴの入った機関車が入れ換えしていたり貨物列車の先頭に立ったりしている。ちなみに国鉄解体、民営化による客貨分離はどこも同じで、オランダNS、ドイツDBとデンマークDSBは貨物を分離したのちRailionという共同出資の貨物鉄道会社になっている。

  Skovde(なんて読むのだろう)駅を発車後、右側に線路が見えなくなった。単線かとおもったら、左側線路を閉鎖してバラスト交換や架線吊り具点検を行っていた。で、その間列車は単線扱いなのだ。キロポストで読むところ、およそ10kmにわたって線路閉鎖による単線運転だった。このあたり、列車はひたすら森の中を走っていて、平行する道路も見あたらない。なので、線路閉鎖して線路工事用の特別仕様車を走らせて工事現場に向かう方がよほど効率いいのだろう。線路閉鎖による保守工事は欧州では珍しいことではないし、そういった運転のできるインフラはすばらしいと思うが、たとえばこの区間での場合、X2000で約6分程度単線運転だった。ということはネットダイヤを組んでも最低運転間隔が15分かそれ以上になるわけで、日本のように列車密度の高いところでは難しいのかもしれない。

  ロ車にはコーヒー・紅茶・オレンジジュース・ミネラルウオーターとチョコレート・キャンディ・リンゴ・オレンジを載せたカウンターがある。リンゴとチョコレート、そしてコーヒーをたくさんいただいて、わだらんの朝食とさせていただいた。あんまり行ったり来たりでは静かなロ車の雰囲気を壊すので申し訳ないが、まぁ無料でいただけるのはありがたい。リンゴはのちの食料用に一個リュックの中に隠しておく。

  室内は半分より少し少ない程度の入りで落ち着いている。書類に目を通したり、パソコンを叩いたりと、いかにもビジネスパーソン(女性ももちろんいたので)が多い。外国客と人目にわかるわだらんであるから何とかなっているが、東海道新幹線のロ車に似て、ちょっとお高くとまった感じがする。でもとにかく静かな車内で列車は淡々と進んでいく。

 

11        10日朝続き2 ボルボのふるさと

  ローカル線の接続駅では、いかにも田舎の電車という感じで2両編成の列車が停まっていたりして楽しい。新幹線では乗換駅で地方の電車を見ることは難しい。たとえば新幹線から福山で福塩線の電車とか、高崎で両毛線の電車とかを見るのは不可能に近いが、欧州の高速列車は駅ではみな同一平面なので、他の列車がよく見えてうれしい。

  駅の間隔が短くなった。イエテボリの近郊区間に入ったようだ。日本でも分割民営化の前後に長い駅間に次々と新駅が誕生したが、欧州でも都市近郊駅の整備が進んでいる。といっても欧州の場合は日本と違って環境問題からくる自家用車の抑制とそれに変わる公共輸送の整備が主で、鉄道会社よる行政主体と見える。日本でも一部にLRT利用の公共輸送整備を進めているところはあるが、残念ながら世間の流れとは言い難い。鉄道利用という観点では欧州の施策はうらやましい限りだ。

  湖が森に点在する中を列車は進む。湖畔にはコテージのようなものがあったりして、週末や夏のシーズンをすごすのにはうってつけに見える。冬の長い北欧の人々故、自然を大事にしてバカンスを楽しむのかな、と思うとうらやましい。といってもオランダですら冬は暗くて陰気なので、ここまで緯度が上がるとさぞ大変だろう、と思う。

  近郊区間になって短編成のX10型電車とすれ違うようになった。SJの従来型電車はクハ86のような非貫通2枚窓で、かつ頭におおきなヘッドライトをつけている。ちょっと無骨で、いかにも北欧の丈夫な電車、というイメージがする。SJは客車を含めて車体側面にコルゲートの補強があって、余計に丈夫に見える。ボルボが車体強度に自信を持っているのと何か相通じるところがあるのだろうか?

  家並みが続くようになると大きな車庫が見えてきた。色とりどりの車両が止まっている中を列車は進み、イエテボリの中央駅に入っていく。ボルボなど大企業があり人口45万を有する北欧の大都市で、その規模にふさわしい行き止まりタイプの大きな駅である。

  列車は定刻の到着であった。まず、駅窓口で今日の夜の寝台券を確保する。寝台のみで座席のない列車なので、それこそ切符がなければ乗れないかもしれない。窓口が開いているところでとっとと購入してしまおう、と考えた。トーマスクックの時刻表を見せながら、「クシェット1名、ベルリン行き、今日、ユーレイルパスあります」と頼んで、すぐに出してもらえた。ただ、150SEKも取られた。トーマスクックの時刻表ガイドは85SEKなのだが、この違いは何なのだろう?国際線なので、あるいは船賃込みで高いのだろうか?まぁ、とにかくこれで今日の宿泊は確保できた。のんびり市内へ繰り出そう。

 

12        10日昼         プチオランダ

  無事今日の宿を確保したので、さっそく今回の目的の一つである、イエテボリの路面電車を見に行くことにする。イエテボリには以前来たことがあるが、そのときは夜行列車で駅に着いてすぐに港まで歩いて(確かこのときは何も迷わず10分強で歩いた記憶がある)、そこからデンマーク・フレデスカハブンFrederiskhavn)へのフェリーに乗った。もう10年も前の話だが、よく考えるとまともな地図も持たずによくフェリー乗り場まで行けたものだと我ながら感心する。ちなみにこのフェリーはやたら大きかった、という記憶がある。

  フェリー乗り場でわずかの金額のSEKが必要だったのだが、「SEK現金は持ってない!」と懇願すると、結局そのまま乗せてもらった。ユーレイルパスの差額か何かのものなのだろう、いわばただ乗りなんだろうが、時効で許してもらおう。このときに乗り場まで歩く途中で見たイエテボリの路面電車がやたら印象に深く、いつか電車に乗って市内をでうろうろしてみたい、と前からずっと考えていた。そんなわけでとても楽しみである。

  市内の中心部は駅から道路を隔てて続いていた。iマークの案内所が大きなショッピングモールの中にあって、すぐにわかった。そこで、「市電の一日乗車券がほしい」というと、ブロンドのおねえさんが、「ここでは扱っていない。市電の案内所へ行け」、と道案内をする。市電の案内所は駅前電停の中にあったのだが、おねえさんの言葉があまりに速く、しかもよく理解しないうちに案内所を飛び出してしまったので、(見栄を張ってわかったことにしたのが失敗であった)結果的に駅のまわりをぐるぐると歩くことになった。さっき駅を出たときに、ホームの突き当たりの延長線上、市街地の方向でなく、突き当たりを左に歩いていけば、最初にここに出てきたのに、とちょっと失敗。でもきれいなおねえさんに地図をもらえたし、ショッピングモールも見てきたから、それはそれでよしとしよう。

  市電の一日乗車券はすぐに入手できた。50SEKであった。観光案内所でもらった地図は裏面に市電の系統図も載っていて、表は1/18000の市街地図になっていて極めて使い勝手がよい。

  で、わだらんのお得意、きた電車に乗る、のである。これで適当にこれから3時間、適当に乗りつぶししようというものである。電停で待ってきて、来た電車に乗って終点(近く)まで、でそこから別系統の電車でまた終点(近く)まで、と繰り返していく。

  市街地の中心はトランジットモールになっている。歩道脇に線路があって、電停が設けてある。市電の他バスも線路を走ってお客を乗り降りさせている。いろいろな系統の電車が右に左に走り見ていて飽きない。で、適当に市電に乗って町並み見学である。電車に乗って驚いたのだが、とにかく緑の多い街である。中心部から郊外に向かってなだらかな丘になっているのだが、その丘にそって、というか街路に沿ってというか、とにかく緑が多い。森の中を路面電車が走っているような感覚になる。高低差のある市街地のおかげで、線路は登り下りに右に左に、路面電車ながらトンネル(これが結構本格的で長い)があったりしてなかなか楽しい。もっとも路面電車といっても専用軌道の部分がほとんどなので、市街電車というのが正しいのかもしれない。

  専用軌道から道路中央に出るところでは車を止める信号があって、電車はスムーズに走り抜けていく。停留所間の長いところは結構飛ばしていて、SJの線路と並行する区間では本線列車に引けを取らない走りっぷりであった。系統の終点駅で写真を撮ってみる。のどかでとても大都市には思えない。商店街、市内の中心部は人通りも多くちょっとごみごみした雰囲気で、北欧の洗練したイメージ(わだらんが勝手に思いこんでいるだけかもしれないが)とは多少違和感がある。でも活気あふれた中を走り抜ける電車はかっこよく、生き生きとしている。 写真を撮りました

  実は、イエテボリの街の起源になっているのは、オランダの町並みなのだそうだ。17世紀だったか(うろ覚えで申し訳ない)にオランダ人によって街が最初に作られたのだそうだ。なので、中心街に水路があったり、その水路にかかる橋を基準に街路が延びていたり、とその雰囲気はオランダに似ている。わだらんが街を好きになるのも当たり前かもしれない。といっている間に時間が過ぎてしまった。

イエテボリの駅に戻り、駅構内をうろうろ。駅の北側にはバスターミナル併設の新しい駅ビルが建っていて、なかなかおしゃれな雰囲気。郊外バスの発着所もあって、中にはドイツやフランスへの長距離バスもある。定期の長距離バスを一度見てみたかったのだが、ちょうど時間が合わなかった。駅ビルにはおしゃれなホテルもあった。さぞかしいい値段を取るのだろうと思う。

 

13        10日午後      バカンスシーズンの始まり

  イエテボリからは13:25発の普通電車でデンマークへ向かう。もう少し後にはX2000の特急もあり、その選択もある。だが、この普通列車の方が時間帯が少し早く、しかも所要時間もあまり変わらない。ならば、下手に乗ってから特別料金を取られるより、最初からその心配のない普通電車に乗っておく方が無難だと考えた。この区間、X2000は振り子を飛ばしてがんがん行くのだろうが、それ以上の特別な高速新線があるわけでなく、この電車も結構早そうである。なにせ普通電車といっても駅間がやたら長いから、日本の普通電車の感覚ではない。

ホームにいたのは3両1編成のゴム電車(X32)だった。SJマークだが、車両番号も4300台で、DSB車とどこが違うのかよくわからない。ロ室は混んでいて、わだらんは右側前向きを確保しておいたのでよかったが、出発間際には満席になってしまった。

  列車は最初イエテボリの市内駅を通過しては停車していく。近郊区間は快速列車になっているのだろう。小さな国電駅を通過していくようだ。で、市街地をはずれると駅の間隔も広がり、すっかり家並みも途絶えて、海が見え隠れする柔らかい雰囲気の中を電車は飛ばしていく。途中ラホルム(Laholm、発音詳細不明)は新幹線型の2面2線+通過線2線の駅であった。この付近は線路改良があったようで、いわゆる高速新線のような雰囲気である。一方海の見えるバスタッド(Bastad、発音不明)は単線中の棒線駅だった。この駅の前後は丘陵地帯を小円弧と勾配でくねくねと線路が引かれている。ちらっと新線建設中のようなものが見えたので、ゆくゆくはトンネルでばさっと通過していくようになるのかもしれない。このあたり、羽越線のように単線区間と複線区間が非連続で連なっているが、近いうちにどんどん改良が進むのではなかろうか。この路線もノルウェーまでの大動脈である。ますます貨物の鉄道利用が増えるように、と思う。

  ワゴンサービスがやってきた。混んでいるので、ロ室の入り口でさっと声をかけておしまい。隣のお母さんによると、「最後のサービスです」と言っているそうだ。ロ室は何かサービスが受けられるのかもしれないが、他の乗客は無視している。で、わだらんは結局なにも声をかけられずにワゴンは行ってしまった。その先の駅でワゴンは降りていった。折り返しでイエテボリに戻っていくようだ。

  途中駅で学生が大騒ぎしている光景が目に付いた。となりの親子連れお母さんによると、今日(6/10)はスウェーデンの学校の学期末で、たぶん騒いでいるのは卒業した学生だろう、といっていた。6月ですでに夏休みに入る、というのは日本ではぴんとこないが、せっかく長い太陽と遊べる季節なので、大事に使うのだろう。話が飛ぶが、今回の旅行を6/9日本発にしたのは6/10になると航空運賃が上がるためである。そう考えると、6/10は欧州でのバカンスシーズンの始まりなのかもしれない。

  ずっと見えるわけではないが、たまに車窓からは海が望めて、視界が開ける。浜辺ではウインドサーフィンをやっていた。海はちょうど太陽が真上から輝いて、海面はまぶしくあざやかに光っている。こんないい天気、太陽と遊べる時間を大事にしておかないと、陰気で暗い冬をのりきれないのだろう。

  隣の親子連れ(母と幼い子ども二人)はイエテボリからずっと一緒である。ストックホルムの母の実家からの帰りだそうだ。さすがに子供たちはストックホルムからずっと電車の中なので飽きてしまったらしく、途中で寝てしまった。ブロンドの長い髪のすてきなお母さんはよほど日本人が珍しいと見えて、いろいろ季節のことや生活のことなどを聞いてくる。学校の期間が全く違うのにはお互いにちょっとびっくりしてしまった。

 

14        10日午後      フェリーに揺られて

  混んでいたロ室も少しずつ減ってきて、親子連れもエンジェルホルム?(Angelholm、発音不明)で降りていった。さっきX2000でもらったリンゴを食べながら、外を眺める。車内も落ち着いてまったりムード、いい雰囲気である。あまりにいい天気なので、次のヘルシングボリ(Helshingburg)で電車を降り、フェリーでデンマークに渡ることにする。昔は大陸からスウェーデンへの鉄道の玄関であったところである。このまま乗っていてもコペンハーゲンには行くのだが、外に出て風を感じる、船で海を渡るのはおつなものだ、と思う。

  ヘルシングボリの駅は地下に変わっていて、駅前はビルが並んで小綺麗な街になり、にぎやかな光景だった。それに輪をかけて卒業生たち(と思われる)が仮装衣装を着てパレードをしていて、すっかりお祭り騒ぎである。地下駅の階段を上がり駅ビルに入ると、フェリー乗り場の案内はすぐに見つかり、そのまま通路を進むとあっさり船の中に入ってしまった。乗り換え所要時間わずか5分であった。

  エーレスン海峡橋ができてすっかり閑古鳥かとおもったが、乗客も車も多かった。しかも20分おき、終夜運航である。瀬戸大橋ができても宇野高松国道フェリーが健在なのと同じかな?などと思ってしまう。よく考えるとさっきの電車でコペンハーゲン中央駅着が17:37、フェリー経由だと17:20着(これは帰国後に調査したものだが)なので、橋を回るとかなり距離が伸びることも原因なのだろうが、乗換してでもフェリーの方が早いというのはちょっとおもしろい。

  船の甲板には線路を埋めたあとがあり、可動橋には線路が残り、かつての車両航送をそのまま思い起こしてくれる。もっともヘルシングボリ駅はすっかり変わってしまっている。船内にはカフェテラスがあって、わずか20分の乗船時間だが、ちょっとしたくつろぎのできるところである。昔はこのフェリーで「さぁスウェーデン」と意気込んだものだが、今日はもう何となく海を渡りたいなどといういい加減で適当な思いである。    写真を撮りました

  カフェテラスで30クローネのフランクフルトソーセージを買った。支払いにレジのおじさんが「デンマーク?スウェーデン?」と聞いてくる。スウェーデンクローナSEKなら30、デンマーククローネDKKなら24だそうだ。ここはせっかくストックホルムで両替したSEKで払う。天気は良く、海を眺めてしばしのんびり。何せ国境を渡る船なので、たった20分の乗船でも、免税店やら両替所やら、となかなかにぎやかである。北欧は元々税率が高いから、ビールやチョコレートなどの買い物には便利なのだろう、と思う。そういえば、電車では免税の買い物はできない。それが根強い人気なのだろうか?(いや、実はこの地域のゾーン制運賃で、橋経由とフェリー経由がちゃんと設定されているのだが、それを知ったのはあとからである)

 

14        10日夕方      ムカデ足の通勤電車

  フェリーはデンマーク、ヘルシンゲア(Helsingor)に到着。駅舎位置は昔と変わらず、船から歩道橋を渡って駅構内へと進む。昔は直通列車の車内にいたので船に乗るときは歩かずにすんだが、今は乗り換えが必要である。といっても苦になる距離でないし、それなりに楽しい。ヘルシンゲアもヘルシングボリと同じように、可動橋から延びていた線路の敷地をそのまま追うことができる。しかも線路跡地はそのままなので、より車両航送の記憶をよみがえらせてくれる。

  ヘルシンゲアからはゴム電車区間。乗り込んだ16:36発の電車はやっぱりゴム電車。ところがびっくり、DSB車かと思えば、実はSJのX32で、折り返しの車であった。X32もDSBのET型もそっくりで区別がつかない。座席のテーブルに使用済み切符が放置されていたのだが、よく見るとイエテボリ10:30→コペンハーゲン中央駅への切符だった。つまり、わだらんがイエテボリで乗った列車の一本前、2時間前の車両の折り返しだったわけだ。改めて時刻表を見ると、ヘルシンゲア−コペンハーゲン中央−カストラップ(空港駅)−マルメ−ヘルシングボリと海を隔ててぐるりと回る列車が1時間ごとにある。これにさっきのフェリーを組み合わせれば、所要約2時間のぐるりルートができるな、などと一人で納得。

  コペンハーゲンにきて市内観光をしないのも失礼かと思い、中央駅の一つ前で降り、旧市街地へ向かう。でそのままメインの歩行者天国になっているストロイエの商店街を歩いてみた。が、現金も持っていないのでビールも飲まず、それ以上の観光をするわけでなく、中央駅に戻ってしまい、コペンハーゲン市内滞在はものの20分で終了となった。

  コペンハーゲン中央駅に戻ると、ちょうどヘルシンゲアゆきの電車が出たところだった。次は20分後(マルメ〜カストラップ〜コペンハーゲン中央〜ヘルシンゲア間を20間隔で運転している)だし、急ぐ理由もないので、適当にSバーン(国電にあたる)ホームに降りてみると、ちょうどこの先の近郊電車の停まる駅への電車が入ってきた。デンマーク名物、広幅車体のSA型電車である。何せちゃんとした本線電車のくせに1軸台車の連接車で、構造だけ見たらまるで路面電車である。それが8車体も連なって、しかも車体が広く6人がけできるのだから、まぁ不思議な電車である。理屈で車軸間を縮めれば車体幅を広げられるのはわかるが、その発想がすごいと思う。DC+EC連結やゴム電車など、デンマークの独自の発想に驚きを隠せない。

  実際にSA型に乗る。乗るのは初めてなのだが、車内が広いほかは取り立てて珍しいものはなく、ごく普通の電車である。車体長が短いが、車体間の貫通路は広く、妻板が目立たないので、まるで1編成全体が1両のようなイメージを受ける。日本でも営団6000なんかで幅広貫通路が一時期はやったが、最近は冷房効果などのこともあって貫通路は大きくなく、かつ扉をつけるのが当たり前になっているが、車内を広く見えるのにはマイナスだろう、と思う。インバータの型式は不明だが(1996年からの車なのでIGBTかな?)あまり変調音も聞こえず、静かに加速する。1軸なのでジョイント音が変で、どの軸からどの音が聞こえているのかよくわからない。でも概して静かな電車であった。

  5分ほどで、オストポート(Osterport)駅に到着。わずかであったがSA型を堪能し、郊外線ホームへ向かう。すると中央駅では気がつかなかったが、終日20分おきの電車のほかに平日のラッシュ時のみに走る快速のヘルシンゲア行きがあるのがわかった。まるで大阪発18:37の新快速のようなものだな、などと自己満足。快速列車はMF型DLに牽かれた2階建て車だった。DSBの2階建ても初めての乗車体験である。車体断面はドイツ型のようだが、デッキが普通床高さなので、完全なドイツ型ではないようだ。ドイツ型は扉が1階側にあるし、オランダ型は扉が普通床にある。もともとのホームの高さから来るものなのだろうが、DSBはもともと電車も多いので床が高いのだろう。2階席はやはり視点が高い。なんとなくだが、海がより長く望めるような気がする。思いこみかもしれないが。

  そして列車は定刻18:32にヘルシンゲアに着いた。この区間、海沿いを走るのだが、なかなか海を見ることができる見通しのきくところが少ないので少し得をした気分になった。SA型にも二階建てにも乗れて、楽しいデンマークであった。

 

16        10日夜         海を挟んでいったりきたり

  再びフェリーでスウェーデンに戻る。この区間はフェリー3隻でピストン輸送している。所要片道20分+折り返し10分を20分間間隔で運行しているので、1時間で一回り。行きのヘルシングボリ発が16:10、帰りのヘルシンゲア発が18:40なので、往復同じ船である。カフェテリアに行くと同じおじさんがレジカウンターにいた。またフランクフルトソーセージを食べたが、レジおじさんが私を覚えていたかどうかはわからない。

  ヘルシングボリからマルメへと向かう。この区間は初めて乗るところである。いままでスウェーデンへの玄関口はヘルシングボリで、そこからマルメに出る機会はなかったし、前回エーレスンの橋を渡りにきたときもマルメですぐ折り返したから、なじみのなかったところだ。海沿いを走るのかと思っていたら違った。結構内陸を走っている。しかも線路がやたら新しい。詳しいことはわからないが、高速新線を新たにヘルシングボリ新駅(地下化)に合わせて建設したのではないだろうか?このあたり、エーレスン海峡大橋に関する記載は、何度か日本の鉄道雑誌にも載ったが、その他の付帯工事についてはほとんどわからない。

  ヘルシングボリでこの電車の出発前に時刻表を見たところ、このまま海峡を渡ってカストラップ空港駅を往復しても、マルメからの夜行列車に間に合うことがわかっている。なので、マルメを通り越して海峡を渡る。検札にきた車掌のおねえさんはSJでもDSBでもなく、マルメ地域の交通公団( Skanetrafiken :aの上に○がつく)のマークの制服を着ている。マルメのみならず、海峡を挟んでのちょうどわだらんが一周したフェリーと海峡橋で結ばれる地域はゾーン制地域運賃を引いているようで、ゾーン地図がマルメ中央駅にあった。ちなみにその地図にはマルメとヘルシングボリの間に海沿いの線路があるので、これがかつてのSJ本線なのかもしれないが、実際のところはわからない。このあたりではもはや国を越えて生活圏が一体になっていて、言葉や通貨の違いはあんまり関係ないだろう。

  そういえばエーレスンの橋ができてしばらく後のNHKの番組で、マルメからコペンハーゲンへ通勤する人たちの特集をやっていたのを思い出した。坂出から岡山に通勤する感覚なのだろうか。

  いったりきたりの矢印マークをつけたおねえさんは切符を見ながら日本人かなどと愛想良く聞いてくる。こちらも何かネタになるものが聞き出せないか、と必死なのだが、残念ながら鉄ヲタの会話ネタにはならなかった。それでも、空港駅で降りると向こうから手を振ってくれたりして何となく気分がいい。

  再びデンマークに入り、コペンハーゲン・カストラップ空港駅ですぐに折り返し、帰りのマルメゆき電車に乗る。ロ室は先頭で、検札を終わった車掌が運転室へ入って話し込んでいる。たぶんたわいのない雑談なのだろうが、おかげでこちらは運転台をのぞき込むことができた。ぱっと見ると速度計が170km/hを指している。この電車、国境を越えるといっても基本的に普通(郊外)電車で、中間車体が低床になっていて自転車も積める庶民の足である。駅間が長いから高速で走ってもなんら不思議でないが、でも普通電車である。ドイツの快速REも特急ICと差が少なくなっているし、列車種別の格差はずいぶん小さくなっている、というかなんでもあり、の世界だな、と一人納得している。高速列車の定義ってなんだろう?開いている運転室仕切の隙間から運転室の写真を撮ったら、運転士と車掌がみんなして笑っている。何か言われるか、と心配したが何もなかった。まぁ旅行者なんで愛嬌を振りまいてくれたのだろう、といいように解釈しておく。

  しかし、この電車、乗るたびにロ室の位置が違う。ET型は3両編成の片エンドにロ室があるのだが、ロ室の位置が、マルメ向きだったりコペンハーゲン向きだったりする。ヘリシンゲアとマルメの間を往復するだけなら向きが変わることはないはずなのに、なんで編成向きが逆転するのだろう?なにか向きの変わる運用を別にこなしているのだろうか?確かにマルメ中央は終端駅だが、マルメ中央駅を飛ばす列車はなかろうに。ちなみにDSBにはゴム電車が2種類あって、国内IC列車用のIC3といわれるER型とエーレスン用のET型で、ET型はデンマークの25kvとスウェーデンの15kvの複電圧車である。しかしデッドセクションがどこなのか、相も変わらずわからない。

  再びマルメ中央駅に戻ってきた。今度は切符の確保はしてあるし、現金も持っている。昨日の夜とはうってかわって強気である。で、街まで出ていったものの、コペンハーゲン(比較するのが酷なのだが)に比べてやはり人通りが少なく(明るいから気にならないが、既に夜9時を回っている)、これといってめぼしいものもなく、そそくさと駅へ戻ってしまった。

 

17        10日夜         久々のクシェット、初めての路線

  今夜はクシェット。いつもは座席を宿としているので、寝台(といってもクシェットだが)利用は、本当に久しぶりである。座席車がないから仕方なく、というのが本当のところだが、自分の居場所が確保できているのはありがたい。

  クシェットとは、簡易寝台ともいわれる、いわばのびのび座席のような、ベットにシーツと毛布だけの簡単な作りである。3段式で、上下も左右もお世辞にも広いとはいえない。それでも、体を横にして寝ることができるので、確かに楽である。とはいえ、150クローネもかかっているので、その価値があるのかどうかと不安になったりもする。

  マルメの駅には既に列車が入っていた。SJのRc6型ELに牽かれたロネ1+ハネ2のこぢんまりとした編成。いわゆるメイン路線でないのでこんなものなのかな、と思ってみたが、でも外から見回すとずいぶん乗っている。もともとこの路線のドイツ側、ザスニツというところは東ドイツであった。以前北欧でDR(=旧東ドイツ)の車両を見かけては、この路線に乗ってみたいと思っていたものの、なかなか機会がなかった。よって今回初めての区間である。フェリーでそのまま海を車両ごと渡るのが最大の楽しみである。といっても真夜中なので、たぶん寝てしまっているだろうが。

  今日の宿となる自分の席はすぐに見つかった。切符を持ったときには気にならなかったのだが、上段である。上段は棚が使えてしかも通路の足音も苦にならず、もともと好きである。でも今日は既に上段の棚は大きなリュックが3つも並んでいて、私のものを強引に押し込んだらえらい密度になってしまった。6人コンパーメントは結局中段が1つ空いた5人であった。私以外はパリへ向かう30代くらいであろうか男性が1名、たぶんは大学生と思われるベルリン観光のスウェーデンおねえさん2名、二十歳をちょっと過ぎたくらいに思われる、プラハまで行くフィンランドおねえさん1名である。おねえさんはいずれも背が高く、色白ブロンドのなかなかの美人揃い。

  フィンランドおねえさんは既に仕事に就いていて、プラハにいる妹のところへ遊びに行くのだそうだ。「フィンランドも今日で学校が終わりか?」と聞いたら、「一週間前に終わっているよ、ただ私はもう学生でないからわからないけど。」と答えてくれた。しかしスウェーデンの学校終わりが今日でも早いなぁと思っていたので、さらに早くに終わるのには驚いた。

  車掌が検札に回ってきて、この紙に名前を書け、という。紙はデッキの入り口に最初から貼ってあったものだ。この部屋の5名全員分が必要で、名前とPassportNo.を記入し、次々に回していく。スウェーデンもドイツもシェンゲン条約加盟なのに、なんでPassportチェック?と不思議に一瞬思ったが、要はフェリーの乗船名簿のようだ。そういえば青函航路がなくなって以来、乗船名簿なんて縁がなかった。

  スウェーデンおねえさんとフィンランドおねえさんが会話をしていたが、どうもスウェーデン語(少なくとも英語ではない)のようだ。でもこのフィンランドおねえさん、きれいな分かりやすい英語でわだらんと話してくれたし、スウェーデン語とデンマーク語は似ているから、きっと4カ国語かそれ以上を軽く話すのだろう。そういえば、さっきの電車の中でDSBの運転士とマルメ地域交通の車掌が談笑していたが、これは何語だったのだろう?日本にいると日本語しか話す機会がないが、ここらの、あるいはオランダでも複数の言語が平気で飛び交う感覚は一般の日本人にはついていけない、と思う。おねえさんたちは適度にベッドに入って本を読んでいる。わだらんは通路で外を眺めたり、通路に立っている同室の男性としゃべったり。男性の妹さんはイエテボリでトラムの運転士をしているそうである。どうせならもっと早く知り合いになっておきたかったな。

  さすがに長かった北欧の一日も終わりである。マルメを定刻21:52に出た列車は、やっと日の落ちた薄暮の中を南へとひた走る。

 

18        10日夜         海をまた渡る

  列車はトレレボリ駅(Trelleborg)に到着。乗っているハネ車は編成の先頭、ELのすぐ後ろ。牽引してきたELが開放されて少し前へ移動したので、視界が開けた。このまま船の中に入っていくのが見られそうで楽しみである。どこからか同業者1名がやってきて、狭いデッキの貫通路に大の男が2人並んでいる光景になった。その後10分ほど、何も動きがなかった(あとから分かった話だが、先に甲板上にトレーラーを入れていたようだ)が、しばらくして編成後ろからDLがやってきて、3両の客車をそのまま一旦ホームから後ろへ引き上げた。で、そのまま転線してフェリーのおなかへと入っていく。

  フェリーはずいぶん大きかった。車両甲板には3本の線路がひかれ、その両側にさらにもう1本車列がある。車列といっても基本的に大型トラック(トレーラー)ばかりで乗用車はあまり目立たない。その3本の線路のうちの中央、船の中程へと列車は進む。青函航路などでは機関車が可動橋を越えないよう控え車を連結していたし、ヘルシングボリやニューボアでは航走しない客車を控え車がわりに連ねていて、重たい機関車が可動橋を越えないようにしているのだが、ここでは入れ換え用DLが直接船の甲板にまで入ってきた。で、どこまで進むのかと思ったら、甲板の先端までどんどん進む。3本の線路のうちこの列車が入ってきた1本には車両甲板の先端壁に客車と同じ幌があって、緩衝器もある。さらに非常口の標識もある。で、車両をそこまで押し込んで、DLは帰っていった。甲板は縦にも長く、感覚的には8両程度は入るような気がする。ヘルシンボリもニューボアも4両程度だったので、やはり船はずいぶん大きいと感じる。それなら、もっと列車の編成を長くしてくれればいいのに、と一人で愚痴る。あとから船内探検でわかるのだが、この非常口、船内にそのまま通じるようになっていて、いざというときには車両から直接船の中に出て、さらに外へ逃げられるようになっているわけだ。

  扉の下に木の踏み台が置かれて車両から甲板に降りられるのはおなじみの光景、鉄製の扉についている大きな黒ボタンを押して船内へとはいる。甲板は8層と大変大きく、うち車両甲板が3層もある。客室も個室タイプがいくつかあるようで、ちょっとした外航船気分である。メインの旅客サービスデッキはレストランや免税店が並んでいる。既に船内には多数の乗客がいて、レストランでご飯を食べたり船室フロアでごろごろしていたり。家族連れなども結構いたので、みなマイカーをフェリーに持ち込んでいるのだろう。列車の乗客はせいぜい140人くらいだろうから、それだけたくさんの車が入っている、ということになる。大きな船だ、と改めて思う。外の遊歩甲板にも出てみた。ちょうど車両の積み込みをやっているところで、大きなトレーラーが次々に飲み込まれていく。 ☆写真を撮りました☆

  船内を探検してみる。下層の甲板はトラックや乗用車、そして寝台車で埋まっている。甲板への扉には車や汽車(SL)の案内絵表示があり、出口を示す。わだらんの客車のいる3階には、車両甲板の他に寝台客室もあって、ホテルの通路のように部屋の入り口が並んでいる。その通路に面して車両甲板とつながる非常口があった。でも、船が大きくて歩いていると迷子になりそうだ。

  といっている間に船が動き出したようだ。再び外へ出てみる。港の灯りがなにかもの悲しいようだ。前を見ると明かりは全くなく、暗闇の中をまっすぐに進んでいく。風が結構強く、立っているとちょっと寒さも感じる。最初は多くの乗客が外を眺めていたが、港から離れ、風が強くなると、みんな船の中へ戻ってしまった。わだらんも船内に戻る。

  船の後ろからはメインデッキの免税店はそこそこ広い規模のようだったが、閉まっていて中に入ることはできなかった。もう少し立てば開店するのかもしれないが、何となく眠くなってきた。客車に戻ると、おねえさんたちもすでにお休み中。わだらんも自分のベットに入ると、どうやらすぐに寝てしまったようだ。従ってドイツ側の引き出し作業は全くわかっていない。

 

19        11日早朝      さて朝食

  いよいよあすはオランダだ、などと気負っていたのだが、結局フェリーに乗り込んでからは熟睡だったようだ。朝、まわりがごそごそしているので目が覚めた。上段なのですぐさま外の様子は見えないのだが、高架線のようだ。どうやら列車は既にベルリン市内を走っているらしい。ベットを片づけては見るものの、通路にも人が多く適当な場所がなさそうなので、そのまま上段にいることにした。よって列車の窓の外、ベルリンの市街地の様子やすれ違う列車はほとんどわからない。こんな時には上段は不利だったりする。

  ほどなく、ベルリン東駅へと列車は到着。列車と、おねえさんにお別れ。降りてから、スカンライン社塗装のELに牽かれていたのだ、とこのとき知る。(以下注参照)Sバーン(=近郊列車)の列車が頻繁にやってくる。二階建てのプッシュプルで、もう客車と言うより電車に近い。いつの間か、民営化後の新生DBは赤い車体ばかりになってしまって、ずいぶんきれいになった。

  で、写真を一枚。ところが、ここで不安なことが起きた。デジカメの電池が切れかかっているのである。念のためと思い新品の予備を1つ持ってきたのだが、両方とも電圧不足になってしまった。日本にいるときには連続使用することなんかなかったので、ここまで消耗が激しいとは思わなかった。とりあえず、オランダに着いたらまずスキポールで電気屋にいって捜してみよう。なかったらこのあと写真が撮れなくなってしまう、と不安が頭をよぎる。

  とはいえ、ユーロ圏に入ると急におなかが空いてきた。現金を持っている、ということもあるが、北欧はどうも物価が高く、パンもビールも我慢である。でまともな飯を食べていなかったのだ。結局北欧1日半のうち、まともな食事はソーセージ+パンの2皿だけで、あとはロ車サービスのリンゴとかチョコレートのみであった。そこで、一度ホームを降り、駅の中の店でさっそく朝飯。東駅はホームが2階の高架駅で、高架下にいろいろな店が並んでいて、朝早くから店開きで華やかである。やはりドイツだ、などと自分で威張ってソーセージとパン、コーヒーで朝食をとる。駅は早くも人が集まり活気づいているが、ドイツでも朝食はクロワッサンとかがはやりで、雰囲気がだいぶ変わってきているようだ。さっきのスウェーデン人の女の子と駅構内でまた出会う。彼女らも適当に朝食をとり、市内へ出向くようだ。こちらはオランダへ向けICEに乗らねばならず、ご一緒できないのはちと残念。

さて、腹ごしらえを終わり、ホームに上がるとしきりに何かドイツ語でアナウンスしているがよくわからない。どうやら発着線変更のようで、「隣のホームへ行け」ということらしい。ぞろぞろと乗客が動くものの行った先には列車の案内はなし。今度の列車はデュッセルドルフまわりのICE644とブッパタールまわりのICE654の併結で、私はデュッセルドルフまわりに乗らねばならないのだが、編成の前か後ろかわからない。駅員に聞いてみるが、私の聞き方が悪いのだろう、要領いい返事が返ってこない。

隣のUバーン(=地下鉄)は次から次へと電車が入ってくる。インバータの新型481電車ばかりがやってくる。2両ユニットを背中合わせにした4両編成で、それを2編成連結して8両で走っている。第三軌条集電なので屋根上はすっきりしているが、なにか箱が走っているようでかわいいやらもの足らないやら。そう考えると日本の地下鉄は第三軌条式でもクーラーを積んでいたりとまだアクセントがあっておもしろく見える。しかし、昔の477のような地下鉄車はもうなくなってしまったのだろうか。いかにもぼろ車という格好で、一般人にも受けは悪かったのだろう。その点、この481型はスマートで都会的である。

やがて10分ほど遅れてICE2が2編成連結で入ってきた。めざすICE644は編成前よりであった。よく考えたら、ハム駅での出発順序を見ればどっちが先頭かわかるはずなのだが、寝ぼけていてそこまで頭が回っていない。しかもロ車は先頭で、適当にホーム中程にいたわだらんは一挙に8両分を走らされる結果になった。あとから気が付いたのだが、このベルリン東駅、ドームの部分はわりと短く、編成の半分程度しか入っていない。ケルン中央やミュンヘン中央よりかなり規模は小さいようだ。 ★Googleサテライトでのベルリン東駅です★

(注)帰国後の調査で、実はこの列車、ベルリン−マルメエクスプレスというのだそうだが、いわゆるDBのグループでない、スカンドライン社(船会社)のグループ列車であることがわかった。SJとGeorg Verkehrsorganisation GmbH (GVG)の共同運行で、GVGという会社のドイツ側の運営会社である。DB直営でないので、クシェットの料金が時刻表と違うのもそのせいだったのだろう。(HPに料金表が載っていた。)このスカンライン社塗装の機関車はGVGが所有するDBの中古機関車(109型)で、この会社は109ELを3両保有しているとのこと。

ついでに、DBグループとは、もとの西ドイツ国鉄が旧東ドイツ国鉄を吸収してドイツ国鉄となり、その後分割民営化されたもの。DBグループの頭に持株会社があって、その下にICEのような長距離列車会社、地域の近郊鉄道会社、このベルリンの地下鉄会社、貨物列車会社などの列車運営会社と鉄道施設の保守新設会社、駅や列車内サービス会社などからなる複合体になっている。

 

20        11日朝         ご不便をおかけします

  ICE644はベルリン東駅を約10分遅れで出発。ロ車は空いていた。とはいえ、向かい合わせや後ろ向きの席も多いので、わだらんにとっては座席選択の余地は極めて少ない。でも幸いに進行左側の前向き席をとることができた。

  ベルリン市内はSバーンとの線路別複々線。くねくねと曲線を連ねて、市街地を高架で進んでいくさまは、有楽町や新橋あたりの雰囲気にちょっと似ている。以前ベルリンに来たときに、アレキサンダー広場駅横のテレビ塔に登り、くねくねと続く線路が真下に見て飽きずに見ていたっけ。今なら新しいベルリン中央駅が見えるのだろうか?ベルリン中央駅の工事のところは「駅を作っている」しかわからなかった。話によると、大きなガラスの屋根がかかるようなのだが、大きなドームだろうか、どんなイメージになるのだろう?ベルリンツオー駅で若干乗車があったものの、半分程度の座席は空いている。

  車掌がドイツ語と英語で「ICEにご乗車ありがとうございます」と放送している。正確に聞き取れるわけでないので適度に聞き流していたが、停車駅や車内の案内のあとに、「この列車は約10分遅れで運転しています。みなさまにはご不便をおかけします」の旨の放送があった。これではどこぞの新快速の常套句とおなじではないか、と鬱になる。以前はこんな放送はなかった(と思う)ので、これも民営化の成果か、あるいは列車ダイヤの確実性に自信を持った証拠なのだろうか?ただ、この遅れはわだらんにとってやっかいである。ドイツの鉄道は正確、と思っているので、こののちデュイスブルグで接続6分でのアムステルダム行きICE220への乗り換えが待っている。トーマスクックで接続扱いになっているのでこの列車を選んだのだが、座席に配布されている時刻表にはICE220が接続列車として載っていない。「6分の乗り換えは接続を保障しません」ということなのだろうか?

