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9月30日(水) 【季節感ゼロ】
いつものように半袖ポロシャツで出かけると、思った以上に外が寒くて困りました。そりゃそうだ、明日から10月で、学校も衣替えの季節なのだから。何度も書いていますが、今年は本当に超スピードで日々過ぎ去っていくようで、特に7月・8月・9月は飛び去って行った感覚です。大部分が東京にいなかったからということもありますが、調査とか病気とかいろいろしていたはずなのに、何もしていないような焦燥感。年度の下半期はしっかりとしたいところです。
夜はぽてと嬢と渋谷で飲むことに。焼鳥も刺身もある店ということで、いつもの「十徳」へ行って飲み食いしてきました。今のところ、渋谷で飲むならここに勝る店はなし、と勝手に思っています。メニューを見ると松茸入り出汁巻き玉子とか、焼きさんまとか、食欲の秋を代表する食材がずらりという感じです。僕がさんま大好き人間であることはご存じの方もいると思いますが、今年は7月末に本郷で「新さんま」を食べたのみ。あの時も相手はぽてとさんだったように思いますが、そういうわけで自分でも驚くことに、これでようやく今年2回目です。脂の乗ったさんまはおいしい!
<松茸入り出汁巻き玉子> | <馬刺し> | |
<さんまのなめろう> | <焼秋刀魚> |
今日の僕は訳あってほとんど酒が飲めず、最初のビール1杯に30分以上かけたあとはずっとお茶を飲んでいました。ぽてとさんはビールの後、焼酎をぐいぐいといかれて、大層ご機嫌がよくなられていた様子で、あんな話やこんな話を聞かせてもらいました。ほとんど相席の居酒屋で、妙齢のお嬢様がそんな言葉口に出しちゃいけません、というような。。
今日はお互いに「おれはどうしたらいいんだ?」「私はどうしたらいいの?」といった全く同じ質問を相手に投げかけて、どちらもビシッとした回答を相手に提示できないという、何ともぐだぐだな感じではありました。まあでも同期というのはそのグダグダ感が良いもんです。30歳手前の人間が二人、一生懸命人生に悩むのはいいことだ。
9月29日(火) 【老舗たいめいけん】
近所のスーパーに買い物に行くと、日本橋たいめいけんのヒレかつサンドが売られていました。近所のスーパー(小田急OXですが)は、不定期にこういった有名店の弁当みたいなものを販売しているので、個人的には楽しみにしています。たいめんけんのヒレカツサンドは4切れ880円というセレブなお値段ですが、今日は2割引きなので試しに買ってみました。
さすがに洋食の老舗、たいめいけんだけあって、カツが柔らかくてボリュームがあります。でも4切れで880円か・・・と思うと勿体ないような。。カツサンドで言えば、まい泉のヒレカツサンドも有名ですが、個人的な好みとしてはたいめいけんの方に軍配があがりそうです。まあどちらもしょっちゅう食べられるようなものではないけれど。
セブンイレブンの250円のカツサンドでも十分おいしいと思います。
9月28日(月) 【白い薬】
肩凝りがひどい一日。ナボリンとバファリンとパンシロンを飲んで何とかしました。嗚呼薬漬け。
9月27日(日) 【平凡な一日】
パソコンに向かって仕事。毎日が日曜日!
9月26日(土) 【9月もそろそろ終わる】
今日はKKS学会@千葉大に行く予定でしたが、予想以上にやるべきことが溜まっていて行くのを断念するはめになりました。聞きたいセッションがいくつかあっただけに残念です。明日も行けそうにないのがなお残念。もう少しいろいろと要領よく進められたらと思わざるを得ません。というか、去年阪大で発表してからもう1年かと思うと、時の流れは本当に早い。え、もう9月が終わる?今年は夏がなかったなぁ。20代最後の夏を忙しなく過ごしてしまって、若干後悔しています。
夜は新宿の
ベジダイニング
で後輩と食事。最近体重が徐々に戻りつつあるので、野菜を中心としたヘルシーな食事だと助かります。今日は両手に花の状態で、大変ありがとうございました。
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知っている人も多いかもしれませんが、「Food Fight」という動画です。第二次世界大戦前から最近のイラク戦争まで。こういうことを考え付くセンスがすごい。
9月25日(金) 【上海完成】
上海調査記完成。最近は旅行記をかく時間がなかなか取れませんが、調査の記録だけは記憶が風化する前に書いておかないと。もちろん肝心な部分は書けませんが、後で思い出せるという意味では周辺部分を書きとめておくことは重要なはず。この調子で三次の部分も書いてしまいたいですが、どうなることやら。
夜は近所の蕎麦屋で肉南蛮。温かい蕎麦が美味しい季節になってきました。
9月24日(木) 【しつこい水垢には】
7月8月9月とアパートを空けることが多かったので、トイレの便器に水垢がこびりついて困っています。洗剤使ってゴシゴシしても取れません。だれか家事の得意な人、解決方法があったら教えてください。
9月23日(水) 【麺比較】
上海から戻った一昨日夜、家で大量の洗濯をしてから向かったのは、吉祥寺のラーメン屋「ぶぶか」でした。中国料理を食べ飽きて日本のラーメンが食べたくて仕方がなかったのだからしょうがない。やっぱりこの、醤油味をベースにして香味野菜の癖がない、日本のラーメンというのは落ち着くものです。今日もラーメンが食べたかったので、久々に「洞くつ家」へ。ラーメンばかり食べていては体を壊すので、申し訳程度にほうれん草多めで頼みましたが、本当に言い訳程度にしかなりません。
