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2009年 1月

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1月31日() 【不況のせいです】

 不況です。

 不況のため、Gゼミのレポートは書かないことにしました。

 不況は困ります。

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 昨日の夜中、無性に腹が減ったので日付が変わるころ雨の吉祥寺へ。久々に洞くつ家へ行ってラーメンでも食べようかと思いましたが、金曜深夜のラーメン屋は飲み会後の酔っぱらいで行列している様子。ラーメンは仕方なく諦め、ヨドバシ裏の麺通団へ行ってきました。ここも12時過ぎまでやっていますが、場所が場所だからなのか混雑していません。かまたまに肉みそが入った、「たんたまうどん」を食べてきました。おいしいけど、個人的には普通のかまたまの方がしつこくなくていいかな。値段も600円と、讃岐うどんの一般的な相場よりも高いし。ちなみに右下の写真は以前昼間に撮ったものなので明るいです。


<たんたまうどん>

<吉祥寺麺通団>

 土曜日自体には特に特記事項もなく、波風のない一日でした。雨が若干憂鬱です。


1月30日(金) 【金曜日はスーパークリーミィ】

 最近はテレビも見ず酒もほとんど飲まず過ごしてきましたが、そうすると結構時間が空きます。如何に今まで時間を無駄にしていたのかが分かって、勿体ないやら悔しいやら恥ずかしいやらですが、まあそれは置いておいて、今月はその空いた時間のいくらかを読書に当ててきました。読書といっても論文とか哲学書とかではなく、肩肘張らないで読めるものが大半です。でもテレビや酒より読書をする方が、何となく有意義に時間を過ごせたような気がするから不思議です。

 で、昨日、めでたく森博嗣のS&Mシリーズ10冊を読み終わりました。今までミステリーをほとんど読んでこなかった僕が、そこそこ厚い本を根気よく10冊も読めたことが驚きです。1作目から順番に毎日ちまちまと読んで、大体1ヵ月かかったかな。早いうちに感想を書いておかないと忘れてしまうので、ごく簡単に10作品の感想を書き残しておきます。元々読書感想文が苦手だし、おまけにミステリー初心者だし、そもそもこのシリーズを知らない人には全然面白くないかもしれません。その辺ご容赦ください。せっかく10冊読んだから、記念に何か残しておこうということです。出来るだけ、ネタバレはしない方向で。

全てがFになる(The Perfect Insider)
 非常にインパクトのある第1作目。これをデビュー作にしようとした編集者の気持ちが分かる。シリーズ全体がこういうテイストで進んで行くのかと思ったが、後の巻を読み進めるに従って、これと最終作が若干特殊だということが分かった。孤島の地下研究室という無味無臭な感覚の場所が舞台だったにも関わらず、描写が豊かだったからか、僕の頭には白と赤の派手な色彩が鮮烈に残っている。ちなみに舞台は1994年。まだインターネットが普及する前にこの話を書いているのはすごい。発売当時に読めばもっとSFチックに感じられたかもしれない。
冷たい密室と博士たち(Doctors in Isolated Room)
 インパクトのあった1作目とは異なり、非常にオーソドックスな感じがした2作目。分量も10作品の中で一番短い。大学の「極地研」という理系研究所で起こった事件で、描写も専門的な用語が多く、それらがトリックに関連しているのかと思ったが・・・。それも読者に対するメタ的なレトリックということか。他の作品と比べて、殺人の動機が一番人間臭い気がする。個人的には、そんな動機で殺されては殺された女性が可哀そうと思う。ストーリーの流れがはっきりしていたので、読みやすいと言えば読みやすい。
笑わない数学者(Mathematical Goodbye)
 この辺から哲学的というか、空中戦を戦っているような感じもしてきた第3作。素人の僕でさえトリックは早い段階で気が付いて「ふふん」と思っていたが、気付くこと自体が「逆トリック」らしく、上手く作者の罠にはまっていたらしい。つまり、この作品の核心はそこではないということ。結局、地下室にいた老人は誰だったのか・・・。彼は最後に声を出して笑っているから、「笑わない数学者」ではないことになるのか。一読して単純だと思っていたものの、後から考えれば考えるほど複雑に思える一冊。「解は不定だ」
詩的私的ジャック(Jack the Poetical Private)
 前3作は完璧な博士達が出てきて、何かを超越した感じを受けたが、この4作目は若者の心の葛藤を描いた青春群像という感じを受けた。まあ、優秀な助手が出てきてコンクリートの専門知識もトリックとして使われるのだけど、それを霞ませるくらいに若者の不安定な精神構造に重点を置いているように思える。でもそんな感情、僕には全く理解できません。なので犀川先生が「殺害の理由に興味もないし知りたくない」と言っていたのも、何となく分かる気がする。
封印再度(Who Inside)
 面白かったが、果たしてトリックというかパズルの謎はそんなに上手くいくものかねぇとか、子供って本当にそういう表現の仕方をするのかねぇとか、少なからず疑問点もある。でもどちらにしても、日本語のタイトルも英語のタイトルも、結局のところ上手く出来事を表していることになっていて驚き。筆者によるとこの物語は「禅」の世界を表しているらしいが、「死」と「禅」は結びつくのだろうか。50年前の人も今の人も、川端康成みたいな心持ちだったのか?あと、個人的にはこの頃からどうも萌絵さんが暴走し始めて、段々といけ好かなくなってきました。エイプリルフールだからってあんな嘘はついちゃいけません。
幻惑の死と使途(Illusion Acts Like Masic)
 手品をテーマに据えた第6作目。内容も面白かったが、萌絵が言っていた本筋とは全く関係ないセリフにぐさっときた。それはホームページについて語っているところで、「今みたいに一部の人がやっている間は価値があるけれど。だんだん、自分の日記とか、独り言みたいなことまで全部公開されて、つまり、みんながおしゃべり状態で、聴き手がいなくなっちゃうんだよね。(中略)でも、それはそれで、価値はないんだって初めから割り切れば、面白いんじゃないかしら。」これが書かれたのは1997年。現在の状況を的確に言い当てていて、価値のない日記を垂れ流しているものとしては非常に耳が痛いです。。 
夏のレプリカ(Replacable Summer)
 この作品と前作は同時進行的に起こった二つの事件を同時並行的に扱ったもので、前作は奇数章、今作は偶数章しか存在しない。個人的には前作の方が好みで、この作品は途中中だるみした感じも無きにしもあらず。どうらや僕は派手な事件の方が好きらしい。でも最後のチェスの場面は圧巻。人間の心理はちょっとしたところに出てしまうのかもしれない。ちなみにこの作品では「T大の本郷キャンパス」が出てくる。自分と関係ある場所が出ると何だかんだで感情移入してしまうもの。 
今はもうない(Switch Back)
 当事者の手記という形が取られた第8作目。これは今まで順番に読んできた人へのご褒美みたいなものかな。3分の2くらい読んだところで、まさか・・・とは思ったが、本当にラストはその通りになった時はゾクッとした。つまり密室殺人という題材を囮にして、別の次元で読者が最後まで騙されていたと。正直途中がだらだらしていたので読むのやめようかと思ったけど、根気よく読んでよかった。真実を知って読み返すと些細な部分に目が行くので違った読み方になって面白い。それまでの作品には全てあった登場人物紹介が、前作と前々作になかったのも、全ては今作に向けての伏線だったわけですね。お気に入りの作品です。
数奇にして模型(Numerical Models)
 この作品と最終作はこれまでの作品よりも1.5倍くらい量が多い。でも「夏のレプリカ」や、結末が分かる前の「今はもうない」よりはスラスラと読めた。模型オタクというかフィギュアオタクというか、そういうものを扱った作品なのだが、森さんってそういうのに詳しい方なのですか?(僕はあまり知らないので・・・)かなりのオタク臭がしてそれはそれで面白かったが、僕には犯人の動機がどうしても理解できない。動機なんか理解しようとするのがおかしいのだろうし、文中でもそういう記述があるけれど、この作品でそれを認めると、もはやミステリーじゃなくなってしまうのではないか。ちなみにこの作品に出てくる大御坊さん、僕の脳内イメージではオネエ言葉を喋る林家喜久翁です。。
有限と微小のパン(The Perfect Outsider)
 シリーズ最終作。英語の副題が、1作目と対になっている。1作目と同じような、現実なのか非現実なのか分からない不思議な感覚が一貫して漂っていたが、今回はそれがトリックにも用いられているという構成。ちょっとネタばれになってしまうかもしれないけれど、あれが全て虚構だったら普通の作品だったかもしれない。でもその虚構の中に現実を入れ込むことで、一つ上の段階の作品になっていた・・・と思う。要はこの作品の重要な点である、「対立軸の超越」という話なのだろうか。一般人は中庸を求めるけれど、天才は両極軸に同時に存在できるのだと。最初から最後まで萌絵が一番の当事者だったのに、犀川先生と真賀田博士の存在感に圧倒されて影が薄く感じたのは不思議なところ。ラストに相応しく、10作品の中で一番読み応えがあった。