  向かい合わせの席には大きなテーブルがある。食事に便利だと感心していたが、みんな書類を広げたりパソコンを開いたりしている。座席にはコンセントがあって、パソコン電源をつないでいる。JR西のレールスターにも「コンセントあります」の宣伝があったと思い出し、納得したり感心したり。このコンセントがのちに大きな事件となるので、この発見は今回の欧州の一番のものだったのかもしれない。

  列車はベルリン市内を抜け、新線区間へ入るが、なかなか列車の速度は上がらない。感覚的には150km〜200km/hくらい?でも快適ではある。新線区間の途中、二階建てのRE列車(のはず)とすれ違い。そういえば、この新線区間をREで乗るのも楽しいかもしれない。160km/hで走るのならさぞ快適だろう、と思う。次回機会があればやってみよう。結局今回ベルリンは駅外にもでていないし、中央駅もできているだろうし、などと既に次回のことを考えている。

さぁ、ICEに乗ったら食堂車、とばかり出向いて朝食をとる。食堂車のテーブルは出張者らしき人で相席にならない程度に埋まっていたし、カウンターはコーヒーを飲む人たちで賑わっていた。東海道新幹線にもこれくらいの余裕があるといいのだが、だいたい朝の乗客は、座席に座ってみんなしかめっ面をしている。DBの食堂車はほとんどがビストロタイプになってしまっていて、このICEも例外でなく、日本で言う食堂車とビュッフェの合造車。今の走行向きだと、前からテーブル席、厨房、立ち席カウンターと並んでいる。せっかくなので、テーブル席でちゃんとした食事をしよう、と張り切って7.95ユーロの朝食メニューを頼んだものの、食べている途中にこれが1100円近いものだと気がついて、ちょっと焦る。何せさっき駅でソーセージとコーヒーパンで6.50ユーロ払っているし、朝飯代だけでクシェットに近い金額を払ってしまっている。どうも北欧からドイツオランダに来るとすぐに気が大きくなっていけない。 ☆写真を撮りました☆

  とかいいながら、楽しい食堂車のひとときを過ごしている間に、ICE644(+ICE654)はハノーバーを過ぎるが、遅れは戻らない。これではデュイスブルグの乗り換えは無理かとあきらめていたが、ハムで列車を分割するときには既に2分程度まで遅れが戻っていた。どこで戻したのかはわからないが、かなりの余裕時分を持たせているのだろうか?途中にわかに天気が悪くなり、ハノーバー付近で雨が降ってきた。今日は大きなリュックを背負っているので、雨が降ったら難儀だと思っていたが、ドルトムントのあたりでは既にやんでいて助かった。

  ハノーバーやドルトムントなど、少しずつ乗り降りはあるものの、あまり乗客数には変化なく、車内は落ち着いていて、静かな雰囲気。時折、停車駅の前になるとどこからかwindowsシャットダウンのデフォルト音が聞こえてきて、「ここでもかい」などと苦笑してしまう。ハム(Hamm)で後ろ7両を落として単独7両になったICE644は快調に飛ばしていく。その後は遅れが戻らず、デュイスブルグ(Duisburg)には2分遅れで到着した。地下通路から階段を上がると既にアムステルダム行きICE220が停車していて、乗り込むと間もなく列車は発車した。

 

21        11日             昼いよいよオランダ

  心配だった乗り換えも無事にできて、乗車したICE220はデュイスブルグ10:53の定刻発車でオランダへと進んでいく。相変わらず国境越えはよく混んでいて、ロ車もほぼ埋まっている。それでも空席はいくつかあって、無事に進行左側前向き座席を確保する。オランダとの国境は小さな森が目印なのだが、よく見落としてしまう。気がつくとオランダ型の架線柱になっていて、あれ、もうオランダかいな、と思うところだ。今日も架線柱の境を見る間もなく列車は通過してしまったが、今となってはパスポートチェックもないし、通貨も同じなので、都道府県境を走っているのと同じ感覚である。

  天気もすっかり良くなって、オランダに入って気分も上々。昔はエミリッヒ(Emmerich)で機関車の付け替え(DB機関車からNS機関車へ)をしていて、少し停車時間もあり、いよいよオランダ、と興奮していたのだが、今はICE3になって、国境も交直切り替えもあっさり通過してしまう。下関をあっさり通過してしまう寝台特急のようで、ちょっと寂しい。まぁ、手間もかからず、所要時間も短くなって、いいことばかりなのだろうが。

  オランダに入り、最初の停車駅アーネム(Arnhem)に列車が着いた。NSの黄色の電車に囲まれてうれしい限りだが、なかなか出発しない。おかしいな、と思ったがよく見るとまだ発車時間に間がある。最近はどうも駅に着いたらすぐ出発するもの、停車時間は短いものだ、などという変な癖が付いてしまっているようで恐ろしい。定刻で走ってきた列車はユトレヒト(Utrecht Centraal)で停まったまま。しきりに何か放送しているのだが聞き取れない。さっきのアーヘンのことがあるので、のんびり構える。さすがに列車が動かず、退屈になってきた。で、座席の液晶モニターをつけると、まだDBがいわゆる西ドイツ国鉄だったころのIC列車の映像を流していた。103型ELに牽かれた長編成の客車に見いってしまった。

  で、気が付くと、いつの間にか列車は走り出していた。ところが、列車から見えるのはいつものユトレヒトからの風景でない。ユトレヒトからアムステルダムへは平坦な牧草地を運河に沿って走り、途中に大きな中華料理屋の赤い建物が見えたりするのだが、この景色は違う。その後、ヒルフェルサムの南側(Hilversum Sportpark駅)を通過したのがわかり、ありゃ、迂回運転だわな、と気づく。どうやらユトレヒトでアナウンスしていたのは、迂回運転のことだったようだ。何か事故でもあったのだろうか。

  迂回運転をしながら、ICE220は、アムステルダム市内に入ってきた。ヒルフェルサムの方向からアムステルダムに向かうと、市内に入ったところで、大きな留置線群を見ることができる。以前はここにパリ往復の夜行列車が昼寝していて、SNCF(=フランス国鉄)の寝台車を見ることができたのだが、いつのまにかパリへの夜行列車はなくなってしまった。もう夜行でわざわざ行くような距離ではないらしい。DBがケルン−フランクフルトの高速新線開業後も旧線経由のICを残したが、SNCFはわりとTGV開業後は旧線や一般列車をわりとばっさりと切っているようだ。そのあたりは新幹線開業で平行在来線を切る日本と同じようなものだと思う。が、夜行列車をユーレイルパスで宿泊利用するわだらんにとっては、SNCFのような方針はなかなかつらい。とはいえ、この主張は日本の安物18きっぱーと同じなので、あまり大きな声でいえる話でもない。実際、一般人からすれば、夜行列車で7時間かかるより、タリス利用の3時間で日着するほうが楽に決まっている。

  夜行列車はいない代わりに、留置線群には夏冬シーズン行楽列車用の寝台車や、ツアー用クシェット車、それに休車中のICK客車などが停まっている。ICKはNSの車両不足対策で、DBの中古客車を買ってIC用として整備したのだが、最近は休車も増えているようだ。まだ使いだして3年程度なのだが。落書き防止のためか、ICK留置車の周囲にフェンスが貼ってある。そういえば、まだ全体を見たわけではないが、ドイツもオランダも鉄道車両への落書きがずいぶん減っているように見える。何となく落書き多発では、治安がいいとは思えない。いろいろな対策をしたのだろう、ちょっと大げさな話だが、落書き防止が社会秩序の維持を目指しているようで、いいことだと思う。

  留置線群の線路も収束し、もうすぐアムステルダム中央駅になる。一つ手前のムイダーポート駅を通過。この駅はユトレヒトへの分岐なのだが、その線路にバラストを積んだ貨車が止まっていたのが見えた。線路閉鎖でもしているのだろうか?とも思うが、よくわからない。予定はダイフェンドレヒト(Duivendrecht)駅で乗り換え、スキポールへ電池を調達し、そして宿へと向かう予定だったのだが、迂回運転のためにでダイフェンドレヒトを通らず、アムステルダム中央駅に直行してしまう。そこで順序を変え、まずはいつもの宿に行き、今夜の宿を確保することにする。ICE220は時刻表から35分遅れ、13時27分にアムステルダム中央駅に着いた。 ☆写真を撮りました☆

 

22        11日昼         チューリップ畑の中を

  いつものなじみの宿はハーレム(Haarlem)とライデン(Leiden)の間にある、フォーアウト(Voorhout)という小さな駅のすぐそばにある。アムステルダムからの場合、まずハーレムまで行き、さらにハーレムでハーグ行き普通電車に乗り換える。アムステルダムからは40分ほどの距離のところ、便利で気に入っている。遅れのICEから乗り換え、アムステルダム13:40の電車でハーレムへ向かう。

  ハーレムはオランダ鉄道発祥の地、1839年9月のハーレム〜アムステルダムの開業がオランダの鉄道の歴史の始まりである。このハーレム駅も小さいながら、ドーム天井を持っていて、歴史を感じさせる駅である。ドームの中の広いホームにはKioskと軽食堂があって、ちょっとの時間待ちの間にホームの中のテーブルでコーヒーを飲むことができる。なじみの場所のなじみのことだが、落ち着いた雰囲気で気分が楽になる。ハーレムに着く直前には車両工場と跳ね橋が眺められ、それもまた楽しい。いかにもオランダへ来たのだぞ、と思わずにはいられない。 ☆写真を撮りました☆

  ハーレムで乗り換え、普通電車で南に向かう。このあたり、一面のチューリップ畑が広がり、いかにもオランダらしい風景でとても気に入っている。チューリップ畑はほぼ刈り取りが終わって、畝だけがまっすぐに延びている。ところどころ、摘み取った花びらが無造作に山になって摘まれているのだが、摘んだ花びらは何か有効利用されているのだろうか。このチューリップ畑の中心地、リッセという村がハーレムの南にある。ここのキューエンホフというチューリップの公園は日本でも有名である。電車はその公園のすぐそのそばを通るのだが、駅がない。わだらんも公園に2度出かけたことがあるが、ライデンとハーレム間のバスに乗るので、ハーレムなりライデン駅から結構時間がかかる。リッセには駅らしき建物とホームがあるのだが、なぜか営業していない。この区間、駅間10kmもあるのだが、NSは都市計画に絡むもの以外の駅の新設には興味がないようだ。

  チューリップ畑の中にとんがり帽子の教会が見えてきて、列車が左カーブするとフォーアウト駅に着く。2面2線の無人駅でポイントも駅舎もない停留所である。ホームのはずれに踏切があり(フォーアウト村の中心道路である)、そこから道沿いに歩くと2分もかからずいつもの定宿にたどり着くことができる。ここの宿は、ライデンのVVV(観光案内所)で、安い宿をを紹介してもらった際、「電車に乗って一駅のところですが」と案内されて宿泊したのがきっかけである。もともと電車に乗るのが目的だし、鉄道パスを持っているので、(オランダ国内パスだったりユーレイルパスだったりするが)電車に乗ることは全く抵抗がない。で、そのときの宿泊が、安くて、便利で、まさにわだらん向けであった。ので、オランダで宿泊するときはいつもお世話になっている。わだらんにとっては下手な町中で駅から歩くより、田舎でも安くて駅に近い宿がはるかに便利なので、まさに理想の宿である。

  このホテル、一階がレストラン兼パブになっていて、まずそこに顔を出す。店にはだれもおらず、厨房の入り口で声をかけていると、店主が店の入り口から戻ってきた。そこで今日の宿を頼むと快諾。ただ、改装したので45ユーロだという。以前は60ギルダーくらいだったはず。ユーロ高もあって、ずいぶん高くなった印象を受けるがまぁ仕方ない。でも部屋にはいると確かにきれいで十分すぎる。わだらんの宿にはちょっともったいない。で、大型リュックから小型リュックを出して、身軽な格好で再度おでかけとする。

 

23        11日午後      困ったときのスキポール

  フォーアウト駅からはライデン中央駅乗り換えでスキポールまでおよそ30分。ライデン中央駅は1/2ホームと4/5ホーム、8/9ホームと番号が飛んでいる。運転線路とホーム呼び名を一致させた、京都みたいな駅である。しかし本線ホームの1面を上下左右4分割して、尼崎のX型接続と同じ形を快速系普通系両方ともに対面同一ホームで一度にやってしまうという極めて利便性の高い優れた配線である。もっとも、最近快速系が1パターン増発になって、快速同士のX接続はしなくなっってしまったが。フォーアウトからスキポールは残念ながら同一方向ではないので、一旦コンコースに降りてホームをかえる必要がある。とはいっても、そんな大げさな規模ではないし、通路にはKIOSKや本屋などが並んで明るく楽しい雰囲気で、またそれを歩きながら感じ取れるのは気分がいい。 ☆写真を撮りました☆

  反対ホームに上がる。せっかくなのでタリスが通過する写真を撮りたかったのだが、残念ながらこの時間は列車がなかった。来年になるとタリスはライデンを通らず、スキポールから高速新線を使ってそのままロッテルダムに向かってしまう。

  お気に入りのIRMが入ってきた。これに乗ってスキポールへ向かう。ハーレムとスキポール向きの線路は途中までは方向別複々線で平行し、その後立体交差で別れてお互いの方向へ進む。そのため、さっきフォーアウトから乗ってきたからの線路を横に見ながらもう一度北方向へ進み、別れていく。スキポール新線(もう新線ではないな)は牧草地やチューリップ畑を見ながら平坦な線路が続く。このあたり、もともと低湿地で、池や水路が交錯してオランダらしいところ。オランダ風車も沿線にいくつか残っていて、気をつけていれば列車から見ることもできるのだが、あることを知っていないと難しい。

  スキポール駅の手前にホープロップ(Hoofddorp)という駅がある。スキポール線ができてまもなくの頃は、広い牧草地の中に小さなホームとぽつんと留置線があっただけなのだが、今は3面6線のホームを持ち、留置線へは立体交差になり、スキポールへは複々線になっている。駅前もますます開発が進んで、しゃれたオフィスビルが建ち並んでいる。空港に近い副都心としてますます大きくなっていくのだろう。

  トンネルに入ってまもなくするとスキポール駅に到着。駅からそのままつながる空港内商店街へと向かい、中の電気屋へ入る。カメラや携帯音楽メディア、パソコン付属品など、弱電関係のいろいろなものを扱っている店である。で、電池の現物を見せて、同じものがあるかどうかを聞く。すると中南米系の顔つきのおにいさんが、端末画面で仕様を叩いて、在庫品をもの入れから出してきてくれた。助かった。これで電池切れの心配も減るだろう。で、無駄な出費かと迷ったがついでにユニバーサルプラグも買った。日本のコンセントをヨーロッパ用コンセントにつなげるプラグである。このプラグがじつに有用で、確保したことは大正解であった。しかし、その有効性はこの時点ではわかっていない。

  しかしスキポール空港駅とその商店街は実にありがたい。本屋や電器屋、土産物にスーパーマーケットといろいろな店が集まっている。何か捜し物があったらスキポールへくれば、たいていのものは揃う。スーパーも深夜までやっているし、両替もいつでもできる。スーパーマーケットには日本食の材料なども置いてある。わだらんは日本食が恋しくなることはないのだが、何かあればここで調達ができる。

 

 

24        11日昼続き   中央駅は工事中

  無事に電池を入手して、これで当面の心配事はなくなり、一安心。再び電車に乗り込み、アムステルダム中央駅へ。わだらんのもっとも好きな車両であるIRMの二階席に陣取り、楽しいひととき。さっき、ライデンからスキポールまでも実はIRMに乗っているのだが、とにかくわだらんはこの車が好きだ。大きくてどっしりしていて、かつ足が速い。1994年に登場したときには3両編成、4両編成だったが、いまは4両と6両編成に編成増強されて、かつ仲間がずいぶん増えた。登場時は路線限定だったのだが、IC列車網の増加もあって、ずいぶんいろいろなところで顔を頻繁に見ることができるようになった。ますます楽しい。

  電車はスキポール空港のトンネルを出て、高速道路の間を複々線で飛ばしていく。アムステルダム中央駅と、市内南部のアムステルダム・ライ(AmsterdamRAI)駅経由でダイフェンドレヒトへと続く線路が複々線になっていて、やがて立体交差で複線に別れた線路はアムステルダム中央駅に向かっていく。このあたりも昔スキポール新線ができたときには、ライ駅方向への分岐は平面交差だった。この市内南部への線路、最初はライ駅までだったのが、その後ダイフェンドレヒト、ウェースプ(weesp)へと線路は延び、今やオランダ東部からスキポールへ大動脈に育っている。そのためにスキポール付近は複々線になり、スキポールの前後には立体交差ができと、インフラの整備はどんどん進んでいる。うらやましいというか、すごいというか。立体交差から北へ進んで、アムステルダム市街地の西はずれを列車は進む。右手にシュネルトラムと平行しながら中央駅へと進んでいく。この電車、地下鉄と路面電車の合いの子のようなもので、路面電車の規格の大きさで、市内中心部は地下鉄になっていて、市内の郊外は路面電車、かつ新設軌道は高架鉄道と、ライトレールの見本市みたいな電車である。日本の場合、法律の問題もあるのだろうが、路面電車と地下鉄は相容れないので、このあたりの汎用性というか、柔軟性はもっと日本に取り入れてもいいと思う。

  アムステルダム・スロターイック(Sloterdijk)駅は、ハーレム・アルクマールへの線路を十字型交差で接続する駅である。この区間の駅はまだ新しい(といっても20年になるのかな?)の区間なので、大きな屋根を赤いトラスで支える、いかにも新しい都市部の駅といった作りをしている。アムステルダム中央駅へ着いた。よく、アムステルダム中央駅(Amsterdam Centraal)を、東京駅のモデルになった駅だ、という。事の真偽について、わだらんがどうこういえる立場ではないが、どう見ても東京駅に似ているとは思えない。確かに赤煉瓦で、建物の配置というか外観イメージは同じなのかもしれないが、そっくりというわけではない。わだらんのちょっと気に入らない一節である。

  そういえば、日本の駅で大きなドーム屋根を複数のホームに渡ってまとめてかける例はないな。駅の上が駐車場で、結果的に各ホームに屋根がない例は新幹線広島駅や阪急梅田駅などいくつも例があるが、ドーム屋根はないな。もし、例えば新大阪新幹線ホームがドーム屋根であったら、無機質っぽい新幹線でも、きっとまた風情がずいぶん変わると思うのだが。JR大阪駅にドーム屋根がかかるようだが、どんな形になるのだろう?大阪駅の場合は屋根の下に歩行者通路を設けるので、屋根だけでないちょっと変わったイメージになるのだろうが。

  駅の外に出た。駅前広場は地下鉄工事で閉鎖されており、工事用のついたてで囲われてしまっている。残念ながら、特有の雑多な雰囲気がなかった。いつもなら駅前でいわゆるストリートパフォーマーが音楽やら大道芸やらで人を集めていて、騒々しいとか、ごちゃごちゃしているのが、いかにもアムステルダムの中央駅なのだが、それがないのは寂しい。

  中央駅には左右(駅に平行に東西2つの乗り場)に分かれて路面電車乗り場があって、いつも電車や人の行き来が絶えない。アムステルダムの電車は低床型で、ホームといっても路面と段差はあまりない。ので、電車乗り場といえども、電車が在線していなければ、歩行者(自転車も)線路を横断し放題である。といっても、この駅前広場に関して言えば、線路が歩道にひかれたような形になっていて、人が線路の上を歩くのはごく当たり前の風景である。同じ駅前の路面電車乗り場でも、ハーグやロッテルダムなどはきちんとした駅の風格を持っていて、アムステルダムとはずいぶん印象が違う。とはいっても、その雑多さがわだらんには心地よいのだが。駅前電停や、ダム広場に通じるメインの通りで、路面電車の写真を数枚撮ってみる。ところが、電車はいつのまにやらシーメンス製のコンビーノだらけで、車体色も白に青線で「これではチューリッヒではないか」と一人突っ込む次第。黄色の懐かしいタイプには会えずじまいで、早々に切り上げることにした。   ☆写真を撮りました☆

 

25        11日午後      風車の隊列

  市内での路面電車の撮影を切り上げ、再びアムステルダム中央駅に戻る。これから、干拓地であるフレボランド(Flevoland)に向かうことにする。アイセル湖(Ijsselmeer)を埋め立てたところで、広大な大地が広がっている。といってもかなり土地利用が進んで、駅のまわりには大きな住宅地ができている。9日にオランダへ来るときに、KLM機はフレボランドの干拓地の西端に沿って飛び、アルメレ中央(Almere Centrum)駅の付近を空から眺めている。

  このフレボランドの路線は将来フリースランド(Friesland)やフローニンヘン(Groningen)への幹線になる予定で、直線でどんどん延びていく。ウェースプ(Weesp)の駅はずれで、アメルスフォールト(Amresfoort)への線路から分岐して、複線で干拓地を進んでいく。いつの間にやらこの分岐の隣りにフレボランドからヒルフェルサムへ直通する線路ができていて、ユトレヒトからの直通列車が走っている。今のオランダは次から次へと立体交差だの短絡線だのができていて、ちょっと間があくとすぐ浦島太郎になってしまう。

  この線区は、2階建て車両が多い。が、わだらんの好きなIC用DD-IRMではなく、通勤用のDD-ARという形のものである。通勤用なので、ボックス向かい合わせの簡単な座席、座席モケットも緑色で簡素。この2階建て車、同様の形態のものはドイツや欧州各地にたくさんあるのだが、牽引する専用機関車(7800型)が2階建て、というのはオランダだけだろう。B-B-Bの3台車の機関車が2階建てになっていて、2階に客室があるのだ。こうなると、機関車という呼び方が正しいのかどうか、車両の分類すら迷う。イメージはは1M3Tの固定編成。さらに同じDD-ARには本当の機関車(1700または1800型)牽引もあって、こちらも1M4Tのプッシュプルの形。恐ろしいのは、このDD-ARはラッシュ時中心に2編成連結するケースが多く、その際には下手をすると編成の真ん中に機関車が2両背中合わせになることが起こる。つまり、ホーム中ほどで待っていた乗客の前に乗車できない機関車がくるケースがあるわけで、「整列乗車にご協力ください」の日本ではとても考えられない。

  おまけに機関車は重連になるので、1列車あたり8000kwの超大出力で、このままでは電気食い虫になって、架線の電圧降下の原因になるという理由で、機関車の出力を半分にする機能がある、などという代物。(1700/1800型はいわゆるEDタイプで、出力4000kwの強力機である)どうも本末転倒のような気もするが、とにかく日本にはない形である。ただ、こんな列車ばかり見ていると、国鉄末期に登場した50系客車がED75とかDD51に数両単位で牽かれていたのがもう少し長く利用できなかったか、とちょっと残念に思う。

  アルメレ中央駅で降りて写真を撮る。駅の天井には大きな屋根がかぶせてあって、トラス状の鉄骨で屋根を支えている。オランダの新駅の標準のパターンで、この線や改築されたザーンダム、スキポール新線のアムステルダム市内の各駅などは同じ構造である。赤のトラスが美しいが、じっと見ていると目が回ってきそうになる。トラスには架線吊り金具も一緒になっていて、ホームには架線柱がない。オランダの中規模の鉄道駅にはバスターミナルが併設されている。鉄道の駅間が長いので、バスが駅から離れた小さな集落や駅から広がる住宅地、あるいは路線の違う駅への連絡をしている。ここアルメレ中央駅も例外でなくバスが行ったり来たり。ここの街並みは干拓地の計画的な人口街地なので、他の街の中心部とはまた違った街並みなのだろう。(古い街でも、郊外の住宅地は計画街地なのであまり変わらない)バスに乗って隣町まで新しいアパート群を抜け、干拓地の田舎を走ってみたい衝動に駆られるが、今回はバスの切符を持っていないので断念。オランダ鉄道パスにバス・トラム付きをつけたタイプがある。オランダ国内の鉄道、バス、路面電車、地下鉄すべてが利用できる魔法の手形で、まさにわだらんにぴったりの切符である。が、残念ながら、今回はユーレイルパス使用なので鉄道利用のみ、先を急ぐ。

  再び電車に乗り、この線の終点レリースタット中央(Lelystad Centrum)駅へと向かう。平らな大地が続いていく。まだ手つかずの土地も残り、荒涼な風景。ときおり大きな発電用風車が10基、15基と並んだ隊列が見えたりする。この干拓地、いろいろなところに発電用風車の隊列がある。北海からアイセル湖に向かって吹き付ける風を受けるのだろう。もともと海からみて平坦な地なので、風は障害物なくどんどんと吹き寄せてくるので、発電には最適であろう。風車の取り付け位置も高く、羽根も大きく、遠くからでもよく見える。ただ、植林が進んで、思ったより周囲の見通しがきかない。どのあたりの風車なのだろうか?堤防沿いならいくつかは上空からでも見ることができたが。   ☆写真を撮りました☆

 

26        11日午後続き山はないけどトンネル

  レリースタット中央駅は線路の配置ではアムステルダム向き線路に片寄った形でホームが配置されている。将来フリースランドへ延びたときには、おそらく対面にホームを造って2面4線になるのだろう。で、現在の営業運転はここまでなのだが、線路がまだ続いている。乗ってきた電車ははるか奥の方へと引き上げていって、ついに見えなくなってしまった。どこまで行くのだろうか?

  駅前へでてみる。駅の前は大きなバスターミナルがあって、各方面へバスがでている。バスの路線の中に、エンクハウゼン(Enkhuizen)行きのバスがある。このバスは、アイセル湖の締め切り堤防を走る路線で、両側に湖面が広がり、なんとも気持ちのいい路線である。ところが、時刻表を見るとずいぶん本数が減ったように思う。以前ここを訪れたときは、バスの時間を気にしないで来られたのだが、もしこの状況ならかなり悩んでしまう。確か、大堤防を走る、レーウワーデン〜アルクマールのバスは時間1本あったはずで、ここの本数減はちょっとがっかり。わだらん的には、大堤防より、この締め切り堤防の方が見晴らしがよくて好きなのだが....

  再び駅へ戻り、スキポール方面ゆき電車で再びウェースプ(Weesp)に戻ると、ここを本来通らないICE3が通過している。「まだおかしいのかな?」と悩みつつ、アムステルダム中央駅への電車に乗り換える。JR尼崎のように二方向からきた電車が対面ホームで接続し、X型接続をして、また二方向へ別れていくものである。ここの場合、リリスタッドとヒルベルスム方向からの電車が同時到着し、アムステルダム中央とスキポール方向へ同時発車できる。しかもウェースプ東側には左右両方の線路から立体交差でスキポール方向を分離する配線になっていて、どの方向からも同時発着できる優れものである。

           ☆配線略図です☆

            http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/Haisen.htm

  まだ外も明るく、今日は宿へ戻るだけなのでそのままアムス中央駅を通り越し、アルクマール(Alkmaar)へ向かう。トンネルを通りたかったのだ。山のほとんどないオランダにあって、鉄道トンネルがいくつかある。比較的長いのは4つあって、うち2つはアムステルダム・ハーレム近郊の北海運河の下、あとロッテルダム市内の川の下、そしてスキポール空港の下となる。いずれも船に関するものばかりで、(空港も港や船と同じ感覚だよな。そういえば飛行機の機体のことをshipと呼ぶな)海運が国の基幹であるといわんばかりである。確かに港湾、道路、鉄道、空港には金をかけている。

  この北海運河、これのおかげでアムステルダムに外航船が入港でき、かつアイセル湖の締め切りができるわけだが、もし、この北海運河がなかったら、近鉄特急は名阪間を結んでいなかったかもしれない、という壮大なお話。オランダ南部、ジーランド州生まれのデレーケという人物が、この北海運河建設に当初から従事していた。そこで、ドールン技師(彼は先に日本に来ていて、福島県の安積疏水の建設を指導した)に見いだされて来日することになった。来日したデレーケは、田上(わだらんの地元、滋賀県にある)の治山や、大阪市内中津川の開削(これが現在の新淀川である)や、濃尾平野木曽三川の治水工事の原案を作成し、河川改良に奔走した。従って、もし、デレーケがいなかったら、ひょっとしたら、今の木曽川・長良揖斐川鉄橋は今と違った形だったかもしれない、というIF話である。水と常に対峙してきたオランダの知恵に感謝をしなければ。これは余談だが、デレーケの先達にあたる、千本松原建設後に自ら命を絶った薩摩藩士の慰霊碑は、鹿児島市内の日豊線城山トンネルのすぐそばにある。鉄ヲタ的にはいい場所だ、などと思っている。まぁ、オランダにはあまり関係のない話だ。

  で、アムステルダムから北のザーンダム(Zaandam)へ向かうと、その途中に北海運河のトンネルをくぐる。このトンネルは3線区間になっていて、上下複線+適度に中線を振り分けて使っている。トンネル南側の線路の収束もおもしろいのだが、未だに配線の全貌がわかっていないし、北側のザーンダム駅も広くて駅構内に分岐器がたくさんあるのだが、全体が全くわかっていない。何度か通えばわかってくるのだろうが、ここだけでなくユトレヒトだのハーグ中央だの配線が複雑なところはいっぱいあって、そもそも配線をわかろうというのは無理な話だ、と最初からあきらめている。

  ザーンダムの駅も構内が広い。6面ホームに一つの屋根がかかって、駅構内の見通しはいい。ホームの支柱がうるさくなくて、気持ちいい。日本でざっと構内の見通しのきく駅って、あんまりないなぁ...ホールン(Hoorn)への線路が別れると、電車はチューリップ畑や牧草地の中をひたすら走っていく。このあたり、遠くまで平坦な土地の広がりを見渡すことができてなんとなく爽快な気分になる。牛や羊を眺めていると、遠くに広がる地平線をみながら、「ここが本当に欧州で人口密度の極めて高い国で、しかも街から電車で15分のところかいな」と悩んでしまう。そんなギャップが心地よく、オランダに来てよかったと毎回思わせてくれる。

  ちょうど帰宅ラッシュの時間帯である。ロ室はアムステルダム中央駅の発車時点では満席だった。わだらんも進行前向きが取れず、後ろ向きのしかも通路側という、なんとも寂しい席である。それでも、駅に停まるたびに少しずつ客が減り、さすがに途中からは前向き窓側が確保できた。といっても、周囲の席が空いたからといってわざわざ前向きに座り直すのはわだらんのみで、他のごく一般のみなさんは座席の向きなどお構いないようだ。座る向きにうるさいのは東アジアの住民だけだろうな。

  アルクマールの駅に着いた。駅の北側の跳ね橋は健在だった。今日はこのまますぐに戻るが、今回のうちにもう一回ここへ来て、跳ね橋の写真を撮ろうと思っている。アルクマールとハーレムの間にも北海運河を潜るトンネルがある。こちらは複線。アムステルダムへの機内からよく見えたところだ。すーっと下ってトンネル突入。電車は吊り掛けの旧型ながらよく飛ばす。豪快なモーター音と共に進んでいく。ロ室は空いていて、足を延ばしてまったりモード。

 

27        11日夜         自分の地元街

  アルクマールから運河をくぐって走ってくるとやがてハーレムである。駅に進入する直前で大きな左カーブを描いていく。直進する線路もあり、貨物列車がハーレム駅構内に入らず直接ロッテルダムへ下りていく。その貨物線に直角に海へ伸びる線路が交差している。このザンドポート行き電車(Zandvoort aan Zee)に乗れば、ダイヤモンドクロスをかつての西宮北口ごとくがたがたと渡っていくことになる。ちょうど季節も夏のバカンスに入り、休日を中心に臨時電車が走っている。

  ずいぶん前だが、このザンドポートに一度行ったことがある。電車は砂丘を越え、海の間近で終点となり、そこから海岸まで歩いてすぐである。うれしいのは、この北海に面した海水浴場、トップレスのおねえさんが多かった。これも以前だが、ニースの海に行ったことがある。このときも確かにトップレスがたくさんいたのだが、平均年齢が極めて高かった。どうしても高級リゾートだとそうなるのだろうか?北海に面したオランダの海水浴場は庶民的で、若いおねえさんもいっぱいいる。ようはわだらんには高級リゾートは似合わない、ということだ。

  そして電車はハーレムに着いた。ここで普通電車に乗り換えるのだが、その間約20分ある。そこで駅前へ出て、ちょっと散歩。商店類は閉まっていて、適当な晩飯屋が見つからなかった。で、中華だかタイ料理だかよくわからない、いかにも中国系東南アジア人の切り盛りする軽食屋で焼きそばを買って持ち帰る。インターネットカフェがあったので、ひさしぶりに2chでも、と思ったが、オランダのパソコンでは日本語は読めないな、とやめて、駅へ戻る。福知山線の再開が気になるのだが、まぁ考えないでおこう。

  ハーレムからハーグ行きの普通電車に乗って、宿へ戻る。ハーレムの少し南に郵便局があって、以前はドックノーズの電車の格好をした赤い機関車兼郵便車3000型が2軸郵便貨車を従えてとまっていた。これがなかなかユニークで、日本で言えばさぞかしワム80000を郵政省が私有で持って、それを私有のクモユが引っぱって走っている、という姿に近いかな。残念ながら、いまは郵便が鉄道扱いをやめてしまって、線路はさびている。

  さっきの店で、中華の揚げ煎餅をつけてくれていたので、電車の中で食べる。もうまわりは少しずつ暗くなって行く中、フォーアウト駅に着いた。フォーアウト駅に降りて気が付いた。駅に「工事します」ポスター(もちろんオランダ語なので詳細は読めない)が貼ってあって、この6/11-12はアムステルダム−ユトレヒトがその工事区間として揚げられている。他にも同様に6/11-12で工事をするところがあって、さらに隣には6/18-19の工事予定も貼ってある。つまり、今回もともとアムステルダム−ユトレヒトは線路工事の予定になっていて、よって迂回運転も当初から予定されていた、というわけだ。

  なるほど、納得したところでさすがに少し疲れも出た。駅から宿へはすぐである。小さな商店街は既にしまっているが、どこも店の中の照明がついているので、果物屋だの生活用品屋だのとすぐわかる。宿の並びの果物屋にはしょっちゅうお世話になっている。

  宿へ戻って自分の部屋に荷物を置き、さっそくコンセントを使ってデジカメ電池を充電する。やはりプラグを買っておいて正解だった。思ったより電池の消耗が激しい。で、買ってきた焼きそばを食べて、ちょっと一息。

  落ち着いたところで、下のパブへ降りていき、ビールを飲む。ビールを頼むと300ccほど入る透明なグラスにさっとビールを注いで、わざと泡をあふれさせてからグラスのてっぺんをへらでさっと切る。で、きれいなビールの出来上がり。ちなみにドイツではビールを頼むと、グラスに一旦注いで、さらに二度つぎをするので、頼んでから出てくるまで時間がかかるのだが、オランダではさっと注いですっと出てくる。地元の人なのだろう、いついってもパブには5人から10人程度はお客がいて、わだらんが入っていくと不思議そうな顔をする。といっても日本人が珍しい、という感覚ではなく、常連でないな、という雰囲気で話しかけてくる。といっても酔いの回った口から出てくるオランダ語は全く理解できない。それでもあれやこれやと作り笑いなどしながら、ビールを3杯ほど飲んでほろ酔い気分になってしまった。

  宿の向かいにはフライ屋があって、毎日深夜まで営業している。夜食を調達するのにもってこいのところである。フリカンデル(フランクフルトソーセージに衣をつけて油で揚げたもの)とポテトフライを買って部屋に戻る。フリカンデルはわだらんの大好物で、街を歩いていて店があると、あるいは駅の自動販売機に入っているといつも食べている。そんなうちに教会の鐘が深夜12時を告げている。教会にはやわらかいオレンジ色の大時計がついていて、部屋の窓から見える。その色が、なぜだかわだらんの心を落ち着かせてくれる。おやすみなさい。

 

28        12日早朝      見通しがきかない

  この日はオランダのドイツ国境沿いをぐるりと回る電車に乗ってみようと思う。イメージとしては武蔵野線のように、オランダ中心部へ向かう放射線状路線と接続しながらオランダ中心部を避けて通るように連続する路線である。なぜかこの路線だけ、Ijssellijn(アイセル線)と名称があるようで、なぜここだけ名称があるのか、なぜ他の路線に名称がないのか、今もって不思議である。名称はさておいても、以前から少なくとも快速のある区間は全線乗ってみようと思っていたのだが、なぜか落ちていた区間である。

  オランダ鉄道の日曜日の朝は始発が遅い。早朝の電車はことごとく運休(幹線の速達系列車を除く)で、フォーアウトの一番電車も7:36の北行きである。大きなリュックにこのあとハンガリーまで使わないスリッパや水着などをまとめて放り込んで、宿に置いておくことにする。そうすれば小さいリュックだけで気楽に旅行ができる。どうせちょっとした洗濯なんかは列車の中でしてしまうのだから大きな荷物はいらない。これで2泊3日を乗り切ろうというのだからいい加減なものだ。もっとも2泊3日といっても、どうせオランダの中をうろうろしているのだから、何かあったらフォーアウトに戻ればいい、などといい加減きわまりない。とにかく、大きなリュックは部屋に置いて、14日にまた宿泊する旨の置き手紙を書き(オランダ語で書けないのが残念だが)、身支度を整える。

  で、部屋でで落ち着いてコーヒーを飲んでいたらいつの間にか7:30になっていた。あわてて準備をして駅へ向かう。オランダは日本と違って右側通行、電車は自分が踏切に立った状態で右から左に向かうので、ホームは進行方向に向かって右側になる。ところが、いつもの癖で、右向き=左側のホームに上がってしまった。踏切が降りてきて電車が向かってきた。駅の中間には地下道があるのだが、地下道にところまで回ってしかも地下道利用だとこのままだと間に合わないか、とずぼらをして電車をやり過ごしてから線路横断をする。もちろん対向電車のないことは確認済みだが、最近の日本ではこんなことはできまい。この駅、実はホームがやたら長くて、踏切から列車の停車位置までが遠いのだ。

  無事に電車に間に合って、ハーレム駅に到着。ハーレム始発のマーストリヒト(Maastricht)ゆきのICが停まっていて、ほとんど誰も乗っていないので、車内の写真を何枚か撮ったりする。電車中心、短編成が多いのオランダ内にあって、このハーレム−マーストリヒト間のICは以前から12両ベースの長編成の客車列車である。ところが、最近使われるICR客車は冷房化と同時に制御線引き通し改造もして、一方の編成端はプッシュプルの運転台つき制御客車になっている。これなら電車と変わらないのに..と客車の理由を悩んでしまう。長編成だから客車ともともいえないはずで、アメルスフォールトとユトレヒトの間では電車Koploperが12両を組んでいる。

  がらがらのIC列車でアムステルダム中央駅へ到着する。休日早朝のアムス中央駅はまったりムード。タリスがホーム在線していて、各号車の乗車位置にちょっとした旗を建てて、乗客に案内をしている。パリ行きフランス流のタリスには旗での案内があるが、無骨なフランクフルトゆきドイツのICEには、そのような案内はない。どちらが親切か、観光客に印象が強いかは明白だが、わざわざ編成中の乗車位置など案内不要、という割り切り方も考えてみればなかなか立派である。もっとも、一時間に一本程度のタリスやTGVと続行でやってくるICEを一緒にするのが間違いかもしれないが。

  さて、乗り換えて北へ、ズヴォレ(Zwolle)へと向かう。Koploperの3両編成で、ロ室はほぼ満席。通路側座席しか空席がなく、しかも窓に向かってはちょうど柱があって外がよく見えない。これでは欲求不満が募るばかりである。それでもかろうじて見える車窓からは朝の日差しが入ってくる。ウェースプのあたりは、これが大都市アムステルダム近郊かと疑うばかりの緑が広がる。湿地で開発が面倒なのかもしれないし、意図的に残しているのかもしれない。実状はよくわからないが、景色を眺めている分には気分がいい。昨日気がついた短絡線は、時刻表によると時間2本のユトレヒト〜ヒルフェルスムの電車のうち時間1本アルメロに直通するようになっていた。本当にあちこちで短絡線ができたり、列車が増発されていたりして、ついていけない。

