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芭蕉ゆかりの地



『芭蕉翁繪詞傳』 ① ・   ・ 

 寛政4年(1792年)、義仲寺の 蝶夢 法師は芭蕉翁百回忌供養に『芭蕉翁絵詞伝』完成させる。

義仲寺


 偏へにこたび蕉翁の百回忌の、懐舊の手向けにこそと思ひかへし、わなゝかれたる老いの筆をそめて、義仲寺の

 芭蕉堂の影前に奉つるは、寛政四年子の冬十月十二日

 蝶夢は浄土宗の僧。芭蕉の句「 はるたつや新年古き米五升 」に因んで五升庵と号した。




芭蕉翁の氏族を尋ぬるに、柏原の御門の御ながれ、常陸助平正盛と申す人の末に、右兵衛尉平季宗、其の子に彌平兵衛尉宗清と申す人あり。六波羅の入道相國の一門にして、寄重く、平家の士の中にも、宗徒の人にて、むらなき兵なりしとぞ。

愚按、東鑑に彌平左衛門尉。大系圖に右兵衛尉季宗の子宗清。武家系圖に左衛門尉季宗、彌平左衛門宗清、

參考保元平治物語に彌平兵衛宗清は平季宗の子

夫より五代を歴て、清正といふ人に、子數多ありて家を分ち、山川、勝島、西川、松尾、北河と名乘る。代々柘植庄に住めり。其の末に、松尾與左衛門と申せし人、初めて國の府なる上野の赤坂に住めり。 これ蕉翁の父なり。母は、伊豫の國の人とや、姓氏定かならず。其の子二男四女あり。嫡子、儀左衛門命清、後に半左衛門といふ、二男、半七郎宗房、童名金作、これ蕉翁なり。のち名を更へて忠右衛門といふ。正保の初めに生る。明暦の比出でて、藤堂新七郎良精、(かずへ)良忠に仕へらる。良忠の別號蝉吟といふ。弓馬の業の暇には風月の道を好み、和歌、及び俳諧をもてあそびて、時の宗匠北村季吟をもて師とす。宗房ともに随ひて學ばれしとぞ。

愚按、 蕉翁全傳 には、蕉翁の俗名藤七郎とあり。藤堂の家には、半七郎と呼べりとぞ。兄を半左衛門といへばなるべし。さるを浪花の 遊行寺 に、 野坡 が建てし碑には、甚質と書けり。京都の 雙林寺 に、支考が立てし碑に、百地黨と書きしは、松尾氏の先祖に百司といひし別姓あり。その誤りなりと、伊賀の國人傳ふ。

芭蕉翁墓


 さるを、寛文六年四月といふに、思ひ掛けずも、主計(かずへ)失せられけるに、宗房、其のなき主の遺髪を首にかけて、高野山に登りをさめしより(愚按、高野山の宿坊、報恩院の過去帳に、遺髪の御供、松尾忠右衛門殿と記せり。)頻りに此の世を敢果(はか)なみ、身を遁れんの心せちなりければ、暇を乞ふと雖も、さる文武の才あるを惜しみて許さねば、同じ秋の末なりけむ、主の舘に宿直しける夜、門の傍なる松を越え出て、我が住める家の隣りなる、城孫大夫が門の柱に、短冊にかいて押しける發句に、

      雲とへだつ友かや雁の生わかれ

愚按、此の時、良忠の子息の良長未だ三歳なりしを、宗房二なく忠を盡し家を繼がしむ。されば、續扶桑隱逸傳、第三巻、芭蕉翁傳に仕府主君而有忠勤云。宗房の住みし家は、上野の玄蕃町といふ所にあり。

芭蕉翁生家


   芭蕉の影 其一

なきがらを笠に隱すや枯尾華
    其角

忘れ得ぬ空も十夜の涙かな
    去來

啼くうちの狂氣をさませ濱鵆
    李由

つひに行く宗祇も寸白夜の霜
    乙州

曉の墓もゆるぐや千鳥數寄
    丈草

一たびの醫師ものいはん歸り花
    許六

かさね着の老いの姿や苔の霜
   成秀

月雪に長き休みや笈の脚
    千那

しけ絹に紙子取りあふ御影影
    尚白

ばせを葉の寒しと答ふ聲もなし
   角上

 これより、延寳の年迄は、跡を雲霞にくらます龍の如く、山にや蟄せし、海にや隱れし、然るに何れの年にや、武蔵野の草の縁り求めて、深川といふ所に住み給ふとて、芭蕉を栽うる其の言葉に、風土芭蕉の心にや叶ひけむ、數株莖を備へ葉茂り重なりて庭を狭め、萱が軒端も隠るゝばかりなり。人呼びて草菴の名とす。此の葉の破れ易きに、世を觀じて、