 ・・・と、長くなりましたがこんなところです。簡単に言うと、通して読んで面白かったと。登場人物も個性的で面白い人が多かった。読んでいる分には、犀川先生とか萌絵さんとか、国枝先生とかの言動はクスクスと笑えます。ただ、もし現実にあんな人たちが自分の周りにいたら、腹が立って仕方がないだろうと思います。屁理屈こきまくりだったり気が短かったり、絶対無理だわ。現実の研究者がみんなあんな感じだと思われたら、それこそたまったもんじゃありません。

 ということで、次は時間ができたらVシリーズを読もうかと思います。

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 「レッツゴー音楽」、第12回目は、『名古屋はええよ!やっとかめ』(1985年)です。上で取り上げたS&Mシリーズの舞台である「那古野」は、名古屋がモデル。というわけでそれに引っかけて、つぼイノリオの名曲をどうぞ。予備校時代、英語の教師が「文化不毛の地、名古屋。みんなあんなとこ絶対行くなよ!」と常に言っていました。予備校は名古屋が拠点のK塾だったので、その英語の先生は本部で揉め事か何かあったのでしょう。でも長らくそのフレーズが頭に残っていて、それに加えてこの歌を聞いた日には・・・。自虐ソングの頂点に位置する名曲です。S&Mシリーズ読んで名古屋に対する興味も湧いてきたので、いずれじっくりと訪れたいところです。


1月29日(木) 【待つわ】

 ドクターの修了要件単位は(もちろん博論というラスボスを除き)既に取り終えているのだけど、ゼミを履修したのにレポート出さないでサヨナラするのも悪い気がします。ということで、久々にGゼミの期末レポートでも書こうかと思い立ちましたが、問題は提出期限が今月末で、時間が3日間しかないこと・・・。さてどうするか。そもそも他のゼミだと出席と発表で単位をもらえるはずなのに、Gゼミに限ってはそれにプラスしてレポートが課され、提出しないと「未受験」扱いになってしまいます。これはどうしたもんかと思いますが、ゼミ自体の雰囲気を考えたら期末レポートを課すことでバランスを取っているのかもしれません。まあとにかく、書くか書かないか決めないと時間が勿体ないのは確か。

 木曜は御殿下で卓球ですが、今日は研究のため欠席。朝から一日何も食べずにいたので、夜は毎度お馴染み吉祥寺の「ねぎし」へ行って、豚ロース焼き定食(880円)を食べてきました。ご飯もおかわりして満足です。何となくですが、渋谷道玄坂のねぎしよりも吉祥寺のねぎしの方がおいしいような気がします。

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 「すぱくり the Music」、第11回目は、あみんで『待つわ』(1982年)です。今まで10回ほどやってきましたが、よく考えたら出来るだけ時系列で紹介した方がよかったですね。時系列よりもなるべく多くのジャンルの曲から万遍なく紹介することに重点を置き過ぎていました。少し後悔しています。でももう今更遅いので、このまま時代がバラバラな感じで進めていきます。

 『待つわ』は時系列で並べると恐らく一番に来る曲で、より正確に言えば細川たかしの『北酒場』も同時ですが、この2曲は僕が1歳〜2歳の頃にかけて、テレビの前で見てよく歌っていた曲だそうです。「だそうです」というのは自分自身そんな記憶はなく、全て親が言っていることに他ならないからです。ただ辛うじて記憶にあるのは、「そんなに好きなんだったら」と伯母がカセットテープに2曲をダビングしてくれたことで、そのテープを聞きだした3歳くらいからの記憶はよく残っています。確かに僕は『待つわ』と『北酒場』をよく聞いてよく歌っていました。でも今考えると、なぜ1歳の僕が『待つわ』や『北酒場』に興味を持ったのか。歌詞を理解できるはずなはいので、メロディーというか音の感じが気に入ったのでしょうが、今となっては全く分かりません。

 それから約27年。改めて『待つわ』を聞くと、なかなか胸に染みるものがあります。「いつまでも待つわ」と僕は言えるだろうか・・・。


1月28日(水) 【緊張の糸】

 久しぶりに2日連続で酒を飲んだのが堪えたのか(量はそんな飲んでないけど)、目上の人がいる会食が続いたからか、それとも睡眠不足だからなのか、理由はよく分かりませんが、今日は朝からぐったりした一日でした。頭と胃が痛くて寒気がして熱っぽい。今日はたまたま予定が入ってなかったので、家から出ずにゆっくりとしたペースで過ごすことができましたが、こういうとき、時間の融通が効く大学院生でよかったと思います。バファリンとパンシロンを飲んだので、とどめにユンケルでも飲んで元気出します。

 何か食べなくてはいけないと思い、夜は吉祥寺の 「真風」 という初訪問のラーメン屋へ。「真風」と書いて、これで「まじ」と読むそうです。何となく暴走族っぽい。お気づきかもしれませんが、最近は全くラーメンを食べていません。あれだけラーメン狂いだったことを考えると、最近の僕は異常とも思えます。成長した証なのか、それとも老化してラーメンがきつくなってきたのか・・・。

 久々のラーメンは、スタンダードな「クロ(醤油豚骨ラーメン)」を注文。今日はデジカメを忘れたので写真がありません。かなりカツオ出汁が効いて、パンチのある一品でした。スープの表面がラードでコーティングされているので、なかなか冷めません。まぁ僕はカツオ出汁が効きすぎているラーメンはあまり好きではないので、個人的にはうーんというところでしたが・・・。味も少し薄いような気がしたし。もちろんこれは個人的な評価で、ラーメン評価サイトによれば結構好評のようです。お薦めは「鯛塩らーめん」ということなので、今度はそっちを食べてみます。

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 「私の一曲」、記念すべき10回目は広末涼子の『MajiでKoiする5秒前』(1997年)です。これについては以前mixiの日記で書いたことがあるので、ここではグダグダ書きません。とにかく、ヒロスエはいい!


1月27日(火) 【競馬好きは馬刺しを食べない?】

 今日は早朝7時から吉祥寺へ。あまり眠れなかったので、気分を変えるべくサンロードのエクセルシオールでコーヒーを飲みながら勉強をしてきました。いつも混んでいるサンロードのエクセルシオールも、さすがに朝早いと人が少なくて快適に過ごせます。コーヒーを飲みつつゴソゴソしていたら11時になったので、早目の昼食を食べにカレーの 「まめ蔵」 へ。ビーフカレーを食べてきました。まめ蔵のカレー全種類制覇を目指していますが、残るはポークカレーとチキンカレーの二つ。意外と早くクリアできるかも。


<ビーフカレー>

<まめ蔵>

 午後は学校へ行き、5限Gゼミ最終回。ゼミ後はゼミの打ち上げ飲み会ということで渋谷の十徳へ。皆さん忙しいらしく、参加者は先生を含め4名でしたが、人数が少ない分じっくりと話をさせてもらいました。十徳の漁師鍋は初めて食べましたが、魚介類が多くボリュームもあっておいしかった。今後も注文しよう。ちなみに競馬が大好きなG先生、「それはさすがに可哀そうで食べられない」と馬刺しには手を付けませんでした。入れ込みようが違います。今回はいつもと違って少し真面目な(というか学界の裏側の)話も聞けて有意義でした。

 10時過ぎに1次会を終え、学生だけで2次会へ。1時間ほど話して12時過ぎに帰宅。


1月26日(月) 【ふかひれの姿煮を初めて食べる】

 夕方東京駅へ。今日はおーらるのインタビュイーの方と食事をするということで、スーツを着ていささか緊張気味で東京駅に降り立ちました。場所は皇居傍にあり、伝統のあるパレスホテル。改築工事のため今月末で営業を停止し、3年程休業するそうです。そんな歴史あるホテルの中華料理店で食事をすることになろうとは。予定時間よりも早く着いたので、丸の内の綺麗な夜景を撮影して時間を潰しました。この東京丸の内という場所は、日本のいかなる場所よりも整然としていて、気位が高いような気がします。歩けば歩くほど「日本の中心にいる」という感覚を覚えるのは、広い日本でもここだけです。


<パレスホテル>

<噴水とパレスホテル>

<新丸ビル>

<丸ビル>

<外堀に映るパレスホテル>

 7時過ぎにパレスホテルの 中華料理店 に入り、一番奥のVIPっぽい個室へ。中華の丸いテーブルで上座がどこか分からず右往左往するもそれなりに自分の座る位置を決めました。こういう上座・下座は難しいです。やがてインタビュイー氏も到着し、事務所の秘書さん2名、僕らインタビュアーを含む8名で会食の時間はスタート。この際言ってしまいますが(多分大丈夫だよな?)、いつもおーらるで言っているインタビュイー氏とはあのS川元Z務大臣(通称S爺)です。いつものおーらるとは違って、ざっくばらんにいろいろとお話を伺いつつ、今まであまり見たことのない豪華な中華料理をいただきました。アワビとか車海老とか帆立とか北京ダックとかフカヒレの姿煮とか鹿の角入りスープとか・・・。一人前があんなに大きいフカヒレの姿煮は生まれて初めて食べましたが、文字通り魚のヒレの味ですね。でも後から調べたら、単品で頼むと一人前6300円もするらしい。一回の飲み会代より高いじゃないか・・・。できれば写真に撮りたかったところですが、さすがに今回ばかりはそれは無理でした。