でも今日は、久しぶりに洞くつ家でうまいと感じました。最近は味が落ちてしまってもう駄目かと思っていましたが、今日は久々のヒットです。往年の味がします。なんだ、やればできるじゃないかと。これだからラーメンはやめられない。中国ではこういうラーメンは食べられなかったからなあ・・・。参考までに上海の「李先生」というファーストフード店で食べた牛筋麺の写真を載せておきます。これはこれで美味しかったですが、旨味と脂がぎゅっと濃縮されている日本のラーメンには、何物にも替え難い魅力があります。
<日本のラーメン(吉祥寺「洞くつ家」)> | <上海の牛筋麺(上海駅前「李先生」)> |
日本は五連休だったんですね。
9月22日(火) 【夢のEND】
上海・嘉興のホテルはネット環境が整っていたものの、特に上海のホテルは古き良きISDN並みの通信速度で、本当に遅くてかなりいらいらしました。一日100通のメールを受信するのに5分とか。まあそれでもネット環境にはあったので、yahooを主体に日本のニュースはチェックしていました。経済のH教授が本郷から国立へ移籍するとか、鳩山内閣が発足したけど福島瑞穂が環境相じゃなかったとか、イチローが年間200安打達成したとか。どれもニュースで見たかったところですが、ホテルではNHKBSが入らず、何とも残念でした。
そんなニュースの中、個人的に一番びっくりしたのはクレヨンしんちゃんの作者が事故で亡くなったことでした。特にクレヨンしんちゃんのファンというわけではないけれど、アニメが始まった当初はよく見ていたものです。最初の頃は言葉遣いや態度の点でPTAから猛烈な批判を浴びていたと思いますが、元々大人向けの漫画だったのだから仕方のないこと。サザエさん・ドラえもん・ちびまる子ちゃん・クレヨンしんちゃんの四作は、少なくとも僕らの世代では一般常識であり、日本を代表する偉大なるマンネリ作品だと思っています。そのうちのひとつの新作がもう読めないと思うと残念です。
一般的には「オラはにんきもの」が有名だと思いますが、僕が一番覚えているのは、そのひとつ前の「夢のENDはいつも目覚まし」。まだ本格的にブレイクする前だと思いますが、この曲が使われていたのは僕が小学6年生くらいの頃で、確か月曜夜7時から放送してたかな。夕食を食べながらよく見ていたことを思い出します。もう17年も前になるんですね。
9月21日(月) 【帰国】
上海から戻ってきました。
今回は主に上海・嘉興での2回のワークショップと、その間に調査という日程で、観光する時間はほとんどありませんでした。調査で行っているので当たり前ですが。そのかわり食事は毎回豪華で、ほぼ毎日、昼食・夕食ともくるくる回るテーブルの、高級本格中華料理店の個室でいただくという展開に。しかし最初の頃は役得だなぁと思ってニヤニヤしていたものの、毎回同じような味付けの同じようなものが出てくるので、三日目くらいで飽きてしまい、最後にはもうお腹いっぱい見るのも嫌!な状態に。金持ちの苦痛がちょっとだけ分かったような気がします。なのでこれだけのものを食べておきながら、結局今回一番おいしかったのは、テイクアウトで買った4個で4元(約60円)の焼き小籠包でした。食べ物の価値は金じゃないね。
それでも、ほぼ毎回出てきた「トンポウロー」という料理だけはおいしかったので、写真はトンポウローで攻めてみます。トンポウローは日本の豚の角煮をもっととろとろにしたものです。団長の卍先生に「食べ物写真家」として認知された僕。調査で食べ物の写真を撮りまくって、いずれ新書を。。
<トンポウローその1> | <トンポウローその2> | |
<トンポウローその3> | <餡かけ炒飯> |
食べ物だけの写真では寂しいので、夜景の写真も何枚か載せておきます。外灘(昔の租界地区で古い洋館が多く並んでいる)と、そこから川越しに見える浦東地区の高層ビル群は、上海でも指折りの観光スポットです。が、外灘は来年の上海万博に向けて絶賛工事中で、景色もへったくれもあったもんじゃありませんでした。
<上海:南京東路> | <上海:外灘から浦東地区高層ビル群> | |
<嘉興:テーマパークっぽい街並み> | <嘉興:ホテルから望む南湖> |
写真だけ見ると遊びに行っているようにしか見えませんが、今回は外国ということもあり、日程もそこそこ過密で、精神的・肉体的にかなり疲れました。でもこれで7月から続いた調査4連発が終わり、次の11月上旬の北京・西安調査まで一か月ほど間があります。10月は東京に腰を落ち着けて、少しゆっくりして博論を進めたいところです。
旅行記は書くつもりですが、とりあえず某所でつけていた調査中の日記を下に載せておきます。
9月14日(月)〜21日(月) 【上海・嘉興調査】
【9月14日(月) 1日目】
午前9時半発の羽田発JAL便で一路上海へ。
鼻炎薬を飲んでいたのと、調査で行くからというとこで、
機内食でのアルコールは謹んで御遠慮しようと思ったものの、
先生方が飲んでいるのを見ると羨ましくなり・・・
結局エビスをいただきました。
午前中からビールを飲むという背徳感がたまらない。
モニターでアメトーークの「ガヤ芸人」を見て過ごしていると、
いつの間にか上海虹橋空港に到着。羽田から3時間と早い。
ということで二度目の中国にして初上海。
空港ロビーに一歩出たところから既に南国の感じを受けつつ、
空港からはタクシーでホテルのある上海駅前へ。
車窓から見える高層ビル群はみな同じような色形をしており、
まるでシムシティみたいだなぁと思う。
共産主義の面目躍如のといったところか。
ホテル到着後、打ち合わせをしてからは夜まで自由行動。
僕は特講Yさん、中国人留学生でD2のFさんと、
軽く上海駅周辺をぶらぶらしてみる。