  アメルスフォールト(Amersfoort)で、スキポールから来た編成と併合がある。で、その編成に移動したものの、やはりロ室はそこそこ埋まっていた。かろうじて前向き座席はとれたものの、右側なので対向線路が見えない。結局、いまいちである。ホーム向かいにはユトレヒトからのエンスヘーデ(Enshede)行きが止まっている。向こうの方が少し空いているように見えて、ちょっとうらやましい。

  アメルスフォールトを出て、北に向かって走っていく。このあたり、全くの平地で先まで見え、と半分期待していたら大間違いであった。森が深く、とても遠望の効くような状態でない。これならトレッキングやサイクリングには絶好だろうし、きっといろいろ動物もいるのだろうが、高速で走る電車からはよくわからない。フレボランドの発電用風車の隊列が見えないかと見づらい車窓を眺めていたが、ついに確認することはできなかった。確かに地図(MICHELINの1/200 000を持っている)にはこのあたり緑色に塗られている。のちに調べたらこのあたり国立公園であった。日本では平地の森がすっかり少なくなった。昔は高崎線や東北線(宇都宮線)なんかで大宮を過ぎて北に上がるとあちこちに雑木林が見えたものだが、今ではずいぶん少なくなった。平地で深い森の中を走っているというのはすごい贅沢なような気もする。

  IC列車は日本でいうと新快速にあたるもの(ドイツと違って、料金不要)なので駅を通過してどんどん走っていく。通過する小さな駅は深い茂みの森に囲まれてひっそりとしている。いつかこのあたりの小さな駅で降りて、まわりを散策してみたい、と思う。

 

29        12日朝         くっついて離れて

  ズヴォレの駅に着いた。昔ながらの白煉瓦の駅舎のまま、建物の中はごっそり今風の作りになっていた。無機質で代わり映えのないビル式の駅舎に比べればはるかに美しいし、なにより情緒がある。古い駅舎を大切にするのはオランダ鉄道の方針で、古い駅舎の外観はそのままに、内装を近代的にするものである。なので、このような新装開店の古い駅舎はズヴォレ以外にも多数あり、近代的な作りの駅との対比が楽しい。もともと大都会より田舎の好きなわだらんであるが、地方の拠点駅で駅舎が美しく扱い列車も多い、となるととても得をしたような気になる。駅舎の外側には駅舎を通さず駅前広場から直接出入りできる空間もあって、乗り換え地下道が直接広場にむけて繋がっている。売店などもあって、駅舎の中とは違う、別の華やいだ雰囲気に見える。 ☆写真を撮りました☆

  このズヴォレでは分割併合が常時繰り返されている。ちょうど併合の場面に出くわしたのだが、電気連結器と自動の幌であっという間に連結完了。幌のイメージは683系の連結風景によく似ている。ここを通る系統の列車は、くっついたり離れたりと忙しい。せっかくくっついたのに、またユトレヒトで分離されて、ハーグとロッテルダム行きに別れる。アムステルダム系統では、アメルスフォールトでスキポール系統の分割がある。逆に北行きの場合では、ユトレヒトやアメルスフォールトで編成併合をし、再びここで、ここでレーウワーデンとフローニンヘン編成に分割である。まさにKoploperの面目躍起というところ。

  このKoploperという車両、IC用車なのだが、このアメルスフォールトを通る系統に集中投入されている。というか、この複雑な分割併合をこなすために作られたような電車で、前面に貫通路を持っている電車はオランダではこの型式のみ。運転台を2階に上げて貫通路を設ける構造は485系と同じで、編成間の通路はかぎ型になっている。 写真を撮りました

  オランダのIC列車内では、昔、車内販売のワゴンが行き来していた。ホットコーヒーやビール、スナック菓子などを販売していた。日本の定番であるサンドイッチや雑誌があったかどうかは覚えていない。少なくともお弁当はなかった。コーヒーは確か2.50ギルダーくらいだったと思う。日本円で200円を切っている感覚で、結構安くて気に入っていた。区間によってワゴンに種類があって、ポットから直接コーヒーを入れるタイプや、カップの上にひいた粉がのっていて、そこにお湯を落とすタイプがあった。一度そのお湯を落とすタイプで、アムステルダムを出てとすぐに買ったのに、スキポールのトンネルに入ってもまだ半分くらいしかお湯が落ちず、そのコーヒーカップを持ったままチェックインカウンターに並んだ記憶がある。

  そういえば、わだらんの大好きな2階建て車両IRMにはエレベータがついている。車椅子を上げるのではなく、車内販売用ワゴンを上下させるかご型のものである。車販の販売員が鍵を突っ込んで扉を開け、中の箱を上下させていた。これで上下階のどちらの乗客もワゴンサービスが受けられた。ところが、せっかくの設備を持ったのに、いつのまにか車内販売はなくなってしまった。もっとも近鉄特急やJR四国でも車販がなくなってしまったのだから、車内販売が割に合わないのはどこも同じなのだろうか。そんなわけで、Koploperの貫通路もワゴンサービスが通り抜けることはなくなってしまった。寂しいが、現実ではある。でも、乗客サービスとしての貫通路開放は手間を省くことなく続いていて、くっついたり離れたり、その場その場で貫通路が開いたり閉じたりする。

  このkoploperには、車内にも方向幕があって、乗客へのサービスをしている。今では車内LEDがついて車内で案内できるのが当たり前だが、車内方向幕とは時代を表しているようでちょっと楽しい。

  そんなくっついたり離れたりをしながら、アメルスフォールトではエンシュヘーデとフローニンヘン・レーウワーデン方向、ユトレヒトとアムステルダム方向、のX型の相互接続ネットワークを構成している。同時発着の対面ホーム接続を守り、かつ他列車との平面交差もあり、かなり厳しいダイヤであろうかと思う。が、某アーバン区間のような悲壮感に満ちたダイヤには見えないのは、ちょっとわだらんの色眼鏡か。

 

30        12日昼         鉄橋を次々渡って

  さて、ズヴォレからは、10:19のロッセンダール(Rossendaal)ゆき快速に乗る。わだらんの大好きなIRMで、比較的空いた車内は2階席の前向き左側を確保するのに何ら支障はない。しばらく眺めのよい席で車窓を楽しもうと思う。

  列車はロッセンダールまで所要約3時間、国土の小さいオランダの中では長距離の部類になる。といっても、通しで乗る人間はほとんどいないだろうが。この路線、放射状に広がる各線と次々に交わっていて、国境に近い周辺部の移動には便利である。ちなみに、単純にズヴォレからロッセンダールへ行くだけなら、ユトレヒト〜ロッテルダム経由の方がわずかに早い。

  この系統、一時期NS全体で車両が足らなくなったときに、NMCB(=ベルギー国鉄)から客車を借りて走らせていたことがあり、IRMが早い時期に投入されている。2階建てによる座席数がちょうどよかったのだろうか。

  ズヴォレを出発し、電車は南に向けて走っていく。オスト(Olst)から単線になってデフェンテル(Deventer)まで、そこからまた複線で進んでいく。ザットフェン(Zutphen)の駅に入る手前で、路盤の新しい線路が寄り添ってきた。地図上ではヘンヘロ(Hengelo)への路線のよう(未乗車区間)で、おそらく、貨物列車の強化にともなう路盤整備だろうと思われる。ハンブルグやハノーバーからヘンヘロへ出て、ザットフェンからアーネムへと走っていくと、建設中のドイツ国境からロッテルダムへの貨物新線につながる。ハノーバーやハンブルグの先にはポーランドや北欧へもつながっているので、将来の貨物幹線に、願わくばシベリア経由で日本と動脈に育ってくれるといいな、と思う。

  ザットフェンの南には跳ね橋があった。そういえばこのあたり、あまり跳ね橋がない。大きな運河がないからだろうか?それとも、さすがに海まで遠いので、川を移動手段としてはあまり使っていないのだろうか?ただ、このあたり、西部や北部と違って、何となく森も深く、あまり広い牧草地も見かけない。多少土地の利用目的が違うのだろうが、不勉強で違いがわからない。

  ディーレン(Dieren)には汽車のマークを掲げた看板のあるホームがあった。ここからアペルドールンまでSLが走っている(もちろん観光列車である)。パンフレットを見ると大型のテンダ機が何台かいるようで、迫力がありそうだ。休日運転なのだが、残念ながら機関車の姿を見ることはできなかった。時間があれば、機会があれば、などと言っているうちはきっと行けない。

  Ijssellijnと言われるとおり、アイセル(Ijssel)川に添う形で、電車は南へ降りていく。アイセル川は、ライン川の枝分かれである。やがて、アーネムへ到着。アーネムはドイツからオランダへのわだらんの通り道で、何となくなじみが深い。ここからナイメーヘンにかけては、かつて第二次世界大戦の時の激戦地だったそうなのだが、風景はいたって平和。今ではドイツとオランダが戦争するとはとても思えないが、世界中から戦火のなくなる日は来るのだろうか?などとちょっとまじめに考えてみたりする。

  ナイメーヘンへの途中に高架の新線が交差するのが見えた。もちろんこの列車の走る線路からも分岐する短絡線ができている。ロッテルダムからドイツ国境への貨物新線であろう。ロッテルダムで陸揚げされた海上コンテナとか重量鉱物、化学品などの列車が走っていくのだろう。貨物を主体にする新線ができる環境がなんともうらやましい。この新線、環境破壊をできるだけ防ぐために、既存の高速道路(A15)に添って建設されているのだそうだ。といっても車窓から路盤をちらっと見える範囲では、そんな環境破壊などという大それたことはどう見てもないのだが...

  大きなトラスの鉄橋を渡ってナイメーヘンに到着。この川、オランダなのでマール川と呼ばれるが、すぐ手前まではライン川と呼ばれている。なんでオランダに入ると川の名前が変わるのか、どこかに雑学が落ちていないかと思うが未だに見つかっていない。もっとも日本でも千曲川が信濃川になったり、吉野川が紀ノ川になったりと、県境で川の名前の変わるものはあるが。鉄道橋に添って、歩行者用の橋がついていた。ちょっと興味を持ったので、渡ってみようかな、と思う。

  ナイメーヘンの駅を出てしばらくすると変圧器工場が線路沿いに見えた。日本だと重量のある変圧器は大物車に挟んで輸送するが、ちらっと見えたこの工場では、変圧器自身がTR23みたいな台車を履いていた。おそらく工場内の移動のためとは思われるが、このまま輸送するのならかなりおもしろい列車になると思う。もちろん、もしそうであれば変圧器自身が車両になるので、ブレーキ装置を持った変圧器などという、わけのわからない代物であるが。

  マース川を渡る。ベルギーから、マーストリヒトを通って流れてくる川である。かかっている鉄橋は単線だった。そういえば、オランダで単線電化の鉄橋ってあまりないのではないかな?一度風景写真を撮ってみたいような、のどかで美しい河原であった。やがて列車はスヘルトヘンボス('s-Hertogenbosch)に着いた。古いホームと新しい橋上駅舎が調和した不思議な駅である。

 

31        12日昼         自転車を借りる

  スヘルトヘンボス駅でちょっと下車。フォーアウトの宿に、保存鉄道や鉄道博物館をまとめて記載したパンフレットが置いてあった。わだらんのためにわざわざ置いてくれたわけではなかろうが、英語でなかなか読み応えがある、ありがたい印刷物である。さっきのディーレンのSL運転なども記載してある。パンフレットに、スヘルトヘンボス郊外に鉄道模型の展示場兼模型屋の広告が載っている。特別な催しではないのだが、何となく興味を引く。で、せっかくなのでいってみることにした。とはいっても何も情報はなく、ただそのパンフレットに書かれた住所のみが知り得る情報である。

  バスに乗ろうかとも思ったのだが、駅の地図から見ると、その集落へのバスは1時間に1本しかないようだ。さて、どうしたものかと周りを見回すと、自転車置き場の看板が目に留まる。ならば、自転車を借りてみようか、と考える。駅の地下に降りると自転車置き場があって、管理人らしきおやじさんがいた。貸し自転車はあるか?と聞くと7.50ユーロで一日、加えてデポジットが50ユーロ、と答えてくれる。で、名前とPassport番号を紙に書いていると、おやじさんが自転車を出してきた。大型のオンロード車である。57.50ユーロを払い、受付の紙の写しをもらう。この紙をなくすと50ユーロが返ってこないから、大切にしないといけない。

  いざ、出発。おやじさんが「夜は23時で閉めるよ」といってくれるが、「そんなに借りないよ、2時間で戻るよ」と返事する。実際、今日の夜はハンブルクへ進みたいので、のんびりする、とはいうものの無制限というわけにはいかない。それより地図はない、と言われた。自転車に乗るくらいだから、自分で地図は持っていろ、ということなのだろうか。どじをして、宿に地図を置いてきたので、全くの暗闇状態である。それでも幸いにもバス乗り場に周辺の集落の地図があり、目的地はわかったので、あとは自分の方向感覚が頼りである。

  スヘルトヘンボスの町中を抜けていき、川沿いに進んでいく。途中ハイネケンのビール工場があって、専用線が敷かれていた。しかし、線路は錆びていて、最近は使った様子はなさそうだ。日本でもビール工場の専用線はもう使われていないし、やはりビールは鉄道輸送ではだめなのだろうか。模型の世界ではビール会社のロゴの二軸貨車がいろいろあったと思ったが。

  模型屋の集落はすぐにわかった。が、その集落での場所がわからない。うろついたり、そこらの人に聞いてやっとわかったところは単なる住宅街で、しかも模型屋は全くの民家で、かつ建物は閉まっていた。で、結局何のために自転車を借りたのかわからない、無駄足になってしまったが、せっかくなので集落の中の写真でも撮って、サイクリングにきたのだ、と自分を慰めたりしている。まぁ、のどかな風景が肌で感じられて良かった(ということにしておこう)。でも実際集落の中心に池があったり、牧草地で馬がたたずんでいたり、と、とても日本では想像できない。 ☆写真を撮りました☆

  しかし、自転車が重い。3段変速つきで、ローギアは軽いのだが、軽すぎて回転が速くしんどい、かといってトップギアは重たくてしんどい。その代わりトップギアはかなり速く走ることができる。感覚的にはわだらんの脚力でも時速30km程度の巡航が可能のようだ。車道と歩道の間には整備された自転車道が続いていて、これならかなりの距離を軽々稼いでしまいそうだ。といっても脚力は必要で、こんなものでトレーニングをしているから、オランダはスピードスケートが強いのか、と感心してしまう。しかし、自転車が高い。走り出すと別に苦にならないのだが、信号や交差点で停まると、つま先立ちで立つのがやっとである。わだらんの身長は182cmあるので、背の高いオランダ人に大きく差があるわけではないと思うが、みんなこんなのに乗っているのだろうか。自転車屋のおやじさんはわだらんを見てこの自転車を貸してくれたのだろうし、走っている分には何も問題ないが、ふとあるガイドブック、いつ読んだものか、本の題名も忘れたが、オランダで自転車を借りるときは一回り小さいものを、と書かれていたのを思い出した。そういえば、この自転車にはちゃんとブレーキがついている。2時間ほどのサイクリングののち、駅へ戻る。自転車を返してデポジットが戻ってきたので、何か食べようかと思ったが、ちょうどユトレヒトへのICが到着する時間だったので、結局店に入らず、ホームのKIOSKでアップルパイを買って車内に持ち込むことにした。

 

32        12日午後      線路が増える

  スヘルトヘンボス14:00発ユトレヒトへのICはハーレム〜マーストリヒト系統の客車列車である。編成は長く、乗車位置の正確な案内もないので、目の前にロ車がこないとホームを走り回ることになる。この系統、主に12両編成、機関車の次位にDDMが1両ついている、この程度はわかるのだが、長い編成内のロ車の位置まではわからない。おそらく何回か眺めていれば編成のパターンも読めるはずだが、そこまで精進していない。そういえば、機関車牽引のDD-ARだと、ホームで待っている目の前が機関車、ということもあるわけで、ロ室だけでなく、ハ室も含めて乗客全員が客室を捜して右往左往することになる。それでも整列乗車をしなければならないほど混んでいないし、何しろ大きな駅では停車時間が長いから、さして問題にならない。おおらかというか、適当というか、少なくとも東京の常識では通用しない。

  ロ車はほぼ座席が埋まった状態で走っていく。長編成が全体によく乗っていて、列車の輸送力、輸送量としても数ある運転系統のトップ3には入る気がする。

  ユトレヒトへの途中、トンネルをくぐった。マール川と思われる。長いものではない。が、確か前は可動橋だったはず。いや、可動橋でなくても、少なくともスヘルトヘンボス〜ユトレヒト間にトンネルがあったという記憶はない。今のNSはインフラ整備が別会社(Prorail)なのだが、こういった整備の費用はどこから出るのだろう?鉄道のインフラ自体は国営(政府管掌?正確なところはわからない)ので、いわゆる官営工事なのだろうか?レールのインフラ自体は国が持っているのだが。しかし、次から次へと線路の改良が進むのは、立体交差だの複々線化だのが遅々として進まない日本に比べると、なんともうらやましい限りだ。

  今日は模型屋で時間をつぶすつもりで、日中予定を組んでいなかった。なので、ちょっと時間が中途半端になった。今日の最後は国境を越え、北ドイツのオスナブリュックからハンブルグに行き、ハンブルグからのIC列車を宿にする予定なのだが、それまでさてどうしようかな?とりあえずユトレヒトで降りて街をぶらぶらしようか、ユトレヒトの中心部は運河に沿ってレストランが並ぶ、静かで落ち着いた街で居心地がいい。なんなら久しぶりに鉄道博物館に行くのもいいな、と考えて列車を降りた。が、降りた目の前にロッテルダム行き(対面乗り換え接続)が停まっていて、思わず乗ってしまった。時刻表を見るとロッテルダムからすぐにハーグに行き、そのままユトレヒトに戻れば、当初案のオスナブリュックへのICに乗れることがわかった。なら、くるっと回ってみれば、とさっきの思案はどこへやら。乗ってから考えるいい加減さは相変わらずだが、どうせ電車に乗るのが目的なのだから距離が稼げればいいということになる。

  途中、ウィールデン(Wierden)で複々線工事をやっていた。この区間で今後列車が増えるとしたらなになのだろう?高速新線に絡むものなのだろうか?でもここをタリスが走るとは考えにくいし、かといって貨物輸送の路線ではないし、ちょっと想像がつかない。ロッテルダム中央駅に入る手前には、直角に交差する線路がある。ハーグ中央駅からデルフトなどの市街地の裏側を通って、ロッテルダム市内駅(hopplain駅)へつながる、近郊の田舎路線である。で、その路線につながる短絡線があって、ロッテルダム中央駅からその路線へ入ることのできる配線になっている。

  昔、この短絡線からハーグ中央駅へ、ブリュッセルからのアムステルダム行き列車で一度通ったことがある。なにやら労働組合がストをやっていて、そのため走る線路が変わったとのことであった。しかし、いろいろなところに迂回のできる線路があるのはうらやましい限り。で、その短絡線のあたりで線増工事をしていた。おそらくタリス用高速新線の工事だと思われる。高速新線はスキポールを出ると市街地を避けて、そのまままっすぐロッテルダムへ下りてくる。配線変更などのロッテルダム駅への乗り入れ工事だろう。どんなダイヤになるのか、今から楽しみである。とはいっても、おそらくお高くとまっているタリスには、わだらんは当面お世話になることはなかろう。むしろ、ブリュッセルとアムステルダム間の国際ICが電車になるようなので、その電車で高速新線を乗ってみたいとは思う。

  といっている間にロッテルダム中央駅に到着である。ここはアムステルダムから来る線路が見えたと思ったら駅に入る、あまりわくわく感を感じる暇のない駅である。とはいっても、駅の北側には留置線があって、電車が一休みしているから、やはり大きな駅の風格はある。ちなみに線路が高架の通り抜け駅で、駅全体の感じは名古屋や大阪、博多のようなイメージである。で、ロッテルダムの駅や街には失礼だが、すぐにハーグ中央行きに乗り換えた。客車列車かと思っていたらIRMであった。

  オランダでもっとも好きな電車であるこの2階建て電車IRMも、増備が進んでいろいろなところで会えるようになった。楽しいやらうれしいやら。アーネムやロッセンダールでは右も左もIRMという場面が増えて、ちょっと興奮。このハーグ行き、比較的空いていて、座席の選択も容易で、ありがたい。2階の窓からロッテルダム駅北側の留置線や、デルフトの町並みを眺めたりする。が、静かな車内と快適な乗り心地で、自転車の疲れも出たのか、デルフトのあたりから眠ってしまった。

 

33        12日午後続き終端駅ってあったっけ?

  分岐器で振られる大きな揺れで目が覚めた。いつの間にか列車はハーグ中央駅構内に入っていた。オランダの各地の風景建物を1/25で作ったミニチュアタウンのテーマパーク、 マドローダム はここハーグにあって、何回か行った折りにはお世話になっている。今回はマドローダムへ行く予定はないが、あそこは何回いっても楽しい。もちろんオランダの観光名所や街のイメージが一手に見ることができるという楽しさは十分なのだが、なにより鉄道がよくできている。万世橋や弁天町の模型運転よりはるかに規模が大きく、そして間近で見ることができる。架線柱や駅の構内など列車で移動中に見にくいものまではっきり見える。耳を澄ませば列車の通過のジョイント音が...鉄ヲタなら、是非行っておかねばならないところである、と強く思う。

  ハーグ中央駅の駅ビルは工事中であった。以前の駅舎内部はあまり印象にないが、大きなぱたぱた(ソラリー式というのだそうだ)の2面の出発案内板が正面天井にあった、とそれだけははっきり覚えている。たしかKLMのカウンターがあって、チェックインができるようになっていた、という記憶がある。ただ、わだらんはそのサービスを使う機会がなく、実際にどんなものだったかはわからない。

  9.11のあと、空港での手荷物検査が厳しくなって、空港以外からの手荷物搬入がややこしくなった。おそらくそんなことも理由にあるのだろうが、いつのまにかNSとKLMのジョイントサービスはずいぶん少なくなってしまった気がする。一時期はたしかKLMの航空券を見せるとスキポールまでの乗車券をサービスします、みたいなことをやっていたように思うのだが、いまはそんな広告を見ない。かつてJR京都駅ではるかチェックインサービスなるものがあったが、これも9.11がとどめとなって廃止になった。わだらんは結構気に入っていたのだが。そういえば、SBBもたしかチューリッヒとジュネーブ空港を対象にしたチェックインサービスをしていたはずだが、今はどうなったのだろう?

  ただ、オランダ南部への高速新線の列車運転権利は、NSとKLMが共同で落札したはず。これから高速鉄道が増えてくれば、ますます中短距離は航空機から高速列車へと移行するはずだが、どんな展開になるのだろう?今はKLとAF(=エールフランス)が共同経営体になっている。タリスも将来KLやAFの航空券で乗れる時代が来るかもしれない。

  結局ハーグ中央駅駅舎の駅工事の目的や完成予定などはよくわからなかった。ただ、見たところ、ホームを延長しているように思える。行き止まりのホームなので、列車長が長くなれば頭かお尻のどちらかを伸ばさねばならないのだが、ハーグ中央駅の列車出入り口側は分岐器に頭を押さえられて、これ以上のホームの延長はむずかしいようだ。となれば行き止まりの先を伸ばすしか手がなく、結果的に建物に影響を及ぼす大工事になる。

  確かにいままで、ハーグ中央駅にはあまり長い編成は入ってこなかったのではないかな。フェンロからのICが最大12両か。もしここにタリスの重連が入るのなら、有効長が足らないのかもしれない。そういえばICEの重連がアムステルダムに入ってくるのを見たことがないが、あれも有効長の問題か?12両だの14両だの、そのあたりの長さになってくると、ぱっとホームを見ただけではわからない。

  欧州の他の国のように低いホームで発着するのであれば、多少ホームから出る車両があっても何とかなるが、オランダは電車主体でホームが高く、はっきりしているので、ホームの有効長は結構大きな問題なのかもしれない。

  一般的に欧州は行き止まり駅が多い、とよく言われる。事実、大都会の大きい駅は行き止まりの構造が多いのだが、オランダには行き止まり駅がほとんどない。わだらんが知っている限りで、路線の終端となる場合を除くと、ハーグ中央駅だけである。といっても、この駅は上に路面電車の線路が交差していたり、天井が低く、開放感はないし、行き止まりホームが全体に見渡せるわけでもない。せっかくのおおきな駅の規模がわかりづらいもったいない構造である。

 

34        12日夕方      晩飯はカレーライス

  ハーグの駅構内に日本料理屋があった。日本料理といっても持ち帰りのすしを売っているいわゆる売店で、大げさなものではない。しかもこちらのすしは基本的に巻物(カリフォルニアロールという)がメインで、握りは付け合わせのようなものである。この店も同じで巻物主体のすしパックを扱っていた。

  寿司に混じって、パックに入ったどんぶりのようなものがふと目に付いた。コンビニの牛丼と同じイメージだが、商品名はオランダ語で意味不明。よく見ると、どうも見た目チキンカレーのようだ。そこで、おもしろ半分でさっそく買って帰ることにする。店番の若いお兄さんは、暖めてくれ、と言うと不思議そうな顔をする。おそらくすしを暖めるばかはいないだろうから、暖めるという発想がないのだろう。でもちゃんとレジ奥には電子レンジがある。で、ご丁寧にはしをつけてくれるから、「はしはいらん、スプーンだ」と言ってスプーンをもらう。日本でカレーを箸で食べることはまずないが、日本料理=はしのイメージが外国人にはあるのだろう。

  余談で、決して宣伝をするわけではないのだが、この店のHPがある。アドレスは www.tinytokyo.nl と、レジ袋に書いてあったものだ。なんですしの盛り合わせが千葉か?長野か?という疑問が残るのだが、これを見ていただければ、オランダでのすしメニューの雰囲気をすこしでもわかっていただけるのではないだろうか。少なくとも日本の持ち帰りすし100円くるくる寿司とはちょっと違う。

  ハーグからの電車は比較的すいていた。ロ室も満席にはならず、適度に埋まったいい雰囲気。駅を出てしばらくすると、南側に大きな車庫・工場が広がる。寝台車などがいることも多いのだが、きょうはあまり珍しいものがいなかった。車庫も通り過ぎたので、車内で先ほど買ったチキンカレーを食べることにする。多少カレールーがごつごつした感じだったが、おいしくいただいた。よく考えたらソーセージだの焼きそばだの、軽食だか晩飯だかわからないようなものばっかりを今まで食べていた。ひさびさの暖かいごはん(rice)であった。

  ゴーダ(Gouda)への途中、建設中の高速新線と交差する。新線は交流25kv電化ときいているのだが(そのためIRMの中に交流対応の車が増えている)、ロッテルダムやスキポールの前後には交直セクションができるのだろうか?ゴーダでさっき走っていたロッテルダムへの線路と合流し、元に戻る。ちょうど形は三角線である。で、列車はユトレヒトに着き、向きを変える。ロッテルダム/ハーグ〜アメルスフォールトの列車はユトレヒトで向きが変わる。同様にアーネムでアムステルダム〜ナイメーヘンの列車が向きを変えるが、合わせてオランダでは数少ない逆向き出発。ドイツなどでは大きい駅で進行向きを変えるのは珍しくないが。そのユトレヒトで乗客の半数が入れ変わり、新快速の大阪駅のような雰囲気。わだらんも座席を変えて、再び前向き席に陣取る。

  アメルスフォールトに着いた。ここで乗り換え、再びズヴォレへと向かう。このまま乗っていっても何も不都合はないのだが、時刻表とにらめっこすると、ズヴォレまわりで未乗の3400DCが走る支線に乗っても、当初のドイツ行きICに間に合うことがわかったからである。乗り換えは対面ホームで苦にならない。で、今度こそ左側窓側、とがんばったが、車内はよく混んでいて、やっぱりだめだった。仕方なく右側で我慢する。ここでいままでの疲れが出たのか、途中からうとうと寝てしまって、結局どこに座ってもかわらない結果になってしまった。どうもズヴォレまでの区間、わだらんに相性がよくない。

 

35      12日夕方      北の田舎線

  ズヴォレからヘンヘロへの支線は非電化の単線。バッファローとあだ名が付いているDC3400(型式DM90)が走っている。なかなかぴったりのあだ名だと思う。2両ユニットを1編成または2編成4両で列車組成し、この区間を走っている。

  以前から3400には一度乗ってみたかったのだが、電化路線ばかりのオランダでは、気動車の走っているところが限られているし、ましてやオランダ中心部から遠いところが多いのでなかなか縁がなかった。今回ちょうど夜にハンブルグへの行程で、この支線を通れるのでうまく組めた。

  12席のロ室は空いていた。というより、こんな支線で地元関係者以外が使うことは滅多にあるまいし、ロ室利用客などは限られているのだろう。検札に来た車掌が案の定どこまで?と聞いてくる。本当はハンブルグまでこのまま進むのだが、説明を要求されても面倒くさいので、列車の終点のエンスヘーデまで、とごまかしておく。

列車は牧草地と森の入り交じった中を快調に進んでいく。このあたり幹線だろうが支線だろうが、車窓の景色がそう変わるわけではない。まぁ単線か複線かの違いはあるが、それはヲタの発想であって、一般旅行者からすればよく言えばオランダ的、悪く言えば代わり映えのない風景、ということになろう。

  この3400はカミンズのエンジンを積んでいるので、キハ75の走行音によく似ている。路線の状態がよく、途中に曲線その他の速度制限がないので、一旦直結段にはいるとギアが落ちることがない。そのため走行音としては多少迫力に欠けるが、それでも直結段の低い連続音を聞きながら田園風景を飛ばしていくのはおつなものだ。

  ウィールデン(Wierden)に着いた。アメルスフォールトからくる複線電化路線に合流となる駅である。発車しないなぁ、と列車の外へ出ると赤信号だ。とホームに降りていると、まもなく本線(としておこう)から電車koploperがやってきた。本線列車を先に出すようで、わずかの停車後、すぐに発車していった。信号が変わり、わだらんの乗ったDCも発車となった。ところが、列車はそのまま左側の線路を走っていく(逆行の状態)。これなら、別に本線列車を優先させる必要はないのに、とひとりぼそぼそ。どうせなら左右同時出発で併走してほしかったな。

  ヘンヘロ駅に着いた。ここでアムステルダムからの国際IC列車に乗り換える。素直にアムステルダムから乗っていれば、わざわざ乗り換えしなくてもすむのに、大回りをして列車に乗るのは一般人には理解できまい。というか、この後のハンブルグに行く目的も、ただ単に列車に乗りたいだけの話なのだから、無駄なものだ。

  1700に牽かれたハノーバー行きICはハ×5+ロシ×1+ロ×1の編成である。国境越えの列車は混んでいるものが多いが、この列車も同様によく混んでいて、最後尾のロ車コンパーメントはみな複数の乗客で埋まっていた。幸いにもロシ車(ビストロ)に左側前向きの空席があり、ここに陣取る。目の前がビストロなのだが残念ながら開いていない。ドイツ内のみの営業なのだろうか、せっかくなのでビールを飲みたかったのだが。ふと気がついた。座席横の壁面にコンセントがついている。試しにデジカメをプラグに突っ込んでみたところ、ちゃんと充電ができた。考えてみればもともとパソコンその他電子機器利用のためのコンセントなので、デジカメが充電できて当たり前なのだが、なるほど、ありがたいものだ。

  架線柱の形が変わり、ドイツに入ったことを知らせてくれる。やがて列車は国境の町バッドベンゼム(Bad Benthrim)に到着。機関車の付け替えでしばらく停車。ホームに降りて散歩がてら写真を撮ってみる。やってきたのはDB長距離旅客会社の101で、ハ×2+ロ×1を提げてやってきた。編成は長くなってずいぶん見栄えがするようになった。がしかし、結局ここでも交直の切替方法はわからずじまいで終わった。 ☆写真を撮りました☆

 

36        12日夜         直角交差の乗換駅

  オスナブリュック駅は大和八木形式(関東では秋葉原や明大前というべきか)のの十字交差駅。東西方向のアムステルダムからハノーバーへの線路が平面、南北方向のドルトムントからのハンブルクへの線路は高架になっている。オランダからのICに別れを告げ、一旦駅へ出る。幸か不幸かハンブルグ行きICE28は遅れていて、そのおかげで駅と駅構内を回る軽い時間ができた。

  まずは駅の窓口でウィーンへの宿を確保。ユーレイルパスとトーマスクックの28表を示して、「6月15日、313列車リクライニングシート1席」と頼むと、問題もなくすぐに発券は終わった。15ユーロだった。どこから?と聞かれてドルトムントと答えたが、ひょっとしてケルンだったら、料金は変わっていたのだろうか?2000年冬にタルゴのリクライニングシート(ハンブルク−フランクフルト)を車内で払ったら6マルクだったので、ずいぶんと高くなった気がする。外国へ入るから高かったのか?真相はよくわからない。窓口に「ドイツ夜行列車のご案内」とでもいうのだろうか、比較的立派な冊子型パンフレットが置いてあった。さっそくもらっておくが、中身がドイツ語のみで、残念ながら読むことができない。でも15ユーロという数字はないぞ...

  駅舎は城門を思わせるなかなか立派な建物。駅の中では大きめの売店や本屋などが並んで華やいだ雰囲気。人の出入りも多く、駅前のバス乗り場も大きくて、いかにも地方の中心都市といった感じである。しかし、よくよく考えるとこの駅は何度も通る割に街に出ていったことがない。次回は時間をつくろう、などと既にまた来ることを考えてしまっている。 ☆写真を撮りました☆

  一回りしてホームに上がると、ちょうど反対方向へのコブレンツ行きIC2307が入ってきた。やっぱりプッシュプルで、先頭は制御客車。もはや機関車が引っぱる客車列車というのは、はやらないのだろう。なら最初からなんで電車形式にしなかったのかいな、と一人で突っ込む。ICE2やICE3の小編成のよさがわかったのか、あるいはひょっとすると台湾新幹線入札に負けたからなのか、実際にはいろいろ事情があるのだろう。ただ、模型の世界では後ろから押すと脱線しやすい、という思いこみがあって、心情的には、12両も繋がった客車を後ろから一気に押して200km/hで走る、というのにはいまだに違和感がある。別に推進運転だから脱線した、などということはないわけで、個人的な思いこみだろうが、やはりしっくりこない。なら、上野〜尾久の回送も120kmで、などと考えたりもするが、今の日本ではまず実現しまい。

  そういえば、フランクフルト中央やミュンヘン中央駅では、発車していく列車からそれまで牽引していた機関車がぽつんと単行で置いてきぼりになっている光景に当たり前に出会えたものだ。でもう長距離列車以外ではそんな光景は見ることができなくなるのだろうな。第一、今度来るときにICが客車で残っているかどうかすら怪しく思える。

  向かいのホームには425型電車が止まっていた。これも新時代を思わせる光景で、幹線の区間普通列車が急速に電車化しつつある。425型は赤い車体が似合う、なかなかいいスタイルで好きな車なのだが、そのうちDBのどこでも見られるようになってしまうのだろう。昔は幹線の普通列車といえば、ELが銀色の客車を3,4両繋げて走っていたものだ。結局地元の足として運転するなら、小編成の列車を短い間隔で走らすのが便利で、そのためには電車が使いやすいわけだな。って、分割民営化前後の日本みたいではないかいな。

  しかしDBが急速に電車化、気動車化に向かっているのはなぜだろう?環境政策もあって、鉄道整備に地方行政機関の支援もいろいろあるようで、かつてのIC中心・長距離優先から、地域の足に変わってきているのだろうか。

  ハンブルグ行きICE28は結局30分ほど遅れてやってきた。いまやすっかり古典的になったICE1の編成。この列車、ICEのくせにライン川旧線まわりで、高速新線はビュルツブルグ付近のせいぜい20km程度だろうかしか走らない。ケルン〜フランクフルトの高速新線は勾配がきつく、もともとICE3しか入れないのだが、旧線経由までICEにしなくても、と一人ぶつぶつ。まぁとにかく、やたらめったらICEが増えて、幹線系はICがほとんどなくなった、という感覚を持たなければならなくなった。いまやICは昔のIRレベルに落ちてしまった、というべきか。

ともあれ、ICEは北ドイツの平原地帯を快調に飛ばしていく。さすがに暗くなってまわりは見えなくなってしまった。食堂車でビールを2杯。ちょっと大人の雰囲気で、心が落ち着く。で、少しほろ酔い気分でハンブルグ中央駅に到着。

 

37        12日深夜      夜はハンブルク

  ハンブルグ中央駅にはなじみが深い。北ドイツの大都市であるハンブルグの街は楽しく、中央駅から市庁舎前広場までのんびり歩いても20分ほど。店でソーセージやハンバーグのちょっとした軽食や、のんびりとビールを飲んだり、と時間が許せば楽しい散歩ができる。ダムトアー(Hamburg-Dammtor)駅にほど近いタワーに登ると、すぐ下を走る列車やアルトナ駅構内などの様子が手に取るように見えて、とても楽しい。

  また、わだらんにとってハンブルクは宿の準備であったりもする。過去からハンブルグ発の夜行列車にはずいぶんと宿泊させていただいている。ドイツ国内で完結する夜行列車には大きな混雑にあった試しがなく、過去から宿泊のたび、コンパーメントを一室確保して熟睡している。夜行列車で過ごしているにもかかわらず、あまり無警戒なのもどうかと思うが、緊張感がまるでない。

  ハンブルグ中央駅は堀割式の広い構内を持ち、大きなドームが覆い、ホームをまたぐ跨線橋を駅の南北端にそれぞれ持っている。フランクフルトやミュンヘンは平面だし、ケルンやドレスデンなどは線路が高架なので、ハンブルク中央駅のようなドーム内で線路を見下ろせる跨線橋は珍しい。跨線橋から列車の行き来を眺めていると、時間がたつのを忘れてしまう。長距離のICEやIC、近郊のRE列車が行ったり来たり、さらにはSバーンも次々にやってくる。ドーム式ながら昼は明るく見通しが利いて、一方夜はまた列車が浮き出るようで、ちょっと幻想的な雰囲気。近郊列車にはDL牽引も多く、少々煙たい雰囲気がするのはご愛敬。JR大阪駅に近日ドーム屋根がかかり、ホーム上に橋ができるそうだが、このハンブルクのようになればいいな、と思う。 ☆写真を撮りました☆

  跨線橋にある各種店舗は夜遅い時間まで営業していて、ビールや軽食、夜行列車での食料や飲料調達には苦労しない。何より、人通りが絶えないのは寂しさを感じさせなくてうれしい。列車の始発であるアルトナ(Hamburg-Altona)駅は夜になると人通りが少なく、広い構内にぽつんと一人で立っているとちょっと心細くなる。

  ICE28が遅れていたので、あまり時間はないが、ちょっと表へ出てみた。既にあたりは真っ暗なので、駅が照明に照らされて薄く浮き出て見える。塔の形の駅舎は堂々として、いかにも北の大都会の中心駅である、と自己主張しているようだ。ただ、遅い時間になると、駅前の通りを車がけっこう飛ばして走ってくるので、ちょっと怖い。もちろん既に市中の商店はみな閉まっている。駅へ戻ろう。

 

38        12日深夜続き快適なベッド

  ハンブルグ中央駅の列車線ホームに見慣れない塗装のELが停まっていた。ハンブルグ〜ブレーメンのローカル列車を運転する鉄道運営団体のようだ。ドイツ国鉄は民営化の時に施設を上下分離し、さらに地方行政団体が鉄道整備へのいろいろな補助を行っているようで、線路上を走る列車運営会社が多数出てきた。この会社もその一つと思わる。日本の場合の第三セクターと同じようなものだろうが、日本の形に当てはめるとDB(あるいはNSもだが)は基本的に第三種鉄道事業(注)で、その上に各種DBの子会社が第二種鉄道事業を営み、あるいは地方団体や別事業者も第二種鉄道事業を行う、ということだと思われる。

