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2011年 12月

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12月31日() 【2011年の大みそか】

 大掃除と年賀状執筆で朝9時になってしまったので、そこから寝て起きたら午後2時。今月末だった仕事を片付け、買い物に行ったら既に夕方でした。去年の大みそかは高円寺で後輩達と焼肉を食べてわいわいしましたが、今年は静かに紅白と笑ってはいけないCAを二画面で見ながら、鍋にしました。最後は生そばを入れて年越しそばも。しかし、そばはポン酢で食べるもんじゃありません。きちんとしたそばつゆで食べるべきだった。


<大晦日は久しぶりに鍋にする>

<余った出汁で年越しそば>

 2011年は時の流れが早過ぎて、あっという間に過ぎてしまった1年でした。流れの速さに飲み込まれて、ほとんど何もできない一年だったように思います。もちろんチェルノブイリや台湾、韓国をはじめ、何か所も調査に出かけて日々の生活は充実していたけれど、きちんど自分に向き合う時間があったかと言われるとそうではなく、その意味では正直悔いの残る一年でした。来年は自分にきちんと向き合う年にしたいと思います。

 今年もお世話になりました。
 来年は日本にとって、皆さんにとって、そして僕にとっても良い年になりますように。


12月30日(金) 【大掃除】

 去年に引き続いて今年も2年連続で実家に帰省しないことにしたので、あまり年末年始という感じがしませんが、吉祥寺に買い物に出るとイルミネーションが煌びやかで行きかう人もどこか明るく、ああ年末なんだなあと感じます。やっぱり正月を感じるためには帰省した方がよさそうです。でも今年は仕方がない。

 ただ年末年始気分を味わわないのも悲しいので、せめて大掃除くらいしてすっきりしようと、夜から取りかかることに。そういえば去年も30日の深夜に大掃除をしたような・・・。未だに夏に敷いた藺草の御座を敷いていたので、それを引っぺがして冬用のカーペットを敷き、こたつも出してかなり遅い冬支度をしました。明け方5時までかかったけれど、部屋も綺麗になり、これで心おきなく新年を迎えることができそうです。

 ・・・と思ったら年賀状を書いていないことを思いだしたので、31日の朝5時過ぎから年賀状の執筆をすることになる羽目に。今年は最後の最後までギリギリ生活だ。


12月29日(木) 【無色】

 年末だけど仕事はあるので、家で粛々と仕事をする一日。生活に彩りがないなあ・・・。


12月28日(水) 【仕事納め】

 1月末までに1本論文を仕上げないといけないところに某先生より通達があり、もう1本書かなければならなくなりました。こちらは雑文のようなものだけれども、1万字というので非常に痛い。ちょっと1月が怖い状況になってきています。来月の今頃、自分はどうなっているだろうか。

 今日は年内最後の国立へ。今日は国立大学の仕事納めなので、D2Y君が時間がある人だけでも忘年会をしようと企画してくれましたが、やはりこの時期は皆さん忙しいようで、集まったのは3人でした。Y君とAさんと僕という珍しい組み合わせで、国分寺の 「季楽」 へ。カウンターに陣取ると、奥の座敷では国立の先輩格に当たる方達も忘年会のようなものをされていて、狭い店内でまさかの鉢合わせでした。まあ先輩に当たる方のお友達の店なので、そりゃそうなるか。僕らはカウンターで刺身や焼魚や鍋をつつきつつ、今年の反省など。ホッケの塩焼きがおいしい。


<刺身盛り合わせ>

<本ししゃもの雄と雌>

<ホッケの塩焼き>

<寒ブリの煮つけ>

 日本酒の熱燗を飲んでいたら久しぶりに良い気分になり、もう一軒行こう!と国立へ戻ったものの、Y君から「やっぱり今日はこのくらいにしておきましょうよ」と窘められ、しぶしぶ帰宅することに。日本酒を飲んだからか炭水化物を欲していたので、吉祥寺のホープ軒でラーメンを食べて帰宅しましたが、酒を飲んだ後のラーメンほど危険なものはないので今となっては反省しています。これではデブ道まっしぐらだ。