 今日はSさんが御馳走してくださるということでしたが、コースメニューにワインやビールを飲んで、追加で蟹チャーハンや焼きそばを食べたので、恐らく一人当たり2万は軽く超えているのだろうと思います。こういうことを考えるのが無粋であることは百も承知ですが、いかんせん貧乏性なので。まさかS川さんと丸テーブルを囲んで食事するなんてことは想像してなかったし。いや、いい経験をさせていただきました。今後ともおーらるでよろしくお願い致したいところです。

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 「今日の一曲」、9回目は村下孝蔵で『初恋』です。1983年の曲。これは本当に名曲です。歌詞の美しい日本語とメランコリックなメロディー、そして魅力ある声と三拍子揃っています。失礼だけど村下孝蔵はパッと見はそこら辺にいそうな普通のオッサンです。でも歌を歌うと本当に上手い。顔じゃないね。最近の歌謡界に必要なのは、こういう地に足ついた曲と歌い手なのではないかと思います。

 僕が村下孝蔵を知ったのはここ1年くらいですが、ベストアルバムを買ってよく聞いています。1999年に若くして亡くなってしまったのが残念です。生きているうちに知って、コンサートに行ければよかった。「初恋」の他にも、「踊り子」や「陽だまり」などいい曲が多いので、ちょっと古い時代の歌謡曲に触れたい方はどうぞ。


1月25日() 【恋するニワトリが産んだ卵は割れなかった】

 昼過ぎに吉祥寺へ行き、細々とした日常生活品の買い物をしてきました。洗剤とか洗顔料とかシャンプーとか石鹸などなど。どうしてああいうものは同じタイミングでなくなってしまうのでしょうか。奴らは意思を持たないはずなのに、まるで口裏を合わせたように同時になくなるのが不思議です。買おうとしていたもののほとんどは手に入りましたが、僕が愛用している「シャボン玉石けん」のシャンプーだけは吉祥寺では見つからず、通販しようかどうか迷っているところです。あとシャボン玉石けんの工場では 工場見学 を行っているそうなので、今度誰か一緒に行きましょう。工場は北九州市若松区で、東京からだと少し遠いですが、もしよければ。

 その後ヨドバシ8階の万豚記で豚バラ青菜チャーハンを食べてから帰宅。晴天の日曜日の吉祥寺は人が多くて疲れます。

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 “My Sweet Music”のコーナーです。8回目の今日は、NHK「みんなのうた」から『恋するニワトリ』(1985)と『われないタマゴ』(1984)の二曲をご紹介。どちらも僕がまだ幼稚園に入る前に聞いていた、懐かしい曲です。二つの曲につながりはありませんが、ニワトリとタマゴという親子関係なのでまとめて紹介してみました。『恋するニワトリ』は、風見鶏に恋してしまった雌鶏の気持ちを歌ったちょっと切ない曲。対して『われないタマゴ』は、卵を食べたいのに割れなくて右往左往するコミカルな曲。『恋するニワトリ』の最後で、雌鶏は一人寂しく卵を産みますが、その卵がもしかしたら割れないタマゴなんじゃないか?と、小さい頃勝手に思っていました。そういう勘違いがあったので、同時紹介です。


<恋するニワトリ>

<われないタマゴ>

 みんなのうたには名曲が多いので、いずれDVDセットを買おうと思います。ネックは45000円という値段のみ。


1月24日() 【ファンタスティックサタデー】

 今日は思い立って静岡の沼津・三島・熱海へ行ってきました。この二週間、テレビも見ず、(ほぼ)酒も飲まず、あまり家からも出ず、ストイックに研究できた気がするので、ここら辺で気分転換を兼ねて日帰りでどこかへ行こうかと。2週間に1回くらい、こうしてふらっと出かけられるリズムだと精神的にもちょうどいい気がします。ちなみに「あぁ、自分へのご褒美(笑)ね」みたいに思わないでください。僕はそんなスイーツ野郎じゃありません。行きたい時に行き、行きたくない時には行かない、ただそれだけ。何だ、あの「ご褒美」って。

 5時半に三鷹台を出て、小田急・JRと乗り継いで沼津に着いたのが朝8時。沼津では旧御用邸を見て漁港のレストランで朝食に海鮮丼と生桜えびを食べ、三島では庭園を見物したり湧水群を歩いて周った後で、「桜家」という有名なうなぎ屋で奮発して鰻重を食べました。今まで注文した鰻重の中で一番高い値段でしたが、味も今までで一番でした。鰻の臭みが全くありません。さすが、富士山の雪解け水に鰻をさらして、臭みを抜いているだけのことはあります。帰りは熱海の駅前浴場でさっと温泉に入り、7時に帰宅。中身が濃い一日でした。残念だったのは、朝綺麗に見えていた富士山が午後には全く見えなくなってしまい、写真撮るのは午後でも大丈夫だろうと高を括っていたために富士山の写真が一枚も撮れなかったことです。まあ、富士山は写真には撮れなかったけど、心の目に焼き付けておいたからというベタなことを言ってお茶を濁します。。


<沼津:生桜えび>

<三島:「桜家」の鰻重>

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 「今日の音楽」7回目は韓国の大衆音楽、いわゆるK-popです。イ・ジョンヒョンの『summer dance』。2003年8月の曲です。この曲はこれと言って好きとかよく聞くとかそういう訳ではありませんが、良くも悪くも頭にこびりついてしまった曲であることは確かです。2003年8月は環境に関する日韓交流で3週間ほど韓国に滞在しましが、暇な時間にテレビをつけると毎日のようにこの『summer dance』が流れてきて、洗脳されるように頭の中でメロディーが再生されるようになった程です。今考えると、本当にものすごい流れてたと思います。

 この曲は長調でノリが良く、いかにも夏の曲という感じではありますが、如何せんメロディーラインが平凡すぎて、聞いていると少し恥ずかしくなります。何というか、これを作曲した人はもしかした素人に毛が生えた程度の、つまり僕くらいのレベルの人間じゃないかと思うくらいです。もし自分が夏の軽快な曲を作ったら、こういうメロディーになるんじゃないかと思います。メロディーラインに予想を裏切るような展開がないから、本当に陳腐に聞こえてしまう。でも繰り返し聞かされて頭にこびりついてしまったので、もうこの陳腐さの呪縛からは逃げられない。あぁぁ助けてください。何か初めて後ろ向きな曲紹介になってしまいました。あと、どうでもいいですが、バイオリンを弾いている男がオードリーの春日に見えて仕方ありません。

 ちなみに僕は知らなかったのですが、この歌を歌っているイ・ジョンヒョンは次の年である2004年に日本に進出し、年末には紅白にも出たそうですね。今回この曲を取り上げるに当たっていろいろと調べるまで、本当に知りませんでした。2004年の紅白は東京で見ていたはずなんだけど、覚えてない・・・。その後日本進出は失敗に終わったということで韓国に戻ったそうですが、今も元気に歌を歌っているのでしょうか。


1月23日(金) 【サーバー問題再び】

 このHPの容量の上限は100MBですが、現在の使用量が98MBで、そろそろ限界を迎えそうです。どうしようか。最も現実的な手段としては無料サーバーに移行することですが、広告は出るし重いかもしれないし・・・。後一つでも旅行記を上げればアウトな状態なので、何とかして早急に解決策を見出したいところです。まあ、一番手っ取り早いのがホームページをやめてしまう、ということなのでしょうが。移行するにしてもやめるにしても、近々お知らせします。このサーバーがいいよとか、もうやめちまえよバカとか、ご意見ありましたら忌憚なく教えてください。

 しかしこの「100MBで限界を迎えるからサーバーをどうにかしなければ」という話、昔どこかで似たようなことがあったような・・・?100MBから80GBのサーバーに移るかどうかで、1年間も話し合いを続けたような・・・?あぁぁ、思い出したくもない。。僕は何という時期に議長なんてやってしまったのだろうか。(詳しく知りたい奇特な方がいたら、5年前の日記を適当に掻い摘んでどうぞ)

 もはや完全に生活リズムが狂ってしまい、今日は午前11時過ぎに寝て起きたのが午後4時。夕食(というか朝食?)を求めて吉祥寺へ行き、久々に「里の宿」へ。メニューを見ていると「生にしんの塩焼き」があるというので、1200円と少し値が張りますが頼んでみました。何しろ「生にしん」なんて食べたことがなかったので。そして出てきたにしんの塩焼きを見てびっくり。ものすごく大きい。写真じゃ伝わりにくいかもしれませんが、ものすごい迫力です。身もこれでもかと言うほど詰まっています。特に子持ちだったらしく、今まで見たことないくらいの大量の卵が詰まっていました。これが数の子になるわけね。数の子になる前の卵はクリーミーで、もう魚の卵は1年分食べてしまったと思えるほどです。最後は卵の食べすぎで気分が悪くなりつつも完食。里の宿はどれもおいしいですが、今日の生ニシンの塩焼きは秋刀魚の刺身と並んでの大ヒットでした。これで量と鮮度で1200円ならかなり安い気がします。


<生にしん焼き定食>

<夜の吉祥寺>

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 今日もやります、「思い出の名曲たち」。第6回目の今日は牧野アンナで『LoveSong探して』です。ドラクエ2の復活の呪文を入力する場面の曲として有名な、すぎやまこういちの傑作の一つ。僕は一番最初に遊んだのはドラクエ3で、ドラクエ3は今に通じる「冒険の書」形式だったのでゲームのセーブ・ロードとも楽でした。冒険の書が消えてしまわなければ。。ドラクエ3をクリアした後、遡ってドラクエ2にとりかかりましたが、このドラクエ2は「復活の呪文」形式で、何とゲームの再開に手間がかかったことか。