  オランダの場合は鉄道のインフラ自体は国営のようなものだし、DBもインフラに関しては国の助成を受けている(このあたり不勉強なので、詳細ご教示ください)ので、上下分離でずいぶん運営会社はのびのびしているように見える。日本の第三セクターは基本的に自社で線路保有する第一種鉄道事業だが、上下分離が中心の欧州では、国をまたいでの鉄道会社がいろいろと出てきているので、これからますます変わっていくのだろう、と思う。

  しかし、メトロノーム鉄道とはなかなかおもしろい名前に思える。ハンブルグ〜ブレーメンのローカルを行ったり来たり、というイメージだろう。幹線分離でのローカル第三セクター形式ならば、しなの鉄道や肥薩オレンジ鉄道あたりも同類になるのだろうが、地方の鉄道がこれからも長く生きらえてほしい、と切に願うものだ。

  とか考えているうちにホテルにチェックインする時刻(=夜行列車の出発時刻)が近づいた。時間に余裕があるときはアルトナ駅へ出向き、始発から宿泊用座席を確保するのだが、今回はここまでのICE28が遅れたこともあって、折り返しに時間もなく、中央駅でそのまま乗り込む。過去の経験で、ハンブルグからの南行ドイツ国内夜行列車では混んでいない、と安心している。

             IC2021列車が入ってきた。8両編成で、ロ車は1両。それでも乗客は少なく、コンパーメント一室を苦もなく確保できた。ところが、座席が改良(?) されていて、前へ出ない。座席を延ばしてベッドにして安らかに眠るの(583系の座席を引き出してベッドにするのと同じイメージ)がわだらんのいつものスタイルなのに、これではベッドにならない、とひとしきり自分に文句を言ってみたものの始まらない。仕方なく横向き3席でごろんとしてみると、これはこれでそんなに違和感なく、結局そのまま寝てしまっていた。のちによく考えたら中央駅の次の停車駅、ハーブルク(Hamburg-Harburg)駅に気づいていなかったのだから、いい加減なものだ。
(注:鉄道事業は
鉄道事業法ならびに鉄道事業法施行規則 により以下の通りに分けられます。

第一種鉄道事業(他人の需要に応じ、鉄道による旅客又は貨物の運送を行う事業であって、第二種鉄道事業以外のもの)=線路・車両とも自前▼第二種鉄道事業(他人の需要に応じ、自らが敷設する鉄道線路(他人が敷設した鉄道線路であって譲渡を受けたものを含む。)以外の鉄道線路を使用して鉄道による旅客又は貨物の運送を行う事業)=線路は借り物、車両は自前 ▼第三種鉄道事業(鉄道線路を第一種鉄道事業者に譲渡する目的をもって敷設する事業及び鉄道線路を敷設して当該鉄道線路を第二種鉄道事業者に専ら使用させる事業)=線路は自前、車両は持たない)

 

39        13日早朝      なんと長時間停車

  列車の中では熟睡していたようだ。目が覚めたらフランクフルト中央駅に列車は停まっていた。運がいいというか、偶然なのか、乗り越しをせずにすんだのはありがたい。 ☆写真を撮りました☆

  折り返してICE924に乗る。このICE924、フランクフルト〜エッセンというICEとしてはかなり短区間の列車で、6:16に始発駅フランクフルト中央駅を出て、8:41には終着駅エッセン中央駅に到着してしまう。休日運休のこのICE、ビジネス客(通勤客?)相手なのであろうから、走り方も不思議な列車である。で、このICEでデュッセルドルフへ行って、そこから田舎路線でオランダへ入ろうという計画である。

  初めて通るフランクフルト空港駅(長距離ホーム)は大きなガラスドームで覆われた明るくて開放感のある作りであった。天井の低い地下駅のスキポールに比べると雲泥の差だ。5分停車があり、ホームに降りてちょっと一呼吸。そしていよいよ高速新線に入る。初乗車のケルン〜フランクフルト高速新線は、野を越え谷を渡り、坂を上り下り。高速道路の車を追い抜きながら快走し、なかなか快適であった。あっちがライン川の谷のはず、と見ていたが、谷を確認できるような目印は何もなく、ただなだらかな丘が続くだけだった。ボンに近くなるとトンネルが増えて視界が遮られることが多くなるが、市街地が近い故仕方ないか。

  モンタバー(と読むのかな?Montabaurと綴る)という新線上の駅に停まった。中線が通過線で、ホームが両側にあって、停車列車は本線から分岐して停まる形の、日本でもおなじみの新幹線型駅(注1)である。さすがに駅は新しくきれいだったが、他線の接続はないようで、(VEC線というのがあるようなのだが、これは何なのだろう−注2)、東広島のようである。おそらく駅のそばには大きな駐車場があって、列車の利用者や、列車を介して飛行機を利用する乗客の利便を図っているのであろう。新幹線岐阜羽島にしても、名鉄利用者より自動車利用者のほうが、駅の乗降客の割合では高いと思われるし、いわゆるパークアンドライドだろうと思う。

  列車はその後本線から別れてボン空港駅へと向かう。立体交差で本線をまたぎ、いかにも遠回りというか、寄り道しますよ、みたいな感じである。とはいっても、関空やセントレアのように、ある一方からしか空港に行けないのではなく、通り抜けである。内陸の空港なので当たり前かもしれないが、かといって羽田が通り抜けかというと、鉄道に関しては行き止まりである。騒音の問題もあって日本で内陸に作るのは難しいかもしれないが、どこかに一つくらい通り抜けのできる空港連絡鉄道があってもいいような気はする。広島空港の地下に山陽線を直接通すとか、無理だろうなあ。

  ボン空港駅は深い掘り割りの中の駅であったが、天井がドーム型でやはり開放感があって気持ちいい。このときちょうど雨が降っていてちょっと暗かったのだが、もし晴れていればきっとホームは明るく照らされていたのだろう、とちょっと残念に思う。 ☆写真を撮りました☆ (ちなみにこの ケルンボン空港のHP 、絵文字でとてもかわいいです)

さらにこの列車、ケルン中央駅に行かずに、右岸を走ったまま市街地の川向かいのケルンメッセドイツ(Koln Messe/Deutz)駅に停まる。ケルン中央駅に行く場合はここで乗り換えろ、ということになる。もっとも単純にフランクフルト中央からケルン中央へ行くだけなら、7:00発のアムステルダム行きICEに乗る方がはるかに楽で、所要時間も短い。フランクフルト〜ケルン間を列車利用でも1時間ほど着いてしまうという、恐ろしい時代になったものだ。

  と、何気なく時刻表を見ながら過ごしていたら、列車が出発する気配がないのに気がついた。向かいのホームに対向のICEが着いて、そのまま出発していったのだが、こちらは動く気配がない。あわてて座席配布の列車案内を見るとなんと11分停車である。こんな長時間停車が事前にわかっていたら、外へ出て駅の写真でも撮っておくべきだった。何のために配布の列車時刻表があるのだろうか、と後悔しきり。ましてやこのホームは本来のドイツ駅でなく、短絡線上の離れ小島なのだから。しかし気づいたときには時既に遅く、今から外に出るにはちょっと時間がなく、結局列車の中にずっといることになった。今度来ることがあったら、本線上のホームで少し列車の写真を撮ってみたいと思わせる駅であった。

  本線に合流後は、Sバーン線を左に見ながら(つまり京浜東北線を追い越しながら走る東海道線のようなものだな)、列車は快調に飛ばしていく。いつの間にか雨も上がり、天気はすっかり良くなっている。そして朝の通勤時で活気あふれるデュッセルドルフ中央駅に着いた。しかし、どう考えてもこのICE924、変わった列車である。運転区間も短く、かなり特殊というか、利用客を絞ったイメージである。何せ、フランクフルト、ボン、デュッセルドルフと3つの空港駅を串刺しにしているのである。他に3空港を一度に通る列車ってあるのだろうか?

(注1)帰国後調べてみたところ、ここの駅のホーム呼び名は1番、4番、5番と呼ぶのだそうだ。つまり、2・3番線は通過線を意味するようで、JR西日本京都駅のような呼び方である。

(注2)VECという路線を調べてみたところ、この駅5番線に発着するこの地域の私鉄であることがわかった。非電化で、DCを保有し、走らせている。行政の支援があるようなのだが、詳しいことはドイツ語が理解できないのでわからない。コブレンツやウイズバーデンに顔を出しているようだ。 詳細はこちら。

 

40        13日朝         ラインラント交通営団

  朝のデュッセルドルフ中央駅は通勤客で混雑している。列車が着くたびに大量の客が降りてくる。日本でもおなじみの通勤ラッシュで、勤務へ向かう人の表情は洋の東西を問わないようだ。もっとも列車は混雑している度合いがずいぶん違うが。この駅は線路が高架で、列車を降りるとホームから階段で通路に下りてきて、その通路は平面で駅の東西を貫通している構造。ちょうど同じ高架駅の名古屋や大阪、博多駅とほぼ同じイメージで、これらの駅と同様に、その通路にはたくさんの飲食店が並んで、朝食をとる人たちで賑わっている。 ☆写真を撮りました☆

  乗り換えの列車に時間が少しあり、駅前へ出て路面電車の写真を数枚。列車から吐き出された人が路面電車に乗るためであろう、電車を待つ人で低いホームはあふれている。まさに活気のある路面電車という感じである。駅前の電車の停留所はなかなか立派な広いもの。何となくだが、広島駅前の電車乗り場をもう少し幅広げて、行き止まりでなく貫通にしたような感じである。ここもコンビーノが台頭してきて、次からつぎへとやってくる。7車体になるとさすがに長い。路面電車というより路面列車に見える。もっともこのデュッセルドルフの路面電車は市内電車というより、周辺へ延びて、郊外電車の感覚で、比較的長距離である。なので、多少車体が長い方が堂々としていいのかもしれない。

  昔ライン川を渡ってクレフェルド(Krefeld)までこの電車に乗ったことがある。市街地をはずれると本当に田舎で、こんな路面電車は日本ではあり得ないなぁ、と思ったものだ。そういえばここには路面電車の食堂車があったのだが、今も健在なのだろうか。          ☆写真を撮りました☆

  路面電車駅の横に果物屋が屋台を出していた。苺が一パック3.88ユーロで、なぜか気になって買ってしまった。量が結構あり、朝食代わりになるかな、などと思う。欧州の駅前や市役所前などの広場には果物屋台があることが多く、屋台を見ると苺やりんご、桃を買って食べている。洗うわけでもなく、皮をむくわけでもなく、そのまま丸かじりして、しかも歩きながら食べているのであまりお行儀のよい食べかたではないが、わだらんの欧州旅行の一つのスタイルである。パック売り中心の日本と違って、店先でリンゴ1個が簡単に買えるのがうれしい。

  駅のコンコースへ戻る。地下駅からも人がたくさん上がってくる。ここは地下鉄といっても路面電車が地下に潜る形で、電車は地上のものとかわらない。(ということはコンビーノが地下を走っているのかな、見る時間がないが...)日本では地下鉄と路面電車は明確に区別されるが、欧州では地下鉄の形をした路面電車が多数ある。ウィーンなんかはその典型か。京都の地下鉄東西線も東側が京阪乗り入れなのだから、西側も無理に単独で延長工事でなく、嵐電乗り入れという方法は採れないものだろうか。そういえば京阪800は15mの細身の車体。欧州の路面電車でも十分通用しそうだ。

  駅に工場公開の案内板とパンフレットがあった。この25日は、ここデュッセルドルフにある鉄道工場の75周年記念一般公開らしい。是非行ってみたいものだが、残念ながらその日は既に帰国しているはずである。パンフレットには楽しそうな子供の写真が入れてある。きっと子供には楽しい催しになるに違いない。子供の乗り物好きはこれまた洋の東西を問わないと思う。こちらの鉄道工場公開でもヲタがうろうろしているようなことはあるのだろうか。その意味ではヲタの行動観察のいいチャンスだった、と思うとせっかくの機会に、と重ね重ね残念である。

 

41        13日朝続き   ノルトラインウエストファーレン

  デュッセルドルフ中央駅の駅前散歩を終わり、再び駅へ戻る。ここから、フェンロ(Venlo)行きREに乗る。この区間は初めてで、楽しみである。といっても景色はそんなに代わり映えしないだろうから、あくまで線路やその施設など鉄ヲタ的楽しみ方であって、一般旅行者の行程ではない。ロ室に陣取って、苺を食べながら、のんびりゆったり。

  111型電気機関車に牽かれた5両編成のDBの一般型客車で、1両あるロハ車のロ室は2扉間にガラスで3室に仕切られた計27席。117系電車やキハ47の扉間をロ室と思っていただければイメージが沸くだろうか。ロ室は空いていたのだが、わだらんの他に日本人が1名。この人間が旅行者か欧州在住者か見極めできなかったのだが、旅行者だとすればかなり旅慣れた格好。といいつつ、フェンロまで結局この列車に乗り通していたので、案外わだらんの同業者かもしれない。失礼な言い方だが、こんな田舎線のRE列車をわざわざ一般の旅行者が利用するとは思えない。

  わだらんの向かいにはDB制服の男性。DBアタッシュケースから何かマニュアルのような分厚い本を出して読んでいたのだが、DBのどこに所属する人かまでは全くわからなかった。できれば少しお話ができればよかったのだけど。そんな静かな雰囲気の中、列車はデュッセルドルフの市街地を進んでいき、やがて、ライン川を渡る。天気も良く、開けた窓からは心地よい風が入ってくる。ICEでは窓を開けて顔を出すなんぞという楽しみ方はできない。

  途中の停車駅であるメンシェングラッドバッハ(Monchengaldbach)中央駅は想像以上に大きかった。構内も広々として、ホームはずれにはそこそこの規模の留置線もある。ちゃんとドーム屋根もあって(失礼な言い方だが)、駅の建物も立派なものだ。線路は高架上になっていて、駅舎への出口や列車の乗り換えはホームを階段で下りるのだが、その通路や階段も石造りで歴史を感じさせる立派なものだ。もっともその分多少狭かったり、暗かったりとはあるものだが。駅舎の内部は改装工事中だった。建物の外観をそのままに、駅の施設を作り直している。石造りの重厚な駅舎のなかにある近代的なガラス張りの切符売り場はうまい具合に調和がとれていいものだ。

  ちょっと停車時間があったので、駅前へ出ていく。ガラス屋根の大きなバス乗り場とこぎれいな町並みが続いていて、散歩したくなる。どうもIC・ICEが通らないところはなかなか訪れる機会がないが、そんなところにも魅力ある街が数多くあるのかもしれない。ここにしても、デュッセルドルフからさして遠いわけでなく、いままで気がつかなかっただけなのだろうが。 ☆写真を撮りました☆

駅舎の中に案内ポスターが貼ってある。それによると、どうやらこの近くに鉄道博物館のような施設があるらしい。ドイツ語のみの案内で、何が書いてあるのか詳細は不明だが、博物館または保存鉄道のようなものがあるようだ。

(帰国後、メモに取った写真からネットを引いてみると、デュッセルドルフとメングラとの間の少し南に、保存鉄道がある。ナローのようで、SLだけでなく、 DLや2軸客車なども保有しているようだ。  詳細はこちら

 

  そんなわけでいろいろな発見があって、このメンシェングラッドバッハ中央駅をうろうろできたのはよかった。実はこのようなそこそこの規模の駅がいろいろなところにあるのだろうな。例えばこのノルトラインウエストファーレン州の細かい路線まで全部乗るのは難しいだろうが、幹線にはない趣のある駅がいろいろとあるのだろう。ぜひ時間をかけていったりきたりしたいと思わせるのに十分な風情であった。

  ちなみに、この地域のRE列車の整備には州政府が何らかの関与をしているようで、乗っている車両には州内の鉄道系統地図とNRWのロゴがある。確かに以前見ているローカル列車よりずいぶんきれいになったし、何より本数が増えて、しかも運転系統がわかりやすくなった。地方自治体の鉄道利用促進支援なのだろう。乗っている列車はRE13という系統である。この車両に貼ってある地図にも出ているし、 VRR(ラインルール運輸組織というのかな?)の地図 にもRE13で載っている。数字で呼ばれるとバスや路面電車の系統番号みたいだが、ドイツやオランダでは線路名や路線名といったものがないので、快速13号線、という感じだろうか。

  さて、ちょっと長めの停車がすみ、再び出発。配線上スイッチバックの形になるようで、列車は向きを変え、今度は制御客車が先頭になってオランダへ向けて進んでいく。件のDB職員氏は降りてしまって、少しロ室は寂しくなった。もっとも一般的に国境はそれなりに流動が減るので、車内が閑散とするのは致し方なかろう。

  そういえば、昔ケルンからロッテルダムへ入ったことがあった。当時はNSのICR客車ろDBの一般型客車がケルンとロッテルダムの間を直通していた。なので、このメンシェングラッドバッハからフェンロまでは乗車経験があるはず。ところが、メンシェングラッドバッハ中央駅も、ホームが複数あった、という程度の記憶で、この区間はほとんど覚えていない。ということは正直車窓が単調だったのだろう。確かにあまり面白みのない区間で、単線になって林の中をいかにもローカル線、といった景色で進んでいく。ただ、ローカル線といっても周囲は開けているし、交通の要所でもあって、線路から見える幹線道路はみな立派で、鉄道だけ昔のまま取り残されているような雰囲気でもある。

  が、やはりこの区間も複線化、近代化されるようで、途中駅に大きな看板が立っていた。オランダのロッテルダムから延びる貨物用新線は直接このあたりには関係ないはずだが、何か関連する工事があるのだろうか?それともこの区間単独の輸送改善だろうか?どう見ても路線的に旅客用に増強するのではないように思えるのだが...と悩んでいるうちに架線柱が変わってオランダに入っていた。

  国境のすぐそば、フェンロに到着である。ここもDBのAC15kvとNSのDC1500vが同居しているのだが、交直切り替えがどうなっているのかさっぱりわからなかった。

 

42        13日昼         国境の無人駅

  さっき大きな看板のあった通りがかりの無人駅が気になった。で、フェンロへ着いてすぐに、折り返しの同じ列車でまた一駅戻るとする。カイデンキルヒェン(Kaldenkirchen)という駅で、フェンロのすぐ次の駅。つまり国境の駅である。

  ホームの横に大きな鉄道建設工事案内があって、これによるとこの区間の複線化をしているようだ。ところが、駅はそんな近代化はどこ吹く風、第二次世界大戦のころのような、(わだらんの勝手なイメージだが)SL時代の作りを思わせる。立派な駅舎は、まるでWindowsのスクリーンセイバーに出てくる洋館のような作りで、とってつけたような民営化DBロゴが目新しい。

  ホームは低く、駅名板は旧国鉄時代のまま、かつての幹線が近代化されずに地方ローカル線に凋落したような感じそのものである。かつて駅にはレストランもあったらしく、コカコーラのポスターが揺れているが、扉はしっかり閉ざされ、駅舎の中の様子を伺い知ることはできない。駅舎からホームへ通じる地下道への入り口には屋根がかかっていて、自転車が大量に留められていた。かつての名鉄600V線の駅のようだ。 ☆写真を撮りました☆

  で、駅を一回りしてみたものの、さすがに田舎駅では時間つぶしに苦労する。一本列車を落としたので、つぎの列車には約40分あるからだ。(1時間間隔の運転で、フェンロからの上りが09分着、下りが52分発となる)

  で、駅から少し歩いて集落の中へ入ってみる。交差点角地にはホテルの看板があった。さぞかし安く泊まれるのだろうと思ったが、午前中であったからか、フロントのドアは閉まっていた。道路に沿って歩いていくと郊外型のスーパーマーケットがあった。で、店内をうろうろしてチョコレートとリンゴジュースを買った。苺は一パック1.98ユーロでデュッセルドルフ駅前の屋台の半額であった。まぁ、スーパーならこんなものなのだろう。しかし、このあたり、すぐ先はオランダなのだが、同じようなものはどちらが安く買えるのだろうか?さて、適当な時間になって、再び駅へ戻る。フェンロ行きの列車は1時間前と同じような表情でやってきて、まるで時間が止まっているかのような、のどかな雰囲気であった。

 

43        13日午後      ライン川を渡る

  フェンロからナイメーヘンまでは非電化のローカル線である。昔はドックノーズの電車と同じ顔をした気動車が走っていたのだが、いつの間にか3400DCに置き換わっている。途中21kmも駅のない区間があったりして、快調に飛ばしていく。

  駅がないといっても極端な田舎でなく、適度に集落はあるのだが、駅にするほどでもない、という感じなのだろうか。さっきのドイツの田舎駅のまわりと同じような風景で、周囲は開けてのどかな農村の雰囲気である。ただ工場らしきものがあったり、何かの事務所があったり、と都市化に無縁なわけではない。

  IRMが並ぶ大きな留置線を見ながら列車はナイメーヘンに到着。先日ここを通ったときに、線路の横に歩道橋があるのに気が付いて、せっかくなら歩いてライン川を渡ろうと思った(正確にはオランダに入ってワール川と呼ばれるのだが)。天気も良く、雲が多いもののよく晴れて見晴らしもいい。駅を出ると広い駅前広場があり、大きなバス乗り場がある。橋へと向かう道の載っている市街地図がないかと捜したが、見あたらなかった。どうせ線路沿いを歩けばわかるだろう、と適当に足を進める。

  目指す歩道橋の入り口はすぐに見つかり、自転車用に作られた緩やかで大きな坂を登っていって、途中から線路と平行になる。橋の取り付け位置はナイメーヘンの駅構内北側はずれにあたり、駅の雰囲気がよく見えて楽しい。橋の上から眺める街の眺めはなかなか優雅な雰囲気であった。本当なら町中でのんびりビールでも飲みたいのだが、どうも時間がない。もっとも時間なんて決まっている訳ではないのだから、気持ち一つで、どうにでもなるのだが。 ☆写真を撮りました☆

  で、風に当たりながら鉄橋の上でしばし列車の通過を眺める。貨物列車の通過がわずかの間に2本もあった。このあたりドイツベルギーの国境にも近く、物流の重要な路線なのだろう、と思う。川を渡りきって橋から降り、堤防の上に出て、鉄橋を走る列車を撮ってみたが、逆光で写りはあまりよくなかった。また橋を渡り、駅へと戻る。線路端に赤い花が咲いていた。

  さっきは気が付かなかったが、橋の取り付け部分にエスカレータがあった。基本的に徒歩の人間はここから出入りで、スロープは自転車専用のようらしい。とはいってもさっきすれ違った自転車の人たちはいやな顔をしていなかったし、昼間でさして通行量も多くなさそうなので、自分で勝手にいいことにしておく。地図もなく橋の下に降りて、駅までの道が大回りをしているようならそれはそれでやっかいだ。

  駅へ戻ると、急にトイレに行きたくなった。オランダの駅のトイレは基本的に有料である。で、どうせならコーヒーでも飲んで、ついでにトイレに入ろうと思った。駅構内のカフェテリアへ入り、まずトイレに行く。ところが、トイレには鍵がかかっていて、50セント必要、と書いてある。ここでも有料かいな?と思いつつ、とりあえずカウンターでホットチョコレートとアップルパイを取ってレジへ行き、トイレを..というと、鍵をレジから開けるという。

  で、トレーを席においてトイレに行くと、それを見計らったかのようにレジのお姉さんが鍵を開けてくれた。なんとも面倒な話である。ガラス張りの大きな壁からは列車の行き来がよく見える。列車を見ながらコーヒーを飲むのと、列車に乗りながらコーヒーを飲むのとどちらが贅沢なのだろう?などとくだらないことを考えながら、しばし休息。落ち着いたひとときであった。 ☆写真を撮りました☆

 

44        13日午後続きトロリーバスの街

  至福のひとときののち、IRMに乗車。再び川を渡ってアーネムへ到着。アーネムにはトロリーバスが走っている。以前からそのトロリーバスを見に行こうと思っていたところである。

  アーネム駅の駅舎は改築中だった。駅前広場は囲われて大きな空き地のようになっている。バス乗り場は大きなビルになっている立派なもので、乗り場の屋根にはトロリーバス用の架線吊りが多数あって、トロリーバスの運行を支えている。トロリーバスは車体だけ見ると普通のバスと変わらない。でも屋根に大きな竿が立ち、音が静かな点はバスと大きく違う。とにかく静かである。

  駅前から中心部へ向かう区間では、道路の一部がバスレーンになっていて、トロリーバスと普通のバスがレーンを共に利用している。もちろんトロリーバス用の架線がバスレーンの上に張ってある。バスレーンの一般道路との交差には優先信号があったり、中心部に近いバス停はターミナルのように専用の敷地を持っていたりと、路面電車の専用軌道とかわらないイメージであった。見ることのできたトロリーバスには連接車体の新車のような車ばかりで、ずいぶんきれいであった。いつのまにか運営が国鉄傘下の地方のバス会社から、 connexxionグループ (オランダの有力なバス会社のようだ)になっていて、黄色だった車のイメージはちょっと変わってしまった。

  見ている限り、排気ガスを出さない静かな乗り物でかつ中規模大量輸送を、低コストでできるいい代物だと思う。少なくとも線路の維持費用は不要だ。岐阜の600V配線区間と旧名鉄バス路線あたりをトロリーバスで走らせたら、とまた妄想を考えてしまった。 ☆写真を撮りました☆

  アーネムの中心地、教会まで行ってまた引き返す。川まで行って映画のモデルになった橋まで行こうかとも考えたのだが、どうせ川に行くならビールとつまみを下げて、と余計なことを考えてしまうのでやめた。とにかくいい天気で、河原にでも行こうものならそのまますぐに昼寝をしてしまう状況である。で、町中をぶらぶら。商店街の中にフライ屋があったので、フリカンデルを頼んで食べながら歩く。人通りも多く、にぎやかな街であった。

  再び駅まで戻る。時計を持っていないので、適当に戻ってきたら、まだ乗るべきICEまで少し時間があった。ので、Ede-Wageningenまで往復することにした。途中のWolftereという駅の配線を確かめたかったからである。やはりぱっと見たとおり、日本の国鉄型2面3線の駅であった。時刻表を追いかけると、ICEのある時間帯の一部の普通電車の退避に使われているようだ。この普通電車はICEを途中で退避するため、後ろから来るICにアーネムまで逃げることができず、この駅で退避するのだ。ICEはネットダイヤからはずれているので、これが入るとどうしても一部にしわ寄せがあるようだ。どうせならドイツ−オランダ間を毎時1本パターンダイヤで走らせて欲しいのだが、そこまでの需要はないのだろうか。

  折り返しの駅で市街地図を見ていて気がついたのだが、エデ(Ede)という街の中心駅は、このユトレヒト〜アーネム間のEde-Wageningenという駅ではなく、アメルスフォールトからの支線にあるエデ中央駅(Ede-Centrum)なのだ。といっても、この支線上の中央駅は日中1時間に一本だし、ユトレヒトまで1時間近くかかるので、時間4本あるEde-Wageningen駅の方が結果的に玄関になるのだろう。何となく八戸と尻内の関係に似ているような気がする。

  アーネムからまたICEの客となる。せっかくのオランダなので、もう少しうろうろしたかったのだが、この後のICEでは中途半端になってしまう。今日はこのあとフライブルグへ行ってトラムをみて、その後バーゼルからの夜行列車を宿にするという、なかなかの行程である(と自己満足)。フライブルクは環境に配慮した先進地であると聞いている。ちょっと街をうろうろしようと思っている。

 

45        13日夕方      大聖堂を一回り

  ICE129は定刻にアーネムにやってきた。ロ車は比較的すいていて、左側前向き座席が無事に確保できた。さっそく座席のコンセントでデジカメの充電をする。ありがたい。

  ドイツに入り、ライン−ルール地域を快適に走っていく。やがてケルン・ドイツ駅を通過。昔は大きな客車操車場だったのだが、線路はずいぶん整理されて、大きな見本市会場ができている。特にドイツはどの街も見本市(メッセ)会場に力を入れていて、メッセ会場に列車が乗り入れしたり、新駅を作ったりして、会場と列車が隣り合わせになるような構造が増えている。確かにあちこちから人を集めるには便利だし、ここも空港から電車一本で来ることができる便利な立地である。そう考えると、有明もお台場も幕張も、そして中ふ頭も外来者にとって親切な立地とは言い難い。

ライン川を渡ってケルン中央駅に入る。入る直前、線路フェンス際に望遠付カメラを持った人間が一名立っていた。欧州にも鉄ヲタは多く、お立ち台に人がいるのを見ると、いずこも同じだな、と感心してしまう。でもこの場所は有名で、駅東側からケルン中央駅構内を望んだ構図は確かにきれいな絵になる。

  ケルン中央駅を定刻に出発。駅西側の機関区にはクリームと赤の懐かしいIC塗装の103ELがいた。もう一回クリームに赤青の客車を連ねて懐かしのICなどとやったら楽しいだろう、など一人で空想して楽しんでいる。でもわだらんにとって、クリームに赤青の長編成ICはいまだにあこがれである。

  列車はケルンの市街地を西側まわりでぐるっと半回転。大聖堂が左側の窓側に見えると再びライン川を渡る。フランクフルトへの高速新線ができてから、ケルン駅で向きを変えて進む列車も出てきて、どこを通るか推測に困ってしまう。とはいえ、もともと路線図自体ががわかっているわけではないのだから、考えてみること自体無駄なのだが。

  列車は高速新線に入って、快調に走っていく。フランクフルトに近づくに連れて周囲が開けて見通しがきくようになる。丘の遠い先にフランクフルトの市街地がわずかだが見ることができた。遠くが見通せるのは気分がいい。大きな左カーブを描きながらマイン川の谷に向かって降りていく。フランクフルト空港駅(長距離列車ホーム)に降りる。天井がドーム状のガラス張りで、日差しが振り込んで大変明るく、透明感のあるきれいな駅である。ここまで明るいドーム駅はめずらしいだろうな。

  そういえば、スキポール空港駅コンコースは地上なのになぜか暗い。コペンハーゲン・カストラップ駅もわりと明るいのだが、駅の規模が違う。そういえばストックホルム・アーランダはどんな駅なのだろう?

  空港駅で後続のICE601に乗り換え、南へ向かう。昔はマインツ・マンハイムでの同一ホーム対面乗り換えが一般的で、ダイヤの見所であったが、今のダイヤではフランクフルト空港駅乗り換えのパターンが増えている。わだらんの今回の乗り換え、ICE129からICE601はケルンでも可能なのだが、ICE129の時刻表にはケルンでのICE601の記載はない。空港駅なら同一ホームであとから来た列車に乗り換え、という単純なものだからだろうか。ケルンなら5番から8番ホームへ階段の上り下りが必要となる。

  ICE601の発車までわずかに時間があるので、コンコースへ上がり、空港カウンターへの連絡通路を見る。フランクフルトの空港自体はあまり明るい印象がないのだが(少なくともターミナルの天井はそんなに高くない)、連絡通路もなんとなく通路が続いているだけでおしゃれではない。せめて店舗でも並んでいればだいぶ印象が違うのだろうが、どうだろうか。ただ、駅のコンコースは明るく、オープンスタイルの飲食店もあったりして、スタンドでビールを飲みたい気分である。 ☆写真を撮りました☆

 

46        13日夕方続き同一ホーム対面乗り換え

  やってきたICE601はそこそこの乗車率であった。ロ車なので幸いにも左側前向き空席が確保できたが、ハ車ならかなり座席が埋まっているので、そこまで贅沢はいえないかもしれない。その意味で、ユーレイルパスの一等はありがたい。といっても、今回も結局ロ車で寝るのはドイツの2晩のみで、あとはクシェットかリクライニング席で、これらは二等。宿代としての一等切符のありがたみはずいぶん薄れてしまった。

  空港駅を出るとフランクフルト中央への線路と別れて列車は南に進む。このあたりは麦畑が多いのか、一面の緑の野原である。マンハイムに到着。しばらくしても列車が出ないので、のこのこホームへ出て、うろうろ。もともと12分の停車時間があったのだ。事前に調べておけば着いてすぐにホームに降りたのに。何のための座席配布の時刻表かわからない。ケルン・ドイツ駅でも同じようなミスをしているのに、困ったものだ。

  向かいのホームには遅れてやってきたOBB編成のEC114が停まっている。食堂車にロゴが貼ってある。OBBから分離した別会社なのだろうか?

  出発時刻になっても列車は出る気配がない。写真を撮っていたら、車掌氏がまだでないよ、と合図。隣りホームのぱたぱた出発案内には18:31のミュンヘン行きの表示が出ている。あれ、と思っていたらやがて少し遅れのICEがやってきた。ICE691というが、ベルリン東駅を13:26に出て、フランクフルトを通ってミュンヘン中央駅には21:31着というというなんとも大がかりな列車である。もっともこんな列車に通しで乗るような人間は、わだらんのようなもの好きくらいしかいないだろう。もっともわだらんもドイツの列車に始発駅から終着駅まで通しで乗った経験はほとんどないが。ちなみにベルリンからミュンヘンへは、このICE691ミュンヘン行きに乗って、途中でミュンヘン行きICE881に乗り換えるほうが速い、などというパズルのような話になる。で、ICE691に乗車していたベルリンや、フランクフルトからバーゼル方向への乗客を引き取ってICE601は約5分遅れて出発。結局マンハイムは20分近い停車時間であった。

マンハイムからカールスルーエと列車は快調に飛ばしていく。食堂車でビールを一杯、鶏肉と野菜ご飯のカレースープ炊き込みを食べる。なかなかいい味で楽しいひとときであった。

 

47        13日夜         フライブルクにて

  フライブルクに着いた。駅からしっとりした町並みが広がる、と期待したわだらんは驚いた。駅舎の前は大きな道路で、車がびゅんびゅん走っている。確かに市街地は車がいないかもしれないが、そこまでに広い車の道を横断しなければならない。これは予想外だった。

  その通りを横断して、旧市内に入ると、落ち着いた商店街が広がるのだが、思ったより街もずいぶん小規模で、ちょっとイメージが壊れてしまった。もともと街自体そんなに大きくないので、アムステルダムのような大規模な市街地トラムでないだろうことは想像していたが、ちょっと拍子抜け。城門をくぐる電車はよく絵になっているが、城門の向こう側は普通に車も通る道である。つまり、市街地の車乗り入れ禁止区域は広くないのである。もちろん、市内から車を排除した、という点は大いに賞賛されるべきであるが、もう少し規模の大きいものかと思っていた。逆に、この程度の街の規模で、車がなくても歩ける範囲だから、車の乗り入れが禁止できた、という考え方もできるが。

  中心部までは駅から歩いて10分程度だった。到着時間が遅いこともあって、商店はほとんど閉まっていた。なので人通りが少ないのは仕方ないとして、中心部で数枚写真を撮って駅へ戻る。ここもコンビーノが普及していて、車両の個性はどこもあまりなくなっているような気はした。

  街の中心に十字路で路面電車の路線が交差し、西へ向かうとDB駅の方向に向かう。そこで、路面電車の線路に沿って駅まで歩く。中央駅正面には路面電車の駅はなく、路面電車に乗るには駅舎を通らず、ホームの南側の跨線橋を登ることになる。つまり、列車のホームと路面電車のホームが直角に交差していて、階段で直結しているわけだ。なので、鉄道から路面電車への乗り換えは比較的楽。これは駅舎を見ているだけではわからない。最初にここに出てきていれば印象は違ったかもしれない、と思う。でも、この路面電車との乗り換えは直結が過ぎて、なにも面白みがなく、それはまたちょっとつまらない。

  つまり、フライブルクの場合、市内の中心部のトランジットモールを走る電車、としては期待してはいけない、ということか。トランジットモール内の電車なら他都市の方がもっと迫力もありそうだし、逆にこの程度なら欧州のどこでも見ることができる。むしろ、フライブルクの場合、郊外のパークアンドライドなど、電車を生かす方法を見学の対象とすべきであろう、と思う。その意味では、カールスルーエの鉄道乗り入れトラムとか、ストラスブールの超低床車など、このあたりには路面電車の見るべきものがたくさんあるので、次回はこのあたりでゆっくり一日時間をとってみたい、などとまた次のことを考えている。 ☆写真を撮りました☆

 

48        13日夜続き   フライブルクの駅にたたずむ

  街が小さかったので、考えていた列車まで少し時間が余ってしまった。駅舎の中の商店はほとんど閉まっていたが、サンドイッチ屋がまだ開いていて、缶ビールを飲みながらサンドイッチなどを食べたり、時刻表を眺めたり、ホームに出て近郊列車の写真を撮ったり、通過する貨物列車を眺めたり。短時間の間に海上コンテナを積んだフレートライナーが2本も上っていった。やはりスイスからの貨物だろうか?そういえば、欧州には鉄道独自のコンテナはないので、海上コンテナがそのまま貨車にのってやってくる。さすがにアメリカのような二段積みはないが、それでも長編成の貨物列車は迫力がある。とはいっても、この近辺まで小さなコンテナ船がライン川を上がってこられるのだから、船舶の輸送単位にはかなうまい。

  DBの143型機関車が近郊列車を牽いて停まっていた。この機関車、元は旧東ドイツの車なのだが、もうすっかり旧西ドイツの線路になじんでしまっている。こぢんまりとした姿はどことなくED75を思わせて、ちょっと気に入っている。車体にはこの地方のロゴなども入って、地元行政の何か補助があるのだろうか。

  駅に広域の交通案内地図がって、しばらく眺めていた。フライブルグの路面電車は街から離れた郊外から町へと人を運ぶのに最適化されているようで、街の中の移動というのはついでのような感じである。なにせ街がさして大きくないので、中心部だけなら徒歩で十分なのだ。で、逆に広域では路面電車ありバスありドイツ鉄道あり地方鉄道(BSBなど)あり、といろいろ揃って密に連携している。地方鉄道はDBからの分離だろうと思われるのだが、おそらく地域行政機関の支援なりがあるのだろうと思う。広域圏内は結構広く、北はバーデンバーデンあたりから南はバーゼルあたりまで、いろいろな交通手段が地図上に書いてある。

  で、それを見ていて目が点になった。逆Ω型をした線路が地図に書いてある。場所がわからず手持ちのトーマスクックとにらめっこしたところ、どうやらカールスルーエからコンスタンツに抜ける路線の中だということがわかった。時刻表では916表にあたり、トリブルク(と読むのだろうか?Triburgと書く)の北側のようだ。

この地図ではΩ型が上りなのか下りなのかわからない。が、とにかく急に行ってみたくなった。もともと18日はハンガリーから帰ってきて、夜ウルムに泊まる。その間バンベルクなどバイエルン地方にいようと思っていたので、この時間を利用してシュツッツガルトからぐるりとカールスルーエへ回ってみようと考えた。詳しい地形がわからないが、まずはいってみようと思う。

  ここで、クックの時刻表を見ていて、はた、と気がついた。もともと今回の旅行の最終日、19日の日曜日はミュンヘンからアムステルダム経由で日本へ帰る航空券を確保していて、前の晩にウルムに泊まって翌朝ミュンヘン空港に出ることにしていた。ミュンヘン空港へはミュンヘン中央駅からSバーンに乗っていくことができる。そこで、事前にDBのサイトでホテル予約をしておいたのである。ウルム駅前のホテルで、移動に便利なところである。

  ところが、ウルムからミュンヘンまで朝乗る予定にしていたIC2291は休日運休なのである。いままで全く気にしていなかったのだ。これは大変である。その前の列車というとウルムを5:46に出る列車に乗らねばならないのだが、この列車、前日の晩にアムステルダムを出た夜行列車である。何かあって飛行機に乗り損ねると、馬鹿高い正規の航空運賃を払って帰ってこなければならず、それは絶対避けなければいけない。

  とりあえず列車が来た。バーゼルへのICEで、まずバーゼルへ行き、そののちとって戻る列車を今日の宿とするためだ。しかし、ウルムの宿の件は考えがまとまらず、列車の中であれこれ悩んでいた。このままウルムに泊まってもいいのだが、朝5:46の列車に乗る、というのはいくら何でも早すぎる。もし寝坊したら飛行機に間に合わない。かといって、宿泊をやめて、そのウルム5:46である前日の夜行列車に乗っているのもちょっと不安である。悩んだあげく、仕方ない、ミュンヘンで宿を探そう、と腹をくくる。まずはウルムのホテルと同系列のホテルで、ミュンヘンの予約ができないか聞いてみよう。できればラッキーだし、できなければ現地に着いて自分で探すしかないか、と思う。幸いにもミュンヘンには早朝の到着予定だ。

  と方針が決まったら急に眠くなってきた。さっきフライブルクでこの列車を待っている間に缶ビールを飲んだのですこし酔いが回ったかな。気がつくと国境の橋を渡っていて、つまりバーゼルのドイツ側駅は気づいていなかった、ということになる。

 

49        13日深夜      起点はバーゼル

  国境を越えスイスへ入る。バーゼルスイス駅(Basel SBB)は久しぶりの訪問である。前回の欧州旅行では、オランダ・ドイツ他のユーレイルセレクトパスだったので、このBaselSBBには来られなかったのだ。

  この駅はハンブルグと同じく夜行列車の起点として何度となく利用した思い出の場所で、特に深夜0時少し前に出るアムステルダム行きにはバーゼルからロ車の増結があり、このロ車にずいぶんお世話になった。同じくバーゼルからフランス経由でブリュッセルへいく夜行もあって、こちらも数回利用したことがある。いまやブリュッセルへの夜行列車はなくなり、バーゼルからアムステルダムへの夜行は寝台列車になって気楽に利用できるものではなくなった。時代の流れとはいえ、夜行座席で夜を明かす旅行のできる時代ではなくなってきているようだ。

  バーゼルの街も路面電車があって、静かで落ち着いたいい街である。とはいっても、どうしても歩く時間が夜間になってしまい、日中ゆっくりバーゼルで過ごした記憶がない。路面電車に乗ってうろうろしてみたり、橋を渡って歩きながらスイスからドイツやフランスへ行ったり来たりしてみたいのだが、なかなか予定が合わない。近いうちにまた欧州へ来られるのであれば、スイスの高速新線と合わせてバーゼルの散歩をしてみたいとは思う。

  駅構内はすっかり変わっていて、昔お世話になったシャワー屋などは移ってしまった。大きな構内踏切が利用できて乗り換えが楽だったのだが、跨線橋の設置で、イメージは変わってしまった。昔の方が列車に乗る、という期待を持つにはよかったような気がするが、いつまでも構内横断というわけにもいくまい。ちょっと寂しい近代化であった。

駅構内を少し散歩する。フランス駅(Basel SNCF)への通路をパチリ。今回は時間がなく、駅の見学に行くことはできなかった。といっても、もともとフランスには興味がないし(失礼な言い方だが)今回も全くフランスへ入る予定はないので、「駅への通路があったよ」程度の感覚である。 ☆写真を撮りました☆

  と歩き回っているが、折り返しは24分しかない。本当は駅の待合室などうろうろしたいのだが、そこまでの余裕はない。ホームへと戻る。

  今夜の宿となるICE808は既にホームに入っていた。暗いホームに白の長い車体は目立つ存在である。ただ、ICE3の鋭利な顔つきを見ていると、ICE1の平べったい顔つきはどうも古くさく見える。最初ICE1が出たときはかっこよく思えたものなのだが。案の定列車は空いていて、向かい合わせの座席を確保し、足を投げ出してお気楽モード。もとよりICEではコンパーメントで座席を引き出しベッドにするなどということは期待できないので、最初から座席に座って向かいの座席に体を伸ばすしかない。

  座席に配られる列車案内には食堂車が全区間営業と記載してある。深夜の食堂車とはどんなものか、もともとこの列車の乗客が多数いるとは思われないので、どんな感じなのだろうか、とビールでも飲みに行こうと思っていた。ところが、座って落ち着いたとたんに寝入ってしまったようで、食堂車に行くどころか、次のドイツ駅(Basel Bad bf)すら記憶にないのだから、いい加減なものだ。そういえば、本来スイスとの行き来には国境検問があるはずだが、往復ともだれも来なかったなぁ。

 

50        14日早朝      ベルギーの朝

  目が覚めたらケルン中央駅に列車は停まっていた。運がいいというか、偶然なのか乗り越しをせずにすんだ。(これ、前日の書き出しと同じなのだが)

  ホームで数枚写真を撮って、その後急ぎアーヘン(Aachen)行きに乗り換える。せっかくなので1時間後のパリ行きタリスに乗りたかったのだが、タリスはドイツ国内のみでも追加料金が必要(フライブルクのDB案内による)なので、快速列車利用となった。アーヘンまでは距離も短く、快速(RE)で十分である。

  アーヘン行きRE列車は、二階建ての客車編成だった。階上のロ室に落ち着き深呼吸。寝起きで体があまり動かず、ばたばたしているともう発車時間になった。車内は空いていて、ゆっくり外を眺めることができる。ケルン〜アーヘン間の線路は高速列車対応の改良工事が各種行われているようだ。 ☆写真を撮りました☆

  途中停車の駅(Holle)では、新幹線型の中線通過型配置になっていたりする。ただ、パリへの高速列車は現在タリスだけで、ICEはブリュッセルまでである。ICEがSNCF(=フランス国鉄)の線路を走る日は来るのだろうか?