12月27日(火) 【それでも南口なら・・・南口ならきっと何とかしてくれる】

 午前中三鷹の病院へ行き、年内最後の喘息経過観察。特に問題もなく、いつもと同じ薬を処方してもらった終了しました。太い気管の能力はほぼ一般人平均程度まで回復しているようですが、末端の細い気管支の働きは未だに常人の3割程度の能力しかないということで、地道に治療を続けていくほかなさそうです。1年前に治療を始めた時は15%程度だったので、それでも少しは良くなっていると考えるべきか。

 昼は立川へ。2011年、恐らく最も多く足を運んだ店である立川はしや。今日は2011年の食べ納めとしてはしやへ向かいました。しかしいつも行っていた北口のはしやはマイナーチェンジをしてしまって面影がなくなってしまったため(8日の日記参照)、一縷の望みを持って南口の方の店舗へ。北口は変わってしまったけれど、それでも南口なら、南口の店舗なら何とかしてくれる・・・!

 南口の店舗に着きメニューを見た僕は安堵しました。北口の品数を絞ってしまったランチメニューとは違い、今までと同じ多様なメニュー。大盛りも無料。いつものように注文したたらことうにのスパゲティはこれまでと同じタイプで安心しました。良かった、変わってなかった。8割程度までは100%幸せだけど、残り2割を食べる頃にはそこに少し苦痛が加わるところも変わっていない。何はともあれ安心したので、今後は南口の店舗に通おうと思います。しかし写真で比べてみると、北口は明らかに変わってしまってるのがよく分かる。


<立川南口はしやの「たらことうに」大盛り>

<cf.立川北口はしやの「たらことうに」大盛り>

 食後国立へ行き、今年の雑用は今年のうちに・・・と思っていたら、D2Y君と議論をしたり学生のコピペレポートを検証したりで、午後はほとんど仕事になりませんでした。でも今日の議論は僕の頭の整理にもなってよかった。アメニティ論をやるなら、外部性論か固有価値かという二者択一の議論を乗り越える必要がある、というのが今日のメモ。あと、学部生のコピペレポート検証の件は、「研究者の検索能力を舐めちゃいかん」ということに尽きます。上手く誤魔化したつもりでも専門家はすぐ分かります。ネットの文章をそのまま貼り付けたのならなおさら。コピペするなら少なくとももっと文体を変えるとか、自分で再構成するとかそういう努力をしないと、下手すれば人生を棒に振ってしまいますよ。

 6時過ぎに北京ダックを食べに行くというブルジョアD2Y君が帰ったので、そこからは研究室でいそいそと仕事をし、10時過ぎに帰宅。今日は空気が乾燥して静電気が大変でしたが、その分遠くまでよく見えて、夕暮れの富士山が綺麗でした。


<研究室から見える夕暮れの富士山>

12月26日(月) 【デュベル】

 今日はコウジ町の業務委託先へ行って年内最後の打ち合わせ・・・と思ったら、上司が風邪を引いたとかで突如キャンセルになったので、ひとしきり家で仕事&研究。まだ終わっていないテープ起こしが気になるけれど、1月締切の査読論文の方がもっと気になります。査読論文に加えて博論もあるので、今年も年末年始は実家に帰省できません。さて、どうしたもんか・・・。

 夜は吉祥寺で買ってきたベルギーのヒューガルデンとデュベルで一杯。ヒューガルデンは好きなのでちょくちょく飲みますが、デュベルは2,3回目かと思います。「世界一魔性を秘めたビール」と呼ばれているように、香りの中にある微妙な苦みが素敵です。アルコール度数も一般的なビールの倍の8.5%。お陰でヒューガルデンまで辿りつけなかった。


<デュベルとヒューガルデン>

<デュベルをグラスにつぐ>

 外国のビールは専門店で飲むと高いということにようやく気付いたので、これからは家でちょくちょく飲むことにします。


12月25日() 【】


12月24日() 【】


12月23日() 【】


12月22日(木) 【炭水化物×3】

 今日も国立へ。いつものゼミの時間は今日はプロジェクト研究会(1月末締切の査読論文検討会)で、まずは先発隊の3名が報告。僕も年明け一発目に後発隊として報告するので、いろいろと様子を伺っていました。ちょっと我慢ならなくて暴発したところもあったけれど。まあ、あまり時間もないので頑張りましょう&頑張ります。