Fさんの前職は上海のバスガイドだそうで、
Yさんと僕のような上海初心者にはとても助かる。
Fさんは本当に中国美人なので、
バスガイド時代の人気は高かっただろうなぁ。
上海駅周辺はものすごい人で、
僕がイメージしていた上海とは全く違っていた。
もっとこう、洗練された世界の最先端都市というイメージだったのだけど、
実際は発展途上国の大都会というか。
やっぱり資料だけではなくて、この目で見て確かめないとだめだと感じる。
少し小腹がすいていたいので、
「大娘水餃」というファーストフードのような店で水餃子を。
うまい上に安くて驚く。こういう場所はたまらない。
夜は先生方も交え、計12名で四川料理を食べる。
上海に来てなぜか四川料理だけども・・・。
「渝信川菜」というそこそこな店で、本場中華はかなりおいしかったが、
それにしても辛い・・・。あまりに辛い料理があって涙が出る始末。
だって僕、男の子だもん。
まあそれを抜きにしても料理自体はおいしかったので、
改めて上海に来た甲斐があったと、一人にやにやしてしまった。
食後は腹ごなしがてら散歩。
上海の繁華街である南京西路を経て租界地域だった外難(バンド)地域へ。
外難は歴史的建造物が多く、
またここから川越しに見える浦東地区の高層ビル群のライトアップは
上海観光の一つの目玉とされているのだけど・・・。
外難は大幅工事中で、浦東の高層ビル群は時間が遅かったのか
ライトアップがほとんど終わっているという、
なんとも残念な結果になってしまう。なんだかなぁ。
こうして一日目は無事終了。
【9月15日(火) 2日目】
この日は上海環境科学研究院の研究者と、一日ワークショップ。
研究院に向かうために地下鉄に乗るが、
ちょうど朝のラッシュに巻き込まれ、めちゃくちゃ人が多い。
人数的には東京のラッシュとそう大差ないけれど、
東京に比べて汗臭いので若干気分が悪くなる。
いかに東京が洗練されているかを実感。
ワークショップは昼食をはさんで朝9時から夕方6時まで。
その間、僕はひたすらパソコンで議事録係。
中国側の発言は日本語に、日本語の発言は中国語に翻訳してくれるので
議事録は楽といえば楽だが、それでもやっぱりしんどい。
一日で論文一本分の文字を打ってしまった。
ここの部分は報告書にするので、後日レコーダーに録音したのと合わせて
もう一度精査しなければいけない。
昼食は研究院の研究者も交え、近くの「滬江賓館」なる上海料理店で。
昼からかなり高級で本格的な上海料理が出てきて、
さらにビールもわんさか飲んで(午後からもあるのに)
役得だなぁとまたしても一人にやにやしてしまう。
豚の角煮を甘く煮付けたトンポウローなる料理、めちゃくちゃおいしい!
夜は再び日本側だけで、きのこ鍋を食べに行く。
日本の駐在員が多く住む虹橋地区にある「林海」という店。
多種多様なきのこもさることながら、
一緒に入れたすっぽんがこれまたおいしい。
ぷりぷりした食感がなかなかたまらない。
おかげで夜なかなか寝つけずに大変でした。。。
【9月16日(水) 3日目】
この日の予定は午後からなので、
午前中は有志で観光に出かけることに。
集合は朝10時だったが、起きたのは何と9時53分!
あわてて支度をしてロビーへ向かい、何とか間に合った。
言い訳すると、すっぽんのおかげでなかなか寝れなかったのと、
夜中にいそいそと議事録の直しをしていたのですよ。
決して惰眠を貪っていたわけではありません。
本当は上海のメインスポットである豫園に行く予定だったが、
あまり時間もないということで、ホテルから近い虹口地区に変更。
虹口は日本人租界だった場所であり、魯迅が生涯を終えた場所。
魯迅の旧居を見物したり、魯迅公園を散策したりする。
戦前の古めの街並みが残っていて、なかなかよいところでした。
昼は上海駅前の「李先生」というファストフード的な場所で牛筋麺。
あっさりとした味わいで、意外といけます。
22元(約330円)という値段を考えると、結構いいんじゃないだろうか。
午後は上海市の下水処理施設を見学。
いろいろ言いたいことはあるけれど、書くと長くなりそうなので省略。
中国の行政は、どうも「臭いものに蓋をする」ような気がしてならない。
夜は全員で蘇州料理の店へ。
かなり洗練されていてランクが高い店のようで、
中国らしからぬその雰囲気にびっくり。
エビアン350mlが一本25元(375円)とか。。
その割にビールは一本18元で、水より安かったりする。
蘇州料理は日本人の口に合う感じで、
日本で食べる中華料理のようでかなりおいしくいただけました。
紹興酒を飲みつつ、アワビもどきや鴨肉を食べる幸せなひと時。
【9月17日(木) 4日目】
この日の上海は朝から雨。
天気予報では一週間ずっと晴れのはずだったのに、青空を見たことがない。
それは大気汚染が酷いからだ、とは団長の卍先生の談。
朝は予定が入ってなかったけれども
あいにくの雨でどこへも出かけることができず、
仕方なくホテルの部屋で仕事。
上海に来て一体何をやっているのだろうか・・・。
昼からはいくつかのグループに分かれて調査。
僕は循環経済に詳しい人にヒアリングするグループに同行する。
上海の高層ビル群が立ち並ぶ浦東エリアで、
環境によいと言われる循環経済を実行しています、という話。
それを政府系コンサルのお偉いさんから聞く。
日本で「循環経済」という場合、主に廃棄物のフローを研究することが多いが
中国ではそうではなく、どうも環境政策全般のことを指すらしい。
まあ何というか、私たちこういうことやってます、という紹介程度。
ちなみにここでもずっと議事録。
帰りはちょっとだけ時間が空いたので、メンバーとともに
上海随一の観光スポットと呼ばれる豫園を見物して帰ることに。