  アーヘンでは1分の乗り換え時間でベルギー行きに乗り換える。幸いにも対面ホームに列車がおり、乗り換えは無難にすんだ。乗ったのはベルギー国鉄の吊り掛け電車(AM63型)である。せっかくなのでデンマークと同じゴム電車(車体側面形状は異なるが)に乗りたかったのだが、ゴム電車(AM96)はAC15kvには対応しておらず、ドイツに入る列車には使われていない。ちょっと古めかしい電車のロ室は深いクッションの大きなボックス席である。一昔前の日本の一等車崩れといった感じで、ちょっと懐かしい。  ☆写真を撮りました☆

  ベルギーはフランスと同じく左側通行である。つまり日本と同じで、ドイツとは反対となる。アーヘンを出てまもなく、小さなトンネルを介して上下線がひっくり返る。北陸線上りで敦賀を出ると、新疋田の手前で右側を走っている上りがトンネルをくぐっている間に下り線の上を越すが、それと同じ形である。ちなみに、ロッセンダールでベルギーとオランダの線路がつながっているが、ここは駅構内で渡り線を使って左右の運転線路を変えている。

  マーストリヒトの西、アーヘンの東側には「 ドリーランデンプント 」と呼ばれる、オランダ・ドイツ・ベルギーの3カ国が一点で接する小高い丘(ちなみにその小高い=標高322mはオランダの最高地点)がある。小さな鉄塔がその地に建っているので、電車から見えるかと捜してみたが、よくわからなかった。それほどここらの国境は国境らしくないのである。

  さて、左右がひっくり返るとベルギーに入ったことになる。このあたりはフランス語圏で、「ボンジュール」の世界であるが、どうも落ち着かない。オランダ語はドイツ語に似ている部分も多いので、オランダ〜ドイツはなんとなく仲間のような気もするが、フランス語はちょっと離れていて違和感がある。ちなみに、オランダ語では英語の「G」にあたる発音を「フ」とよむ。朝の挨拶、英語の「グットモーニング」はドイツ語で「グーテンモーゲン」だが、オランダ語では「ふーてんもーへん」である。ちょっと間が抜けた感じがするのは気のせいか。ちなみにベルギー国鉄はフランス語でSNCB、オランダ語でNMBSである。通常、SNCB/NMBSと併記している。スイス国鉄も三カ国併記だが。

  ちょっとした谷に沿って電車は進み、やがてリュージュの市街地に入った。リュージュ駅は改装工事の真っ最中。古い駅舎の一部を残して仮駅状態になっていて、隣には大きなアーチの構造物ができていた。

  駅の表に出てみる。ちょうど通勤時間帯で、駅前を発着するバスに列車からの乗客が次々と乗り込んで人通りは激しい。でも行き交う人を見ていると、何となくフランス風の洒落た人が多い。無骨なオランダ人とは何となくセンスが違うように思える。もっとも、その無骨さというかまじめさがオランダの取り柄だと思っているが。 ☆写真を撮りました☆

  再びSNCB/NMBSの旧型電車で今度はオランダへ向かう。同じAM63型(=1963年製)で、ロ室はゆったり。朝の忙しい時間で、各駅とも乗降はかなりあるのだが。丘に沿って緩やかな勾配を上がり下りしながら北へと電車は進む。ちょっと東はすぐドイツ、このあたりの人は国境の意識なんて昔からなかったのだろうな、逆に戦争の時は大変だったのだろうな、などと思っているうちに、架線柱が変わって、いつの間にかオランダに入っていた。というわけで約1時間のベルギー訪問は終わった。

 

51        14日朝 リンブルグ州を行く

  ベルギーからオランダ南部、リンブルグ州に入った。中心都市 マーストリヒト は静かで好きな街なのだが、今回は残念ながら無視して先へ進む。駅の留置線には1700/1800型電気機関車が並んで壮観な風景。ここからハーレムへのIC列車は機関車牽引。通常12両編成はあるオランダ一の長編成で、電車でかつ比較的短編成が多いオランダの中では目を引く存在。ホームの先にはICが停まっている。ホームを分割して2列車を同一ホームでさばくのはNSの常套手段だが、かなりホーム長があり、端まで歩くのは結構おおごとである。 ☆写真を撮りました☆

  きょうはそのICに乗らず、ここからケルクラーデへの支線に乗ってみる。今回が初めて乗る区間で、ちょっと楽しみである。確かこの線のどこかの駅舎がマドローダムにあったはず、と思い出し、停車するたびに駅舎を眺めてみる。このマーストリヒトからアーヘンへの線路自体はオランダの鉄道の中でもかなり古い歴史ある区間である。途中のファルケンブルグ(Valkenburg)駅で思いついた。確かここがモデルで、オランダで現存する最古の駅舎のはずである。このあたりで産出するマール岩という石材で作られている、と何かで読んだ。(帰国後の調査で、ファルケルブルグ駅がマドローダムにあることが確認できた)

  この線区、国境に近い末端支線なので、てっきり単線かと思っていたが、しっかり複線である。相変わらずインフラにうらやましいと思うのだが、時間2本のマーストリヒト〜ケルクラーデの普通列車以外に何か列車設定があるのだろうか。ヘーレン経由で、ドイツ〜ベルギーの貨物列車でもあるのだろうか?でもそれなら、アーヘンから直接ドリーランデンプントの下をトンネルでくぐって行く方が速いはずである。何だろう?

  ヘーレンはドイツへの国境またぎ列車の起点である。DBのディーゼルカーがホームにいた。ヘーレン〜アーヘンは未だ非電化単線で、物流の往来の激しいオランダ−ドイツ国境では完全なローカル線である。とはいっても、車両は最新の流線型モデル(643かな)である。以前ケルンにここから向かったときはNSの3100DCが単行で通っていたのだが、いつの間にか置き換わって運転系統もドイツ内RE列車網に組み込まれて大きくなった。3100が往復していた頃はアーヘン=ヘーレンの単純往復だった。列車はそのドイツへの線路を分岐してさらに進む。小高い丘の上でちょっと眺めのいいところもあったりして気分は上々。

  ケルクラーデ中央駅に着いた。森の中の静かな駅で、人家か近くにない。ケルクラーデ自体はそれなりの大きな街らしいのだが、駅が中心部から離れているのだろうか。駅ホームに汽車の絵を描いた時刻表がある。折り返しでホームにいた運転士氏に聞くと、ここからさっき通ってきたファルケンブルグまで線路がさらに環状の状態で延びていて、ときおりSLの運転があり、車庫はそのファルケンブルグにあるそうだ。さっき通ったときには全く気がついていない。そういえば宿でもらったパンフレットにもここのSL運転が載っていた。オランダのSL運転はここのほか東部やアムステルダムの北、ホールンにもあるようだ。機会があればいってみたいが。 ☆写真を撮りました☆

 

52        14日昼         水の都

  ケルクラーデから、同じ電車でそのまま戻り、さらに今度はオランダの南部をひたすら乗り継ぎ。オランダのよくできたダイヤのおかげでわずかの接続時間で次々と進んでいくことができる。があまりに接続がよく、アイントホーフェン、ブレダ、ロッセンダールと乗り換えばかりが続く行程になってしまった。もっとも次の電車を待っても30分なので、気が向いたら一段落としすればいいのだが、まずはとにかく港へ行きたくなった。

  ロッセンダールからフリシンゲン(Vlissingen)へと向かう。広い牧草地や畑の中を列車は快調に走っていく。見晴らしがよく、なぜか乗っていて気持ちがよくなる、わだらんの大好きな区間である。途中、大きく右カーブしながら運河を越えていく。運河に沿って発電用の大型風車が並び、青空に映えてすがすがしい。そういえば、一般的には発電用風車は3枚羽根だが、なぜかオランダには2枚羽根の風車を見ることができる。3枚羽根の風車は遠くから見ると大きくゆっくりと回転しているように見えるのだが、2枚羽根の風車はとにかく速く、くるくる回っている。ちょうど竹とんぼのようなものだ。あまりに回転が速くて、見ていて目が回りそうだ。

  フリシンゲンは港に面した終着駅。行き止まり3面のホームで、行き止まり線路の先に駅舎があって、左方向へ進むとフェリー乗り場がある。フェリーは川だか海だかよくわからない西シュルデを渡って、対岸のブレケンスという街に着く。ここはまだオランダだが、そこからベルギーのブルージュにバスがあるので、ブルージュからアントワープまわりでのんびり一周してくるのもいいな、などとまた次に来たときのことを考える。

  そういえば、ロッテルダムからミデルブルグまで、締め切り水門経由でのバスに乗ってみたくなった。確か水門のそばにデレーケの生まれた集落があったはず。(注)。次の時はこのあたりで一日うろうろしよう。海風に後ろ髪引かれつつ、15分でとって返してミデルブルグ(Middelburg)へまた電車に乗る。

  ゼーランド州の州都 ミデルブルグ はこぢんまりとした旧市街を持つ、かわいい町である。駅から街へ向かうと、すぐに街を回る運河にかかる跳ね橋がある。橋を渡って街へはいるのがオランダらしくてなんとも好きだ。大きな塔を持つ市庁舎に向かって、商店街が延びている。どこにでもある商店街なのだが、どことなく南の町は華やかさがあるような気がする。

  魚のフライを店でもらう。揚げた魚が並んでいたので、「これをくれ」と指差して頼んだら、店のおねえさん+は、陳列された既に揚げたものでなく、生の切り身に衣をつけて油の中に入れてしまった。予想外の展開に約3分待つことになってしまった。思わぬ揚げたての魚フライをいただけることになったが、熱くてすぐに食べられない。切り身はたぶんアジだったと思うが、おいしかった。ビールが欲しかったが、魚屋の店先の立ちテーブルなので、ここはがまん。もしビールがあれば、それこそ落ち着いてしまって次の予定が立たなくなる。

  そんなわけで、一匹まるまるの魚フライで、おなかは十分、また元気が出てきた。そういえば、定宿の向かいのフライ屋でフリカンデルを買うとき、いつもわざわざ揚げてくれるから、揚げたてを出すのが基本的な商売なのだろうか。

  再び駅へ戻る。ミデルブルグの駅は2線2面の相対式で、街に面する側に駅舎があり、アムステルダムに向かうホームには建物はない。駅舎は堂々として、いい雰囲気を出している。ほんのわずかであったが、天気にも恵まれて、楽しいゼーランド州の昼間だった。 ☆写真を撮りました☆

(注)このデレーケの生家について、帰国後もう一度調査したところ、わだらんの記憶違いであった。デレーケの生家は締め切り水門近くではなく、フース(Goes)近くのKortgene村のColijnsplaatという集落である。(デレーケとその業績、建設省中部地方建設局木曽川工事事務所編による)従って、ロッテルダムから150番バスの水門経由でミデルブルグまで乗車しても直接そばを通らないようだ。

 

53        14日昼続き   電車に揺られて

  昼下がりのミデルブルグを出発し、ライデンまでIC列車、おなじみのIRMで一気に戻る。約2時間の乗車となり、オランダ内で2時間もぶっ続けに乗るのは珍しい。

  快晴の青いすんだ空模様。開けた土地がはるか先まで見通せて、すこぶる気持ちがいい。運河のまわりにまるで林のように立っている風車の列も気持ちよさそうに回っていて、何か気分まで明るくしてくれているようだ。こんないい旅行をさせていただけるのは、なんとも言いようのないありがたみである、と思う。

  途中のフース(Goes)から南に延びるSLの保存鉄道がある。駅構内に単車の客車が数両留置されていたが、残念ながら機関車を見ることはできなかった。

  ロッセンダールで前に4両つなげて、4+6の堂々とした編成となる。もともと車体が大きいから、なおさら大きく見えて頼もしい。

ドルトレヒトには複々線ごと一気に昇降させる大きな可動橋があって、遠くまだドルトレヒトに着く手前から、可動橋の支柱が見えている。もっとも、それが支柱であると気がついていないと、何のものだがわからない。電車に乗って通るだけでは全体像はわかりにくいので、この橋を見るにはマドローダムに行くのが一番いいような気がする。幸いにも、この可動橋で足止めを食らったことはないのだが、これだけ大規模な可動橋ともなると、線路閉鎖にかかる時間もさぞ長いだろうと思う。

  ロッテルダムの南には大きな操車場(Kijfhoek)がある。オランダの南玄関とも言える操車場で、ベルギー、フランスから来るもの、ドイツ方面から来るもの、そしてロッテルダムの港から来るもの、と様々な貨車が集まっている。貨車の車籍を眺めていればそれこそいろいろな想像ができて楽しいのだと思うが、残念ながら列車はあっさりと操車場の横を通過してしまう。ここからドイツへ一直線の貨物新線ができるので、操車場の周辺では線路工事を大規模にやっている。ここはタリスの高速新線も工事中で余計に大がかりな工事である。高速新線からはこのあたり、どんな景色に見えるのだろうか?

  ライデンに着いた。ホーム対面の電車にすぐに乗り換え、一駅でフォーアウトに着く。宿へ立ち寄り、今晩の宿代を納めておく。大きなリュックはちゃんと保管してくれていて、ありがたい存在である。 ☆写真を撮りました☆

 

54        14日午後      跳ね橋見学

  再び宿をあとに、ハーレムへと向かう。駅の東はずれに跳ね橋があるので、写真を撮ろうと思う。アムステルダムからの列車に乗っていると、ハーレム駅へ入るすぐ手前にあり、ハーレム市街地中心部へつながる水路に架かる橋である。北海運河やライン川へつながる運河のような大きなものでないので、橋自体はこぢんまりとしている。地元の船が通ることができればいい、そんな構造の跳ね橋になっている、と思う。

   ハーレム の駅を出てそのまま線路に沿った道を捜して歩いていると、ちょっとした公園に出た。芝生の広場と噴水がある。のどかな夕方の光景でこんな静かな住宅地が駅のすぐそばにあるのかと思うとうらやましくなる。跳ね橋のたもとに出た。駅から徒歩で10分を少し切った位置である。一般的なリンクアームによる線路持ち上げ型で、大きな支柱が片足で立っている。跳ね橋というか、可動橋としては、リンクアームの他に、両端の支柱を使って線路橋梁自体を上下させる形や、橋が回転して船を通る形がある。

  わだらんの感覚としては、リンクアーム式の跳ね橋が一番多いように思うのだが、どうだろう?デンヘルダーやレーウワーデンへの線路には小規模な跳ね橋がたくさんあるが、ほとんどがリンクアーム式だったと思う(あくまで記憶である)。

  橋のたもとで、列車の通過を待っていたが、そういうときに限って列車は来ないものだ。しばし眺めていたが、次のこともあるし、駅に向かって歩き出す。すると、結局そんなときに限って列車が通るもので、EL1700がICR客車を引き通過して行った。

  ハーレムの駅へ戻り、今度はアルクマールへの電車に乗る。ドックノーズの500型4両編成。吊り掛けの音が十分に楽しめるロ室は比較的混んでいて、各ボックスに1,2名ずつ。ロ室は1-2列配置で、横幅もゆったり。ただし、座席はリクライニングせず、普通のボックス席なので、日本の優等車のイメージとはちょっと違う。

  平らな地形がどこまでも続く中を電車は快走。途中、Uitgeest(アウトヘストと読むらしい)で、アムステルダムからの線路と合流。この駅もホーム分割でかつ上下線が交わる特徴ある配線の駅なのだが、今回は立ち寄る時間がなく、残念。そういえば、スキポール空港からの日本行き飛行機に乗ると、たいていこの駅の上を通る。線路が分岐するわかりやすい場所なので、飛行機の窓から簡単に判別ができる駅だ。

  アルクマールへ到着。さっそく駅の北側にある跳ね橋を撮影。駅からほんの2分程度歩くと跳ね橋がある。ちょうど船が通りかかって、橋が上がった。おかげで可動橋の動きを観察できてラッキー。まぁ、これも列車密度の高い日本ではちょっと無理だろうが、このあたりののんびり感はなんとも代え難いものがあるような気がする。        ☆写真を撮りました☆

  駅に戻る。この駅には構内踏切が構内はずれにあって、バスターミナルのある駅前広場から、駅舎をとおらず、直接ホームに出入りできる。つまり、踏切という支障はあるが、それ以外は全くの平面移動で、究極のバリアフリーだと思う。確かにエレベータがあれば、高低差があっても車椅子で移動できるが、そもそも不必要な高低差ならないに越したことはないと思う。かつての国鉄型2面3線駅で、橋上駅化したが故に、本来ホームに直接出入りできた方向でも、一旦階段を上がらねばならない、というのは不親切極まりない話だと思うが、いかがだろう。

  構内留置線にはIRMがとまっている。午後の日ざしを浴びて正面が輝いている。せっかくなので、駅の反対側へ回って形式写真もどきを数枚。何度見ても堂々としたいい車だと思う。 一番上がこのときアルクマールで撮った写真です

 

55        14日夕方      風車とかチューリップとか

  さて、跳ね橋を見たあと、今度はアルクマールからホールンへ向かう。途中にオランダ風車など見えていい雰囲気。広い畑の先、遠くに風車が見える風景はいかにもオランダらしくて気持ちいい。このあたりは広い牧草地や畑が広がり、のどかな雰囲気そのものである。線路に沿って水路があって、その水路によって牧草地の区画が切られている。放牧されている牛や羊は水路でいつでも水を飲むことができ、かつ隣の区画へは行かない、よくできた境界だと感心する。時折線路のすぐそばで佇む牛を見かけるが、電車が怖くはないのだろうか?

  ホールンは古くから栄えた港町。小さな駅舎を出ると、そこに広がる街のたたずまいは落ち着いていて、かつ港のまわりはすっかり観光地になって賑わっている。残念ながら今回は街には向かわず、駅のまわりを散歩。

  ホールンからスキポールへの直通電車がちょうどあるので、駅前をちらっと見ただけでまた電車に戻る。時間があれば港までいってのんびり景色を眺めるところだが、今回はいつの間にかできている新線に乗るのもまた目的なので先を急がねばならない。とはいってもホールンから北海運河の地下トンネルまでは何度か走ったおなじみの光景である。

  車窓に広がるチューリップ畑にはわずかに花がまだ残っていた。もう少し早ければもっときれいな光景だったのだろう。オランダのチューリップは花が開くと日を立てずに切り取られてしまうので、見渡せるチューリップ畑全部に花が開いている、という光景はなかなか見ることができない。が、それ故実際そういった畑が全部花開いている状態に出くわすと、我を忘れる口に出せない感動を覚えるものだ。

  ザーンダムを過ぎ、運河を潜るトンネルを上がると知らない間に列車は分岐して新しい高架線を走っていた。ストローイック駅をパスして直接スキポールへ入るわけだ。スキポールや最近開発が進むホップドロップへの北からの足として、あるいは同様に開発の進むザーンダムへの空港からの足として、今後列車本数が増えていくのだろう。

  オランダの鉄道は、国全体が大きな都市の中の通勤電車、といった感じで、ドイツのような都市近郊+都市間連絡という大きなくくりで分類するのは難しい。この新線も今まで乗り換えが必要だった区間を直接結ぶ、いわば湘南新宿ラインみたいなもので、高速新線のようにちょっと離れた都市間を直線で、どんと結ぶ、というものではない。新設された線路は既存の線路から大きく離れるわけでないので、新しくできた線路を初めて乗る、という感激には少しもの足らない。

  スキポールに着いた。空港ターミナルへ行き、KLMの発券窓口で、帰路19日の帰国便を一日ずらせないか交渉してみたが、案の定帰路変更不可と断られた。もし帰国が月曜日なら、ウルムに宿泊してミュンヘンから無事に飛行機に乗れるのだが、やはりここは日曜朝の移動を考えた宿泊の選択が必要、と結局結論は出ないままだった。まぁ航空券は安いのだから、変更不可は仕方あるまい。

  スキポールのホールにあるスーパーマーケットに立ち寄る。リンゴやお菓子、カップラーメンを調達する。日本でおなじみのカップラーメンで、タイ製や中国製でない、日本のラーメンであるのがちょっとうれしい。宿での夜食としようと思う。そういえば、今日はまともに食事をしていないなぁ。昼飯はアジのフライだけだったし、晩飯は食べてない。まぁよくも飽きずにこれだけぶっ続けで電車に乗っているものだ。

 

56        14日夜         地元へ戻る

  再びスキポールから電車に乗り、ライデンを過ぎ、またハーグ中央駅へと向かう。ハーグからロッテルダムへの田舎線に乗ってみたいためだ。この路線、トラム化するようなことを読んだのだが、どうなっているのだろうか?以前に迂回運転で乗車したことはあるが、実際普通電車でちゃんと乗ってみたかったところだ。

  ハーグ中央駅にいたのはスプリンター2000の初期型通勤電車バージョン。ハーグ近郊の通勤電車として使われている車で、ロ室を持たない全車ハのモノクラス車。シティペンテルと名が付いているが、文字通り振り子のように街と街を行ったり来たり、ということなのだろう。出入り台付近の座席は簡単な折り畳み椅子で、立ち席スペースを広くとったタイプ。といっても3扉で、基本的にボックスのクロスシートなので、ラッシュの様相は東京とは全く違う。

  ハーグ中央駅を出発すると本線と合流、交差する。高速道路のインターチェンジのような大きな曲線を描いて列車は進む。すぐ隣りに風車が見えて、いい雰囲気。その先には車両工場があって、いろいろな車が止まっている。といっても今日はICK客車ばかりで、寝台車や食堂車はいなかった。オランダ国内列車では寝台車は必要ないが、夏冬のシーズンにはフランスやスイスなど南のリゾートへツアー列車が設定され、その列車用に寝台車などもNSは保有しているのだ。

  今度はユトレヒトへと向かう線路を越していく。そのために地図を見ているので位置関係がわかっているが、事前知識なしでは現れる線路が何の線路か簡単に想像できないだろう。

  田舎線とはいってもそれなりに家や工場などがあり、周囲に何もないわけではない。なにせ、通勤電車タイプの車の走る区間である。まったくの田舎でないとは明白なのだが、かといってずっと住宅地の中を走っているわけではない。所々見通しのきくところもあって、畑が広がっている。気球が飛んでいるのを見た。快晴の夕暮れ、気流も落ち着いて、いい空の散歩だろう、とうらやましくなる。

  この路線の時刻変更の案内が出ていたのでなんだろうと気にしていたら、途中で単線運転による線路工事を行っていた。運河に架かる橋をトンネル(といってもアンダーパスのイメージだな)にするための工事のようで、開削工法で派手に線路の横に溝を掘っていた。

  広い空間の中に滑走路の誘導灯が並ぶのが見え、その先にロッテルダム空港がある。ここは空港ターミナルが滑走路の位置で反対になっていて、線路からちょっと離れている。ちょうど米子空港と大篠津駅の関係のようだが、もし、もう少し空港ターミナルが近かったら、駅ができていただろうか?ロッテルダム空港自体は決して大きな空港でなく、欧州内の路線のみ、小型機中心なので、スキポールとの関係では新千歳と丘珠の関係に似ている。

  どのあたりからかこの路線にタリスの高速新線が合流するはずなのだが、具体的な場所はわからなかった。

  ロッテルダム中央駅にむかうユトレヒトからの線路を越すとロッテルダムの市街地に入る。住宅地の中を高架線で進んでいく。やがてホップレイン(と読むのかな)駅に着く。中央駅からみると裏手にあたり、正直華やかな雰囲気は全くない。

  どうもロッテルダムという街、わだらんは苦手である。何となく暗くて怖いイメージがあるからだ。オランダの特に大都市には治安のあまり芳しくないところもあるようで、それはそれで警戒しなくてはいけないのだが、わだらんはどうもロッテルダムの街自体に緊張感を覚えてしまう。もちろんロッテルダムの街は決して危険なわけではなく、世界で初めての歩行者天国など見るべきものはたくさんあり、ユーロマストという展望台はロッテルダムの港がいかに大きいかを実感できるところではあるのだが。

  Hofplain駅から街の方向へ歩いていくと、本線(hofplainへの電車に対してあえてこう言う。実際に本線と呼ばれているかどうかは知らない)を越える歩道橋がある。ちょうど運河を潜るトンネルに入る部分。オランダの電車の走行する絵を見ることは少ないので、しばし電車を眺める。ただ残念なのは、線路のコンクリート壁至る所に落書きがあるという現実。でもどう見ても落書きのいくつかは線路に入らないと描けない。今の日本ならすぐに公衆立入で防護無線発報なのだろうが。 ☆写真を撮りました☆

  通りにでると路面電車が走っている。街路の中央を専用軌道扱いで、しかも芝生舗装で電車がとっても落ち着いて見える。駅前の通りでは路面電車の線路移設工事をしていた。オランダでも路面電車が専用軌道を走ることは珍しくなく、線路がむき出しになっていてもなんら不思議ではないのだが、工事中で枕木が剥きだしというのは見たことがない。 ☆写真を撮りました☆

  この電車、郊外に出ると結構飛ばす。ドイツでもそうだが、このくらいの規模の街は、路面電車が市内と近郊を結ぶちょうどいい大きさなのだろう。日本では路面電車は市内の乗り物で、郊外と結ぶものはほとんどない(土佐電気軌道や、広島電鉄宮島線あたりは郊外電車的部分もあるが)。残念な話だと思う。

  NSのロッテルダム中央駅はコンクリート建ての立方体的な駅舎。近代的といえばそれまでだが、特徴もなく、ちょっともの足らない気もする。駅前広場と駅舎内部はちょうど工事中で、ただでさえ暗いイメージのコンコースがよけいに暗いような気がする。これもタリスの関連工事だろうか?きっと完成後は明るいイメージになるのだろう、と期待してしまう。

  長かった一日も終わりに近づき、ようやくまわりは暗くなった。再び電車に乗り、ライデンで乗り換え、フォーアウトに戻る。

  パブでビールを飲む。店主がサラミソーセージを出してくれて、つまみながら結局3杯。すっかり気分もよくなって、部屋に戻って夜食のカップラーメンを食べていると、教会の鐘が12時を知らせている。いい一日を過ごさせてもらえてありがたい。

 

57        15日朝         フリースランドへ

  朝5時過ぎに目が覚めた。既に外は明るくなり始めていて、雲一つない快晴。そんな天気に誘われて、今日は北の港へいってみようと思う。オランダ最後の日である。がんばって電車に乗ろう。フォーアウトの始発は5:56の南行きである。

  今度は失敗しないように右側のホームに上っていったのだが、誰もいない。ぱたぱたも表示なし。一方、反対側の北行きホームには人が何人もいて、私を見てこっちだ、という。確かにぱたぱたにも表示が出ている。わだらんに気づいてくれてありがたい。始発はいつも逆走なのだろうか?あるいはどこかに告知があるのだろうか?相も変わらず謎めいたままではあるが、無事に列車に乗ることができた。逆走のまま、ライデン中央駅構内に進入、渡りを繰り返して正規の向きとなり、ホームへ到着する。

  ここで乗り換え、IRMに揺られてスキポール経由でアムステルダムに向かう。建設中の高速新線としばし併走。架線柱がオランダ特有の門型でなく、片持ちの単線型が左右に並ぶ。交流電化のためか、あるいは高速での架線の保持は単線型の方がいいのだろうか?そういえば最近能登川で架線柱が立て替えられたが、これも単線型だ。門型はもうはやらないのだろうか?

  早朝のアムステルダム中央駅はまだ静かで、北側の大きなガラス窓からは朝日が射し込んですがすがしい雰囲気。駅が北西−南東方向で、かつ北側は運河なので、大きな建物がなく、日ざしが入りやすい構造。どうしてもドーム屋根の大きな駅は少し暗い雰囲気があるが、朝のアムステルダム中央駅はなかなかいい、と思う。

  ただ、終端駅構造でないので、行き止まりのホームの先に大きなコンコースがある華やいだところがないのは残念だ。どう見ても阪急梅田の方が近鉄難波より気持ちいいし(駅の規模は別にして)、効率の良さでぴかいちの名鉄名古屋には重厚さとか威厳とかはないように見える。

  こんどはICMに乗り換え、どんどんと北へ上がって、レーワールデンまで向かう。相も変わらずロ室の左側前向きはとれなかった。早朝7時で通勤客も多かったが、乗客の中に台湾人らしき6人の団体が座って、しきりにギートホールンのガイドブック(といってもネットのHPをプリンタ出力したもの、繁体字だったので、台湾人だろうと思う)を見ていた。早朝からご苦労さん、といいたいところだが、何せ23席の開放ロ室で6人の団体はちょっとやっかい。オランダは中国系も多く、観光客を見るのは珍しいことではないが、ギートホールンのような、比較的マイナー(ちょっと失礼な言い方か)までお出ましするのも少々驚きではある。

  アメルスフォールトで乗り換え、今度は左側前向きが確保でき、いい気分。例の中国系団体も無事に乗り換えていったが、車両が別れたのであとどうなったかは知らない。ズヴォレを過ぎると、列車も空いてきて車内をうろうろする余裕もでき、車窓は一転して見通しのきく農地が広がる。              ありがたいことにほんとうにいい天気が続き、外を眺めていると気分は絶好調。

  牧草地や畑は水路で区切られている。牛や羊の水飲み場でもあるし、牧草地や畑への水の供給もできる。で、かつそれらの間の移動も船でできるから便利なものだ。日本の農家はたいてい軽トラックを持っているが、ここらでは水路用ボートということになるのかな。よって線路に沿って細い水路が続いているので、柵がなくても牛や羊が線路に入ってくることはあるまい。線路のすぐそばに牛や羊がいるのは愛嬌でもあるし、不思議な感じもする。のんびり草を食べている姿は微笑ましい。といっても、これは牛が草を食べているから微笑ましいのであって、もし草が牛を食べていると、これは微笑ましいどころかホラーの世界である。現実には草が牛を食べることはないだろうが、わだらんのたどたどしい英語では、きっとそんな表現をしているのかもしれない。

  このあたりレーワールデンやフローニンヘンへ向かう線路、あるいは西のデンホルダーへ向かう線路でもそうだが、小さい水路を横切ることが多数あって、小さい跳ね橋がいくつもある。なので、複線区間ではいつも架線を見ている。架線が切れていれば、そこが跳ね橋(可動橋)だからだ。小さい水路だから、橋が動いてもそんなに時間がかかるとは思えないが、電車と船では優先関係はどうなっているのだろう?

  所々に伝統的なオランダ風車が残ったりする牧歌的な景色の中を列車は進んでいく。とはいっても遠くに近代的な電力用風車が見えたりして、なかなか昔のまま、というわけには行かないようだ。

  へーレンフェーンと読むのだろうか、Heerenveenという駅の外に腕木信号の信号柱があるのが目に付いた。特にこの駅がかつてあるいは現在線路を分岐したところでもなさそうだし、何か意味があるのだろうか?要調査であるが、ここに降りることのできるのはいつの日だろう? ☆写真を撮りました☆

 

58        15日朝         港へ出かける

  ほぼ真北に進んでいた列車が大きく右曲がりするとレーワールデンに到着。レーワールデンの駅は古い駅舎と新しい施設が同居して、なんともいい味を出している。ズヴォレもそうだったのだが、駅舎の建物自体はそのままにして、建物の中身はそっくり近代的になっている。KIOSKは古い木造の立派な建物にあって、外見だけみると売店のイメージではない。           ☆写真を撮りました☆

  ここからハーリンゲンへはNSから分離されたNoordNedという会社の路線である。地方公共団体の財政援助があるかどうか不明なのだが、ここがレーワールデンとフローニンヘン間、およびその2都市から放射状に延びる支線の運営をしている。これらの線はいずれも非電化で、NSからみれば地方ローカル線として分離しやすかったのだろう。

  この線区はWadloperという小さい気動車で運転されている。駅の中をうろうろしていると、ホームに4連の気動車が入ってきた。2両を切り離して2両が残ったのでこれが港行きかと思いきや、その2両も引き上げてしまい、やがて別の2両がやってきた。しかし、このWadloper・3100/3200という車両、本線車両から見るといかにも一回り小さく(モノクラス22m車体で、最高時速も100km/h)で、まるでキハ16+17とキハ10のようだ。もっとも車体はキハ17系よりずっと新しいが。

  レーワールデンを出て、南へ向かう本線を見送ると、すぐに単線になった。途中に跳ね橋があったが、非電化区間での跳ね橋の構造は道路と同じ単純なもので、面白味には欠ける。この線区、簡易閉塞のようで、交換可能駅の閉塞出発の時点で運転士が制御箱のボタンを押し、他の列車が閉塞内にいないのが確認できると信号が青になるような動作であった。

途中駅で、遠足か何かなのだろうか、小さな子供の団体が乗ってきた。車掌がマイクを持たせて、次の駅の案内を子供にやらせている。なにせこんな支線(失礼か)で、乗客はほとんど地元の人間ばかりなので、子供が聞こえにくいいい加減なアナウンスをしても大きな問題にはなるまい。さすがにアムスやロッテルダム近郊では無理だろうが、こんな田舎なら、むしろ子供のアナウンスの方が愛嬌あっていいか。子供たちにはきっといい思い出になっただろう。今の日本の列車にはそんな余裕は全くないのが残念ではある。

  列車はハーリンゲン駅に停まった。ここは2面2線の有人駅。そして街の外周を回るように弧を描きながら堤防を上っていき、その先に港駅があって、列車はここでおしまい。ホームからは海が見渡せていい雰囲気である。

  折り返し2分で、またレーワールデンへ戻っていく。一段落とししたかったのだが、どうせなら港駅から本駅まで、途中街中でビールでも飲みながらゆっくり歩きたいなぁ、などと欲を出すと一段落としで足りなくなるのでここは素直に折り返す。港からの夕日はきれいなのだろうか?一度夕暮れ時に来てみたい、と思わせるすてきな駅であった。

  途中で乗ってきたおねえさんは、一生懸命に蘭英辞書を引きながら本を読んでいた。学生さんだろうか、確かレーワールデンには大学がいくつかある(違ったかな?)と読んだ記憶がある。こそっと写真を一枚。このおねえさん、レーワールデンの駅で降りるときにわだらんと並んだのだが、わだらんの肩の位置がおねえさんのバストの位置であった。          ☆写真を撮りました☆

 

59        15日昼         また線増

  再びレーワールデンからICMでアムステルダムまで戻る。途中ズヴォレでは併結作業で8分停車があり、この間に電車2100(SM90型)の写真を撮ってみる。この車、たった9編成のみの小所帯で、かつズヴォレとエーメン(Emmen)間の支線専用で、あまり目に付かない地味な電車である。

  写真を撮ろうと支線のホームに行ったところ、乗務員たちが「切符を見せろ」という。乗るつもりはないので、写真だけ、というとみんなでおどけてポーズをとる。別にあんたたちを撮るのではないよ、と思ったが、せっかくなので一枚。支線で途中乗車がほとんどないので、始発で乗車券チェックしてしまおう、ということなのだろう。鶴見線や和田岬支線の中間改札のようなものだ。

  再びICMで南へ下る。今回やたらズヴォレに縁があるが、まぁそれもよしと外を眺めながら、ふと迷った。よく考えると、まだユトレヒト−アムステルダム間を走っていない。何の線路工事だったのかも見ておかねば、と意を決めてアメルスフォールトでロッテルダム行きに乗り換え、ユトレヒトに向かう。乗り換えといっても同一ホーム対面乗り換えなので苦にならない。よくできたありがたいダイヤだとつくづく感心する。

  列車はさっきまで乗っていたアムステルダム行きと同時発車で併走となり、その後別れて森の中を進んで行く。アメルスフォールトの駅はずれに大量に旧型気動車が留置されていた。ドイツ型の新型DCが東部の支線に入ったので、その余剰だろうと思われる。おそらくこのあと活躍することはないのだろうが、オランダのことなのでいつ何の車両が復活するかわからない。少なくとも幹線系は車両増備が続いている状態なのだ。

  ユトレヒトの手前も複々線になって、優等列車は新しくできた高架線を進む。この区間、列車は東西に走っているのだが、南北に走る線路があって複線同士の平面交差になっている。まさに西宮北口のかつての姿の状況で、列車が速くて通過音には迫力があった。でも今回はその平面交差を下に見ながら、ということになってしまった。ユトレヒト中央駅に着き、急ぎアムステルダム行きに乗る。

  IRMの二階席の前向き左側が確保でき、工事の内容を見ておこうと思う。どうせ複々線化か、ユトレヒトからスキポールへの新線建設なのだろう、とおおよその見当はついているが。走り出してやはり、と思った。複々線工事が進んでいる。路盤の完成したところで一部新線を走る部分があったので、列車を運休させての工事は線路切替のためだったのであろう、と容易に想像はつく。ダイフェンドレヒト(Duivendrecht)の手前で、新設の路盤が西へ逃げていった。そのままスキポールへつながるのだろう。

(注)帰国後、KLMのニュースレターを読んでいたところ、「スキポール〜アイントホーフェン間の定期便を12/11で運休し、同区間はオランダ国鉄が列車を運転する」という記載があった。アイントホーフェン−ユトレヒト−スキポールを30分おきに運転するようで、これでオランダ内の主だった都市とスキポールが乗り換えなしで直接行き来できるようになるようだ。

 

60        15日午後      アムス市内にも跳ね橋

  アムステルダム中央駅につき、とことこと歩き出す。中央駅東側にある可動橋を見に行こう、というわけだ。駅から歩いて10分もかからないところに可動橋があって、ここはまだ動くことがありそうだ。アムス中央駅にはホームのすぐ東にも可動橋があるが、ここはどうやら締め切りというか、固定の高架橋の扱いになってしまっているようだ。やはり跳ね橋は定時運転の障害であり、決して喜ぶべき施設ではないようだ。

  写真を撮ってみる。時間的に逆光なのは致し方ない。時間があれば市街地南側へ回って順光で撮れるるのかもしれないが、今回は線路沿いから見学。ゆっくりと眺めていたいのだが、実際いつ可動橋が動くのかわからない。駅前南側の運河自体がずいぶん小さくなってしまったから、橋をあげないと通れないような大型船は入ってこないのだろう。           ☆写真を撮りました☆

またデジカメの電池がなくなってきた。どうせデュッセルドルフまではICEに乗らねばならないのだから、その時に座席で充電すればいい、と考えながらぼぅーっと駅に上がると、ICEの表示がある。もともと予定しているICEの1本前、3時間前の列車があったのだ。もともと今日の日程は夕方ICE221に間に合えばいいわけで、あまり真剣に時刻表を見ていないので、こんなざまである。が、ここでICEに乗れるのはありがたい、これでユトレヒトまで充電できる、と自己満足。

  普段なら他国の車両よりオランダの車両に乗りたがるのだが、今回はコンセントが大事なポイント。もともとこの区間の国境越えはかなり混んでいるのだが、平日日中ならそこそこ空いているだろう、と踏む。

  ICE129は折り返しに時間がかかったとかで遅れている。ICEを待っている間、駅ではしきりにオランダ語と英語でアナウンスをしている。どうも今度の金曜日、17時以降は列車の運転がオランダ全体で止まるようだ。全面運休、とはまたずいぶん派手な話だが、信号システムの工事と言っている。どんな工事かよくわからないし、情報もない。とにかく列車は動かないらしい、ということは確かだ。高速新線や交流電化など、このところオランダの鉄道は従来にないことをいろいろ始めている。他国では既に珍しいものではないので、未知の世界ではないだろうが、それでもいろいろとたいへんなのだろう。来年にはIRMが交流パンタを上げて新線を快走しているのだろうか...