 研究会後はいつもの蕎麦屋へ行き、怪力カレーうどんに白ご飯。うどん、餅、白米という炭水化物のトリプルコラボレーションで、太ること間違いなしです。でもカレーうどんのスープを白いご飯にかけて食べるのは止められない。何であんなにおいしいのだろうか。蕎麦屋の後は皆で集まるのも今日で年内最後ということで、バーへ行って数杯ほど飲んできました。男なら黙ってマティーニ。写真のピントは外れてるけど。


<怪力カレーうどん+白飯>

<男なら黙ってマティーニ>

 帰ってからも炭水化物コンボが消化しきれていないようで、満腹感が持続しています。太るかもしれないけれど、これは素晴らしい。


12月21日(水) 【伝統の居酒屋】

 今日は国立へ行き、午後オムニバス講義と研究会。研究会後は先生方を含め皆でいつもの蕎麦屋へ行ったら、いつも使っている座敷に先客がいたため、仕方なくいつもの居酒屋へ。いつものとは言ったものの、最近行っていなかったので久しぶりでした。卍先生が学生時代からあるという居酒屋でいつものように餃子や野菜炒めを食べ、8時過ぎに終了。ここの餃子はニラが大量に入っていて、次の日も臭うので要注意です。でもおいしいから止められない。


<おでん>

<餃子>

<野菜炒め>

<ハムカツ>

 年内のオムニバス講義はこれで終わり。年末が近づいています。


12月20日(火) 【お見送り】

 今日は朝早くから立川へ。先週のシンポジウムに来ていた中国の先生を羽田までお見送りする、という役目がどういうわけか僕に与えられ、その先生が宿泊しているのが立川のホテルでした。本来なら中国語ができる修士の留学生がアテンドする予定だったのが、就活とか何かで駄目で、その他の人達もゼミなどの予定が入っていうことで段々と上に上がってきて僕になったと。しかし朝から腹は痛いし寝不足だし、おまけにその中国の先生は中国語とロシア語しか話せないということで、日本語と少々の英語しか使えない僕ではどうしようもありません。本当に英語が通じないのでびっくりすると同時にこの先何かあったらどうしようかと不安になります。身振り手振りで何とかするしかない。

 立川から羽田行きの高速バスに乗って一路羽田へ。普段は吉祥寺から乗るとほぼ満席になりますが、今回の立川発のバスの乗客はわずか5人で出発。そして首都高がめちゃくちゃ混んでいて、羽田まで2時間もかかりました。これだったら電車の方が早かったような。で、国際線ターミナルでチェックインを手伝ってお見送りしてアテンドは終了。よく考えたら、僕はいらなかったのでは・・・?

 せっかく羽田の国際線ターミナルに来たので、昼ご飯を食べて帰ろうと飲食店街の一角にある 「つるとんたん」 へ。季節限定の「牡蠣クリームのうどん」をうどん2玉で注文して待つこと10分。目の前に出てきたのは、「カニくりーむのうどん」でした。・・・牡蠣クリームの写真を指差して注文しのに。。今日はどうしても牡蠣が食べたい気分だったので、「カニじゃなくて牡蠣を注文したんですけど」とはっきりと告げて替えてもらうことに。この後すぐにデジカメの電池も切れるし、今日は何だかいろいろとついていません。牡蠣クリームのうどんがおいしかったのは救いでした。


<首都高から見える東京タワー>

<つるとんたんで牡蠣クリームのうどん>

 この後は当初国立の研究室に戻ろうと思っていたけれど、今日は何だかいろいろと疲れてしまったので、新宿で映画を見てそそくさと帰りました。ついていない日は無理しないに限ります。


12月19日(月) 【将軍様の最期】

 昼頃入って来た金正日死去のニュース速報。突然のことで驚きはしましたが、結局金正日という人は何だったのかが分からないまま亡くなってしまったように思います。金日成のように国を作ったわけでもなく、しかしそれでいて絶大な権力を持ち(持っているのか持たされているのかも分からない)、情報が出てこないために何をやっているかも分からない。本当に謎のままです。個人的なイメージとしては、江戸幕府の6代将軍家宣のような感じです。歴史的にも重要な5代綱吉と8代吉宗に挟まれて、いまいちインパクトがない6代家宣(7代家継は幼くして死んだので除外)というか。金正日は将来どのように評価されるのでしょうか。