       芭蕉野分して盥に雨をきく夜かな

愚按、これより住庵を 芭蕉庵 と呼び、芭蕉翁と呼べりとぞ。其の頃年未だ四十に至らざるに、此の道の師とせし季吟、湖春父子を初め、翁の號を呼べる事も、偏へに隱徳の餘りなるべし。初めの名は桃青といひ、別號を風羅房といひしも、芭蕉といへるに等しく、風に破れ易き身を觀ぜしとぞ。一名を泊船堂と名ぜしも、深川は海に近き地にして、門泊東呉萬里船の詩の景に叶へばなるべし。隱逸傳にも、造廬於深川、扁號泊船堂云々。

   芭蕉の影 其二

一夜來て泣く友にせん鳰の床
   風國

 徒然なる折りにや、笠をはり給ふ詞に、

 秋風のさびしき折り折り、竹取の工みに習ひ、妙觀が刀をかりて、自ら竹を割り竹を割りて笠作りの翁と名乘る。 朝に紙を重ね、夕べに干して、また重ね重ねて、澁といふ物をもて色をさはし廿日過ぐる程に、やゝ出できにけり。其の形ち裏の方にまき入り、外様に吹きかへり、荷葉の半ば開くるに似て、をかしき姿也。西行法師か富士見笠か、東坡居士が雪見笠か。宮城野の露に供つれねば、呉天の雪に杖をやひかん、霰にさそひ時雨に傾け、漫ろにめでゝて殊に興ず。興のうちにして俄に感ずる事あり。再び宗祇の時雨ならでも、假の宿りに袂を濡ほして、笠の裏に書付け侍る。

       世にふるもさらに宗祇の宿りかな

   芭蕉の影 其三

耳にある聲のはづれや夕時雨
    土芳

悲しさも言ひちらしたる時雨哉
    卓袋

我眞似を泣きぬ小春の雉の聲
    之道

 ある年、菴の邊り近く火起りて、前後の家ともめらめらと燒くるに、炎熾かんに遁るゝ方あらねば、前なる渚の潮の中にひたり、藻をかつぎ煙りを凌ぎ、辛うじて免れ給ひて、いよいよ猶如家宅の理りを悟り、只管無所住の思ひを定め給ひけると也。

   芭蕉の影 其四

鹿の音も入りて悲しき野山哉
    支考

木がらしや何を力に吹く事ぞ
    曲翠

腰打つて木の葉を掴む別れ哉
    正秀

ねぢて見る別れの岩よ冬木立
   泥足

まぼろしも住まぬ嵐の木の葉哉
    晋子

取りつかん便りもむなし枯柳
   野明

悔まれて夜着かぶりけり冬籠り
   游刀

 江戸を出で、海道を上り給ひけるに、富士川の邊りにて、三つばかりの捨子の泣くあり。此の河の早瀬にかけて、浮世の波を凌ぐに堪へず、露ばかりの命待間と捨ておきけん、小萩がもとの秋の風、今宵や散らん明日や萎れむと、袂より食ふべき物投げて通るに、

       猿をきく人捨子に秋の風いかに

 いかにぞや、汝、父に憎まれたるか、母に疎まれたるか。父は汝を憎むにあらじ、母は汝を疎むにあらじ、只これ天にして、汝が性の拙きをなけ。

   芭蕉の影 其五

花鳥よせがまれ盡す冬木立
    惟然

 芳野の奥に入り給ふに、西上人の草の菴のあとは、奥の院より二町ばかり分け入る程、柴人の通ふ道のみ僅かに見えて、さかしき谷を隔てたる、いと尊し。彼のとくとくの清水は、昔しにかはらずと見えて、とくとくと雫落ちけり。

      露とくとく試みに憂世すゝがばや

伊勢に詣で給ひて、西行谷の麓の流れに、里の女の物洗ふをみて、

       芋洗ふ女西行ならば歌よまむ

   芭蕉の影 其六

幻にみるは枯野の樒かな
   爲有

朝霜や夜着にちゞみしそれもみず
    如行

 長月の初め、故郷に歸り給ひけるに、北堂の萱草も霜枯れはてゝ、今は跡だになし、何事も昔しにかはりて、はらからの鬢白く、眉皺より、只命有てとのみ云ひつゝ、兄の守りぶくろよりとう出て、母の白髪をがめよ、浦島が子の玉手箱、汝が眉も稍老いたりと、うち泣きて、