  遅れて入線してきたICE129に乗り込む。思ったよりさらに空いていて、ロ車は私以外に誰もなく、楽しい貸切状態になってしまった。まずは充電、と座席のコンセントにデジカメをつなぐ。せっかくの工事区間を通るのだが、残念ながらこの区間の写真を撮ることはできない。アムステルダム中央駅を25分遅れ出発し、いまきた道を折り返す。左右見ておかないと特に工事中などは何があるかわからない。

  運河に一つトンネルを掘っていた。運河といってもいわゆるライン川につながるような大きなものではないのだが、たしか可動橋(ユトレヒト−アムステルダム・アムステル間で唯一のものでなかったかな)があるところで、それをトンネルにするようだ。トンネルといっても運河幅は小さく、トンネルというよりアンダーパスという方が正解か。運河は深くないのだろうから、土かぶりも比較的薄くてすむのだろう。

  といっている間にユトレヒトに到着。急いでデジカメのコンセントを抜き、リュックを整えて乗り換えをする。たった30分のICE乗車である。贅沢かもしれないが、こんな乗車の可能なドイツ型の列車設定はありがたい。タリスはどうして敷居が高いのだろうか。

 

61        15日午後続きトラムでないのか

  ICEに乗りながら時刻表を見ていて、そういえばトラムになったところがあったなぁ、と思い出した。今日がオランダ最後の日なので、ここが回れるかどうかもう一度時刻表とにらめっこ。その結果何とかなることがわかった。そこでユトレヒトからライデン行きに乗る。この電車はフォーアウトの宿からユトレヒトへ回る際の指定経路(誰が指定したのだ?)になっていて、何度か乗ったことがある支線である。いつもドックノーズが2両または2+2の4両で走っている。おそらくユトレヒトの電車なのであろう。ハーグにいる500の4連貫通が入っているのを見たことはない。

  先日乗ったときは気がつかなかったのだが、ユトレヒトの西側で工事をしている。どうも車庫を造っている雰囲気なのだ。確かに今後もオランダ鉄道の保有車両は増えそうだし、ユトレヒトの留置線はどうみても手狭そうなので、車庫を造っていても不思議ではない。でもこれは全くのわだらんの勘なのだが、ひょっとしてここが高速列車の基地になるのではないだろうか?ベルギーへの高速新線用に、タリスの他に普通電車も新製されるようだ。この車は当然交直両用になるので、検査施設が別に必要になるのでは?などと思っているが実際はどうだろう。何もなければ来年の年末には現在のブリュッセルまでのICは電車になっているはずである。

  で、その絡みかどうかわからないが、ウールデン(Woerden)駅は複々線工事中の真っ最中。ウールデン駅東方にアムステルダムからとユトレヒトからの線路が合流するところがあるのだが、そこからどちらも複線のまま(つまり複々線)、駅まで引っぱってくるようである。しかし、アムステルダムからゴーダへの電車ってわずか1時間1本なのだが。

  ウールデンを出てロッテルダムへの本線と別れ、単線区間を走る。このあたりは水路が辺り一面にくまなく張り巡らされていて、いかにも低い土地ですよ、と言わんばかりである。地図を見るといくつかオランダ風車があるようなのだが、あまり大きくないのか、電車の窓から確認はできない。もともとスキポールのあたりを含めてこの地域はかなり土地が低い。なので、どちらかというとアムステルダムやロッテルダムに近い割には田舎の風情である。ちょっとのんびりとした雰囲気が心地よい。

  そういえば、最初に開通したユトレヒトからアムステルダムへの線路はヒルフェルスム経由だったのではないだろうか?今よく利用するユトレヒト〜アムステルダム間は途中運河に平行したり、牧草地の真ん中だったり、といかにも低湿地ですよ、みたいな景色である。アインドホーフェンからユトレヒトを通って、ヒルフェルスムまでは、ユトレヒトの貨物線を通ればほぼ直線である。途中に現在は鉄道博物館になったユトレヒトメリーバーン駅もある。つまり、アムステルダムへ、現在のダイフェンドレヒトDuivendrecht駅を経由する線路ができて、そのときに現ユトレヒト中央駅ができて、ユトレヒトメリーバーン駅は主役の座から落ちた。で、その後メリーバーン駅は鉄道博物館として再起した、というシナリオができるのだが、どうだろうか。いろいろと調べてみたい気はするのだが、何せオランダ語が読めない。

  と考えている間に電車はアルフェン アーン ライン(Alphen a/d rijn)駅へと着いた。駅舎の写真を広場で一枚。なかなかのどかないい作り。 ☆写真を撮りました☆

  で、ホームに戻ってがっかり。ゴーダ行きは電車である。普通のドックノーズである。小さいトラムを期待していたわだらんにとってはがっかり以外の何者でもない。鉄道線をトラムにした、というからわざわざやってきたのに。とはいえ、これに乗らずには戻れないから、電車に乗り込む。確かに途中の駅にはトラム用の低いホームがあるのだが、トラムの車両はどこにもいなかった。結局輸送力に無理があったのか、詳しいことはわからない。こういう話を日本で得ることは難しいだろうから、次回の訪問にお預けということになった。

  電車は遠くにオランダ風車を眺めながら相も変わらず水路で区切られた牧草地や畑の中を走っていく。車掌がきたので、トラムのことを聞こうかと思ったが、さっと行ってしまったし、こちらもうまく話ができるかどうか自信がなかったので、それ以上のつっこみはやめた。

 

62        15日 夕方 ▽何の改良工事だろう▽

  ゴーダの街の西縁にあたる川の橋を渡ってゴーダに到着。ゴーダの駅は中央に通過線を持つ割と広い構内の駅である。でも、中央に通過線を持つ形はオランダ全体としては珍しく、ライデンなんかもかなり大きな構内配線改造をしたようだから、ひょっとするとこのゴーダの通過線も最近できたものなのかもしれない。とはいってもそれを確かめる手だては今の時点ではないから、また機会があって何か調査できる材料があれば、ということにしておこう。

  せっかくなので街の入り口まで散歩に出かける。駅前広場は長細く、その広場のさきを進んでいくと、街に入る信号と跳ね橋がある。運河が街のまわりを囲んでいて、橋を渡って街に入る形である。チーズ屋があるかと思ったが、どうも近くに見つからなかったので、駅へ戻る。いずれゴーダには複々線の理由やトラムなどを見にまたこなくてはならないので、そのときにゆっくりと市内の運河を眺めてビールを飲みたいと思う。

  ユトレヒトは、オランダ鉄道の本社のある、大きな駅である。昔ながらの駅舎を大事に使うことの多いオランダの駅のなかで、ここは大規模な橋上駅舎がそのままショッピングモールにつながる、日本でいうところの都会的な駅である。橋上駅舎の中はどことなく大宮や川崎に似ているような気がする。多くの人が行き交い、乗り換えや買い物などみんなが忙しそうに歩き回っている。

  オランダの場合、改札がないので、ラッチ外とか、えきなか、とかいう概念はなく、単純に駅にきた人が列車に乗ろうが乗らまいが、いわゆる駅での商売の対象者になるわけだ。

  橋上駅舎の中央には大きなぱたぱたがあって、しかも列車がひっきりなしに発着するから、ぱたぱたも大きな音を立てて回転しまくりである。ただ、残念ながら、ここ(他の駅でも同じだが)のぱたぱたは基本的にアルファベット一文字単位でぱたぱたするので、表示に何が隠れているか、という楽しみ方はできない。日本のぱたぱたでは、「あれ、こんな行先が用意されているのかい」などと驚きや楽しみがあるのだが、オランダの(というか欧州の)ぱたぱたでは音を楽しむ以外にはあまり感激することはない。 ☆写真を撮りました☆

 

63        15日夕方続きまた国境越え

  ユトレヒトの市内の運河を見に散歩に出かけ、30分ののち、駅へ戻る。ここからICE221の客となる。さすがに混んでいて、なかなかいい席が取れず、思い切って先頭の展望席へいってみると空いていた。で、日本で言う1B席に座り、前を見る。

  この座席、確かに展望は効くのだが、決して気持ちよく眺められるのではなく、運転席の背後からのぞき込むような雰囲気である。大きな窓で前の景色を楽しむ、といった雰囲気とは全く違う。すかっとした眺めでないので正直どうも好きになれない。しかも喫煙席で、たばこの嫌いにわだらんには結構つらい。でもせっかくオランダ最後の日なので前面展望を楽しむ。幸いにも始発間もなくでたばこの煙も少なく、なんとか我慢できる程度だった。

  運転士が指差呼称をして、閉塞(だと思う)信号を確認している。といってもすべての信号について行っているわけではないので、決められた動作というより、本人の注意喚起か、眠気防止なのだろう。で、指差呼称といっても指で信号を指すのでなく、腕を前に出す、そうよく労働組合の集会なんかでやる「ガンバロー!オー!」のイメージである。よって腕振りかざし呼称とでもいうものか。まぁとにかくダイナミックで笑えてくる。

  車掌が金曜日のアナウンスをしている。オランダでは金曜日夕刻から列車が全面運休するので、ICEはドイツ側からエミリッチ(Emmerich)までの運転、ということだそうだ。一区間の線路閉鎖なら迂回運転で何とかなるが、全面運休ではどうしようもあるまい。エミリッチはICEになってから、通過扱いになった(まるで北陸線田村みたいなものだ。交直両用の電車になって機関車付け替えの必要がなくなったとたん、列車は通過してしまう)ので、その駅にICEが停まるのはまたそれもニュースなのかもしれない。

わだらんは幸いにも金曜日はハンガリーの予定なので問題ない。が、もしオランダ鉄道パスで旅行していたら、と思うとぞっとする。まぁ、そんなときはきっと路線バスで遊んでいるのかもしれないが。

車掌が展望室に入ってきて検札をする。で、乗務員室への扉の前に物を置くな、と注意される。緊急の時のため、通路を開けておくこと、だそうだ。確かにこのICE(403形)は乗務員扉が外側にない。なので、常に客室を乗務員が通る形になっている。そういえば欧州にはそんな車が多い。もっとも客室が混んでいないから、別に問題がないのかもしれない。

  アーネムを過ぎると間もなくドイツ国境である。国境はアーネムから5kmばかりのところで、国境駅のエミリッチはドイツ内になる。国境は架線柱とキロポストで簡単にわかるのだが、架線の吊り具の違いがわからず、どこが交直切り替えなのかわからない。エミリッチではDC1500VのNSロコとACのDBのELが同じホームに入って付け替えをするが、やはり地上切り替えなのだろうか?で、肝心の交直切り替え付近に近づくと運転台後ろの仕切ガラスにスモークが入ってしまい、前が見えない。

  で、欲求不満のうちにデュイスブルグに到着。そういえば、アーネムでもここでも乗務員の交代がないなぁ、と思っていると、何げに振り向いた運転士はDB制服だった。ということはDB乗務員が直接アムスから運転してきたわけだ。車両もDBだし、そんなに問題もないのだろうが、では先日のヒルベルスム経由の迂回運転なんかではどうするのだろう、とまた疑問。さっきユトレヒトとアーネムの間でNS車掌とDB運転士が歓談していたのはじゃあドイツ語なのだろうか...そういえばタリスはどうしているのだろう?車掌は駅でよく見かけるが、運転士は見たことがないなぁ。とはいっても車両所有や乗務員の所属など一般人は気にしないだろうし、オランダ−ドイツのICEで「NS車がきたら当たり」なんて考えているのはわだらんくらいしかいないだろう。

  ところで、座席に配布された列車案内を見ていてふと気がついた。先日通ったメンシェングラッドバッハをICEが通るのである。その時刻表によると7月25日は、アムステルダムを通常より27分前に出て、ユトレヒトからアインドホーフェン、フェンロを通って、メンシェングラッドバッハからケルンに抜けてくる、というものである。おそらくアーネムかどこかそのあたりで線路工事があるためだろうと思うが、あの無人駅をICEが通り抜ける、というのはちょっと興味がある。日本ならこういった迂回運転にはすぐヲタが飛びつくが、こちらの鉄道マニアはどうなのだろう。

  そう、6月25日はデュッセルドルフのDB工場公開日である。ドイツに♪やふたばがあったら、この日は祭りになるのだろうか、などとくだらないことを考えている間に列車は定刻でデュッセルドルフ中央駅についた。また悩みが増えたオランダ最後の日であった。

 

64        15日夜         夜行列車 特別な座席

  デュッセルドルフに着き、まずはウルムと同じCityhotelを捜す。ホテルは駅すぐの南側で見つかった。フロントで「ミュンヘンの...」と切り出してみたが、独立経営らしく予約は直接やってくれ、といわれた。当然ウルムのキャンセルの話もできず、無駄足に終わってしまった。ホテルの電話番号は教えてもらったが、やはり電話でキャンセルを依頼するのはちょっと言葉で度胸がいる。

  駅に戻って、スーパーでチョコレートとお茶を買っておく。夜行でのどが渇いたら、と心配して買ったのだが、これがこの夜行でなくのちに役立つことに結果的になった。デュッセルドルフの中央駅はこのスーパーに限らず、飲食店や食料品店など食べ物は豊富で、歩いているだけでも結構楽しい。でも天井が低く、少し窮屈な感じはする。

  ホームに上がって列車を待つ。広い駅なのだが、Sバーン主体の駅で、かつ通り抜けタイプなので長時間停車する列車もなく、みんな着いてはすぐに発車していく。なので、あまり華やいだ雰囲気はない。長距離列車ホームが端っこに寄った作りで、なおさら通勤客主体の駅、という感じである。ケルンのように長距離のICやICE、タリスなどが常時ホームに姿をおいている雰囲気とはちょっと違う。

   CNL 列車が入ってきた。編成の前位にはNZ編成がついている。NZはDB Autozug会社のもので、自動車込み夜行以外のものもAutozug社のものがあるようだ。オスナブリュックで入手した夜行列車ガイドブックにはDBの子会社と思われる夜行列車運営会社が5つ載っていたが、地域別の割り振りなのだろうか? が、少なくともその5社の中でこのCNLだけはスイスチューリッヒが本拠地で、従ってやってきた車も所属は85(SBB=スイス国鉄)表記になっている。

  さて、今夜の宿、リクライニングシート車を探検である。普通の座席もリクライニングシートだ、と思われるかもしれないが、この車両の場合夜行用として座席が一席ずつ独立した形で、いわばゆりかごのようになっているのである。体が完全に横になれるわけではないが、座席が目一杯埋まった状況でも自席でまぁくつろげるので悪いものではない。日本の夜行バスよりはちょっと大きめの、国際線ビジネスクラスの独立座席の簡易型と言うべきものだろうか。自分の座席は後ろ向きにあった。まずは荷物を棚に上げ、一旦落ち着く。どうせ寝てしまうのだから向きは関係ないし、まずはフランクフルト中央駅で進行方向が変わるから、最後ウィーンに着くときにはどうなっているかわからない。しかも、座席の背が高いこともあって、車内の見通しはきかず、ましてや反対側の車窓を楽しむのには無理がある。外を眺める車ではない、といえばそれまでだが。

  ケルンを出発する時点でも車内は空いていた。クシェットや寝台車の利用者数はよくわからないが、逆にそういう設備車の方がむしろ乗車率は高いような気はする。たまには贅沢してみたい気もするが、かといって寝るだけなら高い金を払う必要もないわけで、やっぱりわだらんは安物人間のようだ。

  車内を散歩していて、CNL社のパンフレットを見つけた。これには時刻表と各種設備案内、価格表がある。ドイツ語なので詳細はわからないが、表によると座席車の料金(Aufpreis)は9.50ユーロとある。この席を取るのに15ユーロ払っているので、合点がいかない。ただ、料金(Aufpries)の下に指定なし(Nur Reservierung)とあるので、ひょっとすると予約なしの価格が9.50なのかもしれない。ちなみに他の欄には乗車券と指定なる記載があるので、乗車券を持っている人間(おそらくDBバーンカードとかの類だろうか?)は予約なし料金、ということになるのか?が、そうなるとわだらんのようなユーレイルパスホルダーは予約なしで乗れる、ということかいな?ますます合点がいかない。

  確かに、以前タルゴの座席車(リクライニング)に乗ったときは予約などしていなかったので、車掌に直接6マルク払ったのだが、このCNLでも結果的に空席があれば、9.50で座席利用ができる、ということか?で、もう一度以前オスナブリュックで入手した「夜行列車の旅」をよく見ると、確かに9.50ユーロの記載がある。ただ、ここには予約云々とは書いてなさそうだ。ますます謎が深まる。次回来ることがあれば、飛び乗りしてみるか。

  ところで、この列車では寝る、ハンガリーに向けて移動するのにあわせて一つ楽しみがある。ライン川に沿った景勝地を眺めながらビールを飲もう、という魂胆である。かつてIC/EC列車の大動脈だったライン川沿いののケルン−マインツ間は高速新線開業ですっかり色あせてしまった。といっても色あせたのは優等列車の本数だけで、流れる景色はかわらずに雄大で可憐な姿を見せてくれる。      この時間になるとさすがに観光船はおらずアクセントには欠けるが、夜ゆっくりした流れを楽しむには十分。何度通っても気分のいい区間である。

  クシェットを2両またいで食堂車に向かい、川に向かって席を取る。食堂車は調理室、バーカウンター、テーブル席と並んでいる。バーカウンターは立ち席で、基本構造が同じのビストロよりも室内は暗く落ち着いた雰囲気。で、ビールと食事。晩飯は、鶏肉とマッシュルームをホワイトソースで煮込んで、バターライスを添えたもの。なかなかのものであった。ラウンジ側が数名くつろいだ雰囲気でごろごろ。で、酔ってしまったので、マインツを前にして席に戻り、そのまま席で寝込んでしまった。 ☆写真を撮りました☆

 

65        16日早朝      東への玄関

  日が高いなまぶしいな、と目が覚めた。とはいえ、時計はないし、どうせまだウィーンまで時間はあると思ってのんびりしていたら、間もなくして停車した駅はウィーン市内だった。マインツは記憶にないから、夜10時過ぎから朝8時過ぎまで熟睡していたことになる。これが15ユーロのリクライニングシートのおかげなのか、ビール2杯+晩飯17ユーロのおかげなのか、はたまた前日までの多少の疲労のせいなのかはわからない。がとにかくよく寝たことは事実だ。席は前向きになっていた。が、結局外を眺めている時間なんかほとんどなかったわけで、これならクシェット上段と同じだな、と一人で苦笑する。

  列車は定刻にウィーン西駅に着いた。ここで約1時間、ごろごろと過ごしたのちブタペストへ向かう計画である。朝のウィーンは夜行列車到着が多い。寝台車の写真を撮ったりしているとあっという間に時間は過ぎていく。SBBのオープンドーム一等車を見つけたのだが、近づこうとしたら発車してしまった。

  一旦コンコースに出て、窓口や発車案内などを見て回る。コンコースに優等列車の発車時刻表とその編成表が掲示してあるのだが、先頭の機関車・電車を写真で表示していてなかなかおもしろい。編成表では10:03発のブタペスト経由ベオグラード行きはニ+ロ+シ+ハ×4の編成である。客車はOBBかな?MAVかな?MAVの食堂車なら本来の目的を達成できるのにな、と楽しみにしていた。ハンガリアンシチューを食堂車で食べる、これが今回のハンガリーの最たる目的なのだから。

  ホームに戻るとOBBの1116ELに牽かれたオリエントエクスプレス(ベニスーシンプロン社かな)列車が入ってきた。トーマスクックには列車の記載がないので、団体貸切列車なのだろう。ホーム入り口にはOBB職員によるレセプションデスクが置かれ、いかにも観光列車の華やいだ雰囲気である。列車を降りた乗客はみな列車をバックに記念撮影。中には乗務員と一緒に撮影する光景も。それだけ列車の旅を堪能したと思われ、うらやましいら、うれしいやら。カシオペアやトワイライトの乗客は乗務員と記念撮影したりするのだろうか?こちらもホームを進みながら車両を撮影したり観察したり。ひょっとして日本にきた車がいないかと妻面を観察してみたが、残念ながら北オク表記はなかった。 ☆写真を撮りました☆

 

66        16日朝         丘を越え谷を渡り

  で、ブタペスト行き列車ホームに戻ると、既にMAV編成の客車が在線。ロ車は3列オープンタイプで座席向きが固定のもの。右側1列席で前向きの席が確保でき、落ち着く。同じ車内にハンガリー駐在と思われる日本人2名+日本からの出張者と思われる方1名、さらに旅行中の日本人(結構高齢にお見受けしたのだが、一人旅であった)も。旅行者はしきりに駐在の方に旅行の情報を聞き出しているのだが、駐在の方は的確に答えられない。というか、もともと駐在の方は車で国内を移動されているのだし、ローカル線の事情に詳しいとはとうてい思えないので、聞く方がおかしい、と思う。

  さて、定刻よりごく数分遅れて列車は出発した。で、それはよかったが、なんとシが欠車しているのである。これでは飯も食えないし、ましてやハンガリーにきた意味がないではないか、とがっかり。腹も減ってきて、夕べ夜行用に仕入れたお茶とチョコレートで朝食。

  もうすぐ国境というところで、おおきな風車の森があった。風車といってもかわいいオランダ風車でなく、巨大な発電用風車である。何基並んでいるのだろうか?一基二基ならご愛敬、一列に並べば風車の行列なのだが、森となってはなんと表現すればいいものか。しかしこんなに緑豊かでとても自然破壊には無縁に思えるのに、どうしてこうも環境に敏感なんだろう?

  国境を越え、ハンガリーに入る。久々のパスポートチェックである。オーストリアの係官が汽車マークの入ったアウトのはんこを押し、やがてやってきたハンガリーの係官がまた汽車のインのはんこを押す。アムステルダム・スキポールで入国すると飛行機のマークなので、久々の汽車マークである。そういえばバスで入国するとバスとか車のマークになるのだろうか?あとから気づいたのだが、このオーストリアの係官、アウトなのに、インのはんこを押している。よって私のパスポートには2日続けてオーストリアに入国した記録が残っている。別に問題にはならないだろうし、免税品を持っているわけではないから、案外いい加減だったりする。

  列車はハンガリーに入って淡々と進む。駅のホームが低いこと、停車中ずっと駅のアナウンスが何かしゃべっていること、そしてこのICの停車駅はどこも構内が広くてちょっとのんびりムードに見えること、そんなところが目に付く。ただ、風景は野山(といっても高い山ではなく、丘のイメージである)の連続で、極端に風景が変わったわけではない。

  しばらくすると、男女の係官が乗ってきた。車掌とは違うようで、かといって入国審査官でもなさそうだし、なんだろうか。乗客の一人一人に声をかけて何か聞いている。で、わだらんの近くの乗客に声をかけているのを聞いて事情がわかった。彼らは観光案内所の人間で、ブタペストの地図を配りながら、観光ツアーやホテルの予約の紹介をしているのだ。観光案内所が公的なものかどうかはわからないが、もらった地図を見る限りでは民間の観光業者のようだ。顔写真付きの身分証明書を提げ、それなりの身なり立ち振る舞いをしているので、怪しいところではなさそうだが。

  確かにオーストリアからブタペストに入る特急の一等車なら、外国人観光客が多いだろう(ちなみにわだらんの通路を隔てて向かい側はアメリカからきた4人組、わだらんの後ろはオーストラリアの夫婦のようであった)から、商売の対象としてはいい相手なのだろう。逆にブタペストに着く前に日帰りツアーの予約などできれば便利に思う旅行者もいるだろうから、それはそれで一つのサービスかもしれない。ただ、どうもわだらんからみれば商魂たくましいというか、あまり好きな話ではない。わだらんはこの車両の前の方に座っている駐在とその出張者の一団と同類と見られたのか、旅行者とは思わなかったようだ。で、危うく、おねえさんに無視されそうになったので、地図をくれ、と声をかけた。が、やはりもらった地図は案の定ホテルやレストランの宣伝が多く、あまり役に立ちそうにはない。おねえさんが美人だったので、それでよしとしよう。 ☆写真を撮りました☆

  市街地に入って、川を渡った。これはドナウ川なのだろう。ということはこれからくるっと半周すると駅に着くな、と想像していたら、まさにその通りであった。左カーブしながら右からくる線路と一体になって客車区が大きく広がると東駅の構内。やがて列車はブタペスト東(ケレチ)駅に定刻に着いた。駅は行き止まり式で、大きなドームがかかっているのは他の欧州の駅と同様である。駅舎にはいろいろな店舗や案内所などがひしめいて、いかにも都会のターミナル駅という雰囲気である。

  ところが、ホームに降り立つと、外国人めがけておばちゃんたちが寄ってくる。ホテルはあるか、ツアーはどうか、と。わだらんはホテル予約はしてあるし、観光案内は不要なので、声かけを断ってとっとと歩いて行くが、外国人観光客はやっぱりカモにされそうだ。 ☆写真を撮りました☆

 

67        17日昼         初めての国、初めての散歩

  さて、まずはホテルを目指して歩き出す。頼りにならない地図でおおよそ1km程度だろうと踏んでいる。事前に家で見たホテル情報の地図によれば所在地までリュックを背負って歩いてもそんなに苦にならないだろうと判断。ホテルは事前に DBリンクのホテルサイト で確保しておいた。初めての街なのでホテル探しに時間をとられたくなかったのと、ホテルのレベルや所在地が不案内なので、とりあえずDBサイトに出てくる駅に近くそこそこ安いものを予約しておいた。DBサイトに出るくらいだから、安物でもけっして安い貧弱なものではないだろう、と思う。

  東駅はなかなか立派な駅舎で、道を隔てたところからちょっと離れた位置でしばし見とれる。ただ、残念なことに、全体を遠くから見通せるような位置にない。せっかく駅正面に向かって大きな道がついているのに、その道の完全な延長線上に駅舎がないので、遠くからの偉容という点で損をしている。ブタペストの街は路面電車の他にもトロリーバスもあって、なかなかおもしろそうだ。せっかく初めての街なので、午後はいろいろと市内を路面電車でうろうろしようと思っている。 ☆写真を撮りました☆

  歩く途中、西駅へ立ち寄る。ホテルを予約したとき、駅に近くて安いという単純な理由で選んだのだが、残念ながらブタペストへの到着と出発は東駅であることがわかった。で、あわよくばここから列車に乗れればいいなと思っていたが、西駅から出る列車がクックの時刻表にはあまり記載がなく、どんな列車かよくわからない。駅のぱたぱた案内とクックの地図を見たところ、南へ行く列車はここから出ているものがあることがわかった。

  ホームには近郊へのものとおもわれる電車がとまっている。大きなパンタが印象的。でも後ろに続く車両は客車とあまり変わりないようにも見える。欧州ではもともと電車の付随車と客車の区別が厳密でない。もし、日本で50系客車をそのまま701系クモハにつなげていたら、また印象も評判も違ったことだろうに。 ☆写真を撮りました☆

  時刻表を眺めていて、急に腹が減ってきた。朝からチョコレート一枚なのである。が、今はまだホテルに着いておらず、リュックを背負ったままなので、売店での簡単なサンドイッチとビールで腹ごしらえ。

  目指すホテルは西駅からすぐだった。チェックインし、荷物を降ろす。案の定ちゃんとしたホテルで、たぶん割安なのだろうが、わだらんにとっては贅沢である。大リュックを部屋に置き、小リュックのみで気楽な格好になってふたたび街へ。ホテルの一角は商店や飲食店の並ぶにぎやかなところで、隣りのちょっとしたレストランで牛肉とじゃがいもの煮込みwithパスタを食べる。なかなかおいしい。レストランは通りにオープン席を出していて、前を路面電車が走っている。ホテルのホテルでもらった地図はなかなか使い勝手がよさそうで、どう動こうか地図を眺めながら優雅な食事。

  食事を終えて、まずは西駅へ向かう。明日のドイツへの夜行の寝場所を確保すべく切符売り場で並んでいたら、国外への切符は窓口が違う、という。国際線(飛行機みたいだな)の窓口で、ミュンヘンまでのクシェットが予約できるか聞いてみる。4700フォリントだという。なにかずいぶん高いような気がする。で、座席ならいくらか?と聞くと、座席の予約なしなら料金は不要、だという。予約なしでも乗れるのか?とさらにつっこむが「問題ない」という。確かにハンガリーに入ったときには何も料金を払っていないし、出るときも予約なしなら料金不要なのだろうか?スウェーデンの夜行のように、結局座席指定をしなければ料金不要ということだな、と自己勝手に解釈してしまう。

  と、そんなわけで少し駅で時間をとった。時計を見ると14時30分過ぎである。15時のICがあって、これに乗るとルーマニア国境近くまでいけるのだが、折り返しの列車への時間が短く、かつブダペストへの戻りが遅くなってしまう。ので、ここは列車をあきらめ、当初の予定通りブダペスト市内を路面電車でうろうろすることにした。

 

68        16日午後      速いなぁ

  さっき歩いてきたときに西駅地下(ここは地下鉄の駅もある)に切符の窓口があるのを見ていたので、まずそこへ行っての一日乗車券を買う。窓口にはおばさんがいて、「1day Tichet」というと、「いまからか」と聞いてくる。午後、既に3時前なので、おそらくこんな時間から一日乗車券を使うのか、確認してくれたのだろう。「これから」と返答すると、日付を確認して切符を渡してくれた。分かりやすい英語で受け答えしてくれて、わだらんにはありがたい。そして、広場に上がって電車乗り場に行く。

  いつものごとく、来た電車に乗る。ホテルの前を走っている4系統が来た。これに乗っていくと、ドナウ川を渡って終点になった。そこからまた別系統の電車で左岸を南へ、さらにまた川を渡って中心部へ、と電車で散歩する。最初に乗った4系統は市街地を半周、中心地を遠巻きにして走っているので、使い勝手が良さそうだ。同じ運転区間に6系統もあり、二系統あわせて運転間隔も短い。その電車が使えるので、ホテルの位置はいいところであった、とちょっと自己満足。帰りも4か6の電車をどこかで捕まえればいいわけで、迷うこともなさそうだ。4・6系統というと何か京都西大路通りと東山通りを思い出してしまう。

  おおざっぱに街の動き方がわかって安心したところで、ふらふらと電車に乗ってさらにブタペスト市内をうろうろ。電車はどの系統もよく乗っている。座席もあるがなかなか座る機会がない。電車は比較的短間隔でやってくるし、連接車や連結車で比較的輸送力はあると思うのだが、それだけ市民に支持されている、ということだろうか。信用乗車なので、どこの扉でも乗降でき、ちょっと停まって乗り降りして、ぎゅっと走る。電車の停留所の間隔は比較的長いようで、路面とはいえ、かなりのスピードを出す。小気味よいのだが、もう少し空いていてくれれば快適なのだが。

ドナウ川の堤防に沿って走る電車に乗っていたところ、ちょっとしたトンネルをくぐって、右へ左へカーブが続くところがあった。なんだろう、と思ったら、くさり橋の橋脚を避けて線路がくねくねしているのだった。そこで、電車を一度降り、川を徒歩で渡ってみる。川面を眺めながら、はるかかなたのドイツの山の中から流れ出て、まだこの先長い川の流れを思うと、その広さを実感してしまう。川を眺めながら、ふと「ドナウ川のさざなみ」という曲を思い出した。とはいってもクラシック音楽に知識があるわけでなく、ただ単に近鉄名古屋駅で特急が発車する前に流れる音楽、というだけであって、ドナウ川や曲に蘊蓄があるわけではない。これが世界遺産に指定されたかの有名なくさり橋であっても、考えていることは鉄道のことか飯を食うことだけで、これでは観光ガイドには一生なれまい。

 

69        16日午後続き温泉に入る

  出発前、ガイドブックを立ち読みしていたら、ハンガリーは温泉がたくさんあって、ブダペスト市内にもある、という。なので、水着とスリッパは実は日本からわざわざ持ってきている。せっかくの外国の温泉である。是非行ってみよう、温泉に浸かってこよう、という魂胆である。

  さっきホテルから出かける際、フロントに「どこの温泉がいいか?」と聞いたところ、ここがよい、とゲッレート温泉を教えてくれたのだ。もちろん市内なので路面電車でいけるところである。ゲーレット温泉はホテルにあるのだが、いわゆる日帰り温泉の入り口はホテルのフロントとは違って建物を回り込んだところにあった。入り口で入場券を買って、ホールの中へはいる。

  ところが、案内表示が何もないのでまごつく。受付のおじさんにどこから?と英語で聞くと、あっち、と指差しをする。指示された通路を入るとまたそこに別のおじさんがいて、入場券を見て、あっち、とまた指を指す。階段があって地下へ降りるとまたさらに別のおじさんがいて、なにやら話してくる。が、よくわからないので、そのまま突っ立っていたら、後をついてこいみたいな仕草である。ついて進んでいくとまるで監獄のように小部屋がたくさん並んでいて、そのうちの一つに案内される。

  ここで着替えろ、というのようだ。荷物は?ときくと、ここ、とその部屋を指さす。とにかく持参した水着に着替え、とサンダルをはき、荷物を置き、部屋の外に出た。するとおじさんがなにやら番号を扉の黒板に書いて、鍵をかけ、番号札を渡してくれた。要するに更衣室兼荷物置き場となるロッカーだったのだが、どうも雰囲気が違ってしくみもよくわからない。ロッカーの広さはちょうどトイレ個室のような広さで、そこにもの置き兼用のベンチもおいてある。往年のキハ58やモハ164など急行型の車端部にあった2人がけ座席をイメージできれば、広さも構造もそれに近い。

  さて、水着に着替えて階段を上がり、入ってきた通路と反対方向へ歩いていくとプールの入り口に出た。プールサイドには多数の人がごろごろしていて、プールの中も大勢の人が泳いでいた。泳いでいた、といってもいわゆる競泳の練習やフィットネスのプールではなく、水遊びをする、という感じである。このプールの部分には天井がなく、快晴の空からは午後の日ざしが水面に輝いて、きらきらときれいである。

  さて、わだらんも水遊び、とおもって足をプールに入れたとたん驚いた。なんと水が冷たい。温泉かと思っていたので、思わず震え上がってしまった。わだらんは水風呂や冷たい水は苦手である。プールをあきらめ、少し歩いてみると、建物の奥には風呂があって、ここは暖かかった。ので、しばらく浸かってのんびりする。ところが、暖かい、といっても水でない、というだけでだんだんからだが冷えてきた。

  一旦湯から上がり、ちょっと気分転換にと散歩をする。プールの入り口に別に「THEAMOBATH」とあったのを思い出し、行ってみる。プールとその延長の風呂とは別方向の建物の奥に大きな浴槽が2つ、通路を挟んで鎮座している。片方は36℃、片方は38℃とタイルで壁に書いてある。確かに38℃の方は気持ちいい。36℃にも入ってみたが、どうもしっくりこない。で、結局38℃の方でしばらく足を伸ばしてごろごろして、のぼせない程度に上がる。ただ、それほど熱い湯でないので、のぼせるといってもふらふらに近い状態になるわけでなく、まぁ「これくらいでいいかな」と思った程度。熱い温泉ならゆっくりつかることはできないが、ここは本当に一日湯の中にいることもできそうな感じ。

  さて、再び地下のロッカー部屋に行くと、おじさんがいない。こまったなぁ、と思っていると、一階の受付のおじさんが降りてきた。で、札を見せるとまた上がっていってしまった。で、ロッカー部屋の入り口で待つことしばし、さきのロッカーのおじさんがやってきた。番号札を見せると自分のロッカーの場所まで行って鍵を開けてくれた。こういうときにチップがいるのだろう。でも財布はロッカーの中だから、手持ち現金はない。このあたり、どうもわだらんはサービスを受けることと、その代償としてのチップを渡すことがなかなかスマートにできない。

  再びロッカー(というか、小部屋)に入り、着替えて外に出る。温泉観光おしまい。その間約1時間。ただ、正直言うと、すこしぬるくて、ちょっと想像していたイメージとは違っていた。まぁ、これも経験でよしとしよう。これが唯一の観光名所めぐりになるのだろうから。再び電車の停留所へいき、また市内うろうろを開始する。

 

70        16日夜         たまには市内観光

せっかく一日券を買ったので、と相変わらず市内を電車でうろうろ。2系統(2本ではなく、2番という意味)の電車は川沿いを南北に走り、わかりやすくて使い勝手がいい。わだらんのホテルは街の北なので、最悪方向を迷ったら2の電車に乗って終点までくればあとは歩いてホテルへ戻れるし、中心部から東駅方向に歩いて4か6の電車に乗れば迷わない。

  地下鉄にも一駅乗ってみたがあまり代わり映えのしない普通の地下鉄。ブタペストの地下鉄は大陸では1番目となる古い由緒ある地下鉄なのだが、車両も小さく(600Vだそうだ)、派手さや荘厳さは全くない。これなら町並みの見える電車のほうがよほどいい。

  路面電車なら、地図とにらめっこしている限り場所を迷うことはないし、走っているところは地図上で追いかけられるから、万が一目的地を外しても何とかなる。第一通りの店や建物を眺めているのは楽しい。

  しかし、ここの路面電車は不思議だ。まずとにかくここの電車は速いのだ。そして、停留所間が長い。路面区間でも、軌道専用区間でも飛ばしていく。路面電車というとこまめに停まって身近な足という感じが一般的なのだが、ここの路面電車は地上を走る鶴見緑地線という印象。加速もよく、ちょっと気を抜いていると振り回されてしまう。よく言えばメリハリの利いた、悪く言えば暴走族ふうの電車である。

  しかし、どの電車も混んでいる。理由はわからないが混んでいる。この日が特に、あるいはこの時間が特になのか、あるいは慢性的に輸送力が追いついていないのか、わからない。系統によって、ボギー車の連結や連接車の連結など使い分けているようだ。連接車の連結になると結構長い。新しいもの、古いもの、いろいろとあるのだが、残念ながらわだらんにはここの車両の知識が全くないので、それぞれの車両の面白み個性がわからない。ただ、さすがにコンビーノはなく、依然としてタトラは多い。タトラはチェコ製の電車で、旧東欧諸国ならどこでも見ることのできるものだ。ここもそのうちシーメンスやアドトランツの車になっていくのだろうか?