 午後コウジ町の業務委託元に行って若干の打ち合わせをした後、遅めの昼食を取るべく日テレの麹町スタジオ近くにある 「ラ・タベルナ」 へ。以前に一回来たことがあるけれど、そのときはデジカメを忘れていたので写真を撮れなかったので、今日はデジカメをしっかりと携えてきました。タベルナは大衆イタリア食堂といった感じで、どのメニューも大盛りです。今日は一番の定番メニューであるらしい牛肉の薄切りステーキ(1000円)。大盛りのバターライスとスパゲティの上に、薄切り牛肉が二枚載っています。ライスもスパゲティも量が多く、割と大味なので、途中でチーズをかけたりタバスコをかけたりして食べ進めました。全部食べれば腹はパンパン。よく食べるテレビマンなんかにはいいのかもしれません。


<ラ・タベルナ>

<牛肉の薄切りステーキ>

 帰宅後は金正日と北朝鮮情報一色のテレビを見て過ごしました。94年に金日成が亡くなったときのニュース速報は今でもよく覚えています。あの頃はもしかしたら北朝鮮が暴走するんじゃないかとかなり心配になりました。あれから17年が経ち、権力を継いだその息子も亡くなってしまいました。跡取りは僕よりも若い28歳。北朝鮮はどうなるのでしょうか。


12月17日()〜18日() 【山形・福島へ】

 週末は1泊2日で山形・福島へ。18日に郡山に調査が入っていたので、それを利用して前乗りで17日は山形をぶらぶらしてきました。特に山寺(立石寺)はずっと行ってみたかった場所。松尾芭蕉が「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句を詠んだ場所でもあります。元来の旅行好きと最近は調査で日本全国を回っていることもあり、国内で訪れてないめぼしい観光地も少なくなってきました。その中で、立石寺は残っていた大きな候補の一つ。冬の土曜日の朝ということもあって、参拝客も少なく、清々しい気持ち参拝と山登りができました。五大堂からの眺めは素晴らしかった。

 山寺の後は山形市内に移動して、板そばを食べてから市内をぶらぶら。山形市を訪れるのは初めてでしたが、ゆったりとした地方都市という感じで良い雰囲気でした。人口も25万程度と、そんなに大きな都市ではないんですね。山形の後は余裕があれば米沢も、と思っていたけれど、山形市内に時間を取り過ぎたので行く時間がなくなってしまいました。米沢牛を食べるのはまた次の楽しみにしておこう。


<立石寺の山道を登る>

<五大堂からの眺め>

<山形文翔館>

<庄司屋 板合盛り天>

 山形から新幹線で郡山まで移動し一泊。ホテルでは「THE MANZAI」を見ているうちに寝てしまい、番組で一番盛り上がったという、ナイツののりピーのくだりを見逃してしまった・・・。何はともあれ、これまでのM-1のようなピリピリした雰囲気ではなく、ほんわかした空気で番組が進められていたのがよかった。

 翌日は郡山ビックパレットへ行き、チェルノブイリ調査で一緒になった川内村の村長さんを訪問。川内村はビックパレットに臨時庁舎を設置し、住民は傍に建てられた仮設住宅に避難されています。この日の郡山は寒く、気温は0度前後。高齢者が多く避難しており、プレハブ作りの仮設住宅は寒いだろうと思います。一刻も早く帰村の条件が整いますように。


<郡山ビックパレットに広がる仮設住宅>

<頑張れ!>

 帰りに郡山で何か名物を食べて帰ろうと必死になって探しましたが、やはり薄皮饅頭以外見つかりません。経済特化型の都市とは分かっているものの、B級グルメの名物がないと寂しくなります。カレーを名物にしようとしている動きもあるようですが・・・。何かあればなあ。


12月16日(金) 【一日】

 明け方に今日朝締切の仕事がようやく終わり、一旦寝てから掃除洗濯をして、午後は吉祥寺で買い物。明日・明後日に使うウィークエンドパスも買ってきました。やることが多いと一日がすぐに終わります。


12月15日(木) 【無理無理】

 今日は午前中家で、午後国立に行って研究室で明日の朝締切の仕事をせこせこ片付ける一日。お陰でM2I君の最後の修論報告であったゼミにも出られず、研究室で午後10時過ぎまで粘りました。でも全然終わらない。しかも眠気全開。もう無理だと悟ったので、居酒屋で飲んでいたD2Y君に残りを仕事を少し渡してから帰宅。これでかなり楽になり、感謝感謝です。