 ドラクエ2はゲーム終了前に王様が発する無意味な文字列(=復活の呪文)を書きうつし、次にゲームを再開するときに復活の呪文を入力して続きをやる、という形式でしたが、頑張って入力した挙句、何度「ふっかつのじゅもんがちがいます」と言われたことか。。あの時のがっくり感といったら本当にたまりません。「ぬ」と「め」、「あ」と「お」とか、当時の解像度からすると間違えが続出するのは当たり前で、当時僕はこの「復活の呪文」とロンダルキアの洞窟の異様な長さで、ドラクエ2のクリアを断念しました。復活の呪文を間違って呆然としているところでも、そんなことを知らずに鳴り響く明るいメロディの「LoveSong探して」にどれほど腹が立ったことか。いい曲ですが、ちょっとしたトラウマの曲でもあります。


1月22日(木) 【トンテジの真実】

 生活リズムが狂い始めていて、少しよくない傾向です。持病の腹痛も絶好調で、どうして僕はこうも腹の調子が悪いのか。

 夕方から久々に御殿下へ。木曜日の卓球ですが、今日は着いたら既に半分終わりみたいな状態で、ほとんど運動せずに7時に切り上げて食事へ向かう方向でした。最近本当に太り気味で運動をしていないので、どうにかしないといけないと思ったのだけど、うーん・・・。夕食は本郷三丁目駅近くにある、個人的には初訪問の 「とん豚テジ」 へ。個人的にはこのネーミングが気になりました。

 「トンテジ」とはストレートに日本語に略すと「ウンコ豚」。「テジ」は韓国語で「豚」の意味ですが、「トン」はいわゆる「大便」のことで、以前韓国の済州島では人間の大便を食べさせて豚を育てていたことからこういう名前が付いたと韓国の友人に教えてもらったことがあります。そのようにして育てられた豚はかなりおいしいという話でしたが、まさかそれを店名にしてしまうとはねぇ。ほとんどの日本人はそんなこと知らないと思いますが、店名が「ウンコ豚」と日本語表記されたら客も減るだろうなぁと思います。

 テジカルビというと厚めのバラ肉を想像しますが、ここのお勧めはバラ肉を薄くスライスした「カンナ三段バラ」だそうで、メインはそれを注文。行者ニンニクに巻いたり味噌を付けたりして食べるとおいしいです。最近あまり元気がないので、こういう元気な出そうなものを食べなければ。焼き肉はあの「ジューッ」という焼ける音だけで元気が出てくる感じがするから不思議。酒は「Noアルコール運動」を実施中なので、ビールとマッコリを少々にして早目の打ち止めです。「No」と言いながら飲んでますが。。


<豚肉を焼きましょう>

<美味しそうに焼けましたね>

 11時帰宅。これから、もう少し運動を習慣付けようと思います。

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 思い出と共に曲をお届けする恒例(?)の“My Favorite Music”、第5回目の今日はジラリオ・チンクェッティの「雨(La pioggia)」です。1969年の曲。昨日今日と東京は雨が降っているので、この曲はぴったりかと。イタリア出身のジラリオ・チンクェッティは1964年のユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝しています。ちなみにその翌年優勝したのが、1回目に取り上げたフランス・ギャルです。

 僕は幼稚園から小学校2年までヤマハの音楽スクールに通っていて、最後の大規模な発表会でそこのクラス15人くらいでアンサンブルしたのが、この「雨」を含むルンバメドレーでした。ルンバ・ルンバで始まり、最後はコーヒールンバで締めるという、今考えると小学校2年生くらいじゃそんな曲知らないだろうという渋い選曲でしたが、それはうちの先生が抽選で勝ち取ったものだそうなので何とも言えません。その時の発表会は下関市民会館の大ホールを借りるくらいの大きなイベントで、発表したのは総勢25組。一組10人だとしても、10×25=250人くらいが出演したことになります。確か、「89スプリングコンサート」とかいう名称だった気がします。89年の3月と言うと、平成が始まってまだ2カ月も経っていなかった頃かな。

 その発表会で僕は花形のピアノを担当させてもらいましたが、この「雨」はなかなかの曲者でした。「雨」は途中で転調して長調になりますが、その長調になったところの伴奏が鬼のように難しく、まだ親指と小指で一オクターブ届くかどうかというくらい手が小さかった僕にはかなりの難関でした。そういう苦しめられた思い出のある曲でもあります。「雨」が有名な外国の曲だと知ったのはかなり後になってからで、改めて原曲を聞いてみると、自分たちが演奏したのとは結構感じが違うように思いました。こんなにしっとりとした曲だったのかと。最初の短調部分で雨の陰鬱な感じを、後半の転調して長調になった部分では雨があがって日光が差し込む感じを、そして最後の盛り上がりの部分では太陽が完全に顔を出して晴れた感じ、という三部構成になっている気がしたのだけど、これは勝手な想像かな?ともかく、陰鬱な雨の日も、この曲を聞くと何となく心がすっきりする心地です。

 ちなみにフランス・ギャルもカバーか何かで歌っているみたいです。髪形とか発売年からして、1969年から70年頃でしょうか。この頃のフランスギャルは、お世辞にも歌が上手いとは言えません。

 ということで、雨の日にはジラリオ・チンクェッティの「雨」を。


1月21日(水) 【黄昏の駅で胸が震える経験をしてみたい】

 昨日は帰ってからすぐに寝てしまい、今日起きたのは朝9時過ぎ。良く寝ました。最近は徹夜をすると体力を回復させるのに以前より時間がかかるようになってきています。日中はお勉強をして、夕食は吉祥寺の「スパ吉」で季節限定の「牡蠣とチンゲン菜のトマトクリームパスタ」を。写真撮るの忘れましたが、トマトクリームと牡蠣は結構合うことが驚きです。こういうの自分で作れたらいいんだけど。

 最近は「Noテレビ・Noアルコール」運動と称して、一人勝手に頑張っています。Noアルコールは11・12月が飲み会だらけになってしまい、お金・体力・時間とも使いすぎてしまったことによる反省からで、1月に入ってからは極力飲み会は辞退するようにしています。テレビの方も時間が勿体ないのではないかと思って、どこまで見ずにいられるだろうかと、1月に入って興味本位で始めてみました。

 結論として、この二つを減らすと時間とお金がかなり節約できます。すぐに投げ出すのではないかと思ったテレビも、意外にもずっと見ないでも平気で、今月見たのは先週のタモリ倶楽部くらいです。酒も昨日の研究会後の懇親会、先週のマルコフ送別会、先々週の京都行きで少し飲んだくらい。テレビや酒がないと、結構時間は捻出できるもんですね。さて、この調子でどこまでいけるか。あとテレビ見てないんだから、NHKの受信料も外してもらえないだろうか。

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 昨日お休みした「すぱくりの思い出音楽」、4回目は竹内まりやの『駅』です。1987年発売の曲。この曲は『告白』『シングル・アゲイン』と共に「悲恋三部作」と呼ばれているそうで、どの曲も大人の女性の哀愁を感じます。『駅』自体に昔の思い出はないですが、『告白』と『シングル・アゲイン』は昔火曜サスペンス劇場のエンディングテーマとして使われていて、小学生のときよく聞いていました。地元では火曜サスペンスの再放送を土曜午後1時からやっていて、半日の学校から帰ってきて昼食に肉まんなんか食べながら母と一緒にサスペンスを見ていましたが、3時前にこれらの曲が流れると、「あぁ、土曜日も夕方に突入だ」と思ったものです。後に二曲が三部作みたいなものであることを知り、残りの『駅』を聞いてみたところ、これがかなりよくて、最近特によく聞いています。竹内まりやの曲は、原曲キーでもカラオケで歌えるのがありがたい。


1月20日(火) 【自然の権利とは何か】

 前夜から5限の発表準備をしていましたが、予想外の英文のややこしさもあって、徹夜して朝8時までかかっても終わりませんでした。そんなに量が多くないからと完全に舐めてました。今回の論文は法律・倫理系のもので、いつも読んでいる英文と比べて読みにくく、倫理系の抽象的な理論展開と、法律系の簡単な単語でテクニカルタームを表すというダブルパンチにやられました。“standing”=「原告適格」とか、そういう勉強をしてないと分からん。結局このまま家にいたら寝てしまう可能性があると思ったので、朝9時に学校へ行き、図書館にこもって発表準備をし、何とか終わったのが午後2時。目がしぱしぱします。その後ちょっと休憩で、遅めの昼食を取りに久しぶりに山手へ。焼きねぎラーメンがうまい。

 今回読んだのは、「Should Tree Have Standing?」(Christopher D.Stone,1972)と、「The Rights of Animals and Unborn Generation」(Joel Feiinberg,1974)の二本。両者とも自然の権利概念についての論文で、その界隈では最も重要な位置を占めるものです。環境倫理学の必読の書というか。今までじっくり読んだことがなかったので今回読もうと思いましたが、まあ面白かった。とくにストーンの論文は「自然の権利」に論じた原点の論文ともいえるもので、どのように権利対象を拡張させていくのかという点が強引でこじつけっぽいですがなかなか面白いです。自然物に権利はあるのか?動物は?河川は?岩石は?その根拠は?こういうのは考えだすときりがない。