  余談だが、ハンガリー人はどうやら平均して背が高く、鼻が大きい。で、おねえさんはみんなすらっとしてスマート、で胸が大きい。もちろんすべてではないだろうが、平均で見たわだらんの印象である。青目で直射日光に弱いのか、サングラスをかけているおねえさんが多い。サングラスをはずすと、みんな美人なのだが、黒いサングラスばかりなので、ちょっと怖い。

  中心部の商店街を散歩したのち、遅い夕食にしようと思った。ツーリストメニューを看板に書いて客寄せをしているおねえさんがいて、おもわずおねえさんにつられて入ってしまった。入ったといっても、通りに店を出したオープンカフェなので、通行人からは丸見えである。スープや肉の煮込み、パンケーキをいただいて、満足、満足。さすが日も暮れてきたので、適当に電車を乗りながら宿へと戻る。  途中ドナウ川の河原を眺めてちょっと深呼吸。光に浮かぶ橋もきれいなものだ。

  山に登るケーブルカーがあるのだが、「間もなく終了」といわれ、乗るのをあきらめた。山に登ればさぞかしきれいな夜景なのだろう。途中、再び西駅に立ち寄る。列車はもうすっかりまばらになり、コンコースやホームにあふれていた客もずいぶん少なくなった。閉店準備をしている売店で缶ビールとサンドイッチを購入し、夜食にする。なんだかんだでホテルに戻ったときには既に23時になっていた。

 

71        17日朝         切符入手の行列

  朝6時過ぎに目が覚めた。列車と違って固定のベッドなのでよく寝ることができたのか、あるいはただ単に歩き疲れが出て熟睡できたのか、まぁよい睡眠がとれたのは事実で、きょうもがんばって電車に乗ろう、と朝からテンションは高い。

  ホテルの朝食が7時から(本当はもう少し早いほうがよかったのだが)で、パンとコーヒー、そしてチーズで適度に済ませ7時半過ぎにホテルを出発。地下鉄駅の窓口でトラムの一回券を購入。正確な発音ができないので、昨日入手のホテル地図を出し、東駅に近い4,6系統電車の電停を示して、ここまで!というと、おばちゃんが切符をくれた。175フォリント。路面電車には改札もないし、最悪無札でもわからないだろうが、信用乗車させている場合もし無札で検札に捕まるとやっかいである。

  ただ、この切符、どうも地下鉄乗換券のようである。わだらんが示した電停から東駅へ地下鉄2号線がつながっているので、おばちゃんが乗換券を出してくれたのだろうか?ところが実際にはこの区間の地下鉄はちょうど工事中で運休していて、代行バスがあるそうだ。でもわざわざよくわからない代行バスに乗るくらいなら最初から最寄りの路面電車電停から歩いた方がわかりやすく、そのために一回券でいいように、地図を出したのだが、乗換券をくれたのはおばちゃんの親切だったのかな?回数券や一日券ばかり使っていると、一回の切符を買うのはなかなかやっかいで思うようにならない。

  やってきた電車は朝のラッシュで混んでいた。検札が回ってくるような状況ではなかったが、どんなに混んでいても検札が回ってくることがあるそうだから、不正乗車はやめておこう。外国でへたに警察沙汰にでもなったら時間はとられるし、どういう結末になるかもわからない。

  さて、東駅について、指定券を入手しようとうろうろする。が、切符売り場がわからない。うろうろするうちにトイレに行きたくなったのだが、今度はトイレの位置もわからない。勝手知ったオランダならとりあえず適当に電車に乗って便所に行くが、ここではそういうわけにも行かまい。車両清掃のおやじさんがいたので「トイレット」と聞くと、「あっち」と教えてくれた。この駅、歩いてきたので平面ばっかり見ていたのだが、地下鉄から上がってくる地下広場にもいろいろ駅設備があったのだ。トイレはもちろん有償。50フォリント払って、まずは楽になった。

  国内切符の窓口はやはり階下のトイレの通路を隔てた反対側にあって、多数の行列ができている。もうちょっと何とかならんのかいな、と思いつつ列に並んで約10分、予定通り10:05の特急の指定席を取ることができた。

  列車に乗るまでの間、夜行列車の寝台車をいろいろ観察。旧東側のいろいろなところから長大編成でやってきては、ブタペストに着き、客を降ろして、入換ELが引き上げていく。一般的に入換ロコはDLが多いのだが、なぜかここはELがやっている。なかなかスタイルいい、こざっぱりした外観で好感が持てる。ロシアやウクライナの車両がいる。旧ソ連系の車両はどう見ても重量級でどっしりとしているが、重たすぎて機関車が大変そうだ。もっとも機関車も図太いのが多いのだろうから、それでもよいのだろう。といっても日本のような軸重制限のあるところではとても走れそうにない気がする。

  でも、こんな東の国の車がたくさんいるのを見ると、やはり遠いところに来たのだな、と思う。西欧にいると、見ることのできる車両の範囲はそんなに広くないが、ここまで来ると本当に奥が深いと思う。ルーマニアにも行ってみたいと思うし、ブラチスラバには路面電車があるので見てみたいとも思う。ポーランドもきっといい味を出した地方の列車があるだろう。

  ただ、どんどん欧州が東に広がっていけば、フランスあたりは西のはずれになってしまうので、おもしろくなかろう。トルコがEUに入る日は来るのだろうか?そういえば、ハンガリーの車もずいぶんEUマークをつけたものが多かった。店でもユーロ表示を出すところがあったし、欧州の一員になれたのがやはりうれしいのだろうと思う。少なくともわだらんにとっては気軽に訪れることができるのは、ありがたいことこの上ない。

 

72        17日朝続き   再び朝食

  さて、今日はハンガリーの東部、大平原のローカル線に乗ってみよう、と計画を立てた。デブレシェンというところまでICで行き、そこからローカル線で大平原を横切りながらファゼボニィーまで、再びICでブタペストに戻る、いわば三角形のような動きをしようと思うのだ。もちろん初めての路線なので予備知識は何もなく、ただそのローカル線が大平原を走る、というガイドブックの案内とトーマスクックによる列車時刻の確認のみで、この先どんな光景やどんな列車なのかは全くわからない。

  まずは指定席を取った10:03発のIC622列車に乗る。東欧諸国から着く長距離の列車を横目に見ながら、定刻に出発。ELに牽かれた客車6両の編成で、ロ+シ+ハ×4の構成である。指定された座席は6人がけロ車コンパーメントの中央席だったのだが、既に他の席に5人座っていた。全体に結構乗っているようだ。コンパートメントも嫌いではないが、しっかり埋まっていて窮屈なのと、何より外が見えにくい。ずっと中では心理的にしんどい。そこで例によって食堂車へ出向き、ゆっくり座らせてもらう。

  食堂車は空いていて、自分の好みの席を取れる。当然ながら左側前向きの席を取り、景色を楽しむ。メニューは英語ドイツ語併記で書かれていてなんとか読める。とりあえずなんでもよかったのだが、朝食がメニューにあったので、もらうことにする。いろいろとサブメニューはあったが、朝食の一番シンプルなものにした。シンプルといってもパンもそれなりにボリュームがあり、なかなかのもの。ホテルでも朝食をとっているので空腹ではないが、食堂車で取る朝食はまた別物である。しばしコーヒーを飲みながらゆったりとした時間を過ごす。

  列車は快調に走っていく。感覚的に言うと時速120kmくらいだろうか。ブタペストを出てしばらくするとちょっとアップダウンがあって、そののち広い大地の中を走っていくようになった。畑や牧草地が続き、いかにも大陸、といった感じである。昼間だから遠くまで見渡せて気持ちいいのだが、夜だとまるで海の中のように何もない暗い感じなのだろうな、と思う。

いくつかの駅に停車後、列車は定刻にデブレシェン(Debrecen)に着いた。結局わだらんはほぼ食堂車にいたわけで、約2時間半の間、のんびりと車窓を楽しむことができた。

  デブレシェンではまとまった降車があり、埋まっていたわだらんのコンパーメントでも6人中4人が降りることになった。このデブレシェンという駅、構内も広く駅舎も壮観な立派なものである。支線をいくつか持ち、一部列車は国境をまたいでルーマニアに行くものもある。さぞ、ローカルのいろいろな車があっておもしろいところなのだろうと思う。

  駅前に出ると路面電車がいた。駅前の路面電車電停はちょっとした緑に囲まれたきれいなところ。市内中心部へはここから電車でいくようだ。ガイドブックでは、このデブレシェンはハンガリー第二の都市、とのことなのできっと美しい市街地が広がっているのだろう。今度ハンガリーに来るなら、ブダペストはやめて、こういった地方都市で一泊したいな、と思う。そういえば、以前、チェコの地方都市で泊まったときはプラハの半額くらいのホテルが立派であまりに大きな部屋で往生したことがあった。

 

73        17日昼         わだらんの原風景

  ちょっとした駅前散歩ののち、ホームへ戻る。駅舎に面したホームが支線のホームになっていて、赤い客車が止まっている。本線の車に比べて一回り小さく、最高速度も80km。どことなくローカル線のオハフ61をイメージするような車両で、いかにも田舎線といった感覚である。やがて機関車がやってきて客車に連結し、DL+ハニ+ハ+ハの小さな列車の出来上がり。

  車内は割と混んでいて、わだらんはボックスの前向きを確保したものの、ボックスに2、3人ずつ座っている形である。といってもほとんどがグループで、ボックス内でしゃべりあっている。客車は車内が二つに別れた形で、車内中央に壁があって扉がついている。おそらく昔はたばこが吸えるか否かで車内を分けていたのかと思われるが、今は禁煙なのであえて車内を分ける必要はないと思われる。ただ、その壁のおかげで車内が小部屋の感覚で、落ち着いた雰囲気。網棚がボックスの座席上に平行に取り付けられていて、かつての155系修学旅行列車と同じ形態である。

やがて定刻になり、M41ディーゼル機関車に牽かれた列車は駅を離れる。デブレシェンの町はずれになるのだろうか、小さな駅に停車し、乗降を繰り返すうちに、いつの間にか周囲は大きく開けて、ハンガリーの大草原地帯に入ったようだ。大草原地帯といっても、それなりに林などあって砂漠のように荒涼とした風景ではなく、緑の大地がどこまでも広がっているイメージである。

  駅に近づくと場内信号(もちろん腕木式)があって、そこから駅までワイヤが犬走りにそって走る。そして駅には駅長がいて、乗降の確認をし、安全を確かめて発車合図を送る。駅を出るとまたしばらく線路沿いにワイヤがあって、信号を過ぎるとまたただの線路に戻る。そしてその線路横には小さいながらも「はえたたき」。線路につかず離れず、車窓を細い通信線がひたすら流れていく。

  もちろんドアは手動式。一般に欧州の車両は半自動で走行中は開けられない(当たり前か)だが、ここは本当の手動式。ドアを開けたままで、デッキを流れる風が心地よい。まるで、ずっと昔の日本のごく当たり前にあった光景である。今から30年以上も前、わだらんの目がまだ輝いていた頃、DF50に牽かれたオハ35から見る高茶屋−六軒間の風景のような、懐かしく、そしてやさしい時間が過ぎていく。

  時代が停まったまま、というと言い過ぎだろう。ここはれっきとしたEU域内である。フランクフルトやパリと同じ経済圏なのだ。でも、ここに流れている時間は違う。それは田舎だからでない、何かを持っているような気がする。

  車内は帰省の学生さんらしきおねえさんたちや、地元のおばさんたち、中学生くらいの男の子などいろいろな年齢層で、適度な乗車率。途中駅で乗り降りがわずかにあるが、降りた分だけ乗ってくる感じで、車内の様子に大きな変化はないものの、少しずつ減ってはいるようだ。座席が固定のボックスシートなので、乗客の皆が互いに向かいの座席に足を投げ出したりしてくつろいでいる。

  通路を隔て向かいにすわっている背の高いおねえさん二人組は揃ってTシャツGパンなのだが、Tシャツが短く、またGパンがゆるいのか、腰回りの下着が丸見えである。おまけにTシャツも薄手でブラが透けて見えるので、目の保養にはなる。ただ、お尻から下着が顔を出すのはあまり珍しいことではないようで、例えばブタペストに着く前に車内を回っていた観光業者のおねえさんも、昨夜の食事の店のおねえさんも、下着が見えていた。というか、オランダでもドイツでもよく見た光景だったので、それが当たり前なのかもしれない。もっともそのような格好をしているのはおねえさんだけで、これがおねえさん+になってではそんな光景に出くわしたことはない。

  デッキに出て「はえたたき」の写真を撮っていると、乗客のおじさんがしきりに何か言っている。マジャール語(たぶん)で理解はできないが、どうやら湖の写真を撮れ、といっているようだ。ティサ、ティサと言っているのは聞き取れた。やがてそのティサ湖が見えてきた。線路の両側に湖が広がり、周囲を遮るものがなく、ほんとうに広々としている。海をみていて広いと思うのはよくある話だが、湖を見ていて、しかも観光列車などでない普通の列車に乗っていて広いなぁ、と思えるのもなかなか体験できない光景だと思う。

  デッキはドアを開けっ放しで、開放感全開。「転落の危険がある」などといった野暮ったい話はない。というか、ドアは開いていて当たり前の世界であって、それがこの風景に合っている。駆け込み乗車、などという言葉自体がない。

 

74        17日午後      列車と戯れて

  Tiszafured(ティサファードと読むのかな)駅で列車交換。ちょうど順光トップライトなので、「世界の車窓から」を狙って写真を撮ってみた。のどかなやさしい雰囲気が感じていただけるだろうか。 ☆写真を撮りました☆

  このあたり、ハンガリーの大平原のまっただ中である。大平原といっても何もないわけでなく、所々森もあるし、牧草地が広がっている。何もない、と言い切ってしまえばそれまでなのだが、何もないのもまた観光の魅力なのかもしれない。

  やがて列車は終着駅ファゼボニィー(Fuzesabony)に着く。単調ではあったが、決して退屈しないローカル線の旅は終わった。幹線との乗り換え駅とはいえ、街の中心が駅から離れているのだろうか、駅前には商店街やホテルなどは見あたらない。ちょっと歩くとスーパーマーケットがあった。ので、りんごジュースとキャンディーを買い、駅に戻る。立派な駅舎は重厚な作りだったが、駅舎の中身はほとんどなかった。某鉄道会社ならそば屋にコンビニ、キャッシングまで作ってしまうのだろうが、この駅舎の中には切符の窓口と時刻表閲覧台があるだけ。時刻表閲覧台は、ポスター形式で横長の時刻表を筒にいれて貼ってある。で、その筒を回転させると始発から最終までずっと横に並んでいるある駅での列車欄が順番に見ることができるという代物。

  帰路ブタペストまでのICの指定席を窓口で買う。ここは空いていて、というか乗客はまばらで、座席指定の特急券はすぐに取れた。今度は330フォリントである。行きの480フォリントとの違いは何なのだろう。ホームに出る。この駅は地下道があるので、線路と線路の間にフェンスが貼ってある。ホームが低いので、フェンスがなければ、誰も地下道なんか使うまい。無理に地下道を使わせようと言う意図がありあり、というのがまたおおらかでいい。なぜかスロバキア国鉄の車両がいたりして、数枚写真を撮る。堂々と線路に降りて、客車の顔をぱちり。天気も良く、写真を撮るにはいい日よりで、まさに車両と戯れていた、そんなひとときであった。 ☆写真を撮りました☆

 

75        17日午後      急停車

  ここからまたIC特急でブタペストに戻る。列車は比較的空いていて、指定された座席は前向きで悪くなかったのだが、まずは食堂車へ向かう。食堂車も空いていた。わだらんの他には4人グループと個人客が2名。個人客はどちらも若いおねえさんで、コーヒー(たぶん)を飲んで本を読んでゆっくりしている。シチューを、と思ってメニューを見たのだが、よくわからない。もちろん英語併記なのだが。

  で、目に付いたのがトンカツ。メニューの名前は覚えていないが、Fried Porkなんたら..だったと思う。どうやらちょっと人生経験を積んだおねえさんが一人でコック兼ウエイター兼会計をしているようで、わだらんより先に座っていた4人グループの注文を取ると、しばらく厨房から出てこなかった。こちらも急いで食事をしなければならないわけでなく、のんびり。

  食堂車は座席の背が低く、自席以外の窓の展望も利くので、景色を眺めるにはいいところだ。料理を運んできたついでにわだらんの席に寄り、注文を取る。で、おねえさん+はまたしばらく厨房からでてこなかった。ところが、おねえさん+が難しい顔をして厨房から出てきて、食堂内を通り過ぎていった。と思うまもなく、ボンベを積んだ手押し車を押して、また厨房に戻っていった。ということはこの食堂車のレンジはプロパンガスなのかな?それとも熱源以外に何かたとえば冷却用か何かで他のガスを使っているのだろうか?真相は分からない。

  が、とにかくしばらくして、おおきな一枚肉のとんかつとたっぷりのポテトが揚げたてあつあつで出てきた。特別何かむずかしい料理、というのではなく、衣をつけて油で揚げただけのあっさりした味付けであったが、揚げたて、ということもあってとてもおいしかった。

  景色を眺めながらゆったりと食事をしていると、急に列車の速度が落ちた。あれ、と思っている間に最後は「どん」という感じで停車してしまった。駅間の停車でしかも前触れもなく、あまりいい感じはしない。周囲は林である。ひょっとして何か動物にでもあたったのかな?と悪い予感がする。しばらく列車は動かなかった。止まった列車はほんとに静かである。後ろのテーブルの4人の会話以外はCPやMGのような機器の音は何もせず、静寂のなかにぽつんといるようだ。

やがて、5分はかからなかったと思う。前触れもなく列車は動き出した。とその瞬間、対向列車が通り過ぎた。普通列車のようだ。そうか、単線だったのか、と思ったが、その直後に通過した駅は普通に複線で、工事などの線路閉鎖はなさそうだ。

  ふと今日これまでの風景を思い出して考えた。いま通過した駅の駅長がわざとこの列車を止めたのではないだろうか?通過の際、駅舎が進行方向右側にあったのは見えていた。それ以上の駅の構造は不明だが、おそらく簡単な、跨線橋も地下道もない、極めて単純なホームではないだろうか。で、乗っているIC列車から見ると、停まった普通列車は左側。つまり列車が駅に停まり、乗客が降りて、駅舎に向かうまで、このわだらんの乗っている列車の走る本線を横断するのではないか、と。で、降りた乗客が安全に線路を横断し終わるまで、列車の進入を止めたのでは。

  後から通過した同じような小さい駅はやはり上下線のあいだにまるで板を渡しただけのようなちいさなホームがあっただけだし、さっき乗ってきたローカル線の離合可能駅も同じような構造だった。というか、地下道なり跨線橋なりを持った駅がほとんどないのである。なにせブタペストのターミナルですらその状況で、みんな線路を平気で横断する。それが故に、地下道のある駅では、線路間にフェンスを設けてあるのだろう。

  本来、地下道や跨線橋がなくても線路を安全に横断できれば、それが乗客にとって楽であろうことは明白である。今の日本では、個々の駅の事情にあわせて列車を運転できるようなことを期待できるわけもなく、ただ効率化のためにCTCで進路を遠隔操作し、無人駅での安全対策のために跨線橋をつけ、誰も列車監視をしない、という形になってしまった。コストや収支を考えると、それがやむを得ないことであることは十分わかっているのだが、このポーランドの小さな駅で、駅長が表に出て列車を見送っている姿を見ると、本来、長い間、鉄道の安全はこういう現場の一人一人の厳しい目によって支えられていたはずだ、と少ししんみりしながら考える。

  やがて家並みが続くようになり、通りに黄色の路面電車が走っているのが見えると、線路がいつの間にか増えて、大きな留置線(というか客車区のような感じだな)を経て列車は東(ケレチ)駅に着いた。ほぼ定刻、楽しい一回りであった。

 

76        17日夕方      ダブルスタンダード

  ブダペスト東駅に着き、ここで約1時間ののちにウィーン行きEC列車でジェールへ向かう。ブタペストで時間をつぶして直接ミュンヘン行きに乗ってもいいのだが、乗る列車の数を増やしたいし、なにより目的の食堂車でのスープを食べていないので、先行列車で先へ進む。できればジュールでビールとスープでも、と思ったりしていた。

  国内IC列車には指定券がいるが、国をまたぐEC列車は指定券はいらない。厳密にはEC列車でも国内利用には指定券がいるのかもしれないので、規則違反の可能性もあるが、とにかく無料で特急に乗ってしまったし、あとからやってきた検札でもなにもいわれなかった。でも、きっとこの列車の30分あとを走るICは指定券が必要なのだろうな。

  東駅に着くと、ちょうどミュンヘンからのEC63列車の入換をやっていた。これの折り返しくらいかな?と思っていたら案の定EC63に入っていたOBBの車がそのままやってきてEC40列車に早変わり。このOBB車両はウィーン〜ブタペスト〜ミュンヘン(泊)〜ブタペスト〜ウィーンの運用のようだ。ひょっとすると近い将来ICEやペンドリーノ系の電車に置き換わるのだろうか?

  乗り込んだロ車は空いていて、左側前向きの一人席が確保でき、しかも230Vコンセントがあって、またデジカメ電池の補給ができる。ありがたい。ところが、これもシが欠車なのである。さっきの入れ換えの際に抜いたようだ。2時間程度では食堂車の採算もとれないだろうし、利用客も少ないのだろうか?欧州でも食堂車の衰退はどんどん進んでいて、寂しさは募るばかりだ。

  ウィーン行きEC40列車は定刻に出発。ブタペストを出てしばらくは丘陵の中を左右にくねりながら進んでゆく。線路状態は悪くなく、条件さえ揃えばもっと高速化できそうだ。まさにペンドリーノにうってつけの路線に見える。同じ振り子車両の技術なら日本の車両も悪くないのだが、なかなか欧州への輸出は難しいのだろうな、と思う。

  幸いにもロ車は最後尾、しかも客車なので、最後尾のデッキに立つと、貫通路から後ろが展望できる。しばらくデッキに立って、後ろに流れる線路を眺めてみる。そういえば初めてドイツに来たとき、ICの後ろからこうやってずっと線路を見ていたことを思い出す。踏切もある普通の線路を200kmの速さで飛んでいく、その走りっぷりに感動したものだ。きょうはもう感動ではなく、ただ単に流れる景色と過ぎ去る線路を眺めている、余裕たっぷり。きのう通ったばかりなのに、ずいぶん印象が違うのはハンガリーの景色にある面慣れてしまったのか、あるいはハンガリー国鉄の印象が強烈でかつ居心地のいい鉄道の旅だったからなのだろうか?やがて列車はジュールへ着いた。ここでちょっと降りて、再び町歩きとしよう。

 

77        17日夕方続きジュールにて

  ジュール(Gyor)の駅にはOBBの一般型スイス型客車などもいて、そこがすぐ国境だといわんばかり。ホームはずれにはスロバキアの車両も明日に備えて(だろう)留置されている。ブラチスラバまでは50kmもないのだ。東欧というと、縁遠いような気がするが、実際きてみると東欧の国同士の距離感覚はむしろ西欧より短く、いろいろな国が複雑に面しているのがよくわかる。このあたりの雨はドナウ川に注いで、ハンガリーの次はセルビアモンテネグロを流れていくのだ。

  駅の建物はなかなか立派だったが、何か暗い。天井が高く、本来すぐれた建築なのだろうが、どうも生かし切れていない。というか、高い天井が威圧感になっていて、東欧というか、社会主義の何かよくわからない恐ろしい雰囲気にも見える。その意味では旧の東ドイツよりやはりより東欧である、と何か強くちょっと怖いものを感じる。そんなところに自由に旅行できるようになったいまの社会の変化に感謝をしなければいけない。何を隠そう、わだらんはブランデンブルグ門の上に人が上って歓喜する姿に涙してしまったのだ。もうあれから16年になる。今の日本の中学生は既に東ドイツという国のある地図帳を持っていないのだ。

  駅の前は大きな芝生広場だった。ビルやバス乗り場はあるが、市街地には遠いのか、駅のまわりに商店街がない。これでは町歩きはできないのか、と仕方なく駅へ戻る。

  駅のホームはずれで小学生くらいの子供が二人、兄弟なのだろうか、しきりに列車を眺めている。お兄ちゃんはそれなりに列車の知識があるようで、機関車を見るとあーだのこーだの言っている。もちろんマジャール語なので、何を言っているのかは全くわからないが、やはりシーメンスの新型ELがお気に入りのようで、MAVやオーストリア・ハンガリー国境の地域を守る私鉄(GySELという)のシーメンスELに歓声を上げている。弟は通過する貨物列車の両数を数えている。欧州でも鉄ヲタはそれなりにいて、駅でカメラを持っている人間を見ることは珍しくないのだが、やはり子供が熱心に列車を見ている姿には何か心打たれる。

  今時の日本の鉄ヲタ子供はすぐにネットで何でも聞きたがるし、何しろ素直さがない。本来、子供の頃の列車趣味とは駅や踏切でずっと列車を見ているものではないのかな?と改めて思う。幸いにもこの駅は貨物の通過やローカル列車の発着、入れ換えなどで頻繁に車両が行き来し、列車を見るには飽きないところだ。そういえばわだらん自身、最近ゆっくり駅で列車を見ていないなぁ、とちょっと反省。 ☆写真を撮りました☆

 

78        17日夜         ハンガリーの夜は更けて

  駅を通る列車を眺めていたが、日も落ちて暗くなってしまった。列車を眺めていた兄弟はもう家に帰ったようで、列車の発着のないホームはすっかり寂しさに覆われている。さすがにこの状況では手持ちぶさたになって、もう一度駅の外へ出ていく。

  で、よく見るとおおきな時計台が見えた。(帰国後、市役所と判明)で、それに釣られて歩いていくと、落ち着いた雰囲気の市街地が連なっていた。石畳のしっとりした雰囲気、街角のオープンカフェ、静かな教会。川沿いには散歩道もあって、駅の周囲からは感じられないとても穏やかで優しい街並みが広がっている。もちろん市街地は車が入らず、あちことのカフェは精一杯道に店を広げて、テーブルでは皆がビールやワインを囲んで歓談の最中。なんだ、もっと早く気づいていればここでビールを飲んでいたのに、と反省することしきり。

  せっかくなのだが、時間切れ。20分ほどで駅へ戻ると列車は30分ほど遅れている、とのこと。さっきはわからなかったのに、よく歩くとホーム間の地下通路に売店があって、ビールやワイン、パンやお菓子など扱っている。で、缶ビールとチョコレートを仕入れ、ホームで列車を待つ。が、待つ間に缶ビールを一本あっさり飲んでしまい、再び地下売店へ。

  落書き防止なのだろうが、通路に絵が貼ってあってちょっとアートな雰囲気。でも通路が明るいわけでなく、何となく昔のソ連支配時代をイメージさせるようだ。

  30分ほど遅れてミュンヘン行きがやってきた。そもそも本当に座席指定料が不要なのかも疑問だし、空席があるかどうかも極めて不安だったのだが、やってきた列車を見て拍子抜け。2両あるハ車は1両がコンパートメント、1両がオープン席だったのだが、どちらもがらがら。みんな東欧の移動で警戒して寝台やクシェットに流れているのだろうか?確かにクシェットは混んでいるようだが。新幹線でピーク時の指定席がしっかり満席なのに自由席が空いているようなものだろうか。まぁ、とにかくコンパートメントを1室確保し、まずは落ち着く。

  さて、せっかくのハンガリーにきたのに、パプリカをきかせた煮込みをまだ食べていない。最後の挑戦とばかり食堂車に出向く。席には男性2名がいるだけ。ウィーンまでもう時間がなく営業終了かと思うが、念のため厨房越しに声をかけてみると大丈夫とのこと。幸いにもメニューにスープが載っていた。ただ、全体に今までのメニューより少し高い。EC列車のメニューは国内ICメニューと違うのだろうか?ここもダブルスタンダードかな?

  とはいえ、ここでやっとあこがれのハンガリアンスープをMAVの食堂車で食べることができた。のんびり揺ったり汽車の旅。ハンガリーのビール2本を飲んでほろ酔い気分になり、ウィーンに着く前にハ車に戻って、あとはコンパーメントを独り占めしてひたすら熟睡。どうせウィーンで乗ってくるだろう、それまでの寝たものがちだよ、と一人納得。結局ウィーンでは目も覚めることはなかった。 ☆写真を撮りました☆

 

79        18日早朝      ミュンヘン中央駅

  目が覚めると、列車は既にミュンヘン市内を走っている。ハンガリーで寝たまま、結局途中で相席にならず(たぶん)、ウイーンも知らずに熟睡しているのだから平和なものだ。盗難にもあわず、こうやって列車で安眠できることをありがたく思わねばならない。まぐれの幸運続きなのかもしれないが。

  列車はミュンヘン南駅へ停まったあと、くるりと街の南部を半周してミュンヘン中央駅に入る。駅に入る直前は線路が輻輳して、いかにも「これから大きな駅にはいるぞ!」と気分を盛り上げてくれる。複雑な渡り線を通って、列車は中央駅ホーム南の一番端11番線に到着。今回初めてのミュンヘン中央駅。以前より心なしか雰囲気が明るく思えるのだが、朝からいい天気で朝日が屋根を通して入ってくるので明るく見えるだけか?ただ、駅構内の店舗はガラスを多用したおしゃれな造りに変わっていて、この雰囲気の違いが華やいだ感じを抱かせるのだろう。時間があれば、朝食を食べながら列車の発着を見ていたいのだが...

  しかし、まずは今夜の宿探し。大きなリュックを担ぎ直して、ホテルを探す。DBサイトで予約したULMのホテルと同じintercityhotelは駅のすぐ隣にあった。駅に近く、絶好の場所である。入っていって、フロントに尋ねる。部屋は空いているので、宿泊は可能。だが、130ユーロだという。これには参った。これだとなんだかんだで2万円近くになってしまう。さすがにあきらめざるを得なかった。

  ミュンヘン中央駅の構内を歩く。DBの旅行案内所は既に開店し、人の列ができていた。で、ちょっと並んで窓口で、「ここのホテルの予約はできるか?」と聞くと「列車の予約だけ」といわれてしまった。最初から期待はしていなかったのだが、やはり無理であった。当然観光案内所は開いていないし、他に頼るところもなく、久しぶりに自分の足でホテル探しをすることになった。

  もっともつい最近まで、宿泊を必要とする場合、こうやって夜行列車で朝宿泊が必要な都市に着いて、まず始めにホテル探しをする、というのがわだらんの基本であった。歩いてホテルが探せるよう鞄でなくリュックを担いでいる。面倒だと思わず、自分の原点だと思わねば。最近はホテル探しをしなくなって、少し勘も鈍っているし怠け癖もついた。何せ、オランダではいまやほとんど定宿一軒で事足りるし、ブタペストもDBサイトの予約で何も問題がなかった。あえて問題があるとすれば、せっかく確保したULMの宿が、空港に遠かった、というだけで、しかもこれも日曜日という特有の問題であって、平日であれば何も問題はなかったわけだ。しかし、もし利用しようとしていたICの休日運休に気づかず、ULMでミュンヘン行きを待っていたら、日本に帰れなかったかもしれない、と思い、改めてぞっとする。

  気分を変えて駅の南側を少し歩いてみる。するとすぐにホテルの看板が目に留まった。入ってみると、いかにもビジネスホテル、といった感じの作りで、こざっぱりとしていた。フロントで「チン」とベルを叩くと、丸顔のどっちかというとドイツ人よりイタリア人といった感じのおじさんが出てきた。聞くと朝飯つきで59ユーロだというので、結局即座に決めてしまった。部屋はオランダの定宿や先日のブタペストより若干狭い、ほんとのシングルの作りだが、わだらんにとってはこれで十分。どうせホテルにはほとんどいないのだから。

  そういえば、今までミュンヘンに泊まったことがない。こんな駅に比較的近いところにホテルがあるのも知らなかった。まだまだ知らないことだらけだ。大きいリュックから小さいリュックを出し、急いで身支度。そして小走りに駅に行く。そういえば朝7時前から部屋に荷物を置く超アーリーチェックインなのだが、いいのだろうか?追加料金みたいな話は聞いていなかったし、一方部屋に掲示のタリフには、一晩85ユーロと出ていた。深く考えないでおく。

 

80        18日朝         久々のIC客車

  さぁ、いよいよ電車にゆっくり乗れる最終日。今日ははじめてペンドリーノ振り子電車(チザルピーノ)に乗ってみようと思っている。先日フライブルクで見つけたΩ型の線路にたどり着くためにはシュツッツガルトから南に下りる必要があり、ちょうど時間的にミラノへのチザルピーノに当たる。初めての路線、初めての車両、楽しみである。であるが故に、どうしてもミュンヘンに6:21に着いたあと、7:26のICEに乗りたかった。ホテル探しを焦った所以である。

  ホテルから一目散に走ったおかげで、ICE612に無事に間に合う。この列車、ドルトムント行きで、フランクフルト(空港)〜ケルンの新線を走るので当然ながらICE3である。どうもわだらんにとって、ミュンヘンにいるICEは初代ICE1のイメージが強く、未だに頭が切り替わらない。いまやICE3のみならずICE/TやICE/Vまで、となると、ICE1自体がもう既にオールドタイマーというか、過去の車になりつつある。ICE612は空いていた。7両編成の重連で、前方の編成の様子は分からない。ただ、ホームに近い後方の編成でかなり空席があるのだから、前方も空いているのだろう。

  しかし14両は長く、曲率の大きなカーブでも列車先頭がはるか前方に見えている。ミュンヘンからシュトゥットガルトのあたりは野山を越えていくので、高速で突っ走ることはない。時々車内の案内表示に速度が出るのだが、時速120Km前後でさらりと流している。車内も静かで落ち着いている。

  何となく、朝のコーヒーが飲みたくなって、食堂車へ。カウンターでコーヒーをすすりながら、森の中を駆けていく景色をしばし楽しむ。といってもカウンター席のあたりはあまり広くなく、かつ厨房とその窓口が車内に島のように張り出しているので、決して眺めがいいわけではない。ただ、立ちながらオープンスペースが利用できるので、座席にいるよりは左右前後の見晴らしはまだいい。もちろん、見晴らし、という意味では座席の背の低い食堂車のテーブル席部分にかなうものはない。 ☆写真を撮りました☆

ULMについた。ここで一旦降り、まずホテルへ行って宿泊予約のキャンセルを告げておく。ホテルは駅舎のとなりで絶好のロケーション。フロントのおねえさんはあっさりキャンセルを了解してくれたが、やっぱり場所といい、ちょっと残念。そして駅前でトラムの写真を、と思ったが、肝心のトラムは来なかった。代わりに乗り場を共用しているバスが入れ替わり立ち替わりやってきた。ウルムのトラムは一路線のみのようだ。

  再び駅へ戻り、先を急ぐ。ULMからはIC2392でシュトゥットガルトまで行く。1番線に入る列車は駅舎から直接ホームに出ることができて、なんとなく昔の福井駅を思い出す。そういえば、ドイツの駅のホームでは売店はあっても立ち食いうどんのような軽食堂はないなぁ。オランダではホーム内にカフェテリアのある駅がいくつかあるが。IC2392のロ車は後ろより。ホームの端、乗車位置Aでしばし列車を待つ。少々遅れているようで先がちょっと心配。

  やがて列車が入ってきた。ザルツブルグからの列車は昔ながらのIC客車の編成で、わだらんが欧州に通い始めた頃の西ドイツ国鉄のICの空気そのものである。もっとも編成は片方が制御客車によるプッシュプルになっているし、食堂車はビストロ形式に変わっているし、そして座席のモケットが変わってずいぶん車内の雰囲気が変わっている。それでも、往年の貫禄十分で、なにかわくわくする。ロ車は空いていて、コンパートメントがまるまる開いているので、ここでのんびりさせてもらう。ちょっと座席を引っぱり出して遊んでみたり。

  ところで、配布のIC2392の時刻表にはCIS155列車の記載がない。どうも4分乗り換えは接続列車とは認めてくれないようだ。シュトゥットガルト中央駅は行き止まり式である。列車が少し遅れていることもあって、少々焦る。駅に着く直前に編成内を移動して、先頭車へ向かって歩いていく。ハ車はよく乗っていて、さすがにシュトゥットガルトに近づくと、降車客がみんなデッキに出てきて、なかなか先へ進めない。

  大きなスタジアムが見えてきた。ワールドカップの会場だろうか。ベンツの社章をつけたビル群が見えてくるとシュトゥットガルト中央駅。相も変わらずいろいろなところから線路が出てきて、あっという間に構内が広がる。この駅直前に広がる構内の広さは日本では体験できないので、なにかうれしくなってしまう。3分遅れで列車は到着。 ☆写真を撮りました☆

 

81        18日午前      振り子に揺られて

  シュトゥットガルト中央駅には3分遅れで到着し、乗り換え時間1分。6番線へ急ぐ。ホーム2面を挟んだ位置なのだが、平面で階段がなく、走っていくにはありがたいロケーション。こんな時には行き止まり式はありがたい、と感じてしまう。

  ミラノ行きCIS155列車はFSイタリア国鉄の車である。(脚注参照)ホームに停まっている姿は堂々として美しい。白い車体に軽い緑が入ってイタリアの雰囲気が十分伝わってくる。とはいえ、わだらんはラテン系はどうも苦手だ。言葉わからず、何かあるとすぐに行列。とはいえ、FSのスマートな車とおいしい料理は捨てがたい。白を基調にした室内はこざっぱりとして美しい。多少天井が低いが、圧迫感があるわけではない。で、窓のブラインドがボタン式の電動だったのが印象に深い。ちなみに座席壁際にはコンセントもあった。

  食堂車に出向くといかにもイタリア人といった目鼻のはっきりした美人のお姉さんが巻き舌でまくし立てる。で、コースメニュー(27.50ユーロ)があったのだが、あえて、アラカルトのみ、カルボナーラがのみ食べられるかどうか聞いてみたら、「飲み物は」と聞かれ、カフェと答えるとそのまま戻ってしまった。きっとコースでなくてもよかったのだろう。