       手に取らば消えん涙ぞあつき秋の霜

貞享二丑のとし、伊賀の山家に年超え給ひて、

   誰が聟ぞ齒朶に餅おふうしの年

奈良の二月堂に參籠し給ふ。

       水とりやこもりの僧の沓の音

   芭蕉の影 其七

かろき身の果や木の葉の吹止まり
   猿雖

芭蕉芭蕉枯葉に袖のしぐれ哉
   風麥

夢なれや活きたる文字の村鵆
   半殘

 大津の 尚白 が家にて湖水眺望に、

       唐崎の松は花より朧にて

 卯月の末、江戸に歸り給ひて

      夏衣未だ虱をとり盡さず

 秋も半ばの夜、ことに晴れ渡りしにや、

       名月や池をめぐりて夜もすがら

 貞享三寅のとし、草菴の春の夜に、

       古池や蛙とびこむ水の音

 雪のいと面白う降りける夕べ、おなじ心なる人の集まりて遊びけるに、もとより貧しき菴なれば、人々薪かひに行くあれば、酒買ひに行くもあり。

      米かひにゆきの袋や投頭巾

   芭蕉の影 其八

手向けせむ茶の木花咲く袖の下
   百歳

夢のあと誰が疊みしぞ夜着ふとん
    團友

みて泣くや蓑笠の像に雪霰
   斗從

耳の底に水鶏鳴く也冬の雨
    露川

枝川や一羽放れ鳴く千鳥
   素覽

霜に散りて光り身にしむ牡丹哉
   左次

 貞享四卯の年、春も彌生の空長閑に、うち霞みたる夕暮ならし、

       花の雲鐘は上野か淺草か

 鹿島邊りの月見んとて行給ふに、雨頻りに降りて、月見るべくもあらず、根本寺 の前の和尚おはする寺を、訪ね入りて臥しぬ。頗る人をして深省を發せしむと、吟じけむやうに、暫く清浄の心を得るに似たり、

       寺にねてまこと顔なる月見かな

根本寺


愚按、この道の記、 かしま紀行 あり。此和尚は、 佛頂禪師 とて、深川 臨川寺 に住持し給ひて、蕉翁常に參禪し給ひけるとぞ。されば其角が書きし終焉の記にも、佛頂和尚に嗣法して、開禪の法師といはると云々。又三國相承宗分統譜に臨川佛頂、芭蕉翁桃青と、法脈をひけり。

 神無月の初め、空定めなき景色、身は風雲の行方なき心地してとありて、

       旅人と我が名呼ばれむ初時雨

 參河尾張のかたに日比遊び給ひて、桑名よりくはで來ぬればといふ日永の里より、馬かりて杖突坂を登る程、荷鞍うちかへりて馬より落ちぬ。便なの旅人や一人旅さへあるをと、馬子に叱られながら、

       歩行ならば杖突坂を落馬かな

   芭蕉の影 其九

鵜飼見し川邊も氷る泪哉
   低耳

此下にかくねむるらん雪佛
    嵐雪

十月を夢かと斗りさくら花
   同

 伊賀に歸りつき給ひて、

       故郷や臍の緒に泣く年のくれ

   芭蕉の影 其十

俤やなにはを霜のふみおさめ
    桃隣

うらむべき便りもなしや神無月
    杉風

 貞享五辰の年、伊賀に春を迎へ給ふ。

       春立ちてまだ九日の野山かな

 阿波の庄の新大佛に詣でんとて 意專 、惣七の人々を伴ひ行き給ふに、抑此の所は南都東大寺の聖、俊乘上人の舊跡なり。仁王門、鐘樓の跡は、枯れたる草の底に隠れて、松ものいはゞ言問はん、礎ばかり菫のみしてと云ひけむも、かゝる景色に似たらん。猶分け入りて、蓮華座、獅子の座など、未だ苔の跡を殘せり。御佛は埋れながら、僅かに御ぐしのみ現然と拝まれさせ給ふに、上人の御影は未だ完くおはしまし侍るぞ、此の世の名殘、疑ふ所なく、誠に許多の人の力を費したる上人の御願ひ、徒らになり侍る事の悲しく、涙も落ちそひて物語もなし、空しき石臺に額づきて、