しかし大雨の上、時間もあまりないということで
料金を払う区間には入らずに、その周りを見て終わりにすることになる。
ガイドブックを見ても金を払おうが払うまいが
見ることができるものはあまり変わらないような感じだったので、まあいいか。
その代わり、上海一有名だという「南翔饅頭店」で
名物の小籠包を食べる。ちょっとプレミアムな青島ビールと共に。
大変美味しゅうございました。肉厚でジューシーでふわふわしてます。
帰りはタクシーでホテルまで戻ろうとするも、
大雨のためか全くタクシーがつかまらない。
仕方がないのでバスと地下鉄を乗り継いで帰ることに。
地下鉄はいいが、バスはかなり治安が悪いと聞いていたので
最初は乗りたくないよぅという状態だった。
でも乗ってみれば意外と普通でした。運転が荒い以外は。。
この日の夜から大御所の先生がいらっしゃったり、
他の班も合流するということで、人数は急に倍増の24名という大所帯に。
大御所の先生がいらっしゃるのだからと、
夕食はかなり有名で高級な上海料理店へ行くこととなった。
何でも19世紀末の上海マフィアの大ボスが、
三番目の妾に与えた邸宅だった場所らしい。
確かに今までの料理店と比べて豪華だった。
カニ肉入りの豆腐スープなるものが絶品。。
この日は本当に大雨でタクシーがつかまらず、
何とかつかまったタクシーには先生方に乗ってもらい、
まだまだ若い僕らは地下鉄でホテルまで。
12時過ぎに就寝。
【9月18日(金) 5日目】
今日は基本的に移動日なので、ようやく半日ほど自由な時間が手に入る。
ホテルのチェックアウトをして12時にロビー集合だったので、
それまでの時間はだるい体に鞭打って一人散策することに。
上海駅から地下鉄に乗って人民広場という場所まで行き、
上海の繁華街である南京東路を歩く。
一昨日の夜に歩いているが、午前中だとまた違う感じ。
ここだけは東京と比べても引けをとらない洗練さがあるように思った。
南京東路をずっと東に歩き、租界地だった外灘へ。
ここ外灘は、外灘地区の歴史的洋風建造物を眺めつつ、
川の向こうに見える浦東地区の高層ビル群を眺めるという
まさに上海観光のハイライトであるわけだが、
外灘付近はほとんど全編誠意改装中という感じで、
全くもって何も見えず・・・。悲しいです。
来年の万博のための工事だとは思うが、気持は萎えまくる。
失意のまま、上海の古寺である静案寺に参拝し、ホテルに戻る。
集合は12時だが、バスは3時発ということで、ここからまたフリータイム。
僕は△↓さんらとマッサージに行くことに。
1時間68元(約1000円)で全身くまなくもんでもらい、
おまけに術後にお茶と新鮮フルーツまで出てきて、
身も心も大変リフレッシュできました。
議事録打ち続けたり荷物運んだりで、手がパンパンだったので、
そこを揉んでもらえただけでもありがたい。
昼食はそのマッサージ店の隣にある焼き小籠包をテイクアウト。
これがめちゃくちゃうまい!今回上海で食べた中で、文句なしの一番。
その後バスに乗り、上海から南に3時間の嘉興という都市に移動。
日本人にはあまり知られていないが、嘉興にある南湖という湖の船上で
第一回中国共産党会議が行われたらしい。1921年の話。
本日のホテルは、その南湖のほとりに立つ「南湖国際倶楽部大酒店」。
国内外のVIPが宿泊するホテルで、五つ星。
そんなところに僕なんかが宿泊してもよいのだろうかと申し訳なくなる。
部屋も豪華で、今までの泊まったホテルの中で一番豪華。
部屋から風呂が丸見えだったりする、モダンな建築なのですよ。
なんか、申し訳ありません。
嘉興市はちまきが名物。
ということで、夕食はちまき博物館なる場所でちまき料理。
ちまきはおいしいけど腹に溜まりますね。
あとビールがぬるかったのがいかん。
この日は早く寝て明日に備えようと思ったが、
夜中に緊急の仕事が入り、夜中の3時まで明日の準備の手伝い。
まあ、長い間豪華なホテルの部屋で起きていられる、ということで…。
【9月19日(土) 6日目】
明け方4時過ぎに寝て、目が覚めたのは6時。
部屋のバルコニーからは目の前に南湖を臨むことができ、
そこから朝日が昇ってくるという何とも言えない情景で目が覚める。
本当に絵になりそうな世界。
今日は嘉興学院という大学の研究者と一日ワークショップ。
南湖を臨む歴史的建物(多分)を会議室にして、朝9時から夜7時までびっちりと。
2日目の上海WSと違い、荘厳なる国際会議の感じがする会議室。
あらかじめ席が決まっており、僕の席にも名前のプレートが準備されている。
なんかこっぱずかしい。。
基本的には今回も記録係。
発表内容や討論内容をひたすらタイピング。
上海WSの倍に当たる3万3千字も打ち込み、本当に手がぱんぱんに。
でもこれくらいしかお役に立てることがないので頑張らないといけない。
来年は学生の身分から一歩前進して、ぜひとも発表したいところ。
しかし本当に精神的にも肉体的にも疲れてしまい、
昼も夜もかなり高級な浙江料理だったにもかかわらず、ほとんど食べることができず。
まあ本場の本格高級中華に結構飽きた、というのもありますが…。
毎日高級な料理を食べられるのはありがたいけれど、
やっぱり出てくる料理が被ってくるわけで。
お陰でビールと紹興酒ばかり飲んでました。
庶民が入るような店で、牛肉麺でも食べたいなぁ。
この日は疲れたので12時前に就寝。
【9月20日(日) 7日目】
この日も湖に上る朝日の光で目が覚める。贅沢な目覚め。
これが会議とか仕事じゃなかったら…と思わずにはいられない。
嘉興は上海と違って市街地が日本のように美しく、比較的空気もきれい。
お陰で二日間とも本当に良い天気に恵まれる。
