このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

☆中国の電気機関車について
 
中国の電気機関車についての簡単な解説です。




☆中国の電気機関車のあゆみ☆
 
1950年代、中国で電気機関車の開発が本格的に始まりました。
1958年に旧ソ連の技術を基に、株州機車廠で中国の国産電気機関車の第一号となる6Y1型が製造されましたが、残念ながら不調に終わり、量産には至りませんでした。
 
1961年、中国の国鉄線で初の電化区間となる宝鶏−鳳州間で運用するためフランスから輸入した6Y2型を基に、6Y1型の改型を製造するも、僅か8両の生産にとどまり、またもや量産には至りませんでした。
このような苦難の道を経て、1968年、中国初の量産型電気機関車となる「韶山1型」がデビューしました。
 
1970年代には、試作機の「韶山2型」を基に「韶山3型」が開発され、その後、中国の電気機関車の開発は、1980年代に日本から輸入した6K型を基に韶山7型シリーズ、フランスから輸入した8K型を基に韶山4型シリーズを開発するなどというように、外国から輸入された電気機関車の技術を参考にしながら、飛躍的に進歩していきます。
1990年に試作機として製造された「韶山5型」を基に、1994年、中国の電気機関車の傑作となる「韶山8型」がデビューします。この「韶山8型」は、1998年6月に、当時の中国鉄路での最高速度記録となる時速240Km/hを記録しました。
 
1998年以降、「韶山9型」「韶山9G型」といった新型機が製造されていきますが、並行して、これまでの直流モーター駆動方式とは別に、世界の国々で主流となりつつある交流モーター駆動方式の電気機関車の開発も行われていきます。
しかし、輸入機を除くと現在に至るまで試作機のみで量産には至っておらず、こちらの開発は未だに苦難の道が続いているようです。
 
21世紀の現在も、あくなき探究心で新しい技術を開発し続ける技術者たちを、今も宝鶏機務段の片隅で朽ち果ててゆくように佇み続ける6Y1型や6Y2型は、きっと暖かい眼で見守っていることでしょう・・・。
☆中国の電気機関車の形式名☆
 
中国の電気機関車の形式名は、毛沢東の故郷である韶山の名前を冠し、そのローマ字表記(Shao Shan)の頭文字からとって『SS8』などと名付けられています。同一形式内にマイナーチェンジを施した改型が存在する場合、数字の後にアルファベットを配して区別しています。
 
最近開発が進んでいる交流モーターを使用したタイプの機関車は、“電力交流”Jiao liu)の頭文字2つをとって『DJ2』などと名付けられています。
また、2006年以降に輸入、若しくは開発・製造された新形式の車輌には、中国の政治的スローガンである“和諧(He Xie)”という言葉が形式名として与えられ、、“和諧”のローマ字表記(He Xie)の頭文字と“電力”のローマ字表記(Dian li)の頭文字をとって『HXD3』などと名付けられています。
 
輸入車の形式名は、数字の後にアルファベットを付ける方式で表示され、『6K』『8G』などと名付けられています。
 
形式名の命名方法を以下のようにまとめましたので、ご参照下さい。
☆国産車☆
[直流モーター駆動機] 韶山(SS) hao han
[交流モーター駆動機] DJ (電力交流) ian li iao liu
               HXD (和諧電力) e ie ian li
 
☆輸入車☆
数字の後にアルファベットを付けて表示
6K 8K 8G など

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