       丈六にかげろふ高し石の上

 探丸子別墅の花見催ほし給ひけるに、まかり給ひて、

       様々のこと思ひ出す櫻かな

愚按、良長成人の後、別號を探丸といふ。蕉翁が宗房たりし時の忠節をおぼし出で、初めて對面ありし時とぞ。この句に探丸の脇の句あり。春の日早く筆にくれゆく云々。翁の執筆にて一坐あり。其の筆のあと今に傳はれりとぞ。

 參河の杜國召具し給ひ、初瀬、龍門にかゝり、吉野の花に三日止まりて、曙たそがれの景色、有明の月の哀れなる様など心に」せまり胸に滿ちて、あるは西行の枝折に迷ひ、貞室がこれはこれはとうちなぐりたるに、我がいはむ言葉もなくて、徒らに口を閉ぢたるいと口惜しとぞ、かい給ふ。

   芭蕉の影 其十一

むせぶとも芦の枯葉の燃えしより
    そら

ならべたる繩床さびし冬籠
    滄波

告げて來て死顔ゆかし冬の山
    露沾

 それより、須磨に遊び給ふに、空も朧に殘れる、敢果なき短夜の月もいとゞ艶なるを、

      月見ても物たらはずや須磨の夏

 東須磨・西須磨・濱須磨と三所に分れて、あながちに何業するとも見えず、藻汐たれつゝなど歌にも聞え侍るも、今は斯る業するなども見えず。きすごと云ふ魚を、眞砂の上に干散らしけるを、烏の攫みさるを憎み弓をもて威す、海士の業とも見えず。 若し古戰場の名殘を止めて、かゝる事をなすにやと、いと罪深し。

      須磨の蜑の矢先に啼くやほとゝぎ

   芭蕉の影 其十二

繪を見るや袖の雫の初氷
    此筋

立ちされば心ぞ消ゆる塚の霜
   千川

五十二年夢一時のしぐれ哉
    ちり

凩の聲に檜原もむせびけり
   素龍

またゝぞやあゝ此道の木葉掻
   湖春

 この境はひはひ渡る程といへるも、こゝの事にや。

       かたつぶり角ふりわけよ須磨明石

愚按、去年より今年の夏迄の道の記あり。卯辰紀行とも、 笈の小文 ともいふ。

 美濃の國、長良川の邊りに、さすらへ歩行き、鵜遣ふ様を見給ひて、

       面白うてやがて悲しき鵜舟哉

   芭蕉の影 其十三

旅の旅つひに宗祇の時雨哉
    素堂

凩におもひ泣かせよ猿の面
   介我

月雪の近江の土や三世の縁
   専吟

十徳の袖は涙の氷かな
   秋色

 更科の里姥捨山の月見むと、頻りに秋風の心に吹騒ぎて、風雲の情を狂はすとて行き給ふに姥捨山は八幡といふ里より南にあり、西南に横折れて冷じく高くもあらず、角々しき岩なども見えず、只あはれ深き山の姿なり。慰めかねしと云ひけむも、理り知られて、そゞろに悲しきに、何故にか、老いたる人を棄てたらんと思ふに、いとゞ涙も落ちそひければ、

       面影や姨ひとりなく月の友

芭蕉翁面影塚


   芭蕉の影 其十四

力なや膝をかゝえて冬籠
    野坡

油炎の消えて悔むや冬籠
   利牛

涙籠る冬や今年の廻り合ひ
    袋水

月雪に假の菴や七所
    桃隣

泣く中に寒菊ひとり耐えけり
    嵐雪

芭蕉忌や時雨るゝ空を米買ひに
   樗良

凩に古人かやうの夢さむし
   同

芭蕉忌や塚も日本の國の數
    鳥醉

霜に伏して思ひ入ること地三尺
    曉臺

芭蕉忌や我等が爲の今日の月
   存亞

世にふるはさらに芭蕉の時雨哉
    士朗

筆濡すほどは時雨よ翁の日
    恒丸

時雨會や寺は日比の松の風
    一草

戴くぞ今日は翁の旅硯
    道彦

 元禄二巳の年、江戸の春にあひ給ひて、去年の、更科の秋やおぼし出でけむ、

       元日に田ごとの日こそ戀しけれ

『芭蕉翁繪詞傳』 ① ・   ・ 

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