 5限後は駒場Ⅱに移動してSKS研究会。話は面白かったですが、徹夜だったために何度も意識が飛びそうになりました。しんどかった。。12時前帰宅。


1月19日(月) 【おめでとうと どちらか言えるとき 会ってみたい】

 今日も一日外出せず。昨日の夜中に食料調達のためにコンビニに行ったくらいで、特に書くこともありません。自然の権利に関する基本的な英語論文を読んでますが、議論としてはなかなか面白いです。

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 「私と音楽」三日目はアニメ幽幽白書のED曲の一つ、『さよならbyebye』です。この曲がEDとして使われていたのは確か1993年頃だったと思います。幽幽白書は毎週土曜日の夕方6時半から放送していましたが、土曜日は6時半まで部活があることが多く、本編自体はリアルタイムで見られませんでした。部活が終わって家に着くのが大体7時前で、家に帰りついたらこのエンディングテーマが流れていたということで思い出に残っている曲です。まだ小学生だった妹が一生懸命見てたなぁ、幽幽白書。窓から差し込んでくる真っ赤な夕日を浴びながらこの曲を聞くと、あぁ今週も一週間終わったなぁ・・・という少しセンチメンタルな気分になったものです。

 というような中学に入りたての頃の思い出があって、思い出したように最近聞き直してみたのですが、今の歳になって聞くとまた全然違って聞こえてきます。当時はメロディーが好きで聞いていましたが、今聞くと歌詞が何とも言えずぐっと来ます。こんなに切ない歌詞だったのか、と。特にこの歌詞に似たような思い出があったりなんかすると、知らないうちに自分とシンクロさせて感情移入してしまいます。まあ僕にこういう経験があったかどうかはご想像にお任せするとして、この曲を聞くと中学当時の自分と今の自分が重なる感覚に囚われて懐かしさも感じます。あの頃はよかった、というつもりはないけれど、中学時代はもう一度戻ってみたい時代の一つです。


1月18日() 【思い出は映画だね】

 昨日に引き続き、今日は一日外出することもなく、週明けの発表準備や研究をして一日をして過ごしました。先週の三連休で遊んでるから、このくらいはしないと。明後日までが使用期限の青春18きっぷが3回分も未使用で残っていて、もったいないことをしたとそれだけが心残りです。身延とか富士宮とか三島とか沼津とか栃木とか足利とか、いろいろ行きたかったなぁ。

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 今日の一曲。二日目はレベッカの『ステファニー』です。1984年発売のアルバム「Nothing To Lose」の中の一曲。高校2年の時の文化祭でクラスの出し物として劇をやったのですが、その劇の主題歌っぽいものがこのステファニーでした。この劇で僕は女子高生役をやることになり、セーラー服を着て化粧をするという、“かけがえのない”経験をさせてもらいました。大学に入ってからも合宿なんかで女装しましたが、僕の女装の原点はこの高校2年生の劇です。 高校三年間は平凡で退屈なものでしたが、この行事だけは何の面白味もない高校生活に咲いた一輪の花みたいなものです。

 長調で明るくリズミカルな音楽ですが、内容は自殺した友達(=ステファニー)を懐かしむという、結構重い内容になっています。PVは元々無いそうで、この動画は部屋とYシャツと私のPVにステファニーの音楽を重ねたものだそうです。もしよければどうぞ。


1月17日() 【あれから10年】

 今日・明日とセンター試験。全国の会場で、受験生たちが頑張っていることと思います。

 僕が初めてセンター試験を受けたのが1999年。あれから今年でちょうど10年が経ちました。「十年一昔」とよく言いますが、本当に一昔前のことになってしまったわけです。思えばあの日から僕の人生はある意味狂ったと言っても過言ではありません。もしあの日、インフルエンザにかかっていなければ、僕は文系で今の大学に入学することもなかったし、大学院の博士課程まで進むこともなかったと思います。全てはあのときの点数のせい。インフルエンザの高熱でうなされながらセンターを受けたばっかりに、普段考えられないような力が出てしまったのか、9割近く取れてしまったのだから。それまでの模試ではどんなによくても8割がいいところだったし、この年のセンター試験は例年になく平均点が低かったので、受けた本人がびっくりです。でもそれを実力を勘違いしてしまい、その後の二次試験は御想像の通りで、長い暗黒時代に突入すると、そんな訳です。本当に長かった。

 まあ今も暗黒時代に似たようなものですが・・・。頑張って早く抜け出したいものです。

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 今日から何日間か、僕の良く聞く音楽を何曲か紹介していきます。

 第一回目はフランス・ギャルの“Der Computer Nr3”です。今から約40年前の1968年の曲。東大紛争が起こる前の年です。彼女は夢見るシャンソン人形でヨーロッパ音楽祭の大賞を取った後、ちょっと売れなくなってからドイツに進出し、ドイツ語で何曲が歌っています。これもそのうちの一曲。曲調からして、アイドル風歌手のハシリみたいなものでしょうか。ドイツ語は分かりませんが、明らかにフランス語訛りがあることは分かります(一応第二外国語はフランス語を選択していたので・・・)。コンピュータよ理想の彼氏を見つけてちょうだいと、そんな歌です。ほんと、理想を入力するだけで最適なパートナーを見つけてくれるコンピュータがあったらどんなに楽なことか。

 youtubeの貼り付けがこんなに簡単にできるとは知りませんでした。


1月16日(金) 【16年振りの新しい筆箱】

 午後虎ノ門でおーらるの後、本郷へ行って9時までサークルのミーティング。吉祥寺に帰ってCoCo壱番屋でカレーを食べて遅めの夕食にし、家に帰りついたのは11時前でした。こうやって書き起こしてみると極めて平凡な一日です。あ、おーらるは平凡な一日には含まれないかな。

 まあそんな平凡な一日ですが、実は平凡ではない出来事が一つだけあって、何と16年振りに筆箱を買い換えました。筆箱という表現が古いならペンケース。これは僕にとっては革命的なことであって、なぜ今日に限って筆箱を買い換えようと思ったのか、今思い返すと分かりません。買ったのもたまたま生協の購買部で見かけた350円の安物だし。でも、「このままでは駄目だ!」と心のどこかで思っていたからこそ、衝動的ではあれ買い換えたのでしょう。

 今まで使っていた筆箱は、僕が中学校に入学した1993年の春に買ったものだから、かれこれ16年使っていたことになります。高校受験、3度のセンター試験、大学二次試験、大学院入試と、数々の場面を共にしてきました。大学に入学する頃にはファスナーが破れて口が空いたままになり、それからはよくペンや消しゴムが散乱して、鞄の中が大混乱になったものです。なぜそんな破れた筆箱を8年間も使い続けたのか、今となっては自分でも分かりません。長年使い続けたために情が移ってしまったのでしょうか。

 今回はせっかくのいい機会だったので、消しゴムやペンも買い換えました。今使っているボールペンは蓋がないし、消しゴムなんか硬くなってしまって消そうとしたら逆に紙が汚れてしまうほどだったので。どこまでほったらかしにしていたのかという話ですが。とにかく、今日買った筆箱も16年くらい使えるように大切に使います。16年後って、40代半ばか・・・。


1月15日(木) 【ありがとう】

 夜、マルコフと夕食を共にすべく青梅へ。6時半に以前(=去年の9月25日)食べた小作の「カルネ」という焼肉屋に集合ということでしたが、行ってみると今日は臨時休業。仕方なく場所を変更して、これまた以前(=去年の2月23日)行った「南山」という焼肉屋へ。2時間ほど肉を堪能した後、駅前にある 「魚吉」 という居酒屋で2時間ほど飲んできました。魚吉という居酒屋はメニューが充実していてなかなかいいです。西多摩地区に4件しかない店なので、今後行く機会がなさそうなのが残念。


<南山:牛刺しの酢味噌和え>>

<南山:ハラミを焼く>

<魚吉:姫ニンニクの天婦羅>

<魚吉:ポテトフライ>

 平日にわざわざ青梅まで行ってマルコフと食事をした理由ですが、この度マルコフ教祖が晴れて上海に栄転することとなり(役職手当が付かないとはいえ、「課長」になるらしい(←本人談))、東京を離れることになったためです。出発は明後日土曜日の朝。そのようなわけで、壮行会というか激励の意味を込めて、旅立つ2日前に東京で最後の食事をしてきました。ただ、話した話題も雰囲気も、いつも飲んでいるときとほとんど同じではありましたが・・・。

 マルコフが東京に来て2年。この間いろいろと飲み歩いたり、例のスカイラインクーペでドライブさせてもらったりと、本当にいろいろと楽しませてもらいました。この2年間は少しだけ中学高校時代に戻った気もしていました。改めて考えると、この東京で古くからの友人が近くにいるということは、それだけで幸せなことだったのだと感じているところです。

 またいずれ、パワーアップして東京に戻ってくることでしょう。その時までに、僕も負けないようにパワーアップしていたいものです。帰り際、マルコフと握手をしながらそう思いました。

 行ってらっしゃい!