朝食の後は集合の9時まで南湖の周りを散策。
せっかく歴史ある南湖に来たのに、スルーするのはもったいない。
30分ほどの湖畔散策だったが、古い建物あり中国的な橋ありで、散策のし甲斐があった。
午前中は嘉興市のゼロエミッション養豚事業などの現場視察をし、
午後は昨日と同じ会議室でワークショップの総括会議。
ここでもまたまた議事録。もう慣れたものです、えぇ。
来年、再来年とまた来るそうなので、
今度は出来れば自分の研究を発表できるように精進します。
これで嘉興でのすべての日程を終え、再びバスに乗り上海へ。
4時に嘉興を出て上海のホテルに到着したのが夜7時。
全体で食べる最後の夜ということで、結局この日も盛大に。
ただし皆肉や油に飽きたということで、海鮮料理が中心の店に行く。
個室の中にトイレがあるという、これまたの高級店です。
でも出てきたのは肉が多かったような・・・。
でもでもトンポウローは本当にうまいから仕方がない。
最後は福建省名物の蟹の餡かけ炒飯で〆る。うまかった。
ちなみに上海ガニは季節にやや早いということで、
残念ながら今回は食べられませんでした。無念です。
夜は最後の夜ということで、その後2次会。
ホテルのシングル部屋に集まって数人で12時近くまで飲む。
団長の卍先生をはじめ、△↓さん、助手さん、
○△ゼミの先輩でもあるAさん、NC総合研究所の理事研究員さんなど
錚々たるメンバーが狭い部屋に集まるのはなかなか凄い。
環境政策をやっている僕にとって、
その道の第一人者である卍先生は雲の上の存在であり、
憧れではあるけれど縁遠い存在だった。
それが今では僕の名前を知ってくださっている。
これは本当にありがたくて幸せなことだと思う。
この集団に加わる機会をくださった△↓さんにも感謝。
そして加えてもらったのだから、精一杯の努力をしなければいけない。
その努力は自分にいつか必ず跳ね返ってくるはず。
酒を飲み先生の話を聞きながら、ぼんやりとそんなことを考えた上海の夜。
【9月21日(月) 8日目】
最終日。
今日は帰るだけだが、
前夜3時半まで同室のM1のK君と話し込んでいたため起きたのは朝8時前。
もう飽きてしまった中華バイキングの朝食も取る気にもならない。
外は雨が降っており、散歩もできない。
結局上海では太陽を拝むことができなかった。
10時にホテルをチェックアウトし、
タクシーに分乗して上海虹橋空港へ。
思ったよりも早く着いたので、お土産などを買いつつ、
唯一あった食堂で休憩する。
皆さんは軽く珈琲でも、という感じだったが、
朝食を食べてなかった僕はカレーを食べる。
これから日本に帰るというのに、日本式のカレー。
しかし中華に飽きてしまい、日本食が恋しくてたまらなくなったのです。
あぁ、日本のカレーって本当においしいね。
この際値段が高くてもレトルトっぽい味がしたっていいの。
そして1時前の飛行機に乗って、羽田には5時過ぎに到着。
上海から戻ると、改めて日本のクオリティの高さを実感する。
空気の綺麗さ、車の綺麗さ、人々の清潔さ、隅々まで行きとどいた掃除…。
日本ってすごいところなんだな、と感じました。
まあ僕は欧米に行ったことがないので、そことの比較はできませんが。
というわけで8日間の調査・会議を終えて戻ってきました。
初上海でしたが、当たり前の如く観光はほとんどできず、
しかも天気が悪かったので、消化不良感があります。
中国で聞いた中国人研究者の内容も消化不良感満載です。
そして中華料理を食べすぎて、文字通り消化不良です。
いずれにしろ上海とは今後長いおつきあいになるかもしれないので、
お楽しみは次の機会に取っておきます。
9月13日(日) 【御祭騒ぎ】
午前中は洗濯したり掃除したり布団を干したり。午後は吉祥寺に出て、薬を買ったりパソコンの周辺機器を買ったりしました。明日から一週間家を空けるので、全てはその準備。特に今回は海外なので、常備薬は必須です。海外の薬は僕には強いことが多い上、特に中国なんかだと日本で認可されていない成分が入っているかもしれないから恐ろしい。今回もナポリン(肩凝り薬)や鼻炎薬、下痢止めに胃薬などなど、大量に買いました。そもそも薬に関しては「いつもの薬を持っている」という安心感が重要だと思うので、効き目うんぬんは特にいいのだけれど。
今日は吉祥寺祭りだったようで、いつもの休日にも増してものすごい人出でした。サンロードなんか人が多過ぎて歩き辛いことこの上ない。吉祥寺は良い街ですが、休日の混雑だけは勘弁してほしいなぁと思います。
夕方はそのまま吉祥寺で湾岸太郎・HYの二人と待ち合わせて、ファーストキッチンで10月の慰安旅行の打ち合わせ。7時に帰宅していろいろと準備をしていたらもう夜11時。
ということで、明日から上海に行ってきます。帰国は21日夕方。今回は馬車馬の如く議事録メモを取る役割を仰せつかっているので、目や肩がかなり疲れそうですが、合間を縫ってちょっとでも観光できれば・・・というところです。それではまた一週間後に。
9月12日(土) 【走る】
昨日の夜はどうしてもぶぶかの油そばが食べたくてどうしようもなくなり、いつもなら敬遠する行列にも並ぶという執着ぶりを見せました。最近ラーメンを食べていなかったので、体のセンサーが欲したのでしょう。油そばは厳密にはラーメンではありませんが。。油チャーシューそばに半ライスを頼んで、ラー油とニンニクを大量に入れて食べたら、何といっていいか分からないこの気持ち。体に悪いと分かっていても食べたくなるのは最早中毒か。