12月14日(水) 【ナシゴレン】

 朝起きたらひどい筋肉痛でした。野球だからあまり体を動かしていないと思ったのに、まさかここまでの筋肉痛になるとは思っていなかったので、オジサン化が進む自分の体を実感します。

 今日も国立へ行き、午後オムニバス講義・研究会。研究会後、講師の先生がそのまま帰られるということでアフターがなくなったので、数人で 「スコールカフェ」 で夕食。スコールにはいろいろと魅力的なアジア系のメニューがありますが、いつも注文するのはナシゴレンです。一緒についてくるエビセンのようなものにナシゴレンを乗せて食べるとおいしい。あとはビールを一杯だけ。期限が迫っている業務委託の仕事があるにも関わらず・・・。


<ナシゴレン>

12月13日(火) 【サードすぱくり】

 昨日は仕事をしていたらいつの間にか夜が明けてしまっていて、結局徹夜に。

 午前中喘息の治療で三鷹の病院へ。今日は半年に一度の肺機能検査で、レントゲンを撮ったり肺機能を調べたりしました。きちんと毎日薬を服用し、吸入を行ったお陰で、肺活量自体はほぼ一般人平均まで回復したということでしたが、一方で末端の気管支の働きは依然としてあまり回復していなくて、まだ常人の3割程度とか。治療を始めた時は15%だったのでそれ比べれば随分ましにはなりましたが、まだまだです。こびりついた汚れのようなものだから我慢強く治療して行くしかないとのことなので、じっくり治療します。毎月8000円近くの治療費は痛いけれど、健康には変えられない。

 その後国立へ。今日は学部と大学院対校の野球大会が開かれるということで、当初は特に参加するつもりもありませんでしたが、午前中の診察で運動した方が肺にもよいということを聞いたのと、研究室の机にM2I君から「よかったら是非参加してください」という書き置きがあったこともあり、それじゃあ参加するかと、ジャージを着て体を動かしてきました。最後にソフトボールをやったのが大学1年の必修スポーツのときで、野球に限れば高校生の時に友達となんちゃって野球チーム(チーム名:ヤ○ネーズ)を作ろうとして練習したのが最後だから、少なくとも10年振りくらいです。

 10年間お勉強をしすぎて(?)以前より目が悪くなったため、最初の練習でキャッチボールをしたときにはおっかなびっくりでしたが、それでも徐々に慣れて行くもので、試合の方も2試合に出て4打数1安打1四球3打点1エラー。1安打はライト方向に綺麗な流し打ちが決まってランニングホームランになり、僕もまだまだやればできそうです。ちなみに試合の方はセーブが付く場面で登板した△↓さんが打たれて逆転を許し、3年生チーム・4年生チームに2連敗。10歳も歳が離れた若者達との差を感じます。あと、徹夜明けで野球をするもんじゃないと思いました。最後は本当にもうふらふら。

 試合後は数人でバーミヤンへ行って早目の夕食を食べ(ついでにビールも飲み)、早目に帰宅して早目に就寝。家に着いた時点でかなりふらふらでした。もう一度言うと、徹夜明けで野球をするもんじゃありません。


12月12日(月) 【絆】

 今年の漢字は「絆」。何と言うか、予想通り。


12月11日() 【行こうか行くまいか】

 先月のチェルノブイリ調査の報告会@福島が開催されるということで、福島まで行こうか行くまいか悩んだ結果、疲れを取ることを優先することにして福島には行かないことに。木曜日に聞いた卍先生の「1月に東京でも(うちらが)開催するし、君も忙しいだろうから行かなくてもいいんじゃない?」という言葉が、行かないことの最大の後押し要因になったことは言うまでもありません。福島に行ってついでに報告書のまとめとかでいろいろと相談はしたかったのだけど、まあそれはメールでやりとりすることにして。来週も福島だし、今週は休ませてもらうことにしました。

 ということで、今週も土・日に用事がないというありがたい週末に。家でゆっくりできる週末はいいものです。


12月10日() 【赤い月】

 今日も家で仕事。夕方吉祥寺に買い物に出かけたときに東の空の水平線近くに満月が見え、「ああ、今日の満月は綺麗だなあ」とは思いましたが、まさか久しぶりの皆既月食の日だったとは。その時間は仮眠を取っていて、僕は夢の中でした。最近はニュースに疎くていけません。もう少しアンテナを張り巡らせておかないと。