1月14日(水) 【朦朧とする意識】

 お陰さまでトップページのカウンターが70,000を越えました。いつもご覧いただきありがとうございます。とりあえず、キリのいい100,000までは続けていこうと思いますので、あと2年くらいお付き合いください。

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 今日は朝早めに起きたものの、起きて早々ものすごい鼻炎になってしまいました。鼻水が止まらず涙で視界ははっきりせず、連続して襲ってくるクシャミで息をする暇がありません。寝る前に何か変なことをしただろうか??久しぶりに酷い鼻炎で、意識も朦朧としました。軽い鼻炎なら点鼻薬を打てばすみますが、今回はそれでは全く歯が立たなかったので、久しぶりに飲み薬を服用し、副作用の猛烈な眠気をどうにかこうにか耐えつつ今に至ります。喘息も含め、本当にこのアレルギー体質はどうにかならないものでしょうか。鼻炎と喘息が完全に治るというのだったら、1000万円でも払うのに(そんなお金ないけど)。

 夕方の今になってようやく状態も落ち着いてきたので、これから来週の発表準備でも進めます。


1月13日(火) 【ひっこにゃ〜ん ひっこにゃ〜ん ひっこにゃ〜んにゃん♪】

 昨日彦根で聞いた「ひこにゃんの歌」が頭から離れず、朝からエンドレスリピートしてます。

 今日は起きたら朝10時過ぎ。昨日は青春18きっぷを使って、京都から東京まで鈍行で戻ってきたので、東京の家に帰りついたのが深夜12時前で、それからいろいろしていたら明け方になってしまいました。京都東京鈍行9時間の旅はずっと本を読んでいたのでそれほど苦痛には思いませんでしたが、今日朝起きたときの疲労を考えると、やはり相当堪えていたようです。もう長距離を18きっぷで移動するような歳じゃないのかもしれません。

 まあ僕はまだこれでもいい方で、一緒に北近畿に行ったあおかつくんとその彼女様、そして幸くんの3人は、昨日から熱が出たり体調を崩したりと結構大変だったようです。さすがに氷点下で雪が降りしきる中、浴衣で下駄履いて外湯に行ったから、風邪引いてしまうのも無理はないかも。僕が風邪を引かなかったのは、浴衣の上にコートを羽織っていたからじゃないかと思います。

 今日は5限Gゼミ。環境倫理の中の平等や価値に関する論文をいくつか読みましたが、どうもこういう議論は空中戦を戦っているようにしか思えません。この分野に関して個人的にもっと深めなければいけないのかもしれませんが、空中戦は苦手なので少し二の足を踏んでいます。来週同じようなテーマで発表なので、これを機会に少し本格的に勉強しておこうか。


1月12日() 【白銀の世界】

 別に自慢でも何でもないが、僕はよく人から「優しいね」と言われる。でもそれは表面上のことであって、本当は勇気がないから優しいだけなんだ。それは「消極的な優しさ」とでも言うべきなのだろうか。要は自分が傷つくことを恐れて、相手に深く介入しない。深く介入しないためには、相手のためを思って敢えて厳しいことを言ったり妥協しない姿勢を取ったりせず、何でも相手に合わせてしまう。計算された上での行動。僕は今までそうやって生きてきた。でも結果的にそれが優しさだと解釈されたとして、自分は本当にそれでいいのだろうか。そもそも何も計算されていない純粋な「優しさ」なんて、本当に存在するのだろうか。

 ・・・なんてことを城崎温泉からの帰りの車の中で考えました。いや、全く他意のないことなので深読みしても何も出てこないと思いますが、ともかく雪で一面真っ白の世界を見て、ふとした会話から後部座席で一人そういうことを考えていたわけです。三連休の、特に土曜日の北近畿地方は暴風雪で、良くも悪くもいい体験をさせてもらいました。蟹味噌で作った雑炊の味は忘れません。

 いつものように、「詳しくは後日旅行記で」。


1月10日()〜12日() 【京都・北近畿へ】

 旅行記のページをどうそ(現在作成中)


1月9日(金) 【城の崎にて】

 買い物で夕方吉祥寺へ。雨が降っていて寒いです。まずは昼食兼夕食でハーモニカ横丁の「スパ吉」へ行き、「鶏肉と下仁田ネギのクリームソースパスタ(950円)」を食べてきました。安いスパゲティ屋で鶏肉と食べると、いかにも冷凍ものを解凍しましたというような臭みがあったりしますが、ここはそんなこともなかったので安心。あとクリームソースにネギがこんなに合うとは思いませんでした。この店はメニュー自体はすくないですが、たまに行くとメニューの中身が変わっています。

 その後本屋へ行って何冊か。志賀直哉の「城の崎にて」を買いました。ずっと城崎温泉で「城の崎にて」を読んでみようと思っていましたが、ようやくチャンスが巡ってきたようなので。「城の崎にて」は本一冊の長編かと思っていたら、たった10ページの短編なんですね。知らなかった。


<鶏肉と下仁田ネギのクリームソース>

<志賀直哉『城の崎にて』>

 というわけで、三連休は前々から予定していたように京都と城崎温泉へ行ってきます。行きはもちろんいつもの格安夜行バス。三連休の近畿地方は暴風雪という天気予報なので、そこだけが心配です。


1月8日(木) 【駅弁食べて脳内旅行】

 学校に行くべく井の頭線に乗っていると、「新宿京王百貨店で駅弁大会開催」の中吊り広告が目に止まりました。今日から開催ということで、学校の帰りに寄ってみることに。毎年行こうとしているものの今まで一回しか行けたことがないので、今年は期間中何度も足を運んでやろうと思います。一応、駅弁大会のサイトのリンク→ 「第44回 元祖有名駅弁と全国うまいもの大会」

 京王百貨店に着いたのが4時過ぎ。会場はものすごい人で、さすがに全国で一番大規模な駅弁大会なことはあります。会場には販売駅弁一覧表があって、売り切れたものには赤いマグネットが張られていますが、さすがに4時過ぎともなると有名な駅弁は売り切れているものが多くなっていました。僕が買おうと思っていた、宮島口の「うえののあなご飯」も既に売り切れ。やっぱり目当ての駅弁を買うには、午前中に来ないとだめなようです。ちなみに下関の駅弁のうち有名な「ふくめし」は売り切れていて、地元の人間としては何だか嬉しくなりましたが、僕も知らない「長州ファイブ」なる駅弁は大量に売れ残っていました。長州ファイブねぇ・・・。

 「あなごめし」が売り切れいたので、今日は路線を変えて北海道の駅弁を買うことに。今後何回も来る予定にしたので、北から順に攻めていこうかと思います。行列が出来ていた厚岸駅の「かきめし」(980円)と、その隣にあった釧路駅の「いわしほっかぶり寿司」(1100円)を買いました。かきめしは去年・一昨年と売上第三位の人気駅弁だそうで、今年も行列からしてよく売れてそうです。


<厚岸のかきめしを買うのに行列>

<かきめしの大量生産>

 帰ってからさっそく夕食。かきめしは見るからに濃厚で、磯の香りがします。ちょっと濃いめだけどおいしい。牡蠣の身がぎっしり詰まっていて食べ応えも十分です。かなりのインパクトがある駅弁だと思います。ほっかぶり寿司はほっかぶり寿司というより炙り秋刀魚が入っていたから買ったというのもありますが、意外にもあっさりとしたほっかぶり寿司がおいしかった。厚岸や釧路には行く機会がないので、こういう機会はありがたい限りです。駅弁を食べるとまるで脳内で旅行をしている気分になります。今年こそは、本当に北海道に行ってみたい。


<氏家かきめし(厚岸駅)>

<かきが4つ>

<ほっかぶりずし(釧路駅)>

<いわしのほっかぶりと秋刀魚>

 そういえば僕に年賀状をくださった皆様、遅くなりましたが今日お返事を書きました。明日か明後日にはお手元に届くと思います。遅くなってすみません。来年からはきちんと年末に書くようにします。


1月7日(水) 【僕にとって線香の「におい」は「臭い」である】

 実家に戻って以降、どうも鼻と気管支の調子が悪く、東京に戻ってきた今でも完全に治っていません。毎年冬に実家に帰ると、必ず喘息になるというのは分かってはいるものの、未だに原因が分からないので困っています。せっかく東京で調子よく過ごしていたというのに。

 原因は分かりませんが、個人的には田舎の線香が悪いに違いない、と勝手に思い込んでいます。僕はそもそも線香というものが大嫌いです。まず仏壇に線香を上げるという行為自体が訳分からん。大体線香は死体の臭いを誤魔化すためのもので、仏壇に上げる意味なんてないはず。それに線香の臭いの充満するなかでご飯を食べるときの苦痛と言ったらもう・・・。今でこそ何とか慣れましたが、小さい頃は田舎で物を食べることが出来ませんでした。線香の臭いが充満する中で口に物を入れると、反射的におえおえと吐いてしまうくらい駄目でした。普通の食事ですらそうなんだから、仏壇に供えられたお菓子や果物なんてもってのほか。だから年末年始やお盆に田舎に泊まりがけで何泊もすることになると、何も食べないから必ず体重が2,3kg減りました。そりゃそうだ、断食と同じなんだから。そしてようやく田舎から解放されて下関の家に戻ったとしても、自分の洋服が線香臭いと泣きそうになります。今は大人なので我慢してますが、このように線香は僕のトラウマの一つです。だから喘息も線香のせいなんじゃないかと思っているわけです。多少強引ですが。