ただ食べ終わって冷静さを取り戻すと、これじゃあやっぱりいかんなぁと思い、深夜は久しぶりにジョギングすることに。7月に調査に行き出してからほとんど走れてなかったので、久しぶりで少し心配でしたが、ゆっくり7kmほど走ってきました。やっぱり走ると気持ちがいいし肩凝り解消になります。久々なので筋肉痛が出ましたが、そのくらいは運動しないとね。
で、筋肉痛を迎えての土曜日です。今日は家でゆっくりと。
9月11日(金) 【雑感】
『社民党:民主に環境相を要求』(毎日新聞)
厚労相は無理と判断しての環境相ということで、社民党としてもセカンドベストという位置付けなのだとは思います。社民党の環境政策については正直全くフォローしてなかったのでこれから勉強しなければいけません。ただ社民党は原発に反対だったはずで、2020年までに1990年比で25%の二酸化炭素排出量削減を打ち出した民主党の方針とどのような折り合いをつけるのかは見どころかと思います。でも社民党が環境相に就任するとなると、何というかそれっぽくて(左っぽくて)面白くないなぁというのが本音ですが。まあ今回の動きで一番分かったのは、環境相が軽んじられているということしょうか。
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「市民税を二重に払っているので半分返還しますという」という手紙が市役所から届きました。7000円戻ってくるようで嬉しいですが、そもそもどうして二重に払ってしまったのでしょうか。市役所によれば口座引き落としの手続きをしているのに、それに加えてコンビニで払っているからということですが、口座引き落としの手続きをしたかどうか・・・。企業の社会人じゃないとこの辺を自分で管理しないといけないのでややこしくて良く分かりません。
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11月の北京調査に行かなくて済みそう、と昨日書きましたが、どうやらそういう訳にもいかないようです。。実は既に随行者リストに加えられているらしく。。こうなったらもうやけくそというか、乗りかかった船なのでとことん付き合うことにします。ガクシンPDが駄目だったら場合、というか今年はほぼ駄目なのは分かっているのでほとんど確定みたいなものではあるけれど、来年は国立のRAと非常勤で食いつないで行かなければならないので、今年のうちから文句を言わずに御奉公です。来年のお金の出所と居場所があるだけありがたいじゃないか、と。今年度はあと上海・北京・京都・水俣・城崎温泉・二度目の知床となるはずで、来年度はドイツ・ベトナム・沖縄・福島と、これまた調査目白押しな展開に。本当に体育会系です。
9月10日(木) 【東京はもう秋】
7時に起きて、今日は朝から国立へ。調査・帰省を終えてようやく東京に戻ってきたのも束の間、来週頭から今度は上海出張ということで、何時の間に僕はこんなせわしない状況に身を置いてしまっているのか。。今日の東京は秋晴れという言葉が似合う空の高さで、嗚呼もう世間は秋なんだなぁと思いました。そりゃそうだ、もう9月10日だもの。7月は熊本調査と細菌性の長い風邪、8月が知床と広島調査、9月インフルエンザと過ごしたお陰で、僕の中では6月下旬くらいで時の流れがストップしています。おれの夏は何処へ行った!という感じ。11月の北京は行かなくてもよさそうなので、上海が終われば一段落にはなりそうですが。
午後1時くらいまで国立で上海調査の準備雑用をし、昼食は国立では有名だという「深川つり舟」へ。国立の皆さんの「すぱくりに国立を紹介してやろう」というお心遣い、大変ありがたい限りです。この「つり舟」は大食漢御用達の店らしく、注文したものを見てその意味が分かりました。僕は穴子天丼(1100円)を注文したのだけど、出てきたどんぶりを見てびっくり。豪快に丼からはみ出した大きな穴子が丸々2匹。写真では隠れて見え辛いですが、その他にも野菜の天婦羅が数種類載っています。これは・・・。まさかこんなボリューミーなものが来るとは思っていなかったので、開いた口が塞がりません。
<まさかの穴子天丼> | <でかい穴子が丸々2匹> |
肉厚の穴子は外側がカリッと、中はふっくらしていて、見かけによらず繊細で上品な天婦羅でした。かなりおいしいです。しかしさすがにこの量でこの天婦羅は・・・。しかもまだ病み上がりで胃が小さくなっています。完食を目指して頑張りましたが、一匹半食べたところで胸やけがしてしまい、無念のギブアップをさせてもらいました。つり舟さん、穴子さん、申し訳ありません。今度は体調のよいときに挑戦するか、もしくは別のメニューを注文したいと思います。
帰りに「地球の歩き方 上海版」を購入。調査ではありますが、上海は初めてなので楽しみです。
9月9日(水) 【秋の気配】
昼前に起きて、今日は一日在宅。首相動静風に言うところの、「公邸で資料整理」みたいなもんです。東京は涼しい。
9月8日(火) 【思い出の味】
熱が引いてから3日。世間一般の見識に照らせば、ようやくインフルエンザも完治しました。よかった。今回は高熱だけで、ほとんど喉の痛みや咳がなかったのが幸いしました。僕は喘息持ちなので、気管支がやられていたとすればもう少し症状が長引いたかもしれません。
ということで本日帰京。11時に実家を出て、バス・電車と乗り継いで小倉まで。インフルエンザは完治しましたが、外出するのは先週木曜日に病院に行って以来で、体力が戻ってない中で重い荷物を持って移動するのはなかなか酷でした。失って分かる日頃の体力の重要性。これから歳を取ると、こういうことが身にしみて分かるようになるのでしょうか。
小倉では少し時間があったので、浪人時代によく通っていたラーメン屋に寄ることに。小倉駅近くにある
「めん吉」