 最後にじっくりと皆既月食を見たのは、確か小学生の頃。祖母の家(=今の実家)のベランダで1時間近く月を眺めていたことを思い出します。皆既月食と言っても、月が完全に見えなくなるわけではなく、うっすらと赤くなるのだと知ったのもその時。今日の東京は天気が良かったので、きっと綺麗な赤い月が見えたのでしょう。

 昨日のバルスも今日の赤い月も見逃してしまい、自分の情報収集能力の低下が懸念されます。


12月9日(金) 【バルス!】

 今日は家で仕事。夜は日テレでラピュタを放送していたそうですが、テレビをつけないので見逃してしまいました。バルス祭りに参加してみたかった。


12月8日(木) 【残念な気分】

 今日はいろいろと考えさせられることが三つくらいあった一日。しかしうち二つはここには書き辛いので、一番書きやすくかつ一番残念な気分になったことを以下に書こうと思います。

 木曜としては久しぶりに比較的早く研究室に行ったので、昼は久しぶりに立川のはしやへ。最近たらことうにのスパゲティを全く食べていなかったので、久しぶりに大盛りを食べて心地の良い気分の悪さに浸ろうと思っていました。しかし店に入って出されたメニューは、これまでのものと違ってランチ用の特別メニュー。これまでは組み合わせで100種類以上のスパゲティがあったのに、今日は10種類程度。さすがに看板メニューのたらことうにのスパゲティはあったので注文しましたが、これまで大盛り無料だったのが大盛りは+150円になっていました。今までは1250円で大盛り無料、今回は1100円で大盛りは+150円となっていたので、実質値下げなのかもしれませんが。

 何となく割り切れない気分でたらことうにのスパゲティ大盛りを注文し、待つこと10分。これまでとは違う皿でたらことうにのスパゲティが運ばれてきました。よく見ると、今までと麺の太さが違うし、量も少ないような気がします。食べてみると、これまでと比べて味が薄い。これまではこれでもかというほど濃厚で、最後は気分が悪くなるほどの味付けと量でしたが、今回はそこに達する前に完食してしまいました。残ったのは中途半端な満腹感とやり切れない気分。

 もしかしたら自分の記憶違いかと思って、帰宅後にこれまで撮った写真を見てみましたが、やっぱり明らかに量が違うことが分かりました。残念です。もう元のスパゲティが出てくることはないのだろうか。これだったら、わざわざ立川まで行く必要もないよなあ・・・。


<新しいたらことうにのスパゲティ大盛り>

<これまでのたらことうにのスパゲティ大盛り>

 ということで今日ははしやのスパゲティに特化した日記になってしまいましたが、それだけショックな出来事だったということで。


12月7日(水) 【ほっけの刺身】

 水曜日は国立のオムニバス講義の日。12月一杯までの出講講師との事務的やり取りは僕が担当しており、特に面識のない大御所の先生とのメールのやりとりはかなり緊張しますが、今回は大物でも何度も調査で一緒になっているalmost先生ということで、若干気が楽でした。やり取りの中でもたまにギャグみたいなメールを送ってくるからな・・・。しかしやはりそうは言っても大物なので油断はできません。

 講義後は先生がすぐにお帰りになるということで、いつもの懇親会は無し。しかしせっかく早く終わったのに勿体ないということで、D2Y君行きつけの、国分寺の 「季楽」 で一杯飲んで帰ることに。9月に1回連れて行ってもらって、秋刀魚の塩焼きと炊き立てのご飯、それに新じゃがのフライドポテトに度肝を抜かれた店です。9月頃はまだ知る人ぞ知る店という位置付けだったみたいですが、最近では脚光を浴びたのかお客さんが増えて、なかなか行き辛くなっているらしい。今日は運よく奥の座敷が空いていました。

 注文は和牛ステーキやフライドポテト、味の塩焼きなどなど。フライドポテトはやっぱりかなりおいしいです。日本居酒屋フライドポテト品評会会長の僕が言うのだから間違いない。今のところ、全国でも三指に入ります。あと、米を1合使った爆弾おにぎりは、海苔が元々乾燥していないタイプのもののようで、歯ごたえがあります。中のご飯もおいしい。