昔、ミラノからチューリッヒへ向かう列車の食堂車で同じようにビールを頼んだら、そのままコース料理も一緒に出てきた。つまり座ったら、そのコースメニューを食べる、という解釈だったようだ。それはそれでおいしかったし、なによりこのときに初めてカマンベールが食べられるようになった。(デザートが何種類か皿に載ってきたので、ケーキと思って頼んだらカマンベールだったのだ。そんなきっかけがなければあんなくせのある食い物をたべるきっかけがあったかどうか。これがゴッタルゴループルートだったのでなお印象が深い。)

  心配していたが、ちゃんとコーヒーはやってきた。そしてカルボナーラもちゃんと持ってきてくれた。このカルボナーラ、いわゆるスパゲッティでなく、板パスタだったが、なかなかおいしく楽しい料理であった。向かいのテーブルにはいかにも目鼻がはっきりしてひげの濃い、いかにもイタリア人という男性がワインを一人でちびりちびり。こっちへ向かってしゃべってくるが、イタリア混じりのドイツ語で何言っているんだかちっともわからない。それでも英語をしゃべってくれると何とか話しができる。

  ウエイトレスのおねえさんは英語でなく、イタリア語で私に話しかけてくるからしゃべってくるから、男性が通訳してくれる。まくし立てられたイタリア語には閉口したものの、食事はおいしかったし、ちゃんとお勘定もできたし、車窓はきれいで楽しいひとときだった。確か合わせて9.50ユーロだったと思う。(払ったそばからもう忘れている)おねえさんにカメラを向けてみたが「写真はだめ」みたいな感じで断られてしまった。どうみてもあのおねえさんは英語が苦手であった、と見た。

  この区間、川に沿って走って風光明媚なところである。確かに谷は美しいし、川はきれいで、外を眺めているのは気持ちいい。で、それに加えておいしい食事のせいか、はたまた訳の分からないイタリア語のせいなのか、あるいはおねえさんの笑顔のためなのか、とにかく気分は上々であった。

  座席に戻って外を眺める。トンネルを越えると下り坂になった。ちらっと見えた谷の全景は開けたU字谷のようだ。詳しい地形図を持参せず詳しくはわからないが、ここから先はライン川水系。このあたりの雨水がオランダへ流れていくのを想像するのもちょっと楽しい。   ☆写真を撮りました☆

(注)CISに使われるペンドリーノ470型車両、FSの車だとばかり思っていたのだが、帰国後の再調査で、実はFSの車でなく、スイスのチザルピーノ社が保有する車両だとわかった。チザルピーノ社はFSとSBBの共同出資(50%ずつ)の車両保有会社とのこと。従って、このペンドリーノ470は純粋なFSの車ではないのだが、色といい形といい、FSそのものである。ここに登場する話では、チザルピーノ社の車両であっても、イタリアベースで語って問題ないので、あえてそのままにしている。

 

82        18日昼         ドナウの源

  列車は定刻にジーゲン(Singen)に着いた。ここでCISを降り、カールスルーエ(Karlsruhe)行きのREに乗り換えである。ホームに降り立つと、ちょうどCISはパンタを降ろしたところだった。発車する様子もないし、何かあったのかと思いつつ、ホームを歩いていると食堂車の位置に来た。食堂は空いていて、さっきのウエイトレスのおねえさんが昼食をとっていた。窓越しに手を振ると愛想良く答えてくれた。根っから明るい性格なんだろう。

  再びパンタが上がった。上がったパンタ位置が違うので、あれ、っと思ったら、進行方向が逆転するのだった。そういえば、昔、ボーデン湖の帰り、コンスタンツ(Konstanz)からチューリッヒへ出たときに、ここの駅を通っているのだが、全く覚えていない。やがてCIS155は出ていき、代わりにCIS156が入ってきた。乗ってきたCIS155の対になる列車で、ミラノを朝出てきたものだ。シュトゥットガルトで列車の写真が撮れなかったので、幸いとばかり、車両の写真を撮らせてもらう。

  乗り換えとなるカールスルーエ行きRE列車は少し遅れてやってきた。プッシュプルのありふれたローカル編成で、ロ室は編成中ほど、扉間のおそらく改装前はコンパートメントであったであろう部分をガラスでいくつかの中規模3列部屋に造り替えたものであった。小綺麗で、ローカル列車とはいえ、旅行を楽しむには十分である。

  列車はジーゲンを出て、遅れを引きずりながら快適に進む。山越えなので、単線かと思ったが、結果的に全線複線であった。正直列車密度がそんなに高くもないと思われ、このレベルで複線のインフラを持っているのはうらやましく思える。しばらくさっき走っていた線路を逆戻り。途中山の上に古城が見えたりしてムード満点。山の中を列車はどんどん進む。トンネルを越えると別れて山の中へ進んでいくのだが、CISの走っていたシュトゥットガルトへの線路は単線で、こちらは複線。

  再びドナウ川水系を登っていく。駅に標高が貼ってあり、順番に高くなっていく様子がよくわかる。RE列車で窓が開くので、撮影には最適でありがたい。ドナウ川が線路に沿って右左に。どうみても大河ではなく、単なる小川。谷は細いわけでなく、山が近くにあるわけでなく、川に沿って登っていく路線でも中央西線木曽川や高山線飛騨川とはずいぶん感じが違う。氷河が削ったU字谷が埋まったのか、それとも高原状に隆起したのか、まぁのどかな田舎の風景である。それでも、駅のまわりには街が広がる。スイスアルプスのように谷に開けた小さな街で、夏は避暑地で賑わうのだろう。ザンクトジオルゲン駅に806mの看板があった。ここが最高地点のようで、ドナウ川の水源もここから近いところなのだろう。

  ここから本日のハイライト、Ω型を下る。ところが、ライン川の谷に降りていくこちら側は谷が深く、森が生い茂って見通しがきかない。線路のすぐそばにまで高い木々が生えていて、谷の様子がよくわからない。途中ちらっと下に線路が見えた。ここがΩの途中かな、と思ったのだが、そこ以外に線路の見えるところはなく、結局どこがΩの頂点位置なのか正確な特定ができないまま線路は下っていく。

  ついに谷が開けてしまった。欲求不満なのだが、どうしようもない。今度は詳細な地形図を持ってもう一回乗ってみたいと思った。 ☆写真を撮りました☆

 

83        18日午後      トラムとすれ違い

  谷を降りて、バーデンバーデンで本線(というのかな)に合流。一度ここの風呂にも行ってみたいし、ライン川を越えてフランスにも行ってみたいのだが、今日は先を急ぐ。乗っている列車はそのままカールスルーエへ直通である。隣にはICE他の高速別線(横付け複々線)があり、カールスルーエへは後続のICEに乗り換えればわずかに早く着くのだが、「面倒くさい」と思い、そのまま続けて乗車。

  結果的にはこれが失敗で、カールスルーエでの時間が使えなかった。しかもわだらんは、うとうとしてしまって、バーデンバーデンからカールスルーエまで全く記憶がない。

  カールスルーエの駅前で電車の写真を数枚。そしてDBの列車ホームでまたトラムを撮影。と思ったらトラムのちょうど発車時刻で、車内の様子を写真に撮ることはできなかった。バーデンバーデンでICEに乗り換えていれば、もう少しトラムの写真が撮れたのに、と反省することしきり。

  ここからはニュールンベルグまでICに乗る。カールスルーエをでてしばらくはカールスルーエ都市圏交通網の中。200Kmで走れるIC列車の横を小さなトラムがすれ違っていく。世にカールスルーエモデルといわれる都市交通の一つの形だが、大型の鉄道車両にまけじとがんばる、いや鉄道線車両以上にがんばるトラムはかわいい。もし京阪石山坂本線が石山や西大津でJRに乗り入れができたら、草津−石山−浜大津−西大津−堅田のようなことができそうなのだが、実際ここを見ているとそんな妄想を実現したくなる。

  もっとも、鉄道線をトラムが走るのは日本にもかつて例があって、本線の大型19m車6連の走る区間に軌道線の長さ15m幅2.4m複電圧電車が乗り入れて同じ線路を走っていた。しかし最先端電車、行政の無策で最近廃止になってしまった。カールスルーエの複電圧トラムは1992年登場だが、それより22年も前に複電圧トラムによる軌道の鉄道線乗り入れがされていたのだが、なぜかその都市が日本では注目されなかったし、行政は電車不要で凝り固まっていたわけで、なんとも認識の違いに唖然とする。都市交通は行政の支援・施策なしでは生き残れないし、輝かない、と欧州をみていてつくづく思う。

  時間があれば、パリ−ミュンヘンのEC列車の横を走るトラムの写真を撮ってみたいと思うし、ストラスブールやシュトゥットガルトのトラムと合わせて一日ゆっくりしてみたいと思う。

  Vaihingen駅でしばし停車。この駅は高速新線上にあって、旧線が待避線の形で中央の高速新線の両側に振られて配置されている。高速新線ができる前はどんな駅だったのだろうか?列車が出ない。遅れるようだ。さては本線上でなにかあったかな?と思う間もなく、ミュンヘン方向に本線を列車が通過していった。時刻表を見るとIC2391列車のようだが、通過する姿を見た感じ、何となく朝ウルムからシュトゥットガルトへ乗ったIC2394の折返し編成そのもののような気がする。もっとも、車両の番号まで確認できたわけではないが。

  待避後、列車はすぐに出発し、高速新線を快適に走行。シュトゥットガルト中央駅に到着。ここで列車は向きを変え、ICEやIC街道でない区間を、丘を越え谷を越え、ニュールンベルグへと向かう。この区間も今まで乗ったことがなく、基本的にICの幹線路線が乗りつぶしの対象だったわだらんにとっては、地方路線(ちょっと失礼だな)はこれからの課題である。

  列車の向きが変わったので、それまでいたコンパートメントから移動。しかし、適当な席がなく、ビストロ車端の半個室に座ることにする。食堂ではおにいさんがコーヒーを出したり、ケーキを出したり張り切って商売中。一人営業なので大変そうだが、客もそれ相応しかいないので、ずっと忙しいわけでもない。ビールも飲みたくなったし、多少腹も減ってきたので、ビストロの看板に写真付きで掲示してあるパスタをもらうことにする。前から食堂に来るたび気になっていたのだが、なかなか食べる機会がなく、ここで一念発起(そんな大げさなものか!)。

  ところが、ビストロのおにいさんに、パスタといっても通じない。発音が悪いのか、たかが「アインパスタビテ」ではだめなようで、やりとりのあと、最後には看板を指差して、「これ」と頼む。ところが、カウンターの中からは看板が見えず、おにいさんは結局厨房から出てきて、看板を目で見てやっと理解してもらうことができた。で、そこらに座って待っていなさい、という。で、カウンターの真向かいのソファーに座って、しばし車窓を眺めながら、おにいさんの姿を追う。どうやらおにいさんにとっては、このメニューはあまり経験がない(ひょっとしたら初めてか?)のようで、しきりに何か本を見ながら、パスタを袋から出したり、ソースをチンしたりしている。挙げ句の果てに何か包丁でさばいているときに(どうやらパセリを刻んでいたようだ)指をちょっと包丁で刺したようで、ちょっとかわいそうなことをしたかな?と思う。

  やがてパスタができて、おにいさんが満面の笑顔でやってきた。料理ができたのだよほどうれしかったのか、あるいはわだらんがうれしそうにしていたので愛想笑いしてくれたのか、とにかくいい雰囲気であった。案の定、パスタはうまかった。きしめんパスタの上にドミグラスソース味のキノコソースをかけ、パセリをちらして付け合わせにパンを乗せた単純なものだが、とてもおいしかった。パスタが8ユーロ、ビールは2.80ユーロであった。 ☆このときのパスタはこのページをごらんください☆

 

84        18日午後続き今日は振り子の日

  緑多い中を複線単線交えながら列車は進んでいく。初めての路線であるが、風景を楽しむにいい時間を過ごすことができた。アーレン、アンスバッハと列車は未知の路線を進んでいく。このあたり、ビュルツブルグからミュンヘンまで、いろいろな系統のICE/ICがあって、なかなかわかりにくい。ニュールンベルグからアウグスブルクを通るもの、ニュールンベルグから直接ミュンヘンへ降りるもの、ビュルツブルグからアウグスブルクへ降りるもの、かつていろいろ乗ったことがあるので、おそらくアンスバッハは以前通ったことがあるのだろうが、記憶にない。

  今や主要な駅では電車(425型だろう)だらけになっていて、昔の銀色やクリームに青腰回りの客車編成を見ることはできなくなってしまっていた。列車は立体交差の線路をくぐったりしながら、大きな構内に入ってきた。やがて終点、ニュールンベルグである。よく考えると、一つのIC列車の始発駅から終着駅までずっと利用する、というのはいままでの数多いドイツのIC/ICE利用の中で今回初めてではないかと思う。だからどうだ、というわけではないが、最近は先日乗ったICE924のように、ところどころに短区間のIC/ICE列車が増えている。

  ニュールンベルグからは再びICEに乗る。といっても今度のICEは振り子の ICE/T型 で、高速新線をがんばって走る車ではない。朝FSのチザルピーノに乗ったが、今度はICE振り子である。もともと振り子のシステムはFiat製で、ペンドリーノと同じものであり、その意味では兄弟電車となる。車内はICE3とちょっと異なり、先頭ロ車にオープン席とセミコンパートメントが同居するスタイルで、多少ローカル線向きである。

  編成の最後尾のロ車に乗ったつもりが、発車したとたん先頭になってしまっている。一瞬あわてたが、幸いにも車内は空いていて、すぐに反対向きの座席を確保することができた。ただ、このロ車が先頭になるとは思っていなかったので、ちょっと展望室に行くかどうか悩んでしまった。まぁ、ここは展望室を遠目に見ながらのんびり座ろうと腹を決める。見晴らしのいい展望室ならともかく、運転士氏の後ろから前をのぞき込む、というのはどうも苦手だし、ちょっと欲求不満でもある。

  列車がニュールンベルグを出てすぐ、なぜか子供たちの集団がやってきて、先頭の展望席を占領してしまった。どう見ても正規のロ室の客ではなさそうだが、みんな前をのぞき込んで楽しそうにしている。ちょうど車掌が通りかかって子供たちの相手をしている。子供たちにとって、前を見たり車掌と遊んだり、が将来鉄道利用の支えになってくれればいいな、と思う。わだらんにしても、わりと小さな時の記憶がやけに残っていて、未だに突然「日立ポンパ号」なるC1191先頭の列車を津で見ていたことを思い出す。あのころはまだ客車が当たり前、ドアは開けっぱなしだったから、走行中のデッキはちょっと怖くもあり楽しくもありの場所だった。いまでも欧州は客車に会うことも多く、最後尾だと貫通扉の向こうには大きな展望が広がっているのだが、それとて制御客車なるものが一般化してきて楽しみが薄れてきた。

  そういえば昔はドアが手動だったから、、動き始めた、または完全に停まる前の列車への乗り降りは自己責任であった。駆け込み乗車という概念はなかった。いまは鉄道側がドアを閉めるから閉めることに責任問題が生じる。欧州のように、乗客が自分でドアを開けて、あとはある一定時間後勝手に閉まるのであれば、少なくとも駆け込み乗車の場合、乗客が自分でドアを開ける(正確にはドアを開けるボタンを押す)行為が生じるわけで、その時点で乗客にも自己責任が発生するではないか、などと全く脈絡もないことを考えている。

  車掌氏はドイツ人らしくない(こんな言い方は失礼だが)長髪を後ろで束ねた若いおにいさんで、ユーレイルパスを見てウインクする。中にはじっとのぞき込む人、パスポートの提示を求める人、検札の刻印を打つ人などいろいろだが、ウインクというのは初めてである。まぁおしゃれなおにいさんで、それはまた決まっている。 ☆写真を撮りました☆

 

85        18日 夜       久しぶりの日本語

  ここで、ICE1512ベルリン行きに乗るのは、バンベルクに行くためである。そこには薫製ビールというのがあるそうで、一度飲んで見ろ、と人から言われていたのである。といっても事前の知識は何もなく、行けば何とかなろう、といういい加減さである。

  やがて列車はバンベルグに到着。駅を降りて駅前広場に向かおうとしたとき、ふと日本人のおねえさん+にであう。わだらんの顔を見て何か言いたいようであったので、こちらから「なんでしょう」と日本語で声をかける。すると、何か安心したようになんだかんだ話してきた。どうも彼女はわだらんが日本人かどうか不安だったらしい。こっちは彼女を見て一目で日本人だと思っていたから、逆になんで日本人とわかったか、と不思議がる。

  わだらんはなぜか欧州人に中国人や韓国人に間違われたことはなく(韓国人にハングルで話しかけられたことはある)、わだらん自身は旅行している東洋人の中でも日本人は見分けがつく。中国人の旅行者で単独行動はまずないし、韓国人はたいていリュックを背負って2,3人で動いている。ただ、同じバックパッカーなら、韓国人の方がどうも身なりは小綺麗である。というか、最近は若い単独行動の日本人を旅行中に見ることが少ないような気がする。旅行者自体は減っていないのだから、リュックの人間が減ったか、またはオフシーズンで目立たないか。

  で、何しに来たのか、という話から、このおねえさん+と駅前のカフェでビールを飲むことになってしまった。彼女はどうも不思議な金持ちのようで、欧州滞在2カ月目だとか、ハワイにセカンドハウスがあるとか、アメリカのグリーンカードを持っているとか、どうもよくわからない存在である。確かに薫製ビールらしきものは飲んだのだが、このおねえさん+の話が雲をつかむような得体の知れない(あるいは雲の上の存在か?)ものだったので、薫製ビールの印象はどこかへ飛んでいってしまった。 ☆写真を撮りました☆

彼女は宿をニュールンベルグに取っていて、これから戻ると言うので、ニュールンベルグまで同伴とすることにした。彼女はバイエルンカードというのを持っていて、バイエルン州の公共交通機関に乗り放題なのだそうだ(そういう切符があるのはこのとき初めて知ったのである)。ただ、その切符ではICEには乗れないので、REでニュールンベルグまで帰ることにする。もっともこのバンベルク−ニュールンベルグ程度の区間なら、ICEとREの所要時間を問題にする必要はない。どうせ電車に乗るのが目的であって、所要時間などはどうでもいいのである。

RE列車はまずまずの乗車率で、二人でボックス席を確保し、しばし日本語での会話になる。しかし、このおねえさん+の話が、とにかくわだらんにはついていけない。結婚されている雰囲気はなく、ご自身で何か商売かあるいはひょっとしたら芸術家か、とにかくご自身でしっかり稼げる生活をされていて、さらにそれが今もそうなのか、あるいは過去の稼ぎでいまは悠々自適なのか、それすらわからない、極めて生活感の薄い(というか生活感のみじんもない)話である。ひょっとすると、わだらんは相当すごい方とご一緒させていただいていたのかもしれないが、相手がわからないことには、どんなすごい方かもわからないし、仮に尋ねても、わだらんがその人を知っていなければわからなければ失礼に当たるので、あれこれ詮索することはしなかった。とにかく、雲の上のような話で、約2時間が過ぎていった。

ニュールンベルグからは再びICEに乗車する。ホームでドア横に立っていた車掌氏はさっきバンベルクまで乗っていたICE1512のウインク車掌氏だった。びっくりしていると向こうも笑っていた。まずはロ車に行き、座席を確保し荷物をおいておねえさん+にお別れのご挨拶をする。

ところが、またやってしまった。前向き座席を取ったつもりが、やっぱりニュールンベルグで方向が逆転するのだった。このあたり、線路配置も方向感覚もいい加減で、困ったものだ。といっても本当に理解しようとするならそれ相応の地図と時刻表が必要で、今はそのどちらも残念ながら持ち合わせていない。思い切ってオランダのように時刻表と地形図を持ち歩くか、と考えては見たものの、DBの時刻表がどこで手に入るのかも知らないし(駅の案内で配っているような目的地別時刻表では意味をなさない)、ドイツの地形図を持とうものなら地図帳レベルになってしまう。そこまで、の領域には当面届かないだろう。

しかし、このICE1613という列車もまたすごい列車である。ハンブルグからベルリン、ライプチヒを通ってニュールンベルグからミュンヘンまで、所要約9時間の大旅行。ライプチヒとニュールンベルグで二回も方向が逆転し、ハンブルグ中央駅を出ると、255km約1時間半、ベルリンツオー駅まで停まらない。ちなみにこの列車、大回りのようだがベルリン〜ミュンヘンの最速列車のようだ。それでも6時間半ほどかかるのだから、ドイツは広い。

 

86        18日夜         光の花

  さて、前向き座席も取り直して落ち着くと、やっぱり食堂車へ行ってビールを飲む。今回はソーセージ盛り合わせを頼む。さっぱりしたパスタの味がちょっと辛目のソーセージによくあって、とてもおいしかった。ビールグラスを眺めながらのんびりしていると、車内改札が終わったのであろう、車掌が2名やってきて私の向かいのテーブルに座った。うち一人は例のウインク氏で、聞くとバンベルクの一つ先のリヒテンフェルス(と読むのだろうか、Lichtenfelsと書く)へICE1512で19:24着、休憩後20:33のこのICE1613で戻るのだそうだ。車掌氏たちはコーヒーを飲みながらマニュアルを読んだり、端末の何か処理をしている。まわりはすっかり暗くなり、食堂車の淡い光が優しくガラスに映っていた。

  アウグスブルクを過ぎて自席へ戻った。車内はかなり空いていて、先頭ロ車は3名しか乗客がいなかった。こちらものんびりと席に座ってみるが、どうせなら、とまた展望席へいってみることにした。もちろん展望室は乗客なく、貸切状態である。まわりは既に暗闇になっているので、展望といっても、見えるのは信号と対向列車のライトのみ。森の中をただ単調に走っていくので、本当に先にぽつんと見える信号が線路の方向を示しているのみである。

  駅の手前にはいくつも信号が並ぶ。当然赤が一番目立ち、青は判別しにくいので、「あれ、開通しているのかいな?」と不安になるが、速度を落とさず突っ込んでいく先にはちゃんと青現示があった。東海道線京都下り場内などでも、どの信号を読むのか、慣れるまでに時間がかかるが、ただでさえ分岐器の多い欧州駅の場合、読みとるのも大変なんだろう、と思う。

  ミュンヘン中央駅が近づいてきた。多数のポイントが至る所、ところ狭しと引かれていて、大きな投光器に映し出されるレールはわずかに光って幾何学模様をしている。分岐器にはそれぞれ日本の入換信号と同様のものがついていて、赤または白の点灯で進行の可否を示している。進路の開通は白点灯で、進行不可は赤の点灯である。とにかく分岐器の数が多く、しかも一つの分岐器に赤が二つつくので、赤い点灯の数がおびたたしい。まるでオランダ・リッセのチューリップ畑のように無数に光っていて、さらにその奥にはミュンヘン中央駅が浮かんで見える。花の絨毯とはよくオランダの形容詞で使われるが、まさに赤い花を敷き詰めたように並んでいる。その赤い花の中に一筋の白の列が延びていて、列車はその白点灯に吸い込まれるように進んでいく。そしてその進路の先にはミュンヘン中央駅のホームが待っていた。まわり一面の赤い花の中に一筋の道がついていて、そこを静かに進んでいくさまは、自分がチューリップ畑の中にいるようで、まさに幻想的な光景であった。

 

87        18日深夜      ミュンヘンの夜は更けて

  ミュンヘン中央駅に定刻に着き、まずホテルへ行く。何せ朝7時前に一度立ち寄ったきり夜12時近くまでほったらかしなので、ちょっと不安でもあった。フロントに行くと、フロントのおじさんは同じ人で、わだらんを覚えていてくれた。部屋の鍵と、クレジットカード領収書をもらう。朝食込みで59ユーロというのは相場から見ると安いのだろうが、わだらんにとっては結構高い。でも明日が日本へ帰る日なので、やはり泊まっておいた方が無難だろうとは思う。

  ホテルからすぐに出て、まずは駅に向かう。イタリアやオーストリアへ向かう夜行列車が停車中。おねえさんたちがクシェットの通路から顔をホームに出してなにやらいろいろ話し込んでいる。何を話しているのだが全くわからないが、とにかく楽しそう。各夜行列車はそれなりに混んでいた。季節要因もあるのだろうが、日本のがらがらのブルートレインを見慣れた目にはずいぶんとうらやましく見える。

  12時近くになって、そろそろ列車も減ってきた。そこで駅を出て、市内の大きな商店街をを市庁舎の方へ歩いていく。さすがに商店はすっかり閉まり、レストランも少しずつ閉店していくところが多いようだ。今日が土曜だから遅いのか、いつもこんなに遅くまでやっているのか、いずれにせよ商店街の普通の飲食店が12時前後まで店を開けているのは日本の都市では少ないのではないか、と思う。それなりに人通りもあって、まだまだ宵の口、といった感じである。

  ミュンヘンの路面電車は24時間営業。深夜はかなり本数が減るが、走ってくれるのはありがたい。確かに郊外に車を置いたP+Rなら、深夜も電車のある方が便利に決まっているし、車利用者に対するPRポイントにもなる。そのあたりの細かいサービスがあって初めて市街地への車の流入を減少できるのであって、日本の行政にはそこらの配慮が全くない。第一、夜、酒を飲んでも安心して帰れるのが、市街地に人を集める原動力なのかもしれない。

  旧市街から戻って、駅へと向かう。すると、中央駅の南側にホテルがいくつもあるのを発見。今日の晩のホテルも南側なのだが、今日取ったホテルの筋並びにいくつもホテルが並んでいるのだった。今まで駅からまっすぐ市庁舎方向へ、つまり東側へ向かって歩いていただけで、あまり駅周囲を歩くことをしなかったので、ホテル街に気がつかなかった。なにせ、今までのパターンなら、ミュンヘンで宿を取ることはなく、その日の夜行で移動しつつ宿泊するのが常であった。これだけホテルがあれば、捜せばもっと安くて手頃なものもあろう。もっとも59ユーロなら十分安いといわれるかもしれないが。これなら、欧州の帰りをミュンヘンからアムステルダムへ戻るのが便利のようだ、などとまた次回のことを考えている。

  ホテル街の周囲はまだいろいろな店が開いていた。レストランやピンクのネオンなどいろいろ。さすがに一般商店は閉まっているが、なぜか人通りは多く、いろいろな人が歩いている。傍らにあった軽食屋で、インド料理なんだか、中東の料理なんだか、あるいはハンガリーなのかよくわからないが、肉と野菜を煮込んでサフランライスを盛り合わせたものを食べた。おいしかった。こうして欧州最後の、ミュンヘンの夜は終わった。ホテルに戻ると1時を回っていた。 ☆写真を撮りました☆

 

88        19日朝         前面展望

  ホテルの朝食は7時から、と言われていたので、7時少し前に食堂へ降りていって、さっそく朝食を食べる。そして、お出かけ準備をしてホテルを出発。残念ながら、今日で欧州とおさらばしなくてはならない。とはいっても、正直この11日間、ずっとテンション高いままであったので、正直そろそろ限界かな、という気もする。仮にあと1週間あるのなら、もう少しペースを落としていたかな。(とか言いながら、実際には変わらなかったりすると思う)まぁ毎日早起きできたことはよかったと思う。早起きは三文の得。とはいうが、確かにほぼ毎日6時過ぎから動いていたので、ずいぶん回る距離を稼げたようには思う。

  再びミュンヘン中央駅に出向き、駅構内をうろうろ。昨日と同じような時間、7時25分である。さっそく到着の夜行列車についている寝台車などを写真に撮る。個室寝台は二階建て車両と同じような断面で、迫力がある。ただ、昔のわだらんのあこがれだったTENタイプ、オロネ10に似たずんぐりむっくりタイプの車はすっかり姿を消してしまって、寂しい限り。ICやREなど数多い車両の中で、南側にICE-Vが留置されていた。ディーゼルカー振り子のICE/Vには結局乗る機会はなかったが、次回はICEの乗り比べなどもおもしろいかな、と思う。

  8時前になったので、Sバーンのホーム、地下駅へ行く。空港へはS1とS8の2系統があるのだが、どちらが時間的に短いのかよくわからない。しかもS8が8:02、S1が8:08なので、どっちに乗れば空港に先に着くのだろう?

  ホーム中央に運転扱い室があって、列車の接近状況や分岐器の開通方向をモニター表示している。そこにいるおねえさん(ちょっと+ぎみ)にS1とS8とどっちが早く着くか聞いてみたのだが、40分と答えるだけで、どっちに乗ればいいのか回答に要領を得ない。何度か聞き直すと、「私にはあなたの言うことがわかりません」と言われてしまった。最後の言葉で英語が苦手ではないように思えるので、よほど私の聞き方が悪かったのか、そんなことを聞いてくる人間はいないのか?

  結局トーマスクックをリュックの底から出して開いてみると、ちゃんと時刻表に列車が載っていた。で、先に来たS8に乗る。要はミュンヘン市街地から見ると空港は北に位置していて、そこまで市街地から東側をまわって進むのがS8、西側を進むのがS1ということのようだ。くだらないたとえだが、位置関係的には大阪市内から伊丹空港まで、御堂筋線+モノレールがS8、東西線〜宝塚線+伊丹市営バスがS1になるイメージである。

  ミュンヘンオリンピックの時の420電車はもうすっかり引退して、423型電車がやってくる。4両ユニットで、それを2編成つなげたのが基本のようである。次からつぎへと423電車がやってくるのはかつての山手線や京浜東北線での103系ばかりの姿のようだ。というか、この423スタイルの電車、いまやDB各地ばかりか、近日オランダにも登場なので、もう欧州の顔をいえるものか。

  S8電車はミュンヘン市街地を地下で通り抜け、南駅で地上に出る。そして電車は郊外を飛ばしながら走っていく。運転台との仕切はガラスで、前がよく見える。いままでも欧州タイプの電車とは、ずいぶん違う。いままでは壁が当たり前なのだ。ところが、運転士氏は日よけブラインドをかなり閉めてしまい、せっかくの大きなフロントガラスが台無し。天気がいいのを恨むのでは罰が当たるから、これ以上は望むまい。まぁ、欧州でこうやって前を楽しむことのできる車両が増えたことは素直に喜ばなくては行けない。

  日曜の朝早くで電車は空いている。旅行客と思われるグループや夫婦がぱらぱら。わだらんは最前部扉の横で立って前を見ているが、横の椅子にはLHのアテンダントおねえさんが座っている。NSでKLのおねえさんを見るのは日常茶飯事だが、日本では制服姿のアテンダントが電車に乗り合わすことはほとんどないよなぁ。

  広がる畑を横目に見ながら快調に走ったS8電車は空港手前でS1路線と合流し、空港へ入っていく。直前には空港駐車場前などという大きな駐車場に囲まれた駅があったが、乗降客はいなかった。地下の空港駅へ到着。約40分の楽しい時間であった。この駅は長距離列車がなく、かつ完全な地下駅で、華やかさには欠けるが、明るい印象はかわらない。 ☆写真を撮りました☆

 

89        19日昼         干拓地

  駅から空港ターミナルまでずいぶん歩いたような気がした。おそらく案内表示の見落としか、慣れればもう少し短く感じるのかもしれないが、結構長く感じられて焦った。ちょっと早めに空港へ向かって置いて正解であったと自己満足。着いてみると、チェックインカウンターは長蛇の列。何せKLのアムス行きのみならず、AZ(アリタリア)のミラノだのローマだのもちろんAFのパリだのをまとめてAFがカウンター業務を行っていた。KL−AFに驚くことはないが、そのうち欧州のメジャー系はBAとAFとLHの各グループに統合されてしまうのだろうか。

  ターミナルでのしばしの時間つぶし後、機内へご案内アナウンスがあり、737機中の人となる。機体後方のF列窓側を確保。外を見るにはなかなかのポジションである。機内はかなり混んでいて、偶然にもわだらんの隣は空席だが、ほとんどの座席が埋まっている。欧州内フライトでこんなに乗っているのは初めてのような気がする。

  ミュンヘンの空港を離陸し、機体は北へ上がったようだ。緑の畑や森の点在する中を飛んでいく。ところが、緑が多すぎて、どこを飛んでいるのかさっぱりわからない。方角的にはニュールンベルグのあたりか、シュツッツガルトあたりかと思うのだが、決定的な決め手がなく、時間がたつにつれてますますわからなくなってしまった。やがて川が見えてきた。機体の下をほぼ直角に横切っていくので、ドナウ川であろう、とまではわかった。とすると、やはりミュンヘンからほぼ真北に上がったのだろうか?などとしばしKLM機内誌の地図を見ながら考える。

  しばらくたって、機体の少し先の方に比較的大きな街とその北側に空港が見えてきた。街と空港の関係からすると、どうやらハノーバーらしい。機体はハノーバーを斜め右に遠巻きに見ながらゆっくり旋回して向きを変える。と、ここまでわかればあとはしめたものである。下を見えている線路はドイツへの初日、ICE644で走った区間だろうか?相変わらず緑の野原の上を快適に飛んでいる。

  ちょっと畑の区割り寸法が小さくなったようだ。ということはオランダに入ったのだろうか。下にちょっとした町並みが見えている。とするとエンスヘーデか。線路を追っていくとヘンヘロが見えてくるようにとそのまま位置が特定できて楽しい。が、視界から線路が離れていってしまい、ちょっとがっかり。

  また眼下に線路が見えてきた。2編成ほど列車も停まっている。が、駅ではない。街もない、と思っていると線路は機体の下に曲がって潜っていってしまい、堤防の先で海の上に出た。そうか、見えていたのはリレスタッドの先の留置線だったのだな、ちょっとした留置施設があるのか、どうりで電車がそのまま走っていったわけだ、と納得。こんな時は空から眺めているのが楽しくて仕方がない。

  ホールンからザーンダムへの線路をまたいで、また陸の上に出た。アウトレヒト駅の分岐の様子など見ながら機体は向きを南向きに変える。北海運河の大きなコンテナ船や、その下を潜るトンネルの出入り口などをみて、ハーレムとアムステルダムの間の線路をまたいで飛んでいく。線路にはちょうどハーレムへの客車ICが走っていくのが見えた。そしてそのままスキポールへ着陸。楽しいフライトだった。 ☆写真を撮りました☆

 

90        19日午後      さらば欧州

  スキポール空港内でいろいろと買い物などをして接続時間を過ごす。今度はさすがにオランダに出ることはしなかった。手荷物検査で時間がかかって飛行機に乗り遅れようものなら大騒ぎである。土産物屋や本屋などを覗いて、少し余裕のある時間を過ごす。

  関空行きは相変わらず混んでいる。窓側A列は確保できているものの、翼に位置が近くちょっと心配である。案内放送で順番に機内に入って行くが、わだらんの席は多少翼が視界に入るものの、まだ何とか外を見ることのできる位置で一安心。

  KL機内にあった新聞は今日から福知山線運転再開を報じていた。そういえば尼崎の事故のことは旅行中すっかり忘れていた。ちょっと現実に引き戻されるのは鬱になる。それでも、離陸してオランダ上空を再び眺めると、まだ気分は旅行中である。南に向いて離陸した機体が大きく旋回して北に向くと、窓の外にはハーレムの街並みが広がっている、中央にはハーレム駅の大きなドームが見える。今回も旅行中幾度となく世話になったところだ。ついさっき着陸したルートにほぼ近い形でアイセル湖の上に出た。今回ホールンの町歩きはできなかったし、最近エンクハウゼンとかデンホルダーといった終端駅にしばらく行っていないなぁ、とまた次のことを考えている。

  やがてオランダ上空を離れ、ドイツの上になる。といっても実際に国境が見えるわけでなく、ユトランド半島の付け根、レンスブルグの運河を越えるループと鉄橋が見えて、いかにもここがドイツだとわかる次第。さすがに日本上空のように線路や道路で位置を追えるまでにはならない。食事の準備に気を取られて外を見ていなかった間に、いつの間にかエールスン海峡大橋の大きな支柱が窓の後ろにそびえていた。

  ワインに食事、今回は頼んだものがきちんともらえて不自由することなく、快適なフライトになった。案の定、気持ちよく寝てしまった。 ☆写真を撮りました☆

 

91        20日朝         関空着

  目が覚めると、機体は黄海の上を飛んでいた。朝食などでごそごそしているうちに、ソウルの上空まで進んでいた。蛇行する韓江と、ヨイド島などがくっきり見える。そういえば韓国国鉄にはNS1600と兄弟の機関車(アムストム製)がいたなぁ、とか思い出す。

  朝鮮半島を横断して再び海に出て、米子の上空から日本の陸地上を飛んでいく。後藤工場や皆生温泉などを見ながら、米子自動車道に沿って南下する。欧州でもそうだが、どうも高速道路の方が、線路より判別しやすい。特に山間部では、高速道路の方が、山の比較的高い位置を通っていて、川筋谷底の線路よりわかりやすい。もっとも、それだけ高速道路の方が、線路より規格がいいわけで、「やくも」もさぞ苦戦だろう、と心配する。

  吉井川にかかる万富手前の山陽本線鉄橋が見えてくると、機体も降下が始まっていて、機体が進路を変えるたび、窓の下の景色が大きくなったり見えなくなったりする。小豆島から瀬戸内海の上を進んで淡路島を越えるとあっという間に関空に着陸してしまった。神戸上空でも旋回してくれるかと期待したが、あっさりと南から着陸してしまい、ちょっと、もの足らない気分。まぁとにかく帰ってきた。大きな事故もなく、自分も体調を崩すことなく至って健康で楽しい旅行になった。

  関空からは尼崎行きのバスに乗った。何となく湾岸線から海を見たかったからである。もちろんJR尼崎駅の様子を見たかった、ということも少しある。駅に上がると報道陣など少々騒々しい。それでも昨日から運転再開となった福知山線の電車は元気そうに走っていた。久しぶりに見る223系や201系。どことなく新鮮には見えるが、またいつもの生活に引き戻される無念さもある。尼崎から新快速で野洲へ戻る。大阪で着席すると、ふたたびうとうと。欧州内の列車で寝るのとは何か違う。野洲に着き、ほっとすると共に、また旅に出たくなった。

 

92                             終わりに

旅行中、いろいろなものを見て、いろいろな電車に乗って、いろいろな線路を走った。今までにない、充実した旅行だったと思う。というか、もうかなり場慣れしてしまったのか、緊張することはなく、その分安心して旅行が楽しめたのではないか、と思う。

  今回強く思ったのは、欧州の鉄道はまだまだ人の手によって走っている、ということである。というか、鉄道マン(女性も多いから鉄道パーソンか)が乗客の見えるところにいる。もちろん混雑度の違う日本と同列に論じることはナンセンスであるが、それでも車掌は車内巡回をし、ホームで列車の編成中央付近でドア締めをするし、駅員はホームで列車を見送る。生産性が低いといえばそれまでだが、本来列車監視というのは運行管理所のコンソールボードでなく、実際現場にいる人間が行うものではないのだろうか?もし、伊丹のホームに駅員がいたら、ひょっとしたら尊い命を奪うことにはならなかったのかもしれない、などと今更どうしようもないことを考える。

  エレベータを付ければお年寄りも車椅子も自分で乗り降りできる、ということなのだろうが、駅員はエレベータがあれば、お年寄りも車椅子も乗降の世話をしなくていい、との逃げ道なのではないだろうか?エレベータがなくても、駅前広場からそのまま電車に乗れるのが本来の動きなのではないのだろうか?橋上駅舎は誰にでも便利なのだろうか?本当のバリアフリーとか、本当に人に優しい鉄道とは何なのだろう?いろいろと考えさせられる旅行であった。

 

 

と、こんなお話に長々とおつきあいいただき、本当にありがとうございました。

欧州の写真についてはまだこれから整理の上、順次HP上にupしていきますので、時間がありましたら、 メニューのページ を時折のぞいてみてください。

 

おつきあいいただき、本当にありがとうございました。

 

わだらん

 

×××××ご参考に×××××

○旅行の全体日程はこちら○

http://www.geocities.jp/yasummoya/europe05/diary_train.htm

 

旅行のお役立ちリンク集です

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オランダ政府観光局

オランダ鉄道(NS)英語版

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