というラーメン屋です。浪人時代、ここには週1回くらいで通っていました。正統派豚骨ラーメンの店ですが、何といっても値段が安い。当時はラーメン一杯が380円だったと思います。今はさすがに値上がりして480円になっていましたが(それでも値上がりしたのは去年のことらしい)、思い出の味というのは値段に変換できません。今日はちょっと贅沢に明太ご飯と餃子もつけて、計800円。変な小細工のない、すっきりした豚骨醤油味のスープが、少し柔らかめのストレート麺に合います。東京ではこういう本場の豚骨臭いラーメンを食べることが出来ないので、地元はありがたい。
僕がこのラーメン屋に通っていたのはもう今から10年も前の話。世間ではモーニング娘がウォウウォウウォウウォウ言っていたり、椎名林檎が看護婦のコスプレをしてガラスを割っていた時代です。浪人時代はあまり思い出したくない僕の暗黒時代ですが、ラーメンを食べていたら当時のことを思い出してしまい、少し感傷的になってしまいまいた。十年一昔とは言うけれど、本当にあのときからそれだけの時間が経ってしまったんだねえ。
<ラーメン+明太ご飯セット(800円)> | <懐かしのめん吉> |
小倉発1時47分ののぞみに乗って、6時過ぎに東京着。病み上がりで何となく飲みたい気分だったので、東京に着く前に後輩のN君に連絡をして、中野で飲むことにしました。場所はこの前国分寺で連れて行ってもらった、やきとんの店「四文屋」の中野北口店。レバーの刺身のおいしさに目を丸くした店です。今日もレバーの刺身を食べ、その臭みのなさとコリコリ感に目を丸くするという・・・。なんでこんなにおいしいんだろうか。何か特別な下処理でもしているのでしょうか。あと、下町の酒をして一部では非常に高い人気を誇るキンミヤ焼酎も。工業用アルコールの味がする甲類焼酎ですが、不思議な甘味があってストレートでもいけてしまいます。なのでこれは飲み過ぎると非常に危険。コップに並々注がれたキンミヤに、謎の梅シロップをほんの少し垂らしただけで、下町臭全開のお酒に早変わりです。
<レバー刺し> | <子袋刺し> | |
<もつ煮> | <キンミヤ焼酎梅割り> |
結局かなり飲み食いしたにも関わらず、二人で5000円という安さでした。この安さも魅力。吉祥寺のいせやも安いけど、コストパフォーマンスを考えると四文屋の方が勝っているんじゃないだろうか。
食後はNくんともどもうちへ。しかしずっと寝込んでいて鬱憤が溜まっていたのか、何となく叫んでストレス発散したかったので、久しぶりに吉祥寺のカラオケに行って歌ってきました。椎名林檎が高くて参りました。
9月7日(月) 【様子見二日目】
熱が下がって二日目。親からパジャマから普段着への着替えと食事への同席が許可され、ようやく普段の生活に戻りつつあります。まだマスクは外せませんが、咳もほとんど出なくなったので、マスクを外すのも時間の問題のようです。しかし、あれだけの高熱がサッと引いてしまうなんて、本当にタミフル様様。僕の場合、普通の風邪だとだらだら長引くことが多いですが、インフルエンザはメリハリがはっきりしているので実はこっちの方が楽じゃないかと思いました。もちろん、一番いいのは風邪やインフルエンザにならないことですが。
父が昨日魚釣りに行ったということで、昨日に引き続いて夕食は海産物。やっぱり新鮮な刺身はおいしい。ふぐは味がないので、刺身で食べるよりは唐揚げにしたほうがおいしく思います。
<ふぐの唐揚げ> | <刺身> |
今回は予想外の出来事で実家滞在が延びてしまいました。明日、東京に戻ります。
9月6日(日) 【一応快方へ】
熱の方は既に下がって状態で落ち着いていますが、まだ少し咳が出るのとだるさがあるので、今日も実家の二階で隔離されて過ごしています。熱が下がっても二日間はウイルスが生きている!高熱でがっつりと体力を削られたので、体力の消耗が著しいです。この咳とだるさがなくなれば、晴れて社会復帰できるのだけれど。
今回のインフルエンザの潜伏期間が1〜2日であることを考えると、恐らく福岡でもらってきたのだろうと思いますが、福岡で一緒だったyne、dkの二人は大丈夫だそうなので、となると帰りの高速バスが怪しい気もします。もしくはかなり久しぶりに入ったゲームセンターで、不特定多数が触っているコインを使ったときか。一体どこで変なことになってしまったのか。
みなさんも新型インフルエンザにはくれぐれもお気をつけください。
9月2日(水)〜5日(土) 【此頃巷ニハヤル物】
本来なら3日に東京に戻っているはずでしたが、未だ実家にいます。日記の更新が滞ってしまったのもここに原因があって、というのも、実は今流行りの新型インフルエンザにかかってしまい、身動きが取れない状態になってしまいました。
2日は朝から寒気がしてだるく、熱を測ると37度の微熱。このときは長い調査の疲れが出たのだろうと思っていました。体力が回復し次第、小倉にでも出かけようと、とりあえずリポビタンDを飲んで横になりましたが、熱は徐々に高くなり、昼過ぎには38度に。明日東京に戻るのにこれはまずいなぁと思いつつも、このときはまだインフルエンザであるとは全く思わず、バファリン飲めば何とかなるかと思っていました。夕食は焼肉だというので、元気をつけるためにも焼きニンニクや焼肉をガツガツ食べ、ビールを一口。「多少の風邪にはアルコール消毒が一番!」という父の格言に従いました。
ところが今回は「多少の風邪」ではなかったらしく、横になっていても悪寒が増し、熱が上がり続けます。あまりに熱でふらふらになった夜中に体温を測ってみると、何と40.1度。30歳手前にして人生初の40度越えを経験してしまい、ようやく「これはただ事ではない」と思い至りました。まさかこの熱の出方は、今流行っている新型インフルエンザでは・・・?嫌な予感がしましたが、深夜なので身動きが取れず、再びバファリンを飲んで熱を下げ、朝を待つことに。ちなみに38度台の熱なら軽く平熱辺りまで下げてくれるバファリンですが、40度の熱では飲んでも38度5分くらいまでしか下がりません。