<季楽の座敷>

<お通し:つみれ汁>

<フライドポテト>

<国産牛の焼き物>

<鯵の塩焼き>

<ばくだんおにぎり>

 今日のメインはホッケ一匹。ホッケは鮮度の悪化が非常に速いので、開きにした上で塩焼きにするのが一般的です。しかし今日は何と生のホッケがあり、しかも1匹を刺身・塩焼き・澄まし汁の3点セットで出してくれるということで、滅多にない機会なのでそれを注文しました。そもそもホッケには寄生虫いることが多いので、一般的には刺身で食べないそうなので、少しだけ心配でしたが・・・。

 まず店主にこれから調理されるホッケ1尾を見せてもらい、その後刺身、塩焼き、澄まし汁のコース。ホッケの刺身は白身魚のように淡白で割とあっさりしています。塩焼きは開きとは違って、身がほくほく。澄まし汁も出汁がよく出ていておいしかった。羅臼で特大ホッケの開きを食べて、ホッケのことが分かっていた気になっていましたが、まだまだ全然だということを思い知りました。ホッケ道は険しい。


<干されていないほっけを初めて見た>

<ほっけ(中央左右)を含む刺身盛り合わせ>

<ほっけの塩焼き>

<ほっけの澄まし汁>

 ということで、適度な酒と十分な料理で満足して帰宅。


12月6日(火) 【もうたくさん】

 昨日は腑に落ちないまま帰宅したものの、さすがに「明日の夕方まで」と言われると仕事を片付けなければならず、帰宅後すぐに仕事に取り掛かることに。本当に一体どうなっているのだ!という怒りを必死で抑えつつ、途中で仮眠を取りながらせっせと片付け、6日の夕方6時に何とか強引に終わらせることができました。全部で20時間くらいかかったので、研究でもないことにこんなに時間を使うのは本当にもうたくさんだという気分です。

 そういうことで食生活も貧相になってしまいました。今日の食事は以前買っておいた「カップヌードルごはん」。カップヌードル味のご飯があったらおいしいだろうなあと昔から思っていたので、その願いを叶えてくれた日清食品の開発部の方には感謝です。水と具材を入れて電子レンジで5分間チンすれば出来上がり。見た目はパッケージの写真と違ってあまり良くありませんが、味は想像していたものそのままで驚きました。ちょっとしょっぱいですが、小腹を満たすならちょうど良さそうです。


<カップヌードルごはん>

<見た目はあまり良くない>

 今日は疲れ切ってしまったので、夜8時過ぎにさっさと就寝。しかし慣れない時間に寝るものではなく、夜中3時には目が覚めてしまいました。こうやって生活リズムがまた崩れていきます。


12月5日() 【北区を歩く】

 今日はM2Iさんのヒアリングに同行する形で、午前中に北区役所へ。北区は生ごみ処理で面白い取り組みをやっているとのことで、担当者の方から話を聞いてきました。まあ個人的には2000年以降、清掃事業を巡って都や他の特別区との関係がどうなったか、特に表には出てこないようなどろどろした部分を聞きたかったのだけど、まあ今回は僕のヒアリングではないのでぐっと堪えて。

 区役所でのヒアリングの後は田端駅近くにあるリサイクルセンターにも寄ってみようかということで、本郷通りを歩いて田端方面へ。途中、旧古河庭園近くにある 平塚神社 参道の銀杏が綺麗だったので、紅葉狩りがてらお参りしてきました。平塚神社は八幡太郎源義家を祀っているとのことです。

 せっかく天気も良いので、続いて旧古河庭園へ。3年振り2度目だと思います。ここは元々陸奥宗光の別邸で、宗光の次男が古河家の養子になったので古河家のものとなったようです。明治の面影を残す洋館も素敵ですが、和洋折衷の庭園は今がちょうど紅葉真っ盛りという感じで綺麗でした。今年初めてまともな紅葉を見た気がします。紅葉していない木もありましたが、それはそれで赤と緑のコントラストとなって美しい。今日は午後臨時休業で12時閉園ということで、正味30分程度しか見物する時間がなかったためかなり駆け足になってしまったのが残念でしたが、天気も良くいいものを見せてもらいました。