 昔からよく言われてきたことですが、僕は鼻がよく詰まるくせに人よりも臭いに敏感なようで、親にも「おまえは犬か」と言われたことがあります。一般的に精度が高いのはいいことかもしれませんが、逆に臭いのきつい香水とか線香とかに出くわすと卒倒するほどのダメージを受けてしまうので、敏感すぎるのも困りものです。僕が香水を付けない理由もここにあります。耳も聞こえすぎると困るし、目も見えすぎると遠視っぽくなる。何事も普通が一番。

 と話がだいぶ横道にそれてしまいましたが、つまり線香のお陰でまだ喘息が完治せず、今日は一日家でおとなしくしていました。外出は夕食に近所の蕎麦屋へ行ってカツ丼を食べたくらい。本当にどうにかならないものか。


1月6日(火) 【人の家の玄関を叩くな】

 2009年は今日から本格始動。

 昨日は少し遅くまで起きていたので、今日の起床は9時半。が、この目覚めが最悪で、人がせっかく気持ちよく寝ているところを「ピンポーン」という玄関のチャイムで起こされました。まあそれだけならいいですが、そのチャイムの鳴らし主は寝起きでまだ意識がはっきりしない僕のことはお構いなしに、立て続けにピンポンピンポンと鳴らします。果ては何度も「ドンドンドン」とドアを叩いてお知らせしてくれる始末。頭に響くようなドンドンという音で次第に意識がはっきりしてきた僕は、「そんなにドンドン叩かなくても最初のチャイムだけで分かるわ!」と怒りが込み上げてきて、寝起きから血圧急上昇です。大体だねぇ、人様の家のドアをドンドン叩くとは何事かと。非常識にも程があります。

 そういうわけで最初は出ようかと思いましたが、もう完全に腹が立ったので無視しました。居留守だ居留守。結局チャイム4回、玄関を叩くのを4回くらいで帰っていきましたが、今までの経験から、こういうのは宅配便の中でも礼儀のなってない奴か、性質の悪い新聞勧誘と決まっています。本当に大事な用事なら、ドンドンと叩きながらも玄関で「すぱくりさーん」と呼ぶはず。それをしないで人の家の玄関を叩きまくるだけなんて、非常識も甚だしい。それに平日の9時半といったら普通家にはいないはずで(僕はそりゃいるけど)、そういう可能性を考えたら何度もチャイム鳴らしたりドアを叩いたりするのは本当に意味のないことだと思います。いれば最初か2回目くらいのチャイムで出るし、いなければ出ない。馬鹿みたいに何回もチャイムを鳴らすのは極めて無駄な行為です。と、犯人が去った後もこういうことを考えていたら朝から本当に腹が立ってしまい、結局一日中イライラしたままになってしまいました。こんなんだから、駅前の小田急OXに買い物に行っても、普段は何とも思わない店内に流れる陽気なインストに対してやけに腹が立ちました。何だあの素人が作曲したとしか思えない単純で突飛なメロディはと。ほんとにもう。。

 今日から本格的に始動と書きましたが、よく考えてみると今年は新年という雰囲気が全くしません。それは年末年始に全くテレビを見なかったから、それとも全国的に不景気でそういうムードなのか、それとも地元での飲み会が例年より少なかったから(というか個人的にはなかった)か・・・。理由はよく分かりませんが、例年に比べておめでたいとか心機一転とかいった区切りを素通りしているような気がします。やっぱり正月っぽいテレビを見なかったのか原因かな。帰省中に見たテレビ番組と言えば、紅白歌合戦の最初1時間程度だけだったし、東京に戻ってからもまだテレビつけてないし。いずれ「笑ってはいけない新聞社」と「ドリームマッチ」は見たいところですが。

 テレビを見ずに酒も飲まないと、一日の何と長いことか。


1月5日(月) 【それは進化なのか、それとも変化なのか】

 朝8時半に実家を出て、北九州の小倉へ。新幹線の指定席は満席だったので、おとなしく自由席で帰ることにしましたが、自由席もかなりの混雑でした。一番端の車両の先頭に並んだので、どうにか窓側の席を確保することができましたが、既に小倉の時点で座れない人も出ていたようです。この後終点の東京まで常に乗車率100%以上だったので、こればかりは運がよかったとしか言いようがありません。5時間近く立ちっぱなしはさすがに拷問に近いので。

 ただし、本来なら自由席で席を確保できただけでも幸せなことですが、先日グリーン車に乗ったために、自由席のシートは狭くて居心地が悪く感じました。特に隣に人が座ると圧迫感が凄いので腹が立つほどです。今まではこれが普通だったし、腹も立たなかったのに。これはつまり、一度快適な上級クラスを体験してしまうと、以後はその上級クラスを基準として考えてしまうということですが、客観的に見るとそんな自分に腹が立ったりもします。でも人間は一般的にそういうものなのかもしれません。新幹線の座席だけでなく、携帯電話やパソコン、電化製品もしかりです。より快適で便利なものに対する欲求が、良くも悪くも今の世の中を作り上げてきたのだし。環境のためにはこの「進化」と呼ばれている過程を抑制しなければいけないのかもしれませんが・・・。

 3時過ぎに東京のアパートに到着し、夜は吉祥寺で湾岸太郎君と食事をすることに。魚定食の里の宿はまだ正月休みだったので、ねぎしへ行って牛タン・豚ロースセットを食べてきました。普段は値段の張る牛タンは食べませんが、今日は正月なので特別です。という理由をつけて。。しかし、肉の量が多いとご飯が進んで困ります。ダイエットしなきゃいけないのにねぇ。このまま行くと僕はポニョになってしまう。


<夜の吉祥寺サンロード>

<ねぎしの牛タン・豚ロースセット>

 その後仕事終わりのHYくんが合流し、サイゼリアでドリンクバーを注文しながら年度末に行く予定の学科旅行の打ち合わせ。これまでに大雑把には決まっていましたが、まあいろいろとあって、場所から日付から全てスタートに戻って考え直すことになりました。一番のネックは値段で、1泊2日で5万円もするのはどうかと。金銭的なハードルはやはり高いです。結局北は角館から南は有馬温泉まで、かなりの候補地を検討しましたが、会議は踊るされど進まずで、一体どうなることやら。。


1月4日() 【恒例のアワビステーキ】

 実家は寒いのか、ずっと鼻炎&喘息気味です。薬のお陰で日中は頭がぼんやりとしています。

 今日は毎年恒例のアワビステーキの日。我が家は年末年始のこの時期は毎日のようにアワビの刺身を食べますが、さすがに毎日食べると飽きてきます。でも在庫も減らない。ということで、正月が終わるくらいの時期に在庫一掃処分として、ステーキにして食べることにしています。刺身にすると一日1個程度しか消費出来ませんが、ステーキにすると一人1個食べることになって、効率よく消費できるからです。

 僕が食べたのは一番大きい直径10cmくらいのアワビですが、さすがに全部食べると飽きが来て苦しくなります。もう今後1年はアワビを食べなくてもいいという気分です。でもこれを東京の鉄板焼き屋なんかで食べたら高いんだろうなぁ・・・。地元では結構手に入りやすいのに、どうして飲食店ではあんなに高い価格が付けられるのでしょうか。そのからくりを教えてほしい。


<アワビを丸ごと焼く>

<結構大きなアワビ>

 これで年末年始は終了。明日東京に戻ります。


1月3日() 【萩へ行く】

 今日は山口県北部に位置する萩へ行ってきました。

 萩は同じ県内ですが、交通の便が非常に悪く、下関からだと電車(というより汽車)で3時間かかります。正月は下関よりは北に位置する田舎にいますが、そこからでも2時間以上かかる場所です。しかも電車が2時間に1本とかそんな感じ。行き帰りで計5時間で、なかなか苦労しました。萩では松下村塾や吉田松陰生誕地、毛利家の菩提寺である東光寺、武家屋敷群や新しくできた博物館、萩城跡などを歩いて見てきました。

 萩は毛利家のお膝元で、幕末から明治期にかけて夥しい数の人材を輩出した土地でもあります。主なところでも吉田松陰、高杉晋作、木戸考允、伊藤博文、山形有朋、久坂玄瑞、品川弥二郎、田中義一、桂太郎と、きら星の如き歴史上の有名人がこの小さな街の出身です。それだけに、今の萩の廃れ具合は見ていると悲しくなります。本当に昭和40年くらいで時間が止まっているかのような街です。萩にはこれまで3回くらい行ったことがありましたが、最後に行ったのが高校生の時だったので、それから10年以上経った今では少しは変わっているだろうと思いました。でもほとんど変わってなかった。。「はじめてなのに懐かしい。おいでませ山口」という観光キャッチフレーズの幟をいろいろなところで見ましたが、この「はじめてなのに懐かしい」という部分が自虐に見えてしまう程です。僕は日本全国いろいろな街を見ているつもりですが、萩は今のところトップクラスの古さを誇っていると思います。歩いていると物悲しくなるというか何というか。萩よ、頑張ってくれ。