3日。朝の体温も39度8分。このくらいの熱になると、ふらふらしてどうしようもなくだるいです。母の車に乗せられて、朝一番で病院へ。病院までは家から歩いて3分という距離ですが、熱があるときはこの3分の距離すら拷問に思えるので、車で送ってもらいました。実家だとこの辺本当に助かります。
病院は僕が物心つく前から通っていた、いわば下関でのかかりつけの病院ですが、東京に出てからは御無沙汰だったので、多少の懐かしさを感じながら待合室へ。しかしインフルエンザの疑いがある患者ということで、隣にある点滴室のようなところに隔離されて待つことになりました。診察は僕が幼稚園に入る前から大学入学まで見てくれた優しいR先生ではなく、初めて見る男性医師。でもこの人も丁寧で、大学の保健センターの偉そうな医師とは大違いでした。症状を話すとやはりインフルエンザの可能性があるということで、鼻水を取って簡易検査。結果が出るまでの15分は再び点滴室で隔離され、ぼんやりとした頭で何もない白い天井を見つめていました。
15分後。本来なら再び診察室に呼ばれる予定でしたが、点滴室に医師と看護師さんが入ってきました。この時点で大体察しがつきましたが、結果は見事にA型陽性。詳しい検査はしないけれど、現在の状況からして新型インフルエンザの可能性が極めて高いと。この病院で新型患者が出るのは初めてらしく、医師も看護師も興奮したようなおろおろしたような感じでしたが、処方する薬や対処などを細かく説明してくれました。そもそも下関全体の患者数もまだ30人程度らしい。あと喘息持ちは重症化の恐れがあるらしいですが、さっきの診察では喘息らしい呼吸音が全くなかったので、症状としては幸いだそうです。何より、インフルエンザという病名がはっきりしたことはよかった。インフルエンザじゃなくて変な病気だったらどうしよかと思っていたので。
その後は家に戻ってじっと療養になりました。家族にうつるといけないので、二階の部屋に隔離され、タミフルと解熱剤と気管支拡張パッチを使ってウイルス退治です。タミフルのお陰か、4日の昼くらいまでは39度近い熱が続きましたが、その後は急激に熱が下がり、今日の昼には36度と完全に平熱に戻りました。まだ咳は出るし体はだるいし、そもそも熱が下がってもウイルスは2日は生きているそうなので、まだまだ油断は禁物ですが。7月の細菌性の風邪みたいに、いつまでたってもだらだら治らないよりは、今回のインフルエンザのように高熱が出るけど薬ですぐ治まる方が楽と言えば楽です。タミフル様様。
あと今回は実家で病気になりましたが、実家のありがたみを改めて感じました。一番辛い時期に病院に連れて行ってくれたり(そして診察料も出してくれたり)、布団を引いてくれたり、お粥を初めとしてバランスが取れた食事を出してくれたり。何より一人じゃないという安心感があります。実家暮らしの時は当然のように思っていましたが、一人暮らしで風邪を引いた時の辛さを経験すると、家族の有難さが何倍にも感じられます。もっと親に感謝しないとなぁと感じているところです。実家の欠点として家族にうつしてしまうという心配もありましたが、今のところ誰も体調を崩していないのでよかったかと。
ということで、熱が下がって症状は一息というところですが、まだ他人にうつす可能性があるので、あと2日間は家で大人しくしておきます。東京に戻れるのは火曜日かな。
9月1日(火) 【9月になる】
去年の今日は何をしていたのかと日記を見て見ると、桜島一周サイクリングで悶絶した日のようで、あのときの暑さと辛さを思い出して若干気分が悪くなりました。というか、あれからもう1年経ったのかと思うと、時の流れの早さを実感せずにはいられません。このままではすぐに後期高齢者になってしまう。日々を大切に生きていかなければいけませんね。
今日の日中は久しぶりに外出することもなく、ごろごろ寝たりネットで仕事をしたりして過ごしました。調査その他で出歩きすぎて、さすがに疲れが溜まっていたのか、かなり体が重い状態だったので、体力回復を図る意味でもよかった。畳のある実家はいつでもどこでもごろんと横になることができるので、怠け者の自分には快適です。
夜は「息子が帰ってきたときくらい外食したい」という意見のもと、唐戸市場にある回転寿司へ。唐戸市場は早朝から午前中にかけての、どちらかと言えば観光客より業者向けの市場なので、夜になると静かです。
<唐戸市場> | <市場から眺める関門海峡> | |
<今年でふぐ食120年> | <夜の市場は静か> |
市場2階にある 「海転からと市場寿司」 へ。帰省したときに家族で外食となると、ここかグランドホテルの和食か中華料理の三択になりますが、ここ最近はグランドホテルの和食が続いていたので、久しぶりにで回転寿司へ行ってきました。もしかしたら4年振りくらいかもしれません。今日はネタが少なく、トラフグの握りは終了しており、夏なのでフグの白子もないということで、全体的にはちょっと残念でしたが、酒を飲みつつ新鮮な魚介類を食べられたのでまあよしです。クジラとフグがあるところが、下関独特だと思います。
<鯨ベーコン> | <鯨> | <ウニ> | ||
<ふぐの皮> | <ふぐの唐揚げ> | <イカの酢味噌和え> |
明日は小倉にでも出かけようか。
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