 リサイクルセンターに寄った後、田端駅のアトレ3階にある 「あぶりゃんせ百干」 で昼食。本日の焼魚は秋刀魚の塩焼きということで、喜んで秋刀魚の塩焼き定食にしましたが、やっぱり旬じゃないときに食べる秋刀魚の塩焼きは味が落ちてしまいます。どうしても冷凍のあの固い感じが出てしまう。まあ今年の秋は1週間連続で秋刀魚を食べたりして満足し過ぎるほど満足したので、今日のような冷凍秋刀魚が出ても特に問題はありません。新鮮な秋刀魚の塩焼きは来年の秋まで待とう。


<さんまの塩焼き定食>

<店からは山手線と新幹線が見える>

 昼食後は四ツ谷まで移動して喫茶店に入り、4時頃までIさんの修論についてあれこれ相談を受けるというかコメントをし、4時過ぎにIさんと別れてコウジ町の業務委託元へ行き打ち合わせ。ここで当初8日の昼までと言われていた締切の仕事が、上司の勘違いで6日(つまり明日)夕方までだったことが分かり、まだ全く手を付けていないのにどうしろと・・・。一応僕もいろいろな仕事や自分の研究の予定を立て、それにそって行動しているわけで、例え1日でも日程がずれると全てに支障をきたしてしまいます。今の業務委託元はこういうことがたびたびあるので、本当にどうにかしてほしいと思います。というか、会社の将来のためにも、こういったルーズな点は絶対にどうにかしなければいけないはず。短気な人間なら契約切ってますよ。

 ということで、何だかいろいろと腑に落ちないまま帰宅。


12月4日() 【昨日と同じ】

 今日も一昨日・昨日と同様の一日。本当なら土日で京都にでも行ってゆっくりと紅葉を見たかったけれど、最近は残念ながら時間的にそういうことができそうにない状態です。紅葉の季節の京都には2007年から2009年まで3年連続で行っていたので、2010年、2011年と2年連続で行けないのは残念です。東福寺とか清水寺とか、人は多いだろうけど紅葉は綺麗だろうなあ。来年こそは。


12月3日() 【プレミアム】

 今日も家で仕事に加えて、来月末締切の査読論文の仕込み。

 夕食は面倒になったので、セブンイレブンのコンビニ弁当で済ませました。セブンイレブンの弁当を食べるのはいつ以来だろうという感じですが、セブンイレブンの弁当は他のコンビニ弁当に比べると本当にクオリティが高いですね。他のコンビニ弁当は白飯がレンジでチンした即席ご飯みたいな臭いがするけれど、セブンイレブンのはそんなことがありません。何か秘密でもあるんでしょうか。

 深夜の夜食はセブンイレブンで売っていたプレミアムラ王。最近発売開始になったようで、プレミアムという名前の通り300円近くしました。どんなものやらと作ってみると、厚めのチャーシューが3枚入っていて確かにプレミアムかも。ただ油分もプレミアムで、豚骨の割には相当こってりしていたので、このこってりさが少しは緩和されればなあ・・・というところです。最近は本当に油分が体に堪えます。


<プレミアムラ王>

<チャーシューが3枚>

12月2日(金) 【仕事】

 金曜日は家で仕事。


12月1日(木) 【どういうわけか】

 午前中にようやく業務委託元の2つ目の仕事を片付け、昼は吉祥寺の 「鴨錦」 でつけ鴨うどん(温)。ここは以前バーだった店舗を居抜きで使っているらしく、カウンターの位置が若干高くて食べにくいですが、味の方ははなかなかです。残った汁にご飯と生卵を入れて食べたらおいしいだろうなあ。

 食後国立へ行き、残った仕事を粛々と片付ける。今日の院ゼミはM1の修論構想ということで、僕が出ても仕方がないだろうと思い、出ずに仕事を片付けさせてもらいました。まあ、きちんとした報告になりそうだったら出ていたかもしれないけどね。全てはそういうことです。

 ゼミが終わるのと同じくらいにようやく仕事が全て片付いたので、研究室に戻ってきたD2Y君、D1N君と駅近くの「鳥貴族」で軽く飲んで帰ることに。鳥貴族はビールも含めて全品280円で、財布が寂しいときは助かります。まあ結局飲み食いし過ぎて結構な額にはなってしまいましたが。飲んでいたらテンションが上がって来たのか、D1N君が別で飲んでいたM2I君に結構しつこく電話をかけ、結局そっちの方々が僕らの方に合流。あまり飲んだことがない方や初めて会う方もいて、なかなか不思議な雰囲気にはなったけれど、楽しい時間になりました。


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