<松下村塾>

<毛利家の菩提寺、東光寺>

<武家屋敷通り>

<萩城址>

 と、マイナスなことばかり書いてしまいましたが、もちろん良い所もあるわけで、その辺も含めていずれ旅行記を書きます。


1月2日(金) 【一月二日の恒例行事】

 田舎(父方の実家)で朝起きて、朝食に食べたのは雑煮。うちは関西風味なので、白味噌の中にそのままの丸餅が二つ入っています。おせちを作らない我が家にとって、年の初めを感じさせる食べ物はこの雑煮だけです。ちなみになぜおせちを作らないのか、その理由を母に聞いたところ、「面倒だから」という返答。ああ、そうですか。。

 すぱくり本家である我が家へは、1月2日に多くの人が訪れます。ということで、親戚が来たら顔を出して愛想よく挨拶をし、少しお相手をするのが1月2日の僕の役目です。笑いたくもないのに愛想笑いをしている自分を感じて、自分も世渡り上手な大人になってしまったものだなどと他人事のように思いましたが、実際僕はこういう接待が苦手です。皆どうも大学院というものを理解していないようで、祖母に至っては「クラスは何人か」とか「担任の先生はどんな人が」とか聞いてきます。昔から何回も聞かれていて、最初のうちは真面目に説明していましたが、最近は面倒になったので適当に答えるようになってしまいました。嫌な大人になってしまったものです。

 訪問客は一日を通してインターバルを置いて来るので、途中にいくらか暇な時間ができますが、その間は本を読んだりキーボードを弾いたりして過ごしました。田舎へパソコンを持ってこなかった以上、それくらいしかやることがありません。本は森博嗣S&Mシリーズの三作目『笑わない数学者』。自慢じゃないですが、途中で大まかなトリックと犯人がわかってしまいました。分かったからってどうなるわけでもないですが、ちょっとした優越感に浸ってしまうのは事実。まあしかし、内容自体が面白かったのも事実。

 キーボードは高校生の頃買った安物ですが、久しぶりに弾いてみると自分の能力の衰退をまざまざと感じます。思ったように手が動かないというのはこのことで、昔簡単に弾けた曲が全く弾けません。ということで、最初はハノンで「ドミファソラソファミ レファソラシラソファ・・・」と繰り返して指の動きを取り戻そうとし、それから妹が持っていた合唱曲集を引っ張りだして、知っている簡単な曲でウォーミングアップすることに。中学の教科書に載っていた、「夏の日の贈り物」と「夢の世界を」の伴奏を弾こうとしましたが、最初はなかなか上手く弾けませんでした。でも1時間くらい弾いているうちに、昔の感覚が戻ってきたのか、それなりに弾けるようにはなるものです。そこで調子を良くした僕はもう少し難しい「時の旅人」や「怪獣のバラード」の伴奏を弾こうとしましたが、さすがにこのレベルはまだまだ無理のような感じで、敢え無く返り討ちにあいました。手が攣りそう。でも悔しいので、キーボードを東京に送ってもらって練習するつもりです。これを機に、もう一回真面目に練習しよう。

 結局家から一歩も出ない一日になってしまった。


1月1日() 【せめて初日の出くらいは】

 明けましておめでとうございます。
 本年もどうぞよろしくお願いいたします。

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 大晦日の夜は田舎で年越し蕎麦を食べ、紅白を見るのもそこそこに9時過ぎに下関の家へ。下関の家に着いてこたつに入っていたら眠くなってしまい、気が付くと年が明けて夜中の3時でした。最近は年越しの瞬間に起きてなくても、別にどうでもいいかという気分になるのは歳をとった証拠か。

 下関の家に戻ってきたのは毎年恒例の初詣&初日の出拝みに行くためで、最初に行った1997年から数えると今年でもう13回目になります。本当によく続いているものです。今年はいろいろ事情があって、マルコフ・そば・僕の3人だけの参加になりましたが、今ではこれがないと新年を迎えた気分になりません。朝6時前にマルコフ家の車(≠例のスカイラインクーペ)に迎えに来てもらって、まずは赤間神宮へ。壇ノ浦のすぐ傍に位置する赤間神宮は、壇ノ浦の戦いで亡くなった安徳天皇を祀る神社で、市内で一番参拝客が多い神社です。でも元旦と言っても朝6時頃だと人も少なくてゆっくりと参拝できます。ちなみに本州の西の端は6時でもまだ真っ暗です。


<赤間神宮>

<赤間神宮の巨大絵馬>

 近くにある亀山八幡宮にも参拝して、いい時間になったので初日の出を拝むべく火の山へ。天気予報は「曇り後雪」で、初日の出はちょっと無理かなぁと思っていましたが、赤間神宮に参拝したときに夜空を見上げたらオリオン座が綺麗に見えたので、これは今年は行けるかもと。展望台に到着したら東の空が綺麗な茜色になってきて、これは本当に久しぶりの初日の出が見られるかもしれないと、期待感は高まる一方でした。

 ということで、300円で売られていた河豚汁を食べつつさらに期待感を高めてていましたが、河豚汁を食べ終わって顔を上げると、何とさっきまので天気が嘘のように吹雪いていました。河豚汁を食べていた3分間の間に何が起こったというのか。期待させるだけ期待させておいて、メインはお預けというのは何とも解せません。結局初日の出は見られる訳もなく、吹雪の中すごすと退散しました。残念。


<今年はもしかしたらいけるかも…→>

<…と思ったら吹雪いてきた>

<夜景が綺麗だしいけるかも…→>

<…と思ったら何にも見えなくなった>

 いつもの年なら日の出を見て解散になりますが、今年は集合時間が遅かったので、この後も引き続き初詣をすることに。長州藩の支藩である長府藩の中心地であった長府へ行き、長門国二宮である忌宮神社と乃木大将を祀った乃木神社に参拝。どちらの神社でも焚き火をやっていて、雪が降る寒い日にはありがたい限りです。火を発見した人は偉いなぁ。忌宮神社にいるときに雲の切れ間から太陽が顔を出したので、一応初日の出ということで拝んできましたがが、太陽はすぐに雲の中に隠れ再び雪が降る天気に。晴れたり吹雪いたり、どうも天気が忙しい。

 ちなみに忌宮神社で引いたおみくじは「大吉」。一年に一回しかおみくじを引かない僕にとっては、この一年が全て「大吉」に支配されるわけなので、これは運がいいとほくそ笑みました。でも個別の項目を見てみると、待人は「連絡あり 来ません」ということで、これは一体どういうことか。連絡があって来ないというのは寂しいのだけど。


<忌宮神社>

<忌宮神社で見た、一応初日の出>

<長府の土塀通り>

<乃木神社のたき火>

 その後長門国一宮である住吉神社や中山神社、厳島神社といった、去年も参拝した神社にお参り。時間も10時になったので、どこかで朝食を食べようと車で市内を駆けずりまわりましたが、地方都市で元旦の朝から営業している店なんてファミレス以外皆無で、仕方なく彦島のジョイフルへ。朝の焼鮭定食(500円)を食べ、ドリンクバーも付いていたので、コーヒーや紅茶を飲みながら何でもない話を2時間ほど。しかし新年一発目の食事がファミレスの焼鮭定食とは悲しすぎる・・・。


<中山神社隣にある公園の懐かしい遊具>

<新年一発目の朝食・・・>

 昼になったし、さすがにこれ以上長居しても・・・ということで再び車に乗って市内をぶらぶらすることに。ただし昔から全く計画性のない僕ら。何処に行くという明確な意思もなく、市内を行ったり来たりぐるぐる回る羽目になりました。でもこういう無駄な時間の使い方ができるのは、ある意味贅沢だとも思います。友人たちとそういう時間を過ごせるのは幸せな証拠。

 結局母校の隣にある戦場ヶ原へ行って故郷の景色を眺めたり、造成中の人工島を見に行ったりと、それなりの時間の過ごし方はできました。しかし、如何せん吹雪いて寒いので、あまり外には出られません。人工島は20年くらい前から作る作ると言っていたような気がしますが、未だに完成には程遠い状態です。完成した暁には、何か役に立ってかつ面白いものを作ってほしい。


<人工島に架ける橋>

<まだ工事中なので通れない>

 市内をうろうろして午後2時半。昼食は関門海峡が見える「ジョリーパスタ」でスパゲティを食べることに。朝に続いてまたファミレスですが、昼になっても飲食店はどこも開いてないからです。これが地方都市の悲しいところです。まあ、自分がどれだけ東京の感覚で物事を考えているかということが分かって、いつの間にか東京に染まってしまった自分に驚いたところでもありますが。。

 スパゲティを食べつつ、ここでも長居。いつものように、マルコフが手先の器用さを疲労してくれました。ナプキンで犬を作るなんてねぇ。さすがです。今まで手先が器用なだけだと思っていましたが、マルコフの手自体も常人離れしていることがわかってびっくりです。指の関節の部分の骨の彫り(?)が深いから、一円玉が立つという。。いやはや。


<ナプキンで作った、多分犬>

<指の関節が深いから1円玉が立つ>

 4時過ぎに解散して、僕は山陰線に乗って田舎へ。さすがに早起きで疲れていたのか、早目の夕食を食べたらいつの間にか寝てしまっていました。

 こんな調子で、皆さま今年もよろしくお願いします。


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